慶応3年3月16日(1867年4月20日)、稲荷祭礼があり、伊東甲子太郎は近藤勇・土方歳三と酒を酌み交わしました。 「16日、稲荷祭礼、両長と一酌」(「九州道中記」) <ヒロ> 伊東は御陵衛士同士の新選組からの分離について、13日に近藤らから了承を得て、さらに15日には京都守護職会津藩と京都町奉行にも話を通していました。おそらく、この日の祭礼を口実にどちらかが(送別会的な)酒席を設けたのでしょう。とはいえ、のん兵衛の伊東に対して、近藤・土方ともに下戸だったそうですが、どんな一酌だったんだろう^^;。それにしても、まだ宿舎が決まらないのに、のんびり飲んでる場合か、御大って感じ(笑)。このへんからも、分離は少なくとも表面上は円満に行われたことがわかると思います。 関連:「九州行道中記」@衛士館、御陵衛士日誌「慶応3年(2)」@衛士館 |