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文久3年5月5日(1863.6.20)

【京】真木和泉救解(1)久留米藩士小河佐吉ら脱藩・入京。
長州藩士清水清太郎・寺島忠三郎らに真木和泉釈放援助を請う。
【長】攘夷戦争(6)久坂ら、光明寺に転陣。

■長州藩の攘夷戦争
【長】文久3年5月5日、久坂玄瑞の率いる浪士隊が光明寺に転陣しました。(「光明寺党」と呼ばれるようになる)

参考:「白石正一郎日記」(2004.6.21)

■真木和泉救解
【京】文久3年5月5日、久留米藩士小河佐吉ら脱藩して入京し、長州藩士清水清太郎・寺島忠三郎らに真木和泉釈放の援助を請いました。

<背景>
文久2年4月の寺田屋事件で京都挙兵計画が失敗した後、真木和泉ら久留米藩尊攘急進派は、藩地に送還され、謹慎等の処分を受けました。しかし、同年後半には、攘夷別勅使の東下など京都において尊攘急進派の勢力が挽回し、彼らの入説によって、久留米藩主有馬慶頼に対して、幽囚・禁錮の国事犯を釈放せよとの朝命が下りました。これを受けて、久留米藩では、文久3年2月、真木らの釈放を行いました。4月、真木は、藩主に対し、藩是の確立・家老有馬監物の弾劾・水野正名ら急進派の釈放と登用を主張しました。藩庁では、この動きを、真木ら急進派が徒党を組んで不軌を企てるものとし、4月13日、急進派20数名を投獄しました。

参考:『修訂防長回天史(三下)』・『維新史』三(2004.6.21)

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