鳥羽伏見戦争時の薩摩藩本陣である。
王政復古直前の12月7日明け方、御香宮神社の表門に「徳川氏陣営」とかかれた札が掲げられた。神社が御所へ注進すると、翌8日、薩摩藩の吉井孝助がその札をはずして部隊を置いた。そのうち、御香宮と大手筋をはさんで坂下にある伏見奉行所には会津藩兵や新選組が入ってきた。
慶応4年1月3日、旧幕軍は伏見京橋に着き、駐留する薩摩藩とにらみあうことになった。やがて鳥羽方面の号砲をきっかけに鳥羽伏見の戦いが始まった。薩摩藩は地の利を活かして大砲を坂下の奉行所に打ち下ろした。
左:表門 中:本殿 右:御香水
本殿の横に奉納絵馬のたくさん飾られている場所があるが、古いものはかなり塗料がはげている。それで、そのうちの何枚かは人物(武者らしい)がガイコツのように白く浮かび上がっていて・・かなり・・・こわい(>_<)。ちなみに、ここの水(御香水)は名水100選に選ばれているとかで、大きなポリタンクをもって水汲みにきてるひとをみかける。
左:悟真寺正門 右:榎本武揚揮毫による「戊辰之役東軍戦死者之碑」
準備中
寺田屋といえば龍馬。薩長同盟を結んだばかりの龍馬を見廻組や奉行所の役人(新選組もいたって説もある)が襲撃したが、もたもたしてたので入浴中の龍馬の愛人、おりょうが裸でかけあがったことで有名・・・。龍馬はそのとき、捕縛にきた役人を撃ち殺しているので、その後は現在でいえば警官殺人犯として追われることにもなった。(龍馬暗殺犯と自供した今井信郎は、龍馬を暗殺したのは警官殺しが理由と述べている。今井ではないという推理作家も多い。龍馬・志士関連の展示があるがほとんどが複製。
寺田屋内は龍馬ものだらけだったが、実は、薩摩藩が9人の尊皇藩士を上意討ちにした寺田屋事件の舞台である(清河八郎がそそのかしたというか;;)。それにはほどんど触れられておらず、上意討ちの場所はおみやげ売り場になっている。「あまりに陰惨だから?」とオフ会メンバーがつぶやいた(寺田屋の庭園には慰霊碑があり、また大黒寺にはこの9人の墓所がある)
寺田屋はかつては宿泊可能だったが、寝ていると、んぜか桂小五郎の幽霊が出てきて枕元で愚痴をこぼすとの噂がある。なんで桂なのかは??(ついでにいうと寺田屋には伊東甲子太郎も泊まったことがあるはず^^)。
左:寺田屋外観 右:「おりょうの風呂」から窓の外を望む
御香宮神社から坂を下って5分くらい。寺田屋からは東へ10分くらい。ここは慶応3年末に京都を退去した会津藩と新選組が宿陣した場所。慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いのとき、高台にある御香宮神社に宿陣した薩摩藩が大砲を打ち下ろしてきて、それが火薬庫を直撃したので、奉行所は燃えてしまったそうである。石垣がわずかに残っている。奉行所跡はいまは桃陵団地。「伏見奉行所跡」の碑と説明札があって、奉行所のあとは一時、陸軍が使っていたようである。
酒造りに関する係員のおじさんの説明もおもしろく、お酒の原料となる清水を飲み、ツアーの最後には3種類のお酒を試飲させてもらえる。そのうえお土産にも「大蔵記念館」の清酒(180ミリリットル)がもらえました。これで300円とは安すぎる!とオフ会メンバー全員で感激!
納所は淀城に入れなかった旧幕軍と追走してきた新政府軍の激戦地だったそうで、死屍累々だったそうだ。
左:表門 右:本堂
「東軍戦死者之碑」
妙教寺は、旧幕軍を城内にいれない判断を下した淀藩家老、田辺家の墓所である。このほか境内には、「東軍戦死者之碑」があり、また鳥羽伏見の戦いのときに、砲弾が打ち込まれ本堂を貫いたという説明の碑がある。
戦死した新選組の井上源三郎の首を甥が掻ききって腰にぶらさげて敗走したものの、あまりに重く邪魔になったので、ついにある寺の入り口埋めた……と子母沢寛の新選組三部作にのっている。その寺が、この妙教寺ではないかともいわれているらしい。
淀小橋跡は納所を下ったところにある。堀のあったところは現在は埋め立てられて(あるいは暗渠となって?)道路になっているので、橋はなく、碑が建っているだけである。
右:淀城の石垣 左:淀古城跡の碑
淀城は、淀藩主稲葉家(家光の乳母春日の局の実家)の居城で、石垣が残っている。淀君のために作られた初代淀城跡は存在しない。さて、淀藩は譜代で、藩主・稲葉正邦は老中であった。鳥羽伏見の戦いのとき、稲葉は江戸におり、家老田辺権太夫が城を預かっていた。鳥羽伏見で敗走した旧幕軍(会津藩兵や新選組が含まれている)は、当然淀城に入ろうとしたが、家老は門を閉ざし、彼らを城内に入れなかった。藤堂藩と並んで淀藩の「背信」が敗北を決定づけたといわれる所以である。それでも、戦後、幕軍数人が城内に入った責任を負い、家老と弟・治之助は切腹して新政府軍に詫びている。もし最終的に旧幕軍が勝っていれば、当然、藩主の許可を得ず、独断で城門を閉じたとして、家老は切腹していたことだろう。どっちにしろ、死ぬことになったわけである。「すごいね」とつぶやいてしまった。