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■「鬼録」:2002年、思い切ってあこがれの市居浩一さん(『高台寺党の人びと』著者)をお訪ねし、貴重なお話をいろいろ伺うことができました。そのとき、見せていただいた資料の中に、建仁寺の禅僧橘悟庵が(恐らく伝聞をもとにして)明治元年にまとめた「殉国の士」の姓名、死亡年月日、及び死の理由を簡潔にまとめた過去帳集ともよぶべき「鬼録」があります。「鬼録」には久坂玄瑞、坂本龍馬ら有名人に並んで、新選組に殺害された伊東甲子太郎ら御陵衛士4名や、会津藩邸で横死した伊東らの同志茨木司ら4名も掲載されていました。「あぁ、彼らはここにも志士として記録されている」と嬉しく思いながらページをめくっていて、思いもよらず、山南敬介の名をみつけました。山南の資料はもともと非常に少ない上、この種の殉難録に名を見たのは初めてでしたので、大変驚きました。市居さんがHPで紹介することを快くOKしてくださいましたので、遅くなりましたがここにご紹介したいと思います。

13. 山南敬介(3)「鬼録」-「山南三郎・・・与隊長某議論自服」

「山南三郎 仙台(旧字)脱士
慶應ニ年丑二月廿二日与隊長
某議論自服 新撰組■(物?)名敬介」


*慶應元年を書き直して慶應二年としているが、山南が死んだのは慶應元年(元治二年)である。
*山南の命日は一般に2月23日だとされている。

■与隊長某議論自服

新選組副長だった山南敬介は、元治2年(慶応元年)2月23日、切腹死を遂げました。切腹の理由を、「鬼録」では「与隊長某議論自服」としています。隊長某(=近藤勇)と議論をし、自服(切腹)をした、という意味です。悟庵の情報源は不明ですが、おそらく伝聞であろうから、山南の死の背景に近藤との激しい議論(対立)があったという説が、当時、流布していたとみてよいと思います。当時、近藤と山南に激しい対立があったことは、山南の死の理由を示す他の資料、新選組屯所のあった西本願寺侍臣の著した『新撰組始末記(壬生浪士始末記』(明治27年脱稿)にも、新選組副長助勤だった永倉新八の回想をもとに記者がまとめた読み物『新撰組永倉新八』(大正年)にも記されていますね。

■「尊王」に起因する死として認識されていた山南の切腹

「自服」の原因となった議論の内容までは記されていませが、「鬼録」に名が載るということは、当時、その死の原因は尊王に起因しているとみなされていたことになるでしょう。議論は、山南が尊王派としての志を貫こうとして起った(と伝わっていた)とするのが自然だと思います。(興味深いことに、同じく近藤と対立して暗殺された芹沢鴨は、水戸尊王派でしたが、鬼録にはのっていません。芹沢派と近藤派の対立は尊王VS佐幕の対立だとはみられていなかったようです)。

■「自服」

山南には近藤に命ぜられて切腹したという説、一書を残して自刃したという説があります。「鬼録」の「自服(自腹?)」という言葉からは、どちらなのかどうもよくわかりません(単なる勉強不足かもしれませんが)。ただ、他の項には命ぜられての死は「切腹」「割腹」と記されているなかで、わざわざ「自服」とされているところから、管理人には自ら選んだ死を意味するようにも思えるのですが、どうでしょう?

■脱走は

現在では通説のようになっている山南の「脱走」ですが、根拠がほとんどないことは「覚書/山南敬介(3):脱走説に疑義 」で示した通りでです。この「脱走」、やはりというべきか、「鬼録」にも記されていませんでした。もしかすると、「鬼録」では脱走が省略されているのでしょうか?その可能性も小さいと思います。というのは、新選組を脱しようとして会津藩邸で横死した茨木司らについては、新選組を脱しようとして切腹と書かれており、山南の脱走が悟庵に伝わっていれば省略されるとは思えないからです。「鬼録」からは、脱走説は当時ポピュラーではなかった(あるいは、脱走説などなかった)ことが伺えると思います。もちろん、このことが即、脱走を否定するものではありません。脱走を不名誉だとして新選組が隠したという可能性などが考えられるからです。しかし、隠しきれるものでしょうか・・・。

関連:「元治2年2月23日-新選組副長山南切腹
「覚書/山南敬介(3):脱走説に疑義 」

***

現在、海外出張中につき、ここまでm(..)m。帰国したら推敲して再UPします。

この「鬼録」、山南の死の理由が無関係の同時代人の資料にのっているのは珍しいし、なにより、山南が尊王派として、新選組以外にも知られていたということがわかって、もともとファンだった身としては大変、嬉しいものでした。

ちなみに、悟庵の鬼録での伊東の項は

伊藤摂津武明初称樫太郎三十三才
慶応三丁十一月十八日夜依新
撰士之謀横死 山陵衛士之長 

でした。

(2003.3.28)


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