5月の幕末京都 幕末日誌文久2 テーマ別文久2 HP内検索 HPトップ
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■長州藩 【京】文久2年4月28日、長州藩世子毛利定広が入京しました。 文久2年4月、長州藩主敬親・世子定広ともに江戸に存りましたが、国許では島津久光の率兵東下や京坂の不穏な情勢から藩主父子のいずれかの帰国を望んだため、敬親は幕府の許可を受けて定広を帰国させ、その途上、京都へ寄らせることにしました。定広の入京は寺田屋事件から5日後のことでした。 関連:■テーマ別文久2「長井雅楽」■長州藩日誌文久2 ■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「開国開城-文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」「開国開城-文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件」 <参考>『維新史』三・『徳川慶喜公伝』2(2003.5.24) |
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