「放してちょうだい!」
私はきつい視線で僚の目をにらみ、腕をひっぱった。そうすれば強引な手段には出られないことは、私にはわかっている。
思った通り、僚は腕を放した。私は一目散にその場から逃げ出した。
「あ……おい、真奈!」

 

 

……とりあえず、私にできることは全部やった、と思う。
母が本当に五十嵐先生に、私を乗せ続けてくれるように頼むかどうか……確率は半々といったところだろう。
母の一声で馬が返ってきても嬉しくも何ともないが、有馬に乗れるならそれに越したことはない。

だが、忘れてはならない事実がひとつある。
五十嵐先生が「真理子がどう言おうと、有馬は彼女で行く」と断言したことだ。
すべてを決定するのは先生だから、彼の気持ちを変えない限りは、私に勝利はない。

彼の気持ちを変える……。
彼は、私が「何か」をしたとおっしゃった。その「何か」のせいで私の起用を見合わせた、と。
ならば、私がその「何か」に気付いて改めれば、もう一度チャンスをくださるだろうか……。

あれこれ考えながら、私は長瀬厩舎へやってきた。
ここは居心地がいいので、月曜日でも大抵は顔を出すことにしている。そして厩舎内の雑用などを自主的にこなし、長瀬先生と話をして帰る。
「お、真奈か。おはよう」
長瀬先生は、大仲部屋の椅子に座ってスポーツ紙を読んでいた。新聞にはまだ『ゴールドロマネスク、篠崎真奈から篠崎真理子へ』の記事は出ていないだろう。それは、今なら未来を変えられる、ということでもある。
「おはようございます」
もう「こんにちは」の時間だとは思ったが、逆らわずに頭を下げる。
「……どうした? ふくれてるのか?」
長瀬先生は私を見て、そうおっしゃった。そういえば、先生はまだ今回の一件をご存じないはずだ。
「ええ、ちょっとだけ」
私は、先生にその話をすることに決めた。
48歳になる彼は、結婚歴なしの独身。最近は珍しくも何ともないパターンだ。当然(でない例もこのところ増えているが)子供もいない。生まれてすぐ母親を亡くした僚とは、「家族」というものを見る目が根本的に違うと思われる。事情を話してもどうということはないだろう。

 

 

「なるほど」
私の説明を聞き終えた長瀬先生は、「俺には関係ない」といった感じでそれだけつぶやいた。確かに彼には関係ないが、話を聞いた時点で「まったくの無関係」ではなくなったはずなのに……と心でため息をついたところで、さっきの僚を思い出した。
僚は首を突っ込んできた。先生は関心を示さない。反応は正反対なのに、その両方に不満を感じるのはなぜだろう。
「なるほどって……先生はどう思われますか?」
わからないので、とりあえず先生の気持ちを聞く。
「それも、お前に課せられた試練だろう」
「若木を引き抜いて枯れる寸前の木を植えるのが試練ですか」
「俺に皮肉を言っても何も変わらないぞ」
……もっともだ。
「すみません」
「まあ、あれだな。僚も言ったらしいが、そいつは先があるのとないのとの差だ。若木は放っておいても伸びるが、老木は守ってやらなきゃいけない。そして若木には、傷つけられても再生するだけの力がある」
「若木だって老木だって、生きている尊さに変わりはないんですよ。片方だけ大事にされるなんてこと、許されるとお思いですか?」
「片方しか大事にできないとしたら、選ばなきゃいけない。五十嵐さんはそこで、お前よりお前のお袋を選んだわけだ」
長瀬先生お得意の例え話が出た。何か「分岐点」や「選択肢」という言葉に思い入れでもあるのか、すぐ「人生の分岐点」の話をするのだ。
だが……先生は続けた。
「ただ、お前が選ばれなかった理由は若さだけじゃないだろう。俺には五十嵐さんが何をお前に期待していたかがわかるからな」
「私が自主的にロマネスクを母に譲ることですか?」
「そいつは結果論だ。ただ譲ればいいってもんじゃない。彼はお前に、お袋に敵対するような態度を取ってほしくはなかったんだと思う」
「……できません、そんなことは」
私がぼやくと、長瀬先生はスポーツ紙をテーブルの上に置いて、私をまっすぐに見た。
「お前は嫌がるかもしれないが、篠崎も……お前の親父も昔、師匠の東屋雄一先生に『試練』を受けさせられたことがあった」
「父も……?」
やはり私と父は親子なのだ――そう思ったのは、私にとって好ましいことだったのだろうか。
「ああ。といっても、その試練は騎乗馬に関することではなかったがな」
「その話をしてくださいませんか」
私は頼んだ。その内容を自分のために利用しようという考えもなくはなかったが、自分自身の知識欲が先だった。あるいは、無関心なようでいてきちんと一緒に考えていてくださった長瀬先生に、もう少しだけ寄りかかりたかったからか。
「よし」
先生は軽くうなずいて、話を始めた。

「あの頃の篠崎は人づきあいが苦手だった。東屋先生はそれを直させるために、あいつに『自分から誰かを誘って遊びに行け』と言ったんだ」
「ああ……だいたい想像はつきました。父は母を選んだんでしょう?」
私は言った。今の父を見ている限りでは、それ以外の人物を選んだ可能性など皆無に思える。
ところが。
「いや。最終的にはそうなったが、あいつが真っ先に頼ったのは俺だった」
「先生ですか!?」
驚くのは、先生に対しては失礼だったかもしれない。だが、私は自分の意識とは無関係に驚いてしまっていた。
「そう、俺だ。あいつも桂木……この話じゃそう呼ばせてもらうが……を誘いたかったんだとは思うが、あの頃あいつらの間にはいろいろあって、互いに申し訳なさみたいなものを抱えててな。声をかけづらかったんだろう」
桂木、というのは母の旧姓だ。その名前が長瀬先生の口から出たとき、父と母は私の知らないふたりだけの想い出をたくさん持っているのだということを実感して、少しだけ心が曇った。そして、曇ったことを屈辱的だと思った。
そんなの、前々からわかりきってることなのに――。
「……まあ、全部話すと長いから端折るが、俺は訳あってその誘いは受けられなかった。それで篠崎は、ためらいまくった末に桂木を連れ出した。結果的にはそいつが大正解だ。やつは大いに楽しんで、自分の問題点にも気付いた」
「人嫌いだった、と?」
「それはやつの本質じゃない」
長瀬先生は腕組みをした。確かに今の父を見ていても、積極的ではないものの、人嫌いという感じはしない。いい年をして、親しい人が相手だと結構はしゃいでいたりもする。
だが――だとすると、父には何が足りなかったのだろう。
「やつの問題点ってのは『弱さを武器にする』ことだった。本当はそれほどでもないのに、消極的な態度を見せていた。そうすれば誰かが優しくしてくれると思ってたらしい。一種の甘えだな」
先生は言った。私は思わず返していた。
「……本当に、甘えでしょうか」
「違うと思うのか?」
先生の鋭い視線が私の顔を貫く。私はそれにも負けずに答えた。
「もしどこかへ閉じ込められて、外から鍵をかけられてしまったら、先生はどうなさいます? 当然、大声を上げて助けを求めるでしょう?」
「ああ、まあ……」
「父も同じだったんだと思います。……決して弱音を吐くわけではないんですけど、私はいくら呼んでも助けに来てもらえない子供だったから、そう思えて仕方がないんです」
「篠崎は寂しかったというのか? それで弱いふりをして、助けを求めていたと……?」
「おそらくは」
私は父ではないから、本当のところはわかるわけがない。自信なさげにうなずくことができるだけだ。
すると長瀬先生は、なおも視線で攻撃してきた。
「お前もか?」
「私は……そんな幼稚な年はもう過ぎました。幼い頃はそれなりに親を呼んだりもしましたが、今では、誰かに助けを求めるより自分で抜け穴を作るなり何なりして脱出を試みる方が私には合っていると気付きましたので」
「確かに、お前はもう大人だ。だが、そいつは『親の存在を無視する』ってことにはつながらないんじゃないのか? いくつになったって親子は親子。いい関係を保っていくこともできるはずだ」
「軽率なことをおっしゃらないでください」
私は長瀬先生に、鋭い視線を跳ね返した。
その強さ――強さだと自分では思う――に押されて、先生は一瞬だけ何かを考えているような表情になる。
それを見て、私は続けた。

「……先生は、父が昔海で溺れて母に助けられた話をご存じですね」
「ああ。俺もその場にいたからな」
そうだ。あれは競馬学校のサマーキャンプでの出来事だったらしい。今は行き先も変わってしまったが、30年以上前には、サマーキャンプは福島県東部の海岸で行われていたのだ。
「私も、あの海で溺れたことがあるんです」
「あの海って……同じ海でか?」
「ええ。子供の頃は夏休みに毎年連れていかれましたから。想い出の場所だとかの理由で、私が喜ぶからではなかったんですけどね」
と口を少しだけ尖らせてから、話を進める。
「溺れたのは10歳くらいのときでした。助けてくれたのは父でした。母は何もしてくれませんでした」
「しかし、お前のお袋が水恐怖症だってことは知ってるだろう? 情けない話だが、俺も今のお前くらいの年までカナヅチだったから、よほどのことがない限り水には近づきたくないって気持ちはわか……あっ」
長瀬先生は、やっと私の言いたいことに気付いたらしかった。
「……そういうことなんです。母にとっては、父が溺れたのは『よほどのこと』で、私が溺れたのはそうではなかったんです。人はみんな私に『もっと母親を大事にしろ』と言いますが、こういう私にそんなことができるとお思いですか?」
「……」
先生が沈黙する。――が、それは「言い負けた」というのではなく、慎重に言葉を選ぶタイプの沈黙に思えた。
そしてその通り、少ししてから先生は静かに口にした。

「……なぜ、お前は怒っている?」

「怒ってなんかいません」
私は考える前に答えたが、考えなしに出した言葉が勝利をつかんだ試しはない。それは今回も例外ではなかったようだ。
「自分にウソをつくな。ここへ来たときから騎乗馬の件でふくれていただろう。お前も認めたじゃないか」
「……おっしゃる通りです」
「まあいい。それよりお前は、『愛』の対義語は『憎しみ』じゃなくて『無関心』だという話を知っているか?」
「はい……?」
「知らないか。つまり、騎乗馬がどうとか昔は寂しかったとかで不満を覚える間は、まだお前はお袋を完璧に嫌っちゃいないってことだ。本当に顔も見たくないほどお袋のことが嫌いなら、篠崎厩舎まで抗議に行ったりはしないはずだからな」
「……」
今度は私が黙る番だった。言い返そうにも、反撃の糸口が見つからない。
「嫌っていないなら、いずれはわかり合える。もちろんお前はもう大人だから、親を頼って生きろというわけじゃないが、友達のような……あるいは先輩と後輩のような関係を築けたら素晴らしいとは思わないか?」
長瀬先生の話を聞いて真っ先に浮かんだのは、僚と伸おじさんだった。彼らはそういう関係の親子だ。
幼少期には両親よりも彼らを見ている時間の方が長かった私は、3人の中で自分だけが彼らとは異質な存在――つまり「他人」だということに、情けなくショックを受けたりもしたものだった。どうして私は伸おじさんの子じゃないのかしら……と。およそ子供らしくない考えではあるが、事実なのだから仕方がない。
それならば、私も自分の親に「おじさんみたいにして」とでも言えばよかったのかもしれない。それをしなかったのは、その時点ですでに「自分の親に愛情を求めても無駄だ」ということに気付いていたからなんだろうか。
……いずれにしても、遠い話だ。
そして今は、悲しい話だとも思う……。

――そのとき、私のバッグの中で携帯が鳴った。
「失礼いたします」
私は長瀬先生に一言断り、携帯を出した。
ディスプレイ表示を見ると、五十嵐先生らしい。ロマネスクの乗り替わりの件と見て間違いない。
今さら私に何の用なの……そうも思ったが、放っておくわけにももちろんいかない。

「はい」
『ああ、真奈か? ……実は、真理子が厩舎の階段から落ちたそうだ』
「えっ!」
――私は、何とも表現し難い気持ちになった。無理に言うなら、心の中から大きな何かが抜けていったような――。
『知らなかったのか。彼女は篠崎厩舎の階段で足を滑らせて転げ落ちたらしい。今、診療所から連絡が来た』
「それで……大丈夫なんですか?」
『君は、真理子の様子なんかどうでもいいんじゃなかったのか?』
五十嵐先生はそんなことを言う。
「つまらない意地を張っている場合ではないでしょう。私にはそれを知る権利があるはずです」
私がそう返すと、先生は「うむ……」とつぶやいてからおっしゃった。
『残念だが……君が残念と思うかどうかは別として、右足を捻挫して何週間か馬に乗れない状態だそうだ。ロマネスクに彼女を乗せるプランも、白紙に戻さざるを得ない』
「そうですか……」
一瞬、まさか私のためにわざと階段から落ちてケガを……などという考えが浮かんだが、母どころか、例え私を愛してくれる人がいたとしても、そこまではしないだろう。タイミングがいいのか悪いのか、母は不慮の事故に遭ったわけだ。
『ともかく、仕方がない。ロマネスクの鞍上は今まで通り君で行くことにしたよ。真理子がそうしろとうるさかったからな』
「母が……?」
『ああ。彼女に怒られてしまったよ。『真奈のお手馬に乗れなんて、例え私が無事でも、そんな申し出は絶対に受けられません』とな』
……それは母の本心なのだろうか。それとも篠崎厩舎で私が邪推した通り、父に押されてそう言っただけなのだろうか。私は測りかねた。
「先生」
しかし、自分がそれを五十嵐先生に聞けないことだけはわかっていた。
「先生は、母がどう言おうと私は乗せないとおっしゃいましたよね。それなのに、なぜまた私を指名されるのですか? 母でも私でもない騎手に依頼するという方法もあったはずでしょう。私はそれを覚悟していたんですが」
仕方なく、次に気になっていたことを聞く。
『……実は、君を乗せろと言ったのは真理子だけじゃないんだ』
「父ですか?」
『剛士もそうだが、僚もだ。君が来たすぐ後に彼が来て、それについて真剣に抗議していった』
「僚まで……」
『私は彼のような、自分には何のメリットもなくても善意だけで動ける人間が好きだ。だから君を乗せることを承諾した』
おかしな気持ちだ。まるで、心を直接つかまれたような……。
「ありがとうございます」
再びロマネスクに乗せてくれた五十嵐先生にお礼を言っていなかったことを思い出し、私は頭を下げた。
『お礼なら真理子と剛士と僚に言いたまえ。きっかけを作ったのは彼らであって、私ではない』
「わかりました」
私は、まっすぐに答えた。

「どうした。何かあったのか?」
携帯を切ったあと、長瀬先生がたずねてきた。
「五十嵐先生からでした。母が階段から落ちて足を捻挫して、何週間か騎乗できなくなったようです」
「そうか……。それで、有馬の騎乗馬が返ってきたと」
「はい」
「喜んでないな」
「……私だって、そこまで非人道的ではありません」
「言ってみただけだ。わかっているさ」
先生は苦笑いした。私も、ほんの少しだけ笑って言った。
「でも、喜んでいる部分もありますよ」
「どこだ」
「両親と僚が、私を乗せてくれと五十嵐先生に頼んでくれたらしいんです」
「それが、お前の喜びか」
「……とは思いたくないんですけど。でも私、ちょっと母の様子を見に行ってみようかと思います」
今は、本当にそういう気持ちになっていた。
「よし、行ってこい」
長瀬先生は腕組みをしたまま、私を励ましてくださった。

 

 

……篠崎厩舎へ向かいながら、私は考えていた。

少しずつ、わかってきた。
反発してみせれば、少しは私を気にかけてくれるかもしれない……。
親に……特に母にはあまり構ってもらえなかった幼い私は、そんな風に考えていたのだろう。
かつての父が弱さで人の気を引こうとしたように。
そして、悔しいことに、その子供っぽい思いは現在でも続いていたらしい。

確かに私の両親は、世間一般の父親母親と比べて子供に対する関心が薄かったかもしれない。
しかし、反発の連続では事態は好転しないことに、私はもっと早く気付くべきだったのだ。
親商売には向いていなかったとしても、仕事の上でならいい仲間になれる可能性もある。
大人ならば、そういう考え方もできる。

「親子」という言葉を改めて前面に押し出すには、私は大きくなりすぎた。
でも、例え水面下で眠らせておくにしても、その関係は一生変わらない。
今さら何ができるかわからないけど、意味もなく避けてまわるのだけはやめておこう。
向こうだって、私を憎んでいるわけじゃないんだから――。

 

 

ここを曲がれば篠崎厩舎、という角で、僚と伸おじさんに出会った。おそらく母のお見舞いに来てくれた帰りなのだろう。
「お、真奈。おばさんのケガのこと、知ってるか?」
「知ってるわよ。顔出すかどうかはまだ決めてないけど」
……どうして、こんなことを言っちゃうのかしら。どうも僚の顔を見ると調子が狂うわ。
少しの自己嫌悪にさいなまれていると、伸おじさんが言った。
「真奈ちゃん。行ってあげるといい。子供に優しくされて喜ばない親はいないんだ。君だって、親の笑った顔を見るのは嫌いじゃないだろう? それが『親子』っていうものなんだから」
おじさんの言葉には、深みと説得力があった。
「え……ええ。わかりました。おじさんがそうおっしゃるのでしたら。失礼いたします」
何となく恥ずかしくなって、私はそれだけ言って頭を下げ、足早に厩舎の方へと去った。

 

 

ノックはせずに、入口のドアを開ける。
「真奈!」
母は両側に松葉杖を従え、右足首に包帯を巻いて、大仲部屋の椅子に座っていた。隣に座る父も、顔を上げて私を見つける。
「……ちょっと、大丈夫かなって思ったから来てみたの」
長い年月は、なかなか私を素直にはしてくれない。まっすぐに「大丈夫?」と聞くことはできなかった。
それを自覚していた私は、せめてその穴を埋めようと、母の隣まで歩いていって、父とは反対側に座った。
「ん……あんまり大丈夫じゃないみたい。でも、来てくれてありがとう」
母は笑った――のだと思う。真横にいると表情がよく見えない。……私が見ようとしなかったからかもしれないけど。

「五十嵐さんから連絡が来たのか?」
父が言った。
「うん」
「そうか……。本当は真理子がこうなった時点でお前に真っ先に報告するべきだったけど、何だか火に油を注ぐみたいで、黙っているしかできなかったんだ。すまない」
言われてみればそうだ。私は五十嵐先生からじゃなくて診療所からの直接の連絡を受けるべき立場だったはずだ。
しかし、それに文句をつけることは、私にはできない。そういう形に持っていっていたのは、他ならないこの私自身なのだから。
「いいから、謝らないで。私はロマネスクさえ返してもらえればそれでいいの」
……どうしても口を尖らせてしまう。習慣というのは恐ろしいものだ。
「ゴールドロマネスク、また乗れることになったんだろう?」
「なったわ。お母さんとお父さんと……僚が頼んでくれたおかげでね」
「僚くんもか。さっきここにも来たけど……外で会ったか?」
「ええ。……あらやだ。私、僚にお礼言うの忘れちゃった」
「あとで必ず言っておきなさい」
「はい」
その気持ちは本物だ。

「とにかく、有馬はがんばってね。もう私の時代じゃないわ。これからはあなたの時代よ」
母が左手で私の背中をたたく。
私は声を出さず、うなずいてそれに答えた。
世代のバトンタッチ――。
そんな言葉が頭に浮かんだところで、私は不意に気付いた。

――本当に親が嫌いならば、騎手になろうと考えたはずはない。
きっと私も、心のどこか奥深くでは――父や母を尊敬し、同じようになりたいと願っていたのだろう。
その結果が、今ここにいる「騎手・篠崎真奈」なのだ。

僚は、伸おじさんのためにG1を勝ちたいと望んでいる。
その気持ちも、少しだけならわかる気がする。
G1を勝てないままに引退した父と、今もなお現役ながらG1には縁がない母。
私が今度の有馬を勝てば、僚が勝ったときの伸おじさんほどではないかもしれないけど、ふたりとも喜んでくれると思う。
それは、私にとってもいやな話ではない。

伸おじさんの言った通り、それが「親子」というものなのだから。

 

 

親子

(エンディング No.4)

キーワード……ょ


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