「武内哲くん……」
私の声は、その名前の主と張り合うかのように冷たく、そして無感情だった。
「何かと思って来てみれば……なるほど、そのように推理しましたか」
哲くんは、水銀灯の影からそっと顔を出した。……その顔に、表情はない。
「なぜ、そのようなことをお考えになったのですか?」
「……まず私が気になったのは、黒幕の匿名性よ。5人もの人間を実行犯として自由に操りながら、その正体はまったくわからない。この構図、どこかに似たような世界があるとは思わない?」
「インターネット界、ですか」
「当然わかるわね、あなたなら。……黒幕、つまりあなたは、インターネットを通じて彼ら5人と知り合ったんだわ。協力させた方法は詳しくはわからないけど、彼らの致命的な秘密をたまたま見つけて、それで脅迫したというあたりかしら? だから彼らは、あなたに無条件で従わなければならなかったのよ。名前も知らないあなたに、ね」
私は話す。哲くんの表情は変化しない……。
「彼らは逮捕された。普通、実行犯が捕まれば、その人の口から黒幕の名前が出るはず。そのことは、さっき山崎さんが来たときにも話してたわよね。カリスマ性とかいろいろ言っていたけど、本当はもっと現実的な理由があったのよ。……そう、実行犯たちは黒幕の名前を知らなかったんだわ。知らなければ、当然自供することもできないもの」
彼に変化はない。……その無表情と無言が、何とも表現し難い恐怖をあおる。
負けずに、私は続けた。
「……動機は、わからないわ。ただ、何かがあったのね。例えば、昔この町に住んでいて、彩子は憧れのお姉さんだったとか。火曜日の夜、私は行き先を『想い出の場所です』とだけしか告げないで出かけたのに、ここで襲われた……。それを考えると、あなたは彩子からその『想い出の場所』がどこかを聞けるほどの関係だったと推測できるわ」
「……」
「あなた、前に言ったわよね。故郷に帰れば大切な人がいるって。故郷はこの町で、大切な人っていうのは彩子のことだったんじゃないの?」
沈黙が続く。
耐えきれなくなって、私は聞いた。
「……どうして、何も言わないの?」
「おっしゃりたいことは、それだけですか」
……その凍った声は、遥か遠くから飛んできた。
「え……それだけ、って……」
「ぼくをここまで呼び出すくらいだから、どんなお話を聞かせていただけるのかと楽しみにしておりましたのに」
「な……何を言うのよ。まさかあなた、私の推理には穴があるとか言い出すつもりじゃないでしょうね」
「大ありですよ、穴など」
「え……」
自信を崩された私は、まさに茫然自失といった状態になった。さらに悪いことに、哲くんは自分より下と見た人には滅法強いタイプだった。
「まずひとつ。お嬢様は『インターネットの匿名性』とおっしゃいましたが、現在のインターネット界に、ネット上でそのような危険な計画を立てても露見しないほどのセキュリティが確立しているとでもお考えですか? 暗号化された通信でさえ、どのようなデータをやりとりしても、必ずどこかの誰かが盗み見るような状態なんですよ。仮にぼくが首謀者だとして、いくら自分がインターネットを使い慣れているといっても、そのような危険な橋は決して渡りませんね」
「……」
「ふたつめは、お嬢様のおっしゃるお話はすべて単なる推測にすぎないということです。それも、ぼくが幸広さんや栄一郎さんたちと違って、お嬢様ともともと親しくなかった人間だから、無理に罪をなすりつけようとしておられるように見えるのですが」
「えっ……」
私は言葉を詰まらせた。……それはきっと、肯定の意味に取られるのだろう。
「お嬢様……」
哲くんは、今までとはどこか違う、人間味のあるような声で私を呼んだ。
「……自分は理詰めの人間ですが、本当はそういう風に見られるのは好きではありませんでした。コンピューター関係はあくまで趣味で、本当に好きなのは馬。当然それをわかってくださっていると思っていたぼくは……ぼくは、ずっとお嬢様をお慕いしていました」
「……!」
「しかし……もういいのです。心を預けたお嬢様でさえも、ぼくのことを本当に理解できていなかったとなると……残る理屈は、ぼく自身が自分を理解しきれていなかったということのみになってしまう。どんなに恰好をつけても、真実は変わらないのだから……」
「哲くん、あなた……」
彼はうつむき、顔を背けた。知的な瞳が寂しそうに曇る。こんな表情を持っていたなんて、知らなかった。
……彼の言ったことは、間違っていない。きっと私は、心のどこかで、彼が犯人だといいなと思っていたのだろう。身近に犯人がいると考えるしかない現状では、幸広くんや栄一郎さんと考えるよりは、彼の方がまだ傷つかずにすむから。
彼の気持ちにも気付かずに。
「……帰りますよ、ぼくは。自分がいるべき場所へ……」
「哲くん……」
……彼は、振り返らなかった。
そして、それ以来、この桜川町で彼を見かけることは、二度となかった……。
……数ヶ月後。
私は、パソコンの勉強に明け暮れていた。
彼の残していったパソコンを解析し、真実を明らかにするために。
彼が果たして今回の事件の黒幕だったのかどうか、その証拠となる何かが残っていないかを調べるために。
だが……それは果たして、本当の理由だろうか?
もしかしたら、ゆっくりとたぐっていった糸の先に彼が待っていることを、密かに期待してはいないだろうか……。
それは、わからなかった。
記念日 -ANNIVERSARY-
終