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幕末薩摩藩年表(5)文久2年(1862)

文久1年(1861)← →文久3年(1863)

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 閏8月 9月 10月 11月 12月
薩摩藩に関る主なできごと その他の幕末の主なできごと

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◆1/7【鹿】久光の出発を2月25日と発表
◆1/13【京】大久保利通、入京
◆1/14【京】大久保利通、近衛忠煕・忠房父子に面会し、京都守護の勅命の斡旋を乞う。
◆1/21【京】大久保利通、近衛忠房から勅命は出しにくいとの返答をもらう

関連>>「開国開城」「薩摩の国政進出島津久光の率兵上洛と寺田屋事件」 

◆1/3【江】長井雅楽に京都行きの藩命。高杉晋作、中国行きのため江戸を出立して長崎へ。
◆1/14【江】水戸藩平山平介、小五郎に決行を報せる書簡を認める
◆1/15【江】老中安藤信正、水戸脱藩浪士らに襲撃される(坂下門外の変)遅参した水戸藩士川辺治左衛門、長州藩邸に桂を訪ね、自刃。
◆1/21【長】久坂、土佐勤王党武市に「尊藩も幣藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」と認める

【関連「長州藩の国政進出と航海遠略策(公武合体的開国論)」「開国開城-坂下門外の変」】
◆2/1【京】大久保利通、京都を出立
◆2/7【鹿】真木和泉、久光随従を願って薩摩に入る。
◆2/12【鹿】西郷隆盛、帰国。久光東上に反対/薩摩藩士柴山愛二郎・橋口壮介、清河八郎に近々の久光の東上を報せる。
◆2/15(【鹿】隆盛、徒目付に。久光と会談、東上に反対し、延期を提言。

◆2/11【江】将軍家茂、皇女和宮と結婚(★)

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◆3/10【鹿】久光、藩内に諭告。
◆3/12(【京】薩摩藩堀次郎、入京。
◆3/13(【鹿】西郷、薩摩を出発
◆3/14【鹿】久光、藩内に再度諭告。
◆3/16【鹿】久光、小松帯刀・中山中左衛門・大久保利通ら千余名を率兵して鹿児島出発。
◆3/23【京】薩摩藩、久光上洛前の暴発を恐れ、清河らを大阪屋敷に幽囚。
◆3/26(4.24)西郷、下関に到着。大坂に向うことを決意。
◆3/28(4.26)西郷隆盛、大坂に到着。

関連>>「開国開城」「薩摩の国政進出島津久光の率兵上京と寺田屋事件」 
◆3/11【長】脱藩の吉村寅太郎、萩着。久坂が迎える
◆3/15【江】幕府、出羽山形藩主水野忠精と備中松山藩主板倉勝静を老中登用
◆3/20【京】長井、正親町に航海遠略説の建白書提出
◆3/21【京】正親町、長井に建白書を内奏したところ、孝明天皇が非常に喜んだと伝える。
◆3/23【長】兵庫警衛の先発隊、長州を出立(久坂・楢崎弥八郎・前原一誠ら)
◆3/24【土】坂本龍馬・沢村惣之丞、土佐脱藩。
◆3/26【江】幕府に対し、世子定広の帰国許可を請う
◆3/27【土】吉田東洋、諸士階級制度改革発令。
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◆4/6(5.2)【京】東上中の久光姫路着。西郷隆盛処分を決める
◆4/8【京】平野國臣、久光に期待する「討幕三策」を朝廷に
◆4/9【京】久光、兵庫着。大久保利通、西郷に決断申し入れ。
◆4/10【京】久光、大坂着。激派に三度目の諭告。
◆4/13【京】久光、伏見入り/清河、一挙を前に本間精一郎・安積五郎・藤本鉄石らと薩摩藩大坂屋敷を退去。京都へ/
◆4/16【京】久光非公式に入京・近衛忠房・中山忠能・正親町三条実愛らに幕政改革を進言。久光に滞京・浪士鎮撫の勅命
◆4/17【京】久光、入京。堀次郎、18決起の激派説得
◆4/18【京】寺田屋事件5日前久光、有馬新七ら激派説得のために奈良原喜左衛門・有村俊斎を大坂へ派遣。
◆4/20【京】寺田屋事件3日前久光の命を受け、激派説得のために大久保利通下阪
◆4/22【京】寺田屋事件前日長州藩浦靱負、藩士に暴発せぬよう訓示。/真木和泉、決起への参加を決める/久光、奈良原・有村・松方正義・藤井良節を大坂に派遣。
◆4/23【京】寺田屋事件
◆4/24【京】孝明天皇、久光の浪士鎮静を賞する内勅。
◆4/25【京】伝奏、久光に浮浪鎮撫の勅命(2度目)を伝達。
◆4/27【京】薩摩藩、田中河内介父子・海賀宮門らを海路薩摩藩へ護送。
◆4/7【京】孝明天皇、攘夷断行の勅旨
◆4/11【江】幕府、安藤信正の老中罷免/【京】久坂ら、長井の弾劾書を在京藩重臣に提出
◆4/13【京】正親町三条実愛、長井に藩主敬親上京の内旨を伝える/【江】世子毛利定広、江戸出立
◆4/14【京】雅楽、内旨を奉じて退京/














◆4/21【京】長井雅楽、江戸到着し、藩主上京の内勅を伝える
◆4/23【【江】一橋慶喜の他人面会文書往復許される
◆4/25【京】伝奏、久光に浮浪鎮撫の勅命(2度目)を伝達。/幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定
◆4/28【京】長州世子定広入京。
◆4/29高杉、長崎を出航して上海へ

関連:「開国開城-島津久光の率兵上京と寺田屋事件 

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◆5/1【京】田中河内介・左馬介父子、薩摩藩士にに殺害される

◆5/11【京】朝廷、勅諭案(三事策)を議定/
◆5/12【京】久光に勅使随従の勅旨/
◆5/15【京】久光、勅使東下延期に反対/
◆5/18【京】近衛忠房、延期やむなきを久光に説明
◆5/19【京】久光、東下の強い決意を示す/【江】九条関白辞職し、近衛忠煕を関白にとの議
◆5/20【京】勅使大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書が授けられる
◆5/24【江】勅意三事策、江戸に伝わる。
◆5/22【京】勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立

関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
◆5/1【京】長州藩に浪士鎮撫&国事周旋の朝命。
◆5/2【江】幕府に将軍上洛の建白書。
◆5/3【江】会津藩主松平容保、幕政参与
◆5/5(6.2)【京】長井雅楽の謗詞事件
◆5/7【江】松平春嶽、幕政参与に。
◆5/8【江】春嶽、国是の決定、開国創業の決意を将軍家茂に勧告
◆5/9(6.6)幕府使節、ロンドン覚書調印
◆5/18【江】蕃書調所を洋書調所に改称
◆5/22【江】将軍、制度簡素化と武備充実を達す
◆5/23【江】前竜野藩主脇坂安宅老中に。
◆5/26【江】幕議、将軍上洛を決定/老中内藤罷免
◆5/28【江】幕府、長州藩主敬親の上京を許可。/【京】清河八郎、浦靱負に薩長激励の上書。
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◆6/1(6.27)【江】幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告/【京】清河八郎、退京途上伏見の薩摩屋敷に立寄り、冷笑されるが、藩士某から活動資金200両を贈られる。
◆6/3(【江】幕府、勅使が天皇の意思でないと知る/薩摩藩士堀小太郎(伊地知貞馨)、越前藩に助力を求める
◆6/5【江】薩摩藩伊地知貞馨(堀小太郎)、幕政参与松平春嶽に助力を求める
◆6/7【江】勅使大原重徳、久光と薩摩兵江戸着。(前日に長州藩主江戸出立)
◆6/8【江】「幕府の嫌疑」を心配する久光、春嶽と会談
◆6/9【江】薩藩伊地知、越前藩邸訪問。
◆6/10【江】勅諚(1)勅使江戸城登城。一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰を伝える。
◆6/11【京】議奏、将軍上洛を促す書簡を大原重徳に/【江】勅諚(2)幕府の評議/
◆6/13【江】勅諚(3)勅使大原重徳、松平容保・松平春嶽・老中らと会し、回答催促。
◆6/16)【江】勅諚(4)久光、老中脇坂安宅に対して勅諚尊奉を遊説
◆6/17【江】勅諚(5)幕議・薩摩の私意説/島津久光の薩摩藩主就任否決の幕議
◆6/18【江】勅諚(6)勅使大原重徳、三度目の登城。老中、春嶽の総裁職就任承諾。慶喜の登用をしぶる/春嶽辞任を決意し登城とりやめ/
◆6/23【京】関白、九条尚忠から近衛忠煕に。
◆6/25【江】勅諚(7)勅使大原重徳、老中脇坂安宅・板倉勝静を招いて慶喜登用を催促/容保、春嶽に参与辞任の翻意を促す
◆6/26【江】勅諚(8)勅使大原重徳、老中に慶喜登用即答を迫る。薩藩大久保利通(一蔵)、隣室に刺客を伏せる
◆6/27【江】勅諚(9)薩摩藩士、老中退営をみると称し、江戸城桔梗門外を徘徊。
◆6/29【江】勅諚(10)勅使大原、四度目の登城。老中、慶喜登用(後見職)に同意。

関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
◆6/1【江】東禅寺襲撃事件/

◆6/2【江】首席老中久世広周罷免。板倉、幕閣の中心に。























◆6/23(7.19)【京】関白、九条尚忠から近衛忠煕
◆6/28土佐藩主山内豊範、2000名を率いて土佐出立。武市半平太ら随従。

◆6/30【江】所司代酒井忠義を罷免し、後任に大坂城代本庄宗秀

関連「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
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◆7/1【江】勅諚(11)勅使大原、五度目の登城。将軍、奉答。
◆7/6【江】慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命/
◆7/7【江】久光、老中に幕政改革の建白
◆7/9【江】春嶽、政事総裁職就任/勅使との会見(1)勅使大原重徳、慶喜・春嶽を会見に招請
◆7/10【江】大赦(1)春嶽、大赦を主張。慶喜は同意せず/春嶽、新所司代本庄宗秀の意見をきく
◆7/11【江】大赦(2)大赦問題を再び議す/幕府、本庄と京都警衛について協議
◆7/12【江】大赦(3)慶喜・老中、大赦に同意/勅使大原、春嶽に新所司代本庄の更迭を示唆/
◆7/16【江】会見(2)久光陪席をめぐって会見中止
◆7/18【江】会見(3)大原、老中抜きの会見を要求/
◆7/19(【江】会見(4)大原、登城の上の伝宣を承諾。
◆7/20【江】会見(5)大原、帰京の申し出/大赦(4)将軍家茂、大赦を裁可/【京】薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺
◆7/21【江】会見(6)慶喜、23日の勅使との会見(久光陪席)を了承
◆7/23【江】会見(7)久光陪席。勅使11か条の要求を伝達。

関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
◆7/2【京】長州藩主一行、入京
◆7/6(8.1)【江】慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命/【京】長州藩、藩論を破約攘夷に転換



◆7/13【京】長州藩、長井雅楽の建白書却下&国事周旋の勅許を請う
◆7/16【京】藩主敬親、学習院に伺候。長州藩に謗詞事件氷解&国事周旋の沙汰
◆7/18【京】/越後浪士・本間精一郎、岩倉具視ら「四奸ニ嬪」排斥を主張
◆7/20【江】将軍家茂、大赦を裁可/【京】/薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺



◆7/26【江】会津藩と越前藩の会盟
◆7/27【江】幕府、京都守護職設置決定【京】奉勅東下(1)長州藩主父子に滞京・東下周旋の朝命。
◆7/28【京】孝明天皇、岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の近習を免ず。 

関連「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ
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◆8/7【江】幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。
◆8/12【江】久光叙任(1)勅使大原重徳登城。春嶽・老中らと会して久光叙任の同意を求める/
◆8/16【江】叙任(2)勅使饗応。勅使大原、春嶽・老中らに再び久光叙任の同意を求める
◆8/18【江】薩長融和の勅諚改竄(1)勅使大原、桂小五郎を呼び出し、改竄の勅諚を授けようとし、辞される。大原、改正の勅諚下賜を京都に請う背景薩長の対立/勅使登城して辞見/叙任(3)幕府、久光の叙任拒絶を伝える。
◆8/19【江】勅諚改竄(2)世子定広江戸着。桂ら議して改竄の勅諚受領を決定。/慶喜、春嶽・久光を館に招いて会す。久光、幕政改革意見24か条を示す
◆8/20【江】勅諚改竄(3)長州藩、改竄の勅諚受領/
◆8/21【江】生麦事件(1)島津久光一行、勅使に先立ち江戸を出立。生麦事件を起こす関連>>「開国開城」「生麦事件」
◆8/22【江】生麦事件(2)勅使大原江戸出立、春嶽・小楠の生麦事件対策3案/勅諚改竄(4)毛利定広、春嶽に勅諚の周旋を依頼
◆8/23【江】生麦事件(3)英国、犯人逮捕を要求、春嶽、生麦事件処理をめぐって幕府に失望
◆8/30【江】生麦事件(4)英国側、老中板倉邸で犯人引渡しを要求/
◆8/2【京】奉勅東下(2)世子定広に東下周旋&幕府に安政の大獄関係者赦免の沙汰/長州藩、6か条の質疑書/久坂玄瑞の「廻瀾條議
◆8/3【京】奉勅東下(3)定広、奉勅東下の途に

◆8/16【江】前老中久世・安藤に隠居・急度慎の幕命。【江】桂小五郎江戸着。







◆8/20【江】会津藩、守護職拝命を決める/【京】岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の蟄居、辞官落飾

◆8/23【京】高杉、藩主敬親に中国情勢報告。
◆8/27【江】大目付岡部長常、小楠の幕政改革論(将軍上洛と失政の陳謝、参勤交代廃止等)に感服/【彦】長野主膳斬首
◆8/29(.9.22)【江】春嶽、幕府の「私」政を去れという意見書(総裁職辞表)を岡部長常に渡す
◆8/30(9.23)【江】容堂に国事周旋の沙汰


◆閏8/1【江】会津藩主松平容保、守護職拝命/老中板倉、小楠に感服。幕政改革断行を決意
◆閏8/5【京】藩主敬親、幕府の上書非難の意見書を議奏に提出。
◆閏8/9(10.2)【京】伝奏、幕府に責問書/
◆閏8/11【江】幕府、小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景)
◆閏8/14【京】天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる/【江】前京都所司代酒井忠義に隠居の幕命/宇都宮藩主戸田忠恕、山陵修補御用掛に
【京】在京長州藩要路、近衛関白に攘夷に関する朝議の確定を迫る/
◆閏8/18【江】勝海舟、軍艦奉行並に
◆閏8/20【京】本間精一郎暗殺
◆閏8/25【京】前関白九条、落飾・重慎
◆閏8/27【京】長州藩に破約攘夷の勅諚/高杉、江戸藩邸を脱して笠間へ。
◆閏8/28【京】長土藩の連携決まる
◆閏8/29【京】目明し文吉暗殺

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◆9/16【京】攘夷別勅使派遣(1)薩長土有志、攘夷勅旨奏請を決議
◆9/18【京】別勅使派遣(2)薩長土藩主、朝廷に対して、幕府への攘夷勅諚下賜の建白。
◆9/20【京】別勅使派遣(3)朝廷、攘夷勅諚の伝達のため三条実美を別勅使・姉小路公知を副使に任命/
◆9/21【京】武市半平太ら、薩摩藩から依頼のあった近衛関白留任勧告について密議
◆9/22【京】久坂玄瑞・武市、慶喜の上京延期を密議(薩摩藩村山斎助にも相談)
◆9/23【京】町奉行与力渡辺金三郎、同心森孫六・大河原重蔵暗殺。(薩摩藩田中新兵衛参加)
◆9/25【京】朝廷、勅使東下の報を発す/武市、青蓮院宮に慶喜上京延期を入説
◆9/26【京】一橋慶喜上京延期の沙汰

関連>>「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題

◆9/1【京】「ニ嬪」堀河紀子辞職・隠居
◆9/4【江】山内容堂に京都守衛の朝命
◆9/7【江】幕府、明年2月の将軍家茂上洛を布告
◆9/8【京】中山忠光、武市半平太に「四奸ニ嬪」天誅の助力を依頼
◆9/10(11.1)【京】忠光、関白に岩倉具視らの追放を迫る
◆9/12【京】岩倉らの屋敷に脅迫状
◆9/22【京】久坂・武市、慶喜の上京延期を密議
◆9/21【京】武市ら、近衛忠煕関白留任勧告を密議/【江】周布・桂・中村九郎、横井小楠と初会談し、「疑因氷解」
◆9/23(11.14)【京】京都町奉行与力渡辺金三郎、同心森孫六・大河原重蔵暗殺。【江】長州藩士、春嶽を訪れ、幕府の攘夷議決を迫る/
◆9/25(11.16)九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住禁止
◆9/28(11.19)【京】来月12日勅使東下の発表/
◆9/29(11.20)【江】大久保一翁、小楠の破約攘夷の説明に納得/【京】新所司代、牧野忠恭入京
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◆10/1【京】近衛関白、上京を促す宸翰を久光に下す/土佐藩・長州藩激派、親兵設置を協議
◆10/2【京】薩摩藩激派、親兵設置提議に同意
◆10/5【京】薩長土有志連署で親兵設置を建白/
◆10/9【江】薩摩藩士高崎猪太郎、山内容堂に意見書
◆10/17【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出27士(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。





◆10/27【江】攘夷別勅使品川到着
◆10/28薩摩藩小松帯刀・高崎猪太郎、春嶽に近衛関白・青蓮院宮の内意を伝える
◆10/1【江】幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定/容保に上京出発の暇(漏洩を怖れられた会津藩)/【京】近衛関白、上京を促す宸翰を久光に下す
◆10/5【江】慶喜に上京中止の台命
◆10/8【江】春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る
◆10/11【京】土佐藩主、別勅使に先立ち、藩兵500余名を率いて江戸に向って京都を出立
◆10/12【京】別勅使、京都を出立/容保に滞府周旋の朝命
◆10/18【江】容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説。幕議、奉勅に動く
◆10/19【江】慶喜、春嶽に攘夷奉勅に同意と伝える(&開国論者容堂の本音)
◆10/20【江】幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転・勅使優待内決/大久保一翁、春嶽に「大開国でなければ大政奉還」論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張
◆10/22【江】慶喜、「攘夷に定見なし」と後見職の辞表
◆10/28【江】攘夷別勅使江戸着
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◆11/11【江】攘夷奉勅(26)容堂、攘夷奉勅を老中に入説/薩摩藩高崎猪太郎、老中板倉暗殺計画を内報
◆11/12【京】薩摩藩と守護職(1)島津久光を守護職にとの朝命/薩摩藩高崎猪、山内容堂に長州藩士横浜襲撃計画を告げる
◆11/14【江】薩藩岩下佐次右衛門・吉井幸輔、横井小楠に感服し、松平春嶽に島津久光上京を促すよう依頼
◆11/16【京】薩摩と守護職(2)朝廷、容保に久光と力を合わせるようにとの沙汰/
◆11/22【江】薩摩と守護職(3)容保、不同意
◆11/25【江】老中、容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書/
◆11/26【江】小楠、容堂に薩摩藩を含めた京都会議における国是決定論を説明。
◆11/28【江】慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆・春嶽、即答せず
◆11/29【江】春嶽、幕薩連合による公武合体推進を建議し、老中・慶喜、同意する。
◆11/30【江】幕議、久光の上洛を促すことに決まる。高崎猪太郎が上洛を促すため薩摩へ下る計画
◆11/2【江】幕府、攘夷奉勅を決議。
◆11/6【江】幕府の軍制改革会議。
◆11/11【江】老中板倉暗殺計画
◆11/12(1863.1.1)【江】薩摩藩高崎猪太郎(高崎五六)、山内容堂に長州藩士横浜襲撃計画を告げる
◆11/13【江】高杉晋作・久坂玄瑞ら長州藩士11名、世子毛利定広の説得で横浜襲撃中止/蒲田梅屋敷事件(1)長州藩周布政之助、容堂を誹謗/
◆11/14【江】土佐藩士、周布引渡しを求める
◆11/15【長】長井雅楽の切腹を決定
◆11/23【江】/桂小五郎、江戸到着
◆11/27【江】攘夷奉勅(30)別勅使三条実美・姉小路公知の江戸城入城・攘夷の勅諚と親兵設置の沙汰を伝宣
◆11/28【江】安政大獄刑死者6名(安島帯刀・橋本左内・吉田松陰ら)の墓碑建立が赦される



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◆12/1【江】薩摩藩と守護職(3)高崎、春嶽に呼び出されて越前藩邸へ。春嶽、(1)久光の守護職任命に幕府は異議はないこと、(2)しかし、尾張・会津・長州が強く反対しており、来春将軍上洛時まで発表を見合わせると決まったことを伝える。(『続』)
◆12/2【江】薩摩藩と守護職(4)容保、久光と協力して京都守護するようにとの内沙汰を幕府に示す。(『続』)
◆12/3【江】薩摩藩と守護職(5)勅使三条実美、久光の守護職任命の幕議に驚く(『続』)
◆12/5【江】幕府、攘夷を奉答・親兵設置は拒否
◆12/7【江】勅使、親兵設置要求を貫徹せぬまま、江戸を出立。
◆12/13【江】幕府、攘夷を布告
◆12/17【江】薩摩藩と守護職(6)幕府、朝廷の薩摩藩父・島津久光守護職任命催促に返書
◆12/22【京】勅使帰京。大久保利通入京し、近衛関白・中川宮に久光の将軍上洛延期の建白書を提出。
◆12/23【江】薩摩藩士岩下左次右衛門、近衛忠熙関白(内覧)の返書を春嶽に渡す
◆◇12/24【京】守護職・会津藩主松平容保、入京/中川宮ら、久光の建白を是と評決。

関連:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」
◆12/3【江】小楠、攘夷三策を建議/幕府、軍制改革(翌年1月中旬めどの「歩兵組」編制)
◆12/4【江】勅使、早々に攘夷・親兵設置を決定・布告し、攘夷の策略・期限を翌春までに言上するようとの沙汰を伝える
◆12/5【江】幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。
◆12/7【江】将軍、容保に京都出発の暇を与える(&容保上洛の遅れの経緯)
◆12/8【江】板倉老中、容保に翌春早々の将軍上洛・直接守衛を約束(全権委任との交換条件)/幕議、浪士組お抱えを決定/
◆12/9【江】長州 世子定広、江戸を退去。
◆12/12【江】高杉、久坂、井上聞多ら、御殿場英国公使館焼き討ち
◆12/19【江】士道忘却事件(1)小楠、肥後勤王党の刺客に襲撃される。
◆12/26慶篤、戊午の勅諚奉承を藩内に布告・処罰された藩士を赦免。
◆12/26【京】長州・土佐排斥運動(1)前宇和島藩主伊達宗城・因幡鳥取藩主池田慶徳・阿波徳島藩世子蜂須賀茂韶、近衛忠煕関白に在京諸侯退去と公武合体の国是決定を建白。
◆12/28【京】伊達宗城・池田慶徳ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張/
◆12/29佐久間象山の蟄居が許される
◆12/30幕府、清河八郎召しだし決定
最終更新2004/5/23

文久1年(1861)← →文久3年(1863)

主な参考文献
『人物叢書西郷隆盛』、『大久保利通』、『西郷隆盛』、『大久保利通と明治維新』
『島津久光と明治維新』、『徳川慶喜公伝』、『維新史』、『大久保利通日記』



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