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文久2年6月9日(1862年7月5日)
松平春嶽、島津久光と会見


文久2年6月9日(1862年7月5日)、松平春嶽は先約通り島津久光と会見しました。

久光は、まず、東下にいたった経緯を、先代藩主斉彬の遺志を継いで上洛したが、浪士一條(京都挙兵計画と寺田屋事件)でよんどころなく滞京となり、勅使と一緒に東下したのだと説明しました。

久光は幕府の嫌疑を受けているのではないかと心配しており、今後の方策について春嶽に相談しました。老中と面会したいとの相談については、春嶽は「中書殿(老中脇坂中務大輔?)」に会うようにと勧めました。
<参考>『徳川慶喜公伝』(2002.9.19)

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