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文久3年5月11日(1863.6.26)
【京】将軍、摂海巡視から京都に戻る/
【長】真木救解:中山忠光、滝弥太郎・赤根武人らを従えて久留米到着。
藩主面会を拒絶されて激怒。

【京】文久3年5月11日、将軍家茂は摂海巡視から京都に戻りました。

将軍は、4月21日に下坂して以来(こちら)、約20日ぶりの帰京となりました。幕府が朝廷に約束した攘夷期限の5月10日(こちら)を過ぎていました・・・。

翌12日に越前藩士中根靭負が紀州藩士伊達五郎から聞いた話によれば、将軍には摂海巡視の後、暫く大坂に滞在することが内定していたところ、生麦事件償金交付(こちら)の報が京坂に届いて、状況が難しくなり、再上京することになったそうです。

参考:『維新史』三、『続再夢紀事』ニp11(2001.6.25)
関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」 ■テーマ別文久3年:「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京

■真木和泉救解
【久留米】文久3年5月11日、京都から長州に出奔中の急進派公卿中山忠光は、藩士滝弥太郎・赤根武人らを従えて久留米に到着しました

忠光は藩主・重役に面会を求めましたが断られたので激怒し、長州藩兵を動かすしかないと宣言し、久留米を去ろうとしたそうです。あわてた久留米藩士9名が後を追いかけ、なんとか久留米に留まることにしましたが、そのとき、京都から真木釈放に関する朝命を伝宣するために下ってきた長州藩士山縣九右衛門らと出会ったそうです。

参考:『修訂防長回天史(三下)』p416、『維新史』三(2001.6.25)

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