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文久2年4月20日(1862.5.16)
寺田屋事件3日前
大久保利通、下坂して激派を説得。

■久光の率兵上京と寺田屋事件
【京】文久2年4月20日、島津久光は大坂の薩摩藩精忠組の尊攘急進派を説得するために、同じ精忠組の大久保一蔵(利通)を派遣しました。

<ヒロ>
大久保は、前日に久光の命を受けて伏見を発ち、夜に大坂に到着して加藤邸(?)に宿泊していました。『維新史』によれば、21日に決起の動きがあるので、急遽下阪したようです。20日の早朝から柴山愛次郎・橋口壮助・有馬新七・田中謙助らに会い、さらに浪士田中河内介・小河弥右衛門にも会い、決起の翻意を促す説得を試みました。時機を待つべきであること、尊王の道がたてば一同を親兵に推挙することなどを説いたようです。大久保は、夜、大坂を発ち、伏見に戻りました。毛利敏彦氏『大久保利通』によれば、激派の決意は固く、「久光に密着した大久保には、すでに彼らを説得する力がなかった」そうです。激派たちが23日に伏見の寺田屋に集合して決起をするという計画をこの日すでに決めたのかどうかは、ちょっと勉強不足でわかりません(すいません^^;)。


関連:■テーマ別「久光上京と寺田屋事件」■「開国開城」「文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上洛と寺田屋事件」■薩摩藩日誌文久2年

参考:『大久保利通日記』・『大久保利通』・『大久保利通と明治維新』・『島津久光と明治維新』(2003.5.16)
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