――私は、寺西厩舎にあったパソコンを借りて例のCDロムを立ち上げ、伸おじさんにすべてを話した。
さすがのおじさんも、その「日記」を見た瞬間は驚きを隠せなかった。
が、一番戸惑っているのが私だということをわかってくれたのか、つとめて冷静でいようとしてくれた。
私には、その気持ちが嬉しかった。
「真理子ちゃんも長瀬も、絶対こんなことできる人じゃない。心配しなくていいよ」
私の話を聞き終えると、伸おじさんはすぐにそう言ってくれた。
「でも……」
「気休めで言ってるんじゃないよ。長瀬には昔から、こういう風に自分の願望を小説みたいな形で残す習慣があるんだ。このCDが長瀬の机の引き出しに大事にしまわれていた物なら、これもそのひとつだって可能性は充分だ」
長瀬先生が物書きだということは私も知っている。彼が書いて出版した自伝も持っていて、何度も何度も読んだ。そこには、必死に仕事と向き合っている男には女は必要ない――そんなことも書かれていたのを覚えている。
しかし……。
「では、長瀬先生は昔から……それも私が生まれた頃から、母のことを? そんな風には全然感じませんでしたけど」
「真理子ちゃんはいい人だよ。真奈ちゃんは反抗心を持っているみたいだけど、憧れてたやつは多いんじゃないかな」
「そうですか……?」
信じ難い話だった。父がなぜ母のような女を選んだのか、それは私の中における七不思議のひとつだったのに。
「でも、もしこの日記が本当のことなら、母も長瀬先生も父を裏切ったことに……」
「大丈夫だ。これは真実じゃない。少なくとも、真理子ちゃんと長瀬がこんな関係に走ったってことは絶対にない」
伸おじさんの言葉は、本当に100%の確信を持っているように聞こえた。
「なぜそんなことがおじさんにわかるんですか? 本当のことを知っているのは母と先生だけで、おじさんは想像しかできないはずなのに」
私が少々意地悪っぽく言うと、おじさんは答えた。
「彼女は昔から君の父さんだけに夢中で、他の男には目もくれなかったからさ」
言われてみれば、母は父を大切にするあまり娘まで放っておくような人だ。そんな母がこんな過去を持つとは考えにくい。
しかし――それでもまだ、不安は拭えなかった。
もしその「父を大切にする」態度も、真実を悟られないための演技だったとしたら?
……私は、意外なほど取り乱している自分に気付いた。自分はいったいどこから来たのか――今まで当たり前だと思っていたことの信憑性が揺らぐのが、これほどまでに落ち着かないものだとは。
「どうしても信じられないなら、調べてみようか?」
ふと、伸おじさんは静かにつぶやいた。
「調べるって……」
「DNA鑑定だよ。病院に知り合いがいて、誰にも内緒でやってくれるよ。今はすぐ結果も出るし、直接それを見ることもできる」
……。
「鑑定をしてもらう」ということが何を意味するのかは、私にもわかっていた。それは、真実と引き換えに信頼を棄てることなのだ。いくら自分の母親が嫌いだからといって、果たして娘が選んでもいい道だろうか?
――だが、そうでもして真実を明らかにしない限り、この問題はこれから一生私を苦しめ続けるだろう。
私は親不孝な娘だ。それは今に限ったことではない。
それならば……。
「……わかりました。お願いできますか?」
私は言った。
「よし。じゃあ、まかせておくといい」
伸おじさんは無表情で答えた。……感情豊かな彼が無表情になるときには、大抵はそれなりの理由がある。きっと彼は、鑑定を勧めてはみたものの、私にうなずいてほしくはなかったのだろう。
だが、もう遅い。歯車は動き出してしまったのだ。
2日後。
私は伸おじさんと一緒にお忍びで病院へ出かけ、鑑定を受けた。
「ブラシについているのをこっそり取る」というありがちな方法で手に入れた、両親と長瀬先生の髪の毛。それに自分の髪の毛を添えて差し出す。
おじさんが同情心から結果を偽ったりしないように、私もすぐそばで鑑定の行方を見守る……。
――そして、結果が出た。
私は、確かに篠崎剛士と真理子の間に生まれた子供だった。
長瀬先生は、完全な他人だった――。
「よかった……」
それが第一声だったことを、私はどう受け止めていいのかわからなかった。
「これで気がすんだだろう?」
「はい……」
勝手なもので、結果がわかってしまうと、急に情けなさと申し訳なさが込み上げてくる。
なぜ、こんな簡単なことさえ信じられなかったんだろう。
なぜ、あんな身近な人たちを信じることさえできなかったんだろう……。
そんな気持ちを引きずったまま、私は長瀬厩舎へ帰ってきた。
「お帰り。どこ行ってたの?」
相変わらず「家事手伝い」をしているきっかさんと、机の前に座って書類を眺めている長瀬先生……。
「先生……」
私は、彼の前にゆっくり歩いていった。
「どうした……真奈?」
彼が不思議そうに私を呼ぶ中、私は彼の隣にひざまずき、彼の膝の上に両手を置いて突っ伏した。
「信じられなくて、ごめんなさい……」
「おい……いったい何があったんだ?」
「理由は聞かないでください……」
「……わかったよ。わかったから、泣くな」
泣いてなんかいなかったのに、長瀬先生がそうおっしゃって私の頭を軽くたたくと――誰にも見えない場所で、涙が一粒だけ落ちた。
遠い昔に母に恋をして、50歳を前にしても独身のままでいる先生。
問題を招くからと、その想いを20年以上も自分だけの世界に押し込め続けている先生。
そんな彼の孤独を垣間見てしまった「篠崎真理子の娘」に、ただひとつできることは――。
「先生……私は、ずっと先生のおそばにおります。決して離れていきはしません」
私は、生まれて初めて、自分が篠崎剛士と真理子の娘であることに誇りを持った。
そして、母には愛することのできなかったこの人を――。
遠い恋
(エンディング No.10)
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