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8. 古本びより♪
2002/08/30(Fri) の井戸端投稿より

昨日、ひさびさに東京出張したのですが、その折、ちょっと、神保町によってきました。半年振りくらいかなぁ・・・よく行っていた古本屋が2件つぶれていたのがショックでしたが、マニアックな収穫がいろいろありました^^。

今回の収穫は、探していた『会津藩教育考』(昭和17年)、そして存在も知らなかった『朝彦親王景仰録』(昭和17年、非売品!)でした。朝彦親王=例のアヤシイ中川宮です^^。

会津藩教育考:旧会津藩士小川渉(志ぐれ草紙の作者)がまとめたものに、秋月悌次郎、広沢安任らが欄外にコメントしたもの。藩校日新館の歴史、教授内容などなど。

朝彦親王景仰録:孝明天皇のやろうとしたことを「建武の中興」とし、中川宮を護良親王に比しています。この話は、チャットでもときどき出る話題だったので、なるほど〜って感じ。幕末史をたどっていると朝廷政治を無視できないなと思うし、公武合体派の中川宮(と孝明天皇)って、あまりとりあげられないけど、鍵だよなぁと思っています。で、ちょうど、「朝廷」で中川宮の準備をしているところだったので、タイムリー^^。中川宮って、奈良にいたころ、あの、川路聖謨と知り合い、その後も懇意だったんですね〜。

そのほか

闇はわれを阻まず 山本覚馬伝」:「京都の恩人」といわれる幕末の会津藩士山本覚馬について。山本は、勝海舟や佐久間象山に師事した開国派。鳥羽伏見でも軍事行動に批判的。女性の教育に関心のあった開明派(妹は、有名な山本八重)。会津ではとことん少数派なひとです(少数派好きのわたしはひいきしてます^^)。京都にいる間、失明しちゃったのですが、それでもがんばったひと。鳥羽伏見のとき、薩摩の捕虜になるんですが、会津藩を弁護した上で「万国公法に基づいて公明正大に裁いてほしい」と訴え、幽囚期間に、明治新政府に国家のありかたに関する建白書も提出。戦後は、京都の復興につとめ、初代京都府議会議長も務め、なにより、新島襄と同志社そして同志社女子を設立・・・といった経歴です。

井伊家史料幕末風聞探索書(平成11年)」:井伊直弼が大老をつとめた頃の史料が最も豊富。将軍後継問題・安政の大獄・桜田門外の変などなど情報てんこもりな模様です。会津関連もときどきありそう。定価の約半分だったのでGETしました。

小笠原壱岐守長行(昭和17年、非売品)」:姉小路公知暗殺と絡んで最近ずっと話題にしている、老中格小笠原の伝記です。史料も結構引用されています。姉小路については、編者注として「同宗の好みで親密」だったとされています。それって、宗教のことかしら、宗家のことかしら?密約説の存在も記されていますが、真実かどうかは知りようがない・・・としています。

田中河内介(昭和16年)」:文久2年、清河八郎が、青蓮院宮(中川宮)の密旨を奉じていると称して志士糾合を企図し、それが寺田屋騒動につながるわけですが、清河が利用したのが田中でした。田中は薩摩に預けられることになったんですが、薩摩行きの船中、大久保利通の指示で殺されました。このことをめぐるエピソードが司馬遼太郎の『歳月』に収められているのですが、同じものがのっているので、この本がネタ本なのかもしれないです。(エピソードは、余話にのせようと思います)

町田近代100年史(昭和44年)」:近藤勇と小島為政、田中正造と会津に惹かれて買いました。500円だったし^^。




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