父に聞いてみようと思い、私は篠崎厩舎をたずねた。

……大仲部屋には父だけがいた。幸い、母はどこかへ出ているらしい。
「真奈か。よく来たね」
「篠崎先生、おたずねしたいことがあります。お聞かせ願えませんでしょうか」
厩舎をたずねるときは、親子ではなく調教師と騎手。それが私たちの間の取り決めだった。本当は月曜日だけはそれを守らなくてもいい日なのだが、なるべく母の顔を見たくない私は月曜日にはまったくここへ来なかったので、父もそんな話はもう忘れているだろう。
「今日は月曜日だよ。もうちょっと楽にしなさい」
――覚えていた。父を疑うとは、申し訳ないことをしたものだ。
「ごめんなさい」
「いや、構わないよ。それで、聞きたいことっていうのは?」
父が聞く。私は父の向かいに座り、たずねた。
「……東屋先生について教えてほしいの。獣医の東屋隆二先生」
「隆二先生? なんでそんなことが知りたいんだ? 理由次第では教えてもいいけど」
さすがにしたたかだ。安易に話したりせず理由にこだわるあたり、我ながら自分の父親だなと思う。
「わかったわ」

――私は、父に事情のすべてを話した。
最近障害レースで多発している出走馬の故障が、八百長によるものではと考えたこと。
犠牲馬を調べたら、共通項は東屋先生だけだったこと。
だから、東屋先生が何らかの形で関わっているのではと推理して、周辺調査をしていること……。
父は感情的にはならないタイプだ。いくら東屋先生が自分のお師匠様の息子でも、真実をはっきり答えてくれるはずだ。

「隆二先生は、そんなことは絶対にしない」
が、父は深く考えることもなく、すぐにそう答えた。
「絶対に? どうしてそう言い切れるの?」
母じゃないんだから、妙にかばったりはしないでほしい。
「彼は確かに少々変わり者だけど、そんなことに手を貸しはしないよ」
「だから、その理由を聞いてるんだけど」
「犯罪行為にはリスクがつきものだ。相当のメリットがなければ協力なんかしない。普通、メリットといえば金だけど、彼はそういった俗物には興味のない人だからね。八百長のために裏工作をする暇があったら、自分がやりたい研究をするさ。その気質は東屋一族みんな同じだ。まあ、中には気の毒な過去と深い悲しみを持つ人もいるが……少なくともそれは隆二先生じゃない。あまり確信のないことで人を疑うもんじゃないよ」

「そう……そうね」
筋が通った父の説明に、私は納得してしまった。
反論の余地は、もはやどこにもない。

「馬の故障の件については、ぼくもそれなりに考えていたことがあるんだけど、聞くか?」
父はそう話を振ってきた。
「ええ、聞くわ」
私は静かにうなずいた。
「そうか。……最近は医療技術も進歩した。ちょっとした故障くらいなら問題なく治せるようになって、全体的な事故の件数は、ぼくが現役でジョッキーをやっていた頃とは比べ物にならないくらい減った。それはもちろんいいことだ。……だけど、それに甘えて、馬の管理に手を抜く調教師が増えたように感じるんだ。いくら壊しても簡単に直るってわかってたら、大事に扱おうって気は失せるだろう? それなんじゃないかと思う。その反動が、平地よりも脚に負担のかかる障害レースで一気に出ているんじゃないかな」
「それも時代の流れなのよね。仕方ないと思うわ」
私はそう考えていた。
しかし、父は落ち着いた声で答えたのだった。
「それで人がケガをしては、もっと仕方がないだろう」
……まったくその通りだ。
「この一件は、人間の知性の敗北だな。ぼくはそう思っているよ。ぼくにできるのは、厩舎の馬たちをなるべく大事にして、事故の発生を抑えることだけだ。その地道な努力がいずれは勝利を呼ぶ。そう信じて生きていくしかない……」

……父は、ため息をついた。
私も、大きく息を吐き出していた。

東屋先生への疑いは晴れたが、一連の事故は、本当に単なる不幸なめぐり合わせにすぎないのだろうか――。

何かが引っかかるまま、私の調査は終わってしまった。

 

 

知性の敗北

(エンディング No.18)

キーワード……ま


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