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洛東@(北部)

会津墓地

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会津藩が京都守護職として在京中に死亡した会津藩関係者の墓所がある。野村左兵衛(公用人)、柴司(明保野亭事件で切腹)など。慰霊碑もあり。柴司の碑文の一部を居酒屋に投稿しています^^。

<行き方:金戒光明寺内。市バス岡崎神社前下車>

尾張藩邸跡

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金戒光明寺(黒谷さん)

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承安5年(1175年)に創設。浄土宗七本山の一つ。小高い丘に在り、寺からは京都を一望できる。文久2年末に入京した京都守護職会津藩が本陣を置いた。徳川家の菩提寺でもあり、第2代将軍秀忠の正妻お江与の方(織田信長の妹お市の方の三女)の墓所もある。ちなみに会津松平家の藩祖保科正之は秀忠の隠し子である。<行き方:市バス岡崎神社停下車>

<関連>京都守護職松平容保の入京と公用方設置

真如堂

永観2年(984)に創設。幕末には佐賀藩本陣が置かれた。

<行き方:市バス真如堂停下車>

土佐藩白川邸・陸援隊屯所跡

京大理学部校舎が屯所跡らしい。しかし碑も建てられておらず、当時をしのばせるものはなにもない。この・・・海援隊屯所跡との差はなに^^;?
<行き方:市バス京大農学部前停下車>

南禅寺

阿波徳島藩・肥後熊本藩本陣が置かれた。梁川星願や、横井小南の墓所もある。紅葉・湯豆腐で有名。
<行き方:地下鉄蹴上駅、市バス南禅寺・永観堂停下車>

無燐庵

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明治27〜29年に山形有朋が建てた別荘。「無燐庵」という名は、山形が長州に建てた庵が隣家のない静かな場所だったところからつけられた。山形の設計・監督により小川治兵衛が作庭した。小川は丸山公園も作庭した著名な造園師。洋館では、日露戦争直前、山形・伊藤博文・桂太郎・小村寿太郎が集まり、外交方針を語った(無燐庵会議)。

<行き方:市バス5番 神宮道停下車。京都市動物園向かい>

京料理ぎんもんど

無燐庵の隣にある。近江の豪商、小林吟右門の 別荘跡。日本庭園をみながら湯豆腐や京野菜を使った京料理がいただける。
<行き方:市バス南禅寺・永観堂前下車。京都市動物園向かい>

にゃくおうじ

哲学の道にある。1960年代の新選組ブームをつくった「血風録」「燃えよ剣」で土方役を演じた俳優栗塚旭氏の経営する喫茶店。日曜休日。平日も午後6時には閉まる模様なので注意。


洛東A(中部:東山界隈)

明保野亭跡

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明保野亭事件の起きたところ。明保野邸は当時、料亭であった。
明保野事件:池田屋事件直後、浪士集合の情報をきいて駆けつけた新選組が同所を捜索した。浪士は集合していなかったが、居合わせた武士1名が逃げようとしたため、新選組応援のために配属されていた会津藩士柴司が槍で逃亡を防ごうとし、相手を傷つけた。相手は実は土佐藩士麻田時太郎であった。会津と土佐の争いに発展することを恐れた会津藩は見舞いの使者を送ったが、土佐藩では麻田を自刃させた。これを聞き、柴は自ら自刃し、両藩の関係悪化を防いだ。<行き方:産寧坂上>

奥田万次郎自刃地

準備中

月真院(高台寺塔中)

  

御陵衛士が慶応3年6月以降屯所とした高台寺塔中。隠し部屋など月真院の詳細はこちら。  <行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス東山安井停下車>

<関連>とことん御陵衛士

高台寺

津和野藩本陣が置かれた。文久3年の禁門の政変前、上洛の予定される前越前藩主松平春嶽の宿所とされ、尊攘派により放火された。慶長11年(1606年)に豊臣秀吉の菩提を弔うために正妻ねね(高台寺院湖月尼)が開いた。庭園の美しさが有名。

<行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス東山安井停下車>
<関連>文久3年7月20日−尊攘浪士による高台寺放火事件

城安寺

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慶応3年3月20日、7日前に新選組分離を承諾させた伊東ら御陵衛士は、分離後の宿舎がみつからず奔走していたが、城安寺に宿舎をようやくみつけることができ、新選組屯所を出た。しかし、三条城案寺は仮の宿で、翌日には五条善立寺に移っています。その後、6月に東山にある高台寺の塔中月真院に移るまでの1ヶ月余、彼らは善立寺(長円寺とも)を屯所とした。

<関連>慶応3年3月17日−伊東、分離後の宿舎が決まらず途方にくれる

春光院

安政2年〜3年まで月照が暮らした。月真院の方によると、月真院が衛士の屯所となったのは、幕末の春光院の住職が戒光寺から頼まれて紹介したからではないかという。

<行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス東山安井停下車>

翠紅館跡

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文久3年1月27日、長州藩世子毛利定弘も臨席のもと、長州・水戸・肥後・津和野藩士ら尊攘派が会合を開いた。さらに、同年6月17日、長州藩桂小五郎、真木和泉らが集会を開いた(翠紅館会議)。

<行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス清水道停&東山安井停下車。霊山護国神社の参道上>

坂本龍馬・中岡慎太郎像(丸山公園)

準備中

知恩院

文久3年に薩摩藩が本陣を置いた。また、前尾張藩主徳川慶勝&英国公使パークス宿所ともなった。

長楽寺

延暦24年(805年)桓武天皇の勅命によって開かれた勅願寺。一時期、月照が暮らした。尊攘苑に、頼山陽・頼三木三郎、水戸藩関係者−松平昭訓(水戸藩徳川慶篤・徳川慶喜の弟)、原市之進(慶喜側近)、大場一真斎(在京水戸藩責任者)、鵜飼幸吉父子(戊午の密勅に絡み、安政の大獄で処刑)等の墓所がある。ほか、赤穂藩侍医の寺井玄渓の墓所も。明治の廃仏棄釈までは境内も広く、丸山公園まであったという。そのほか、建礼門院徳子の遺宝、後水尾天皇勅額、徳川歴代将軍の慰霊牌等。お庭もきれいです^^。<行き方:市バス祇園停下車>


    




 

    


  


<関連>安政6(1859):戊午の密勅と安政の大獄 志士詩歌

 

西大谷墓地

準備中

<行き方:京阪四条、阪急河原町から徒歩>

東大谷墓地

準備中

<行き方:市バス祇園停下車>

霊山護国神社

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明治元年、太政官布告によって「維新の先覚者」約1,400柱が祀られた。第二次世界大戦後、荒れていたが、昭和43年(明治100年)に整備・復旧し、新たに1,800柱を合祀した。

<行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス清水道停&東山安井停下車>

霊山歴史館

昭和45年に、霊山護国神社の側に設立された幕末資料館。常設展示のほか、春・秋には特別展や講演会が開催される。

<行き方:京都駅、四条駅、河原町駅から市バス清水道停&東山安井停下車>



洛東B(中部:祇園界隈)

一力茶屋

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幕末期、様々な会合の開かれた料亭。

<行き方:京阪四条、阪急河原町から徒歩>
<関連>文久3年10月10日−近藤勇、一力茶屋で公武合体による攘夷を述べる

祇園会所跡

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池田屋事件当日、新選組は祇園会所に集合して会津藩等の出兵を待ったが、待ちきれずに単独で出動した。

<行き方:京阪四条、阪急河原町から徒歩>

<関連>元治1年6月5日)池田屋事件(1) 元治1年6月6日)池田屋事件(2

八坂神社

  

祇園祭は八坂神社の例祭である。ここの階段下で新選組谷三十郎が(新選組によって)暗殺されたともいう。

<行き方:京阪四条、阪急河原町から徒歩>
<関連>祇園祭

祇園こいし

甘味屋。おみやげの黒糖わらびもちが絶品。限定品で夜には売り切れることもあるのでお早めに。

鳥せい

伏見鳥せいの支店。食べ物すべておいしく、お値段も手ごろ。なかでも鳥せいけいはん(ご飯に鶏肉・錦糸玉子・お漬け物などをのせ、鶏スープをかけて食べる)は絶品♪

京麹(みやこうじ)

京都おばんざいのお店。生麩のサラダがおいしかった^^。はんなり鍋(白みそ鍋)が有名らしいけれど、まだ試してません。カウンター席と座敷席あり。座敷席のほうが情緒があるらしい^^。



洛東C(南部)

戒光寺

  

新選組に殺害されたり戊辰戦争で死亡した御陵衛士(伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内監物、服部三郎兵衛、佐原太郎、富山弥兵衛、茨木司 佐野七五三之助 中村五郎 富川十郎)らの墓所は歴代天皇の墓所・泉涌寺の総門の手前の戒光寺墓地にある。衛士の毛内は、かねてより、戒光寺の長老堪然に、自分は孝明天皇の御陵衛士であるので、万一のときは御陵のある泉涌寺の山内に葬ってほしいと頼んでいたという。戒光寺の方のお話によると、伊東らの墓所を築くために、わざわざ山を切り開いて墓所にしたらしい。

記録によれば当時の長老堪念は、@伊東らの御陵衛士拝命を斡旋した、A油小路事件の際は留守で難を逃れた阿部十郎をかくまう、B伊東らの遺骸の埋葬を新選組になんども談判する、など伊東らのために尽力している。さらに、月真院の長谷川さんによると、月真院が御陵衛士の屯所になったのは・・・月真院の近くの春光院という寺が、戒光寺と親しかった。戒光寺が春光院に屯所とできる場所がないかと相談し、月真院が紹介された・・・と月真院には伝わっているとか。

いまでも、お寺の方は衛士に誇りをもっておられる。

なお、戒光寺は後堀河天皇の勅願により安貞2年(1228年)に開設された勅願寺であり、後水尾天皇の発願により皇室の菩提寺である泉涌寺の塔中となった。幕府が後水尾天皇暗殺の刺客を送ったとき、身代わりの釈迦如来が現れて天皇を救ったという。戒光寺の本尊である丈六釈迦如来がその釈迦如来であり、首のあたりから流れている血がその証といわれている。

<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>

<関連>
慶応3年11月19日@ 油小路事件
慶応3年11月19日A 伊東らの遺骸が放置される。三樹、加納、富山、薩藩に入る。阿部・内海、土佐藩邸に断られ、戒光寺に。

泉涌寺(孝明天皇墓所)

泉涌寺は日本で唯一の皇室の菩提寺「みてら」である。仁治3年(1242年)に四条天皇以降、歴代天皇が山陵に埋葬されている。孝明天皇の山陵は歴代天皇とは別に築かれている。葬送を仕切ったのが山陵奉行の戸田大和守である。山陵奉行お預りで御陵衛士の伊東らが実際に御陵の守衛をしたという記録はない。象徴的なものだったのかもしれない。なお、鳥羽伏見の戦い後、水戸藩は泉涌寺の警衛を申し出ている。泉涌寺にお参りするときは、孝明天皇の御陵以外にもいくつもあるお寺にも行ってほしい。建築様式が独特で重要文化財もたくさんある。楊貴妃観音は本当に美しく、拝観おすすめ!お寺の方はみなさんとても親切^^。

<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>

東福寺

   

慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦い時に長州藩本陣が置かれた。維新戦役忠魂之碑、鹿児島藩招魂碑、鳥羽伏見戦防長殉難者之墓がある。秋の紅葉が有名。



    


    


 

<行き方:京阪東福寺駅>

音羽屋

泉涌寺御用達の和菓子屋。季節の和菓子(生菓子)を作っていて何度行っても飽きない。奥で和菓子、かき氷(夏)やぜんざい(冬)がいただける。おじさんもフレンドリー。あんこがおいしい♪

<行き方:京阪東福寺駅 あるいは 市バス泉涌寺道下車>


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