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文久2年8月7日(1862.8.31)
【江】幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。
【江】守護職就任:容保の希望を容れ、永井尚志を京都町奉行に

■幕府の失政謝罪
【江】文久2年8月7日、幕府は、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏しました。これまでの失政を久世・安藤政権の罪とするもので、幕府の施政方針はここにおいて大転換を迎えました。

「今後はひたすら勅意を奉戴して公武一和、天下一致、万民安堵すべきよう取り計らい、叡慮を安んじ奉るべし。未だ之を事業に施したる事なければ、宸襟安からざる儀もおわしますべけれども、これ新政の容易ならずして、百思千慮、評議を尽すによれり。春嶽上京の事仰出されたれども、新政の際暫く御猶予を願うところなり。従来深く宸襟を悩ませられたるは、畢竟久世大和守(久世広周)・安藤対馬守(安藤信正)二人の罪過にして、深く恐くにたえず、自今以後は精々粉骨仕るべし。なお宸衷もあらせられ候はば仰下さるべし、至当の儀は必ず遵奉すべし。されど自然時勢に於て行われ難き事もあらば、恐れながら是より御断り申上ぐる事もあらん。其許にも厚く御含みありたし」(「再夢紀事」)

参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.9.25)
関連:文久2年7月23日−勅使11か条の要求を伝達。
■容保の守護職就任
【江】文久2年8月7日、幕府は永井尚志を京都町奉行に任命しました。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』・『七年史』一(2002.9.25)
関連:■テーマ別文久2「会津藩主松平容保の守護職就任

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