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文久2年4月28日(1862.5.24)
【京】長州藩世子毛利定広入京。

■長州藩
【京】文久2年4月28日、長州藩世子毛利定広が入京しました。

文久2年4月、長州藩主敬親・世子定広ともに江戸に存りましたが、国許では島津久光の率兵東下や京坂の不穏な情勢から藩主父子のいずれかの帰国を望んだため、敬親は幕府の許可を受けて定広を帰国させ、その途上、京都へ寄らせることにしました。定広の入京は寺田屋事件から5日後のことでした。

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<参考>『維新史』三・『徳川慶喜公伝』2(2003.5.24)

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