私は、トレセンの内情に詳しい、南ブロック担当のトラックマン・田倉翔太さんの力を借りてみることにした。
月曜日のこの時間なら、新しい情報を求めてトレセンの中を歩きまわっているはずだ。携帯を鳴らして呼んでみよう。
……。
『はい田倉です。真奈ちゃん? 今日は何を教えてくれるんだ?』
決して軽い人ではないが、そう聞こえてしまいそうな口調で、田倉さんは出てきた。
「すみません。今日は私が教えるのではなく、私の方がおたずねしたいのです」
『いいよ。で、何が聞きたいのかな』
「最近問題になっている、障害レースでの故障の多発です。田倉さんには、あれが人為的なものだとは思えませんか?」
『人為的? それはまたどうして』
さすがに唐突すぎたようだ。田倉さんの声は疑問につながる。
「馬を自由自在に故障させる方法があって、誰かが八百長目的か何かでそれを使っているのではと考えた私は、被害馬たちについて少し調べてみたんです。そうしたら、彼らの関係者に共通する人物がただひとりだけいたんですよ」
『それは……』
「獣医の東屋隆二先生です。もし彼が、この一件に一枚かんでいたとすれば……」
そんな当て推量で話を進めるな――物事を客観的に見る田倉さんだから、そう返してくると思っていた。
しかし。
『……その説、ありそうな気がするな』
「本気ですか!?」
思わず大声を上げる私。
『自分で意見を出しておいてそれはないだろう』
「……すみません」
『まあ、いいよ。とにかく、俺が考えたのは、あの人は研究熱心……というか研究にしか興味がないから、もし八百長目的のヤクザか誰かに研究費を出すって言われたら、成り行きで承諾しちゃうかもしれないなってことだ』
「なるほど。動機は一応ある、ということですね」
『しかし、動機だけじゃ証拠にも何にもならない。それに、馬を自由自在に故障させる方法って、そんなのがあるものかな』
……それが一番の問題なのだ。
「そうですね……」
『でも、少なくとも俺たちにはふたつの手がかりがある』
「手がかり?」
私は携帯に向かって身を乗り出すようにたずねた。
『ひとつは事故が障害レースに限定されていること。もうひとつは故障馬がみんな人気を背負っていたということさ』
「つまり……今度の障害で人気になりそうで、かつ東屋先生のお世話になったことのある馬を調べれば?」
『冴えてるな、その通りさ……ん、ちょっと待ってくれ』
その条件に、データベースのような田倉さんの知識が素早く反応したようだった。
『サンシャインは?』
「あ……!」
本来なら私の方が先に思いつかなければならない名前だった。
サンシャイン――長瀬厩舎所属の牡の6歳馬。3歳の頃には菊花賞にも出走した、長距離型の実力馬だ。今年の春から障害を使い始め、2回連続で2着に入って、そろそろ障害初勝利かというところで骨折。東屋先生の手術を受け、しばらく休養していたが、2ヶ月ほど前に厩舎に帰ってきた。そろそろ本格的な調教に入っていて、年明けにもレースに復帰の予定だ。骨折前の成績から、休み明けでもそれなりの人気にはなるだろう。
「すみません、すぐに出てこなくて」
『俺に謝る必要はない。それより……』
田倉さんは静かに続けた。
『どうだ。その話を長瀬先生にするのを、俺にまかせてはくれないか?』
「田倉さんがですか?」
『ああ。君が言うには立場的に問題があるだろう。俺なら、これこれこういう情報があったから心の奥にでも留めておいてください、って気軽に言うこともできるからね。その後どうするかは長瀬先生次第だけど』
「わかりました。おまかせします」
私はそう決めた。自分の立場云々よりも、トラックマンの田倉さんの方が「不確かな情報」を口にしても違和感がないと考えたからだ。長瀬先生は馬を第一に考える優秀な調教師でいらっしゃるから、きっと話をしっかりお聞きになり、最善の方法を選んでくださるだろう。
――そして。
当て推量も時には奇跡を起こす、と私は思った。
田倉さんの話を聞いた長瀬先生は、万が一のことを心配して、東屋先生ではない別の獣医のところへサンシャインを連れていった。
そしてレントゲンを撮ると――骨折していた箇所に異物が写ったのだ。
馬主さんに許可をもらって手術でその異物を取り出すと、それこそが「馬を人為的に骨折させる」ための装置だった。
この話はまたたく間にトレセンを駆けめぐり、一斉に調べたところ、東屋先生の手術を受けた馬すべてから同じ装置が発見された。
あまりにも悲惨な話なので、その装置がどういう仕組みだったかは言わないが、ともかくそれで東屋先生犯人説は証明され、彼は逮捕された。
さらに周辺の調査を進めていくと、これまた私の思った通り、背後には八百長目的の暴力団がいて、東屋先生は彼らから報酬をもらって事件を起こしていたのだった。
障害レースで穴馬券を多く買い、人気のある馬が勝ちそうになったら東屋先生が故障させる――という方法で、暴力団は多額の払い戻しを受けていたらしい。狙いを障害レースに限定したのは、障害を飛越する際に故障させれば怪しまれないからだ。
装置が仕込まれていた馬は、なんとトレセン全所属馬の約3分の1。これだけいれば、ほぼ思った通りの馬券を手にすることができる。
当たり馬券の数だけ、馬の命を犠牲にして。
やりきれないムードの中、事件は解決した。
が、ただひとつ残ってしまった謎がある。
東屋先生がこんな手段を取ってまで報酬に飛びついた理由だ。
どうも田倉さんによると、東屋先生は研究費以外にも多額のお金を必要としていたらしい。が、借金があったわけでもなく、誰かに脅迫されていた事実もなかったというのだ。
父の話では、東屋先生は「お金に目の色を変える」ようなタイプでは決してないという。
それならば、いったい東屋先生はなぜ……?
東屋先生は、競馬界そのものの破壊を招きかねない、許されざる罪を犯した。それは間違いないし、彼の味方をする気もまったくない。
だが――彼が何を考えていたのか、私は気になって仕方がなかった。
気にしたところで、答えなど永遠に出るわけはないが――。
当て推量
(エンディング No.20)
キーワード……い