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文久3年7月21日(1862.8.16)
勅使との会見:慶喜、23日の勅使との会見(久光陪席)を了承
守護職就任:本庄宗秀に代え、容保に上京をとの幕議/

■勅使と会見
【江】文久3年7月21日、将軍後見職一橋慶喜は島津久光陪席の上での勅使大原重徳との会見を承諾しました

参考:『徳川慶喜公伝』(2002.9.20)
関連■テーマ別文久2「勅使11ヶ条の要求

■容保の守護職就任
【江】同日、幕府内で、新所司代本庄宗秀は京都での評判がよくないため、代って会津藩主松平容保に上京を命じてはどうかとの評議がありました

<ヒロ>
容保は5月に本庄宗秀の所司代任命が評議されたとき、反対していました。そのため、容保を所司代にしてはとの話もでたのですが、親藩の家柄の役目ではないと断っていました。本庄は6月30日に所司代に任命されましたが、京都では不評で、このため、容保が再浮上しました。

ところで、容保は幕政参与なのですが、この評議には参加していなかったようです(参加していたら反対しただろうから)。実は、この頃、容保が評議に参加している様子はまったくうかがわれないのです。やはり政治的には期待されていなかったのでしょうか。この所司代人事をめぐる混乱が、京都守護職新設につながり、容保と会津藩は政治に深く関わることになるのですが・・・・。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.9.20)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■「京都守護職事件簿」:「文久の幕政改革と京都守護職拝命」■テーマ別文久2年:「容保の守護職就任」「京都所司代人事

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