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元治1年4月2日(1864年5月7日)

【京】春嶽、中川宮に諸侯帰国の際は勅諭遵奉を諭すよう上言
【京】諸侯帰国:宗城・久光・長良、5日に二条関白邸に同道・帰国願いを決定


☆京都のお天気:晴冷(久光の日記より)
■参豫諸侯の帰国
【京】元治元年4月2日、松平春嶽は、中川宮に書簡を送り、筑前藩世子黒田慶賛の帰国に際し、1月27日の勅諭(こちら)を遵奉し、国事に尽力せよと諭し、他の諸侯の帰国に際しても同じことを諭せば、「自然天下の方向も一定すへし」と上言しました。

同じ日、慶喜にも、前条を中川宮に上言したことを書簡で伝えました。

参考:『続再夢紀事』三p79(2010/10/5)

【京】元治元年4月2日、薩摩藩士高崎猪太郎が越前藩邸を訪問し、応対した中根雪江に対し、薩摩藩の帰国の決意を伝えました。

貴藩はどうするのかと尋ねられた中根は、<帰国の件は、願い通り守護職解免となった上で御相談に及び、貴藩始め、宇和島殿・長岡殿と同時に御暇を願う心得である>と答えたそうです。
参考:『続再夢紀事』三p79(2010/10/5)

【京】元治元年4月2日、薩摩藩邸に伊達宗城・長岡良之助が集まりました。種々議論の結果、帰国の件については、来る5日に二条関白邸に参殿し、暇を願い出ることに決まりました。

これまで、春嶽も含めた4人で歩調を合わせることにしていましたが、春嶽については、守護職解免がどうなるか不透明なので、除くことになりました。(あらら・・・)

参考:『玉里島津家史料』ニp769、『伊達宗城在京日記』p409(2010/10/5)
関連■テーマ別元治1「会津藩の守護職更迭問題・春嶽の守護職就任問題

【京】議奏正親町実徳、病を理由に辞任を請うが聴許なし(『維』五)
【天狗党】幕府、水戸藩家老に浪士・藩士鎮撫を命ずる。(『維』五)
【長州】三条実愛、従士土方久元及び浪士渕上郁太郎を小倉藩に派遣(『維』五)
【外国】横浜鎖港交渉使節、仏国外務大臣リュキと会見。鎖港を談判(『維』五)

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