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☆京都のお天気:晴 (『嵯峨実愛日記』) >一会桑 【京】元治1年7月25日、禁裏守衛総督・指揮防御指揮一橋慶喜は、守護職・会津藩主松平容保に対し、6月29日に慶喜に下された長州入京不可・容保擁護の宸翰及び慶喜に万事委任を命じた朝命の写しを、「心得」のために伝達しました。(慶喜の書付の日付は24日で、伝達されたのが25日) <ヒロ> 宸翰(◆6/29)は諸藩に廻達されていましたが、ここで、容保に改めて「心得」に伝達するというあたり、禁門の変の前に比べて、両者の距離がぐっと接近していることが推し量られますよね。 参考:『会津藩庁記録』五p463-464(2018/4/21) >第一次幕長戦争へ ■征長総督・副将問題 【京】元治1年7月25日、越前藩は、幕府(所司代・松平定敬)に対し、前藩主松平春嶽の上京が不可能だと返答しました。 幕府は、禁門の変翌日の7月20日に春嶽の上京を要請していました(7/20)。これに対し、先月来の病を理由に上京猶予を願い出たものです。 <ヒロ> 慶喜は、春嶽を征長副将(現場の総括)にと考えていました(こちら)。 参考:『続再夢紀事』三p219(2018/4/21) ■長州藩の動き 【長州】元治1年7月25日、上京を中止した五卿が上関に到着しました。(綱要) 関連:■「開国開城」30. 第一次幕長戦争■テーマ別元治1第一次幕長戦 |