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元治元年7月10日(1864年8月11日)

【京】会津藩による天皇遷幸の風説が広まる

☆京都のお天気:晴天 (『幕末維新京都町人日記』)
■反会津派による松平容保排斥
【京】元治元年7月10日、 会津藩が我が身を守るために彦根への天皇遷幸を企てており、佐久間象山がが計画に関与しているとの投書が、公家諸家にありました。

「会賊等、尊攘の大義を拒み、恐れ多くも鳳輦を太へ移して己が罪を免れんと大逆の姦謀を巧み、去る6月28日夜、佐久間修理(=象山)を以て、伏水に出張致し居り候彦根藩の者に内密申し入れ候次第は、主上御聞きに相成り候節は、湖上(琵琶湖湖上)御渡り遊ばされ候体これあり候や相談候ところ、彦根より答には、当時大津表に船些少に候へども、彦根表へ申し越し候はば早速御手当致すべしと申し、直に即夜急飛脚を以て彦根へ申し越し、時機を窺い候事、慥かなる証跡これあり候」

翌11日、佐久間象山は暗殺されてしまいます・・・。

<ヒロ>
この手の会津藩批判をみていつも思うのですが、実は会津は鎖港攘夷推進派なんですよね・・・。

関連:◆6/29【京】反会津公卿、容保の処分を求める
参考:『維新史』四p72(2018/2/3)

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