――篠崎厩舎の大仲部屋をたずねると、父はまだ落ち込んでいた。
それを母が懸命に慰めているところへ、私は踏み込む形になった。
「あら、真奈。何かご用?」
「……」
私は答えずに父の前に歩いていき、その向かいに座った。

「今日は騎手としてではなく、娘として質問をするわ。……やっぱり、やるせない気持ち?」
「ああ」
父は上目づかいに私の方を見て、そして短く答えた。
「……そうよね。当たり前のこと聞いてごめんなさい」
東屋先生は父のお師匠様の息子で、父は昔から彼をよく知っている。獣医としても頼りになる人だといつも言っていた。それが――ふたを開けてみれば、父の管理する馬たちからも例の「爆破装置」が発見されたのだ。信頼を裏切られた父は、さぞ悲しいに違いない。
だが。

「違うんだ、真奈。ぼくがこんな状態なのは、自分の管理馬が隆二先生にどうこうされてたためだけじゃない」
父は私の心を読み、しっかり顔を上げて私を見た。そして、続ける。
「ただ、隆二先生が気の毒で……」
「気の毒?」
私は疑問系の声を出してしまった。少なくとも私には、多数の馬を故意に死に追いやり、また多数の馬にそのための準備を仕込んでいた東屋先生に対して、そんな気持ちは微塵も感じられなかったからだ。これは私に限った話では決してないだろう。
「……ぼくは、彼がそんな不正に手を染めてまで大金を欲しがっていた理由に、心当たりがあるんだ」
「えっ!」
目を見開いた私に、父は少しだけ身を乗り出して聞いた。
「真奈。お前は、東屋雄一先生の厩舎にぼくの後輩に当たる騎手がいたことを覚えているか?」
「えーと……うっすらとだけど」
父が現役を引退して調教師に転身したのは、私が小学校に入った年。それ以前となると私は幼稚園で、記憶はどうしても曖昧だ。が、あの頃の東屋厩舎に、父より立場が下の男性がいたことは覚えている。
「いたんだよ。8年後輩の男が。ちょっとした事情があって、ぼくと同時に……まだ26か27で引退に追い込まれたんだけど」
ちょっとした事情、というのが気になった。中央競馬の騎手などは数が限られているのだから、どんなに早々と引退したとしても、せめてトレセンの中くらいでは話が残り、完全に忘れられることはないはずだ。それなのに、誰もその騎手の話をしないし、私も名前すら知らない――それは、大人たちがその名前をもみ消そうとし、それを私も子供心で感じ取って、知らず知らずのうちに敬遠していたからではないのか。
「彼が巻き込まれた騒ぎで間接的に傷ついたのが、隆二先生だ。おそらく彼は、そのときの傷を埋めるために金を必要としていたんだと思う。詳しい話をするのは、ちょっと気が引けるが……」

「いいわ、話さなくて」
――気付いたときには、私はそう言っていた。
「いいのか……? お前なら、残った謎を解明するためにって絶対聞きたがると思ったんだけど」
父はそこまで私の心を読んでいた。しかし、私でも自分で予測のつかない方向へ気持ちが転がることはあるものだ。
「だって、お父さん……話すのすごくつらそうだもの。いくら私だって、自分の知識欲のために誰かをそんな風になんてできないわ」
「真奈……」
「……やっぱり、あなたは本当は心の優しい子だわ」
横から母が言った。途端に反発心が燃え上がる。
「お母さんにそんなこと言われたくないわよ」
が、母は穏やかに続けたのだった。
「私が言っても言わなくても、本質は変わらないのよ。だって真奈、理屈ではここへ来る必要なんかなかったのに、来てくれたじゃない。お父さんが落ち込んでるのを知ってて、放っておけなかったんでしょ?」
「それは……」
「それに、もっと言えば、今回の事件だって本来はあなたとは何の関係もないものだったのに、レイラちゃんのために一生懸命調べて、ついに解決にまで導いたんじゃない」

「……」
私は返せなかった。
返さないというのは、自分が優しいと認めることでもある。そんなことはあってはならないのに――それでも、適当な言葉は出なかった。

「ありがとう、真奈」
父が、私に向かって微笑んだ。
「お父さん……」
「でも、危ないことはしないでくれよ。お前はぼくたちの、たったひとりの娘なんだから」
「よしてよ、そんなこと言うの。今さらって感じがするわ」
私は顔を背けた。

でも――嬉しかった。
それが、私の本当の気持ちだった。

とにかく、事件は解決した。
ただひとつ残った謎の答えは、父だけが知っていればいい。

明日からは、また元気に歩き出そう。

 

 

本当の気持ち

(エンディング No.24)

キーワード……じ


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