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文久2年4月18日(1862.5.14)
<寺田屋事件5日前>
島津久光、有馬新七ら急進派説得のために
奈良原喜左衛門・有村俊斎を大坂へ派遣。

■久光の率兵上京と寺田屋事件
文久2年4月18日、無位無官の身で滞京・浪士鎮撫の勅命を受けて率兵入京した薩摩藩国父島津久光は、決起を計画する藩士有馬新七ら急進派の説得のため、藩士を大坂へ派遣しました。

奈良原喜左衛門・有村俊斎(のちの海江田信義)は、在坂藩士を集め、久光の建白が朝廷に容れられて天下に憂いはなくなったので、各々は職務に励み、他事に関わることはないように・・・と説得したそうです。薩摩藩激派は田中河内介らと相談の上、とりあえず、18日の決起はやめましたが、決起自体を中止したわけではありませんでした。彼らは次に、21日夜に決起しようとしていたのです。

参考:『徳川慶喜公伝』・『維新史』・『島津久光と明治維新』・『大久保利通』・『海江田信義の幕末維新』(2003.5.14)

関連:■テーマ別「久光上京と寺田屋事件」■「開国開城」「文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上洛と寺田屋事件」■薩摩藩日誌文久2年

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