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元治元年5月28日(1864年7月1日) 
【江】幕府、横浜鎖港の総裁職松平直克への委任を布告
【江】水戸藩、武田耕雲斎、興津蔵人、中山与三左衛門の江戸執政を罷免、慎隠居に。

■横浜鎖港問題
【江】元治元年5月28日、幕府は横浜鎖港を布告し、鎖港の件は総裁職松平直克に委任することを布告しました

上意  

横浜鎖港之儀は兼て決定にて申出置候処、猶今般叡旨之趣も有之旁、以是非成功不相成候ては難成儀に就ては、一同も格別に奮発致し、武備厚可心懸候。鎖港用向は大和守に委任申付候事に付、一同にも見込之品も候はば、大和守へ可申聞候
(↑句読点は管理人。カタカナ→平仮名等、若干編集。管理人は素人なので、資料として使わないでね。)

参考:『続再夢紀事』三p148-149 (2012/4/5)
関連:■テーマ別元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」■開国開城「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」

■天狗・諸生の乱
【江】水戸藩は、武田耕雲斎、興津蔵人、中山与三左衛門の江戸執政を罷免、慎隠居に処しました。

<おさらい>
反天狗(反・激派)の水戸藩家老朝比奈弥太郎・佐藤図書・市川三左衛門ら門閥・保守派及び鎮派は、5月25日、文武師範・諸生500余人を率い、江戸に向って南上を開始しました(南発勢)。市川は水戸郊外千束原で<筑波挙兵は尊王・攘夷を標榜するが実は長州に応じるものである。心ある水戸藩士は傍観できぬ、暴徒を制し民害を除いて、烈公の遺志を遵奉せよ>と激を飛ばしました。26日には幕府が水戸藩に筑波勢解散を命じ、尊攘激派の重鎮、武田耕雲斎を譴責しました。

参考:『徳川慶喜公伝』3p88

もともとは長州と呼応しての攘夷(破約攘夷)の挙兵だったはずが、水戸藩の内部抗争となってしまいました・・・。今後鬱展開が続きます。ここにいたる水戸のドロドロの内部抗争の簡単なおさらいは↓で。

関連■「水戸藩かけあし事件簿」■テーマ別元治1水戸藩/天狗・諸生争乱■おすすめサイト:「水戸学・水戸幕末争乱(天狗党の乱)

管理人より:
元治1年5月の「今日の幕末」は、飛び飛びです。飛んでいる期間の日々の動きを簡単に知りたい方は、こちら

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