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第一次幕長戦(征長軍の撤兵と長州藩主父子・五卿江戸送致問題) ■将軍進発 (有力諸侯召集問題 容保の東下運動 本庄・阿部老中の率兵上京上坂決定 ■天狗党処分と幕府への批判 ■参勤交代復旧問題 ■条約勅許・兵庫開港問題 ■一会桑と幕府の関係 ■老中@慶応1
 
関連■幕末日誌慶応1 ■守護職日誌慶応1 ■越前藩日誌慶応1 ■長州藩日誌慶応1 ■薩摩藩日誌慶応1  ■徳川慶喜日誌慶応1 ■水戸藩 

征長軍の撤兵と長州藩主父子&五卿江戸送致問題

第一次征長戦(幕長戦争)(1)から続く

◎征長軍撤兵
(元治1年)◆12/27【芸州】巡検使復命。征長総督徳川慶勝、出征諸藩に撒兵帰休を命じる ◆12/29【芸州】征長総督徳川慶勝、朝廷に長州服罪・撤兵の奏聞書を送り(委細は上京して奏聞

(元治2年)◆1/1【広島】征長総督府の幕府への使者、海路江戸へ【小倉】征長副将松平茂昭「、解兵令を下関口討手の諸藩に伝達 ◆1/4【京】中川宮・一橋慶喜、征長総督徳川慶勝の帰京を「残念」だと述べあう【芸】征長総督、広島出立/幕府の上使、行き違いで到着/ ◆1/5(1.31)【芸州】夕、幕府の上使大目付大久保忠宣・目付山口直毅、慶勝に追いつき、長州藩主父子と五卿の江戸護送&後命あるまでの撤兵不可の幕命を伝える。慶勝、了承せず。 ◆1/11【姫路】慶勝、上京せず急遽参府せよとの幕命に接する ◆1/12【小倉】副将松平茂昭、小倉出立(15日兵庫着) ◆1/16【坂】慶勝、大坂到着 ◆1/18【京】征長総督徳川慶勝に暫時滞留の朝命。◆1/21幕府、再び慶勝に速やかな参府を命じる。【坂】慶勝、朝命によりいったん上京参内し、後に参府することを上申  ◆1/22【京】征長副将松平茂昭着京。 ◆1/24【京】征長総督徳川慶勝、着京

長州藩主父子&五卿江戸送致問題
◆1/5(1.31)【芸州】大目付大久保忠宣・目付山口直毅、慶勝に追いつき、長州藩主父子と五卿の江戸護送&後命あるまでの撤兵不可の幕命を伝える。慶勝、了承せず。 ◆1/11【江】征長総督使者及び大目付永井尚志、江戸着 ◆1/15【江】幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令◆1/18【京】将軍家茂に長州処分のための速やかな上坂の勅、征長総督徳川慶勝に暫時滞留の朝命

◆2/4【江】幕府、大目付駒井朝温・目付御手洗幹一郎に長州藩主父子の江戸護送を命ず/五卿警衛五藩に、三条実美等の江戸護送を命ず/征長総督徳川慶勝に、速な出府を命ず  ◆2/11【京】征長総督府、九州五藩に、五卿・従士の五藩分置を命ずる ◆2/12【江】幕府、大目付駒井朝温を罷めて差控を命ず。◆2/21【京】慶勝、五卿の江戸護送不可を幕府(牧野老中)に上申 ◆2/27【京】慶勝・茂昭、参内し、長州藩主父子の服罪・同藩鎮定の状を復奏 ◆2/28【京】慶勝、三条実美等の江戸護送を猶予を幕府に進言 

◆3/1【京】越前藩主松平茂昭出京(7日帰城)。◆3/2【京】朝廷、幕府に、長州藩主父子及三条実美ら五人の江戸召致と参勤交代の停止、将軍の急速上洛による永世不朽の国是決定を命じる。◆3/18(.4.13)慶喜、書を前福井藩主松平春嶽に寄せ、長州藩主父子・五卿の江戸召致と参勤交代停止の朝旨・老中本荘宗秀東下の情況等を報じ、所見を求む。【江】幕府、慶勝に長州藩主父子江戸護送の衛兵を出すよう命じる。◆3/19【京】慶勝、藩政整理の為、暫く帰藩せんことを奏請 ◆3/24慶勝、再び長州藩主父子江戸護送を辞す

・五卿の移転
◆1/15五卿、筑前上陸 ◆2/23【筑前】五卿、大宰府延寿王院へ

長州の内乱
◆1/2【下関】長州藩士高杉晋作遊撃隊を率いて、下関新地の会所を占拠。◆1/6【長州】奇兵隊等諸隊挙兵 ◆2/14【長州】椋梨藤太・同中井栄次郎・同小倉半左衛門等12人萩を脱して石見に走る。

将軍の進発(三度目の上洛)

将軍進発問題@元治1年から続く

◎将軍上洛の朝命と将軍進発延期の幕府布告
◆1/15【江】幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令 ◆1/18【京】将軍家茂に長州処分のための速やかな上坂の勅、征長総督徳川慶勝に暫時滞留の朝命 ◆1/27【京】伝奏、所司代松平定敬に、18日の勅に従った将軍上洛あるいは上坂の朝命を伝達

◎有力諸侯召集問題
元治1年「有力諸侯召集問題」から続く

◆1/8【越前】松平春嶽、書を伊達宗城に復し、将軍上洛後の有志諸侯会議召集が朝幕融和に望ましいと説く【京】この頃、尾張藩士若井鍬吉、有力諸侯召集につき、一橋慶喜及び近衛忠房の同意を得る ◆1/9【京】若井鍬吉、近衛忠房・小松帯刀と会し、征長7候の召集で合意  ◆1/19【坂】茂昭、着坂。尾張藩士若井鍬吉、越前本陣を訪ねて諸侯召集の首尾を語る(慶喜・近衛・薩摩は賛同、二条関白・中川宮・会津は異論) ◆1/24【【肥後】藩主弟長岡良之助(細川護美)、島津久光に書を復し、有力諸侯召集周旋のための「かりそめ」の上京は困難だと述べる

・尾張藩(有力諸侯召集)VS会津藩(将軍上洛周旋のための松平容保の東下)
◆1/24【京】征長総督徳川慶勝、着京。諸侯召集を朝廷に内願/会津藩公用方広沢富次郎、容保東下の決意を中川宮に知らせる/会・桑公用人(小森久太郎、野村左兵衛、外島機兵衛、倉沢右兵衛、森、岡本)、一橋邸訪問/肥後留守居上田久兵衛、一橋家臣川村に慶喜の諸侯召集を批判/【肥後】藩主弟長岡良之助(細川護美)、島津久光に書を復し、有力諸侯召集周旋のための「かりそめ」の上京は困難だと述べる ◆1/25【京】朝廷、容保の東下は老中阿部正外の東帰後の様子次第で命ずると決める(慶応乙丑記事) ◆1/26【京】徳川慶勝、藩士田宮如雲を会津藩に派遣&会津藩公用人野村左兵衛を呼んで容保東下中止を説得させる【京】肥後藩上田久兵衛、六条有容から、25日に一会桑から諸藩召集不可の建言があり、容保東下もとりやめになったときく/加賀藩士、越前藩士に、両老中上京の趣意は、諸政委任、慶喜のこと(召喚)、兵庫開港かとの憶測を述べる ◆1/27【京】所司代松平定敬に、18日の勅に従った長州処分の将軍上洛あるいは上坂の朝命(二条関白の命)を伝達/慶喜、長岡良之助に「列藩召相止候」と知らせる【京】会津藩公用方広沢富次郎、中川宮に先日の件の話をする◆1/28【京】慶勝、慶喜に長州処分のため諸侯召集を求める。慶喜同意/会津藩、尾張藩に諸侯召集猶予を申し入れる ◆1/29【京】二条関白、中川宮に尾張・会津の内願検討の評議開催を通知し、参内を求める。中川宮、返書にて、尾張の論を「非」、会津の論を「是」と述べる/会津藩公用人野村左兵衛、慶喜・二条関白に容保東下の決意を述べ、諸侯召集猶予を求める。慶喜・慶勝、会津藩の主張を受け入れ、二条関白にも伝える ◆1/30【京】容保、将軍上洛を促すための東下願いを朝廷に提出)/肥後藩留守居上田久兵衛ら、慶喜に容保東下反対を言上(慶喜、検討するという) 

・容保の東下許可〜延期
◆2/1【京】容保の東下願い勅許 ◆2/2【京】会津藩公用人倉沢右兵衛、中川宮に、容保下向の間、浮説に同様せぬよう頼入る/中川宮、肥後藩留守居上田久兵衛の容保東下猶予論に同意し、二条関白に使者として派遣/二条関白、久兵衛の入説により両老中参内までの容保の東下猶予に同意 ◆2/3【京】 容保出立延期の御前会議。会津藩、出立延期を承諾。 ◆2/4【京】両老中の上京につき、容保の東下のための暇の参内中止/老中の趣意をきくまで容保東下猶予との内旨おさらい) ◆2/8【京】老中阿部、容保と会し、速な東下・滞府の上の将軍輔佐を促す。容保、滞府は辞し、阿部に東下に同行・将軍上洛の力添えを求める ◆2/11【京】中川宮、会藩小森久太郎を招き、容保に東下「不宣」をくれぐれ申し入れさせる ◆2/12【京】会津藩公用人小森久太郎、中川宮に容保東下の意思を回答する/広沢富次郎、中川宮に、東下勘考の必要性を述べる◆2/23【京】守護職松平容保に命じ、老中阿部正外の復奏するまでの東下を延期させる

◎本庄宗秀・阿部正外の率兵上京

元治1年老中松前崇広・若年寄立花種恭の率兵上京から続く

◆1/8【江】老中松前崇広帰府・水野老中に将軍上洛を説くが登城を差し止められる(おさらい松前・立花の率兵上京 ◆1/9【江】若年寄立花種恭帰府 ◆1/11【江】老中本庄宗秀・阿部正外に上京の幕命/征長総督使者及び大目付永井尚志、江戸着 ◆1/12【江】老中松前崇広、容保・定敬に、両老中上京、その目的(賄賂による将軍上洛阻止・幕府歩兵による御所九門の警衛実現)、幕閣の内情(老中牧野忠恭・諏訪忠誠批判)等を知らせる書状を書く ◆1/15【江】幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令 ◆1/18【京】将軍家茂に長州処分のための速やかな上坂の勅、征長総督徳川慶勝に暫時滞留の朝命 ◆1/19【京】中川宮・上田久兵衛、二老中上京情報を入手【江】老中本庄宗秀、江戸出立 ◆1/20(2.15)【江】老中阿部正外、江戸出立 ◆1/23【京】所司代、朝廷に両老中上京を報告 ◆1/26【京】加賀藩士、越前藩士に、両老中上京の趣意は、諸政委任、慶喜のこと(召喚)、兵庫開港かとの憶測を述べる ◆1/29【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京とその目的(慶喜召喚公式要請と将軍上洛中止の説明)、両老中「御不印」説等を記す ◆2/4【京】肥後藩上田久兵衛、国許の書状に両老中上京の目的に関する世評(慶喜召喚、守護職・所司代更迭、諸藩の御所警備廃止)を記す

◆2/5(3.2)【京】中川宮、二条関白に、老中の応対は穏やかにするよう申し入れる/老中本庄宗秀の率兵入京 ◆2/6(3.3)【京】二条関白、中川宮に朝議の「紛転」を告げ、早々の参内を求める/宗秀、慶喜に、将軍上洛中止・上洛督促の勅使下向の際の辞職の幕議決定を告げ、幕兵による御所守衛と慶喜・容保・定敬東帰実現の使命を述べる。 ◆2/7(3.4)【京】老中阿部正外の率兵入京/一橋家黒川嘉兵衛、中川宮に慶喜がききとった老中本庄宗秀の使命等を伝える/。 ◆2/8【京】老中阿部、容保と会し、速な東下・滞府の上の将軍輔佐を促す/六条有容、中川宮への書状で、大原重徳の主張に二条関白が困っていると知らせ、「強キ計カ御為トモ不存」と述べる/中川宮、老中の「苛酷」を理由に、越前藩の帰国延期を諭す◆2/10【京】老中本庄・阿部、所司代松平定敬を呼出し、将軍上洛不可能・征長総督徳川慶勝の速やかな東下を朝廷に達するよう指示。定敬、将軍の為にならないと断る/朝議、両老中を15日に召して上京の趣旨を尋問することを決定/孝明天皇、関白以下に老中からの賄賂を受領禁止の沙汰 ◆2/11【京】中川宮、越前藩に老中上京の詳細を語り、帰国の猶予・助力を求める。尾張藩に徳川慶勝の帰国の勘考を求める。【京】一蔵、日記に、老中上京の意図は幕威復活の「暴意」と記す ◆2/12(3.9)【京】老中阿部正外、容保に、上京の使命は実現不可能だと思うが、老中水野・牧野の命で仕方なく上京したと明かす ◆2/15【京】朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止 ◆2/16【京】老中稲葉正邦の帰府の請願を聴許。◆2/22【京】老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責。将軍上洛の勅書。老中本荘宗秀・同阿部正外、参朝。関白二条斉敬、率兵上京を詰問し、将軍上洛の遅緩を叱責。正外に東帰を命じて将軍出発を督促させ、宗秀を大坂に下して摂海警衛に任ずる ◆2/24【京】老中阿部、東帰。老中本庄、下坂 

◆3/10【京】老中本荘宗秀に急遽上京の命令。◆3/13【京本庄宗秀、着京 ◆3/14(【京】老中本荘宗秀、召に依り参内。朝廷、将軍の上洛促進のための東下、水戸藩の興廃に関する措置は朝裁を経るべきと命じる。◆3/15【京】宗秀、京都を発し、帰府の途に就く

◎将軍上坂延期運動

◆3/8(【江】老中阿部正外帰府。登営し、京情を陳じて将軍上洛を説く ◆3/9【江】幕府、容保に、速な将軍上坂の実行困難を報ず ◆3/13【京】容保、幕府に書を復し、将軍上洛を説く ◆3/17(【江】幕府、朝命に依り、近く大将軍の上坂するを令し、京都守護職松平容保に命じ、発程の緩期に斡旋せしむ。◆3/22【京】関白二条斉敬、武家伝奏野宮・飛鳥井に命じ、老中阿部正外に大将軍上洛の事を督促させ、帰府後の事情を報告させる ◆3/26【江】幕府、守護職松平容保に命じ、日光東照宮勅会の終了までの大将軍の上洛を猶予し、まず大老酒井忠績「雅楽頭・姫路藩主」・老中諏訪忠誠「因幡守・高島藩主」を上京させる ◆3/29【江】-老中、会藩への疑問氷解/幕府、毛利敬親父子の江戸召致を拒否すれば将軍が直ぐに進発するので、予め準備をするよう命じる/大老酒井忠績、会津藩士井深宅右衛門を招き、同藩主松平容保による将軍上洛の猶予奏請を命じる。

◆4/6【京】井深宅右衛門、上京し、使命を容保を伝える。◆4/8【京】」容保、宅右衛門を江戸に遣し、大将軍の進発を促さしむ ◆4/10【京】将軍徳川家茂に、日光東照宮勅会の終了後、速な上洛を命じる

参勤交代復旧問題

元治1年9月1日、参勤交代復旧こちらから続く

◆1/25【江】幕府、諸藩に参勤交代の厳守を命じる  ◆2/9【京】久光の使者小松帯刀・大久保一蔵、中川宮に謁し、参勤交代停止の朝命を請う。金100両等献上  ◆2/11【京】大久保利通(一蔵)、近衛前関白父子に参勤交代停止の朝命を内願。

条約勅許・兵庫先期開港問題

◆2/1幕府、米国弁理公使プリュインに、兵庫先期開港の意思なしを回答 ◆3/10(【江】幕府、英・仏・米・蘭各国使臣に牒し、下関取極書による瀬戸内海の開港困難なる国情を述べ、償金の支払いを告げる

天狗党処分と幕府への批判

関連:■志士詩歌「天狗争乱」 ■「開国-開城」第一次幕長戦争と水戸浪士(天狗)西上
おすすめサイト:「水戸学・水戸幕末争乱(天狗党の乱)

元治1水戸藩/天狗諸生争乱から続く

◆1/18【京】常野浪士追討軍総括・若年寄田沼意尊、天狗党受取のため上京。 ◆1/19【京】禁裏守衛総督一橋慶喜、幕府に天狗党を引き渡しを奏上 ◆1/28【敦賀】幕府、加賀藩による武田耕雲斎等の警護を解き、越前・彦根・小浜三藩に警護を命じる ◆1/30【敦賀】加賀藩、田沼に天狗党引渡し ◆2/2【敦賀】春嶽、幕府大目付に、武田耕雲斎らの情状酌量・公明正大な処置を申し入れる ◆2/4【敦賀】天狗党の処刑、始まる。武田耕雲斎ら処刑 ◆2/7【京】一橋家黒川嘉兵衛、中川宮に、幕府の水浪処刑は国家を愁えぬ処置だと批判 ◆2/8【京】中川宮、越前藩士に敦賀の水戸浪士斬首の「苛酷」について話す ◆2/11【京】薩摩側役大久保一蔵(利通)、幕府の天狗党への苛酷な処置を「是ヲ以て幕滅亡之表」と察る◆2/15【敦賀】幕府、元水戸藩士秋山又三郎等135人を敦賀で斬刑。 ◆2/16【敦賀】幕府、元水戸藩士浜野松次郎」等102人を斬る。◆2/17【京】賀茂社の鳥居に田沼弾劾の張り紙 ◆3/25(水戸藩、元藩士武田耕雲斎・山国兵部・田丸稲之衛門・藤田小四郎の首級を城下に梟し、耕雲斎の妻及児孫を斬り、其女及び兵部等の妻子を終身禁錮に処す

御所九門・六門警備/市中警備

◆1/12【江】老中松前崇広、容保・定敬に、両老中上京、その目的(賄賂による将軍上洛阻止・幕府歩兵による御所九門の警衛実現)等を知らせる書状を書く ◆2/4【京】肥後藩上田久兵衛、国許の書状に両老中上京の目的に関する世評(慶喜召喚、守護職・所司代更迭、諸藩の御所警備廃止)を記す ◆2/6(3.3)【京】宗秀、慶喜に、将軍上洛中止・上洛督促の勅使下向の際の辞職の幕議決定を告げ、幕兵による御所守衛と慶喜・容保・定敬東帰実現の使命を述べる。

老中@慶応1年

老中@元治1から続く

水野忠精(出羽藩主)(文久2年3月〜) 首席老中(6/18〜)・次席老中(10/13〜)
・在府
◆1/29【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京の内情(水野・諏訪老中の権勢、自己保身のために「不印」の阿部・本庄に上京させた説等を記す

牧野忠恭(長岡藩主)
・在府

阿部正外(白河藩主)(元治1年6/24老中〜) 
・上京
◆1/11【江】老中本庄宗秀・阿部正外に上京の幕命 ◆1/20(2.15)【江】老中阿部正外、江戸出立 ◆1/29【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京の内情、両人の「御不印」説等を記す ◆2/7【京】老中阿部正外の入京 ◆2/8【京】老中阿部、容保と会し、速な東下・滞府の上の将軍輔佐を促すが、容保に説得され共に東下・尽力に同意◆2/10【京】老中本庄・阿部、所司代松平定敬を呼出し、将軍上洛不可能・征長総督徳川慶勝の速やかな東下を朝廷に達するよう指示。定敬、将軍の為にならないと断る 

諏訪忠誠(諏訪藩主)(元治1年6/29老中格、7/23老中)
・在府
◆1/29【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京の内情(水野・諏訪老中の権勢、自己保身のために「不印」の阿部・本庄に上京させた説等を記す

本庄宗秀(宮津藩主)(元治1年8/18老中〜)
・在府
◆1/11【江】老中本庄宗秀・阿部正外に上京の幕命 ◆1/19【江】老中本庄宗秀、江戸出立 ◆1/29【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京の内情、両人の「御不印」説等を記す ◆2/5【京】老中本庄宗秀の率兵入京 ◆2/6【京宗秀、慶喜に、将軍上洛中止・上洛督促の勅使下向の際の辞職の幕議決定を告げ、幕兵による御所守衛と慶喜・容保・定敬東帰実現の使命を述べる。 ◆2/7【京】一橋家黒川嘉兵衛、中川宮に慶喜がききとった老中本庄宗秀の使命等を伝える◆2/10【京】老中本庄・阿部、所司代松平定敬を呼出し、将軍上洛不可能・征長総督徳川慶勝の速やかな東下を朝廷に達するよう指示。定敬、将軍の為にならないと断る 

松前崇広(松前藩主)(元治1年7/7老中格、11/10老中〜)
・在府
◆1/8【江】老中松前崇広帰府・水野老中に将軍上洛を説くが登城を差し止められる(おさらい松前・立花の率兵上京 ◆1/12【江】老中松前崇広、容保・定敬に、両老中上京、その目的(賄賂による将軍上洛阻止・幕府歩兵による御所九門の警衛実現)、幕閣の内情(老中牧野忠恭・諏訪忠誠批判)等を知らせる書状を書く

酒井忠ます(敦賀藩主)若年寄

板倉勝静(備中松山藩主)(文久2年3月〜元治1年6/18罷免)

勝海舟@慶応1年

⇒「勝海舟@元治1」から続く

吉井幸輔@慶応1年

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