新選組に殺害されたり戊辰戦争で死亡した御陵衛士(伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内監物、服部三郎兵衛、佐原太郎、富山弥兵衛、茨木司 佐野七五三之助 中村五郎 富川十郎)らの墓所は歴代天皇の墓所・泉涌寺の総門の手前の戒光寺墓地にある。衛士の毛内は、かねてより、戒光寺の長老堪然に、自分は孝明天皇の御陵衛士であるので、万一のときは御陵のある泉涌寺の山内に葬ってほしいと頼んでいたという。戒光寺の方のお話によると、伊東らの墓所を築くために、わざわざ山を切り開いて墓所にしたらしい。
記録によれば当時の長老堪念は、@伊東らの御陵衛士拝命を斡旋した、A油小路事件の際は留守で難を逃れた阿部十郎をかくまう、B伊東らの遺骸の埋葬を新選組になんども談判する、など伊東らのために尽力している。さらに、月真院の長谷川さんによると、月真院が御陵衛士の屯所になったのは・・・月真院の近くの春光院という寺が、戒光寺と親しかった。戒光寺が春光院に屯所とできる場所がないかと相談し、月真院が紹介された・・・と月真院には伝わっているとか。
いまでも、お寺の方は衛士に誇りをもっておられる。
なお、戒光寺は後堀河天皇の勅願により安貞2年(1228年)に開設された勅願寺であり、後水尾天皇の発願により皇室の菩提寺である泉涌寺の塔中となった。幕府が後水尾天皇暗殺の刺客を送ったとき、身代わりの釈迦如来が現れて天皇を救ったという。戒光寺の本尊である丈六釈迦如来がその釈迦如来であり、首のあたりから流れている血がその証といわれている。
<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>
<関連>
慶応3年11月19日@ 油小路事件
慶応3年11月19日A 伊東らの遺骸が放置される。三樹、加納、富山、薩藩に入る。阿部・内海、土佐藩邸に断られ、戒光寺に。
泉涌寺は日本で唯一の皇室の菩提寺「みてら」である。仁治3年(1242年)に四条天皇以降、歴代天皇が山陵に埋葬されている。孝明天皇の山陵は歴代天皇とは別に築かれている。葬送を仕切ったのが山陵奉行の戸田大和守である。山陵奉行お預りで御陵衛士の伊東らが実際に御陵の守衛をしたという記録はない。象徴的なものだったのかもしれない。なお、鳥羽伏見の戦い後、水戸藩は泉涌寺の警衛を申し出ている。泉涌寺にお参りするときは、孝明天皇の御陵以外にもいくつもあるお寺にも行ってほしい。建築様式が独特で重要文化財もたくさんある。楊貴妃観音は本当に美しく、拝観おすすめ!お寺の方はみなさんとても親切^^。
<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>
慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦い時に長州藩本陣が置かれた。維新戦役忠魂之碑、鹿児島藩招魂碑、鳥羽伏見戦防長殉難者之墓がある。秋の紅葉が有名。
(左)鹿児島藩招魂碑 (中)即宗院山門 (右)即宗院前庭
(左)西国街道の碑 (右)鹿児島藩招魂神社
(左)東征戦亡の碑 (中)東征戦亡の碑拓本 (右)奈良原喜左衛門墓碑
<行き方:京阪東福寺駅>
泉涌寺御用達の和菓子屋。季節の和菓子(生菓子)を作っていて何度行っても飽きない。奥で和菓子、かき氷(夏)やぜんざい(冬)がいただける。おじさんもフレンドリー。あんこがおいしい♪
<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>