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文久2年6月30日(1862.7.26)
【江】春嶽に総裁職就任の内命が下る
【江】所司代(4)酒井忠義を罷免し、後任に大坂城代本庄宗秀を

■春嶽の総裁職就任
【江文久3年6月30日、前越前藩主松平春嶽に政事総裁職の内命が下りました。

この日の夜、老中脇坂安宅は直書を春嶽に遣わし、明日、将軍が勅使大原重徳に返答し、一橋慶喜・春嶽登用の件を別紙にて大原に渡すことを知らせました。越前藩では評議の上、奉答書から春嶽登用の件を削除するよう要請することにしました・・・。

関連■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■テーマ別「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下
参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2006.1.5)
■京都所司代人事
【江】文久3年6月30日、幕府は京都所司代酒井忠義を罷免し、その後任に大坂城代を務めた本庄宗秀を任命しました。

酒井忠義【ただあき】(若狭小浜藩主)は安政の大獄時からの所司代で、尊攘激派の勢力の伸張した京都では、不評でした。しかし、後任に任命された本庄宗秀も安政の大獄時には寺社奉行でしたので、京都からは異議があり、所司代人事は迷走することになります・・・。

関連■テーマ別:「京都所司代人事」
参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.9.20)

■長井雅楽
【草津】文久3年6月30日、長州藩激派久坂玄瑞・寺島忠三郎・福原乙之進・野村和作・堀真五郎・伊藤俊輔らは、帰国途中の長井雅楽要撃に失敗しました

関連:■テーマ別「長井雅楽」■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」長州藩日誌文久2

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