7月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 事件:開国:開城 HP内検索 HPトップ
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【土佐】文久3年6月28日、土佐藩主山内豊範が率兵して土佐を出立しました。武市半平太以下土佐勤王党も随行しました。 <背景:藩主参府をめぐる藩内の対立> 本来、豊範(17歳)は参勤交代のために3月には土佐を出立せねばなりませんでした。しかし2月に参政吉田東洋が土佐勤王党に暗殺されて藩情が安定せず、病気と称して延期していました。 この参府延期が続いた原因は藩主の入京問題でした。京都で尊攘激派の活動が盛んなことを見て、藩内保守派は入京した藩主が巻き込まれるのを懸念し延期策を継続しようとしました。一方、武市半平太ら尊攘激派(土佐勤王党)はこのままでは薩長両藩に遅れをとると危機感をもち、藩主上京を画策しました。在京同志を通して藩主への内勅降下を運動したのです。この結果、6月11日に上京の内命が下り、この日の出発になったのでした。 一行は、7月12日に大坂に到着しましたが、麻疹にかかりすぐには入京しませんでした。 |
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