私は、香先生にラッピングしてもらったケーキを持って、再び病院を訪れた。

……泰明くんがいた。
そして、レイラは眠っていた。

「あら、泰明くん。どうしたの?」
「彼女の服の洗濯を引き受けて、それができたから持ってきたんだ。君は?」
「ケーキを焼いたから、レイラに持ってきたの」
「君が?」
――それは、彼でなくても違和感を覚えるだろう。
「ええ。実は……さっき、障害レースの故障の多さは人為的なものなんじゃないかって話をしていたでしょう? あれについてちょっと調べようとしたら、めぐりめぐってケーキを焼くはめになったのよ」
私は苦笑しながら説明した。
「それは……ずいぶんと話がねじ曲がったものだね」
泰明くんも細く笑った。
「でしょう。お店のみたいにはいかないけど、それでもレイラは喜ぶかなって思ったの。……でも、寝てるわね」
「昼間からよく寝られるよね。ぼく、30分くらいここにいるけど、来たときから寝てたんだよ」
しょうがないな、といった感じで泰明くんは笑う。
「30分も? レイラに何か用があるの? それで自然に起きるのを待ってるとか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
私の言葉を聞くと、泰明くんは笑みを飲み込んで真顔になった。
そして、言った。

「……ここにいたいんだ」

「好きなのね?」
彼には少々意地悪な質問だったかもしれないが、私は聞いていた。
彼は黙ってうなずき、それから小さな声で言った。
「……ぼくは彼女に必要とされたいし、彼女のために生きていたい。ただそばにおいておけば便利なだけの男じゃなくて、本当の意味で彼女の力になれる存在でありたい。それは彼女が決めることで、ぼくには決められないけど、気持ちは止められなくて……気がついたときにはいつも、こうして黙ってそばにいるんだ。情けないよね」

――私は、持っていたケーキの箱を泰明くんに差し出した。
「これ、あなたにあげるわ」
「え? だって、あの……ぼくはこういうの苦手だし……」
「あなたが食べるんじゃないの。レイラが起きたら、これはあなたが持ってきたことにしなさいよ。彼女だって、私からもらうよりあなたからもらう方が絶対嬉しいはずよ。ね?」
私は微笑んだ。その方が私もすっきりするし、ケーキにも「お見舞い」以上の意味がつく。
しかし、泰明くんはしっかりと首を横に振った。
「それはしない。一番大事な人をだまし続けるのはいやだから」
「……そう? そういうものなの?」
どうも私にはわからない。
「そうだよ」
「でも、恋は駆け引きだとかよく言わない?」
「ぼくは、それは間違っていると思う。自分を有利にするために他人を利用したって、上手くいくはずなんかないよ。長所も短所も一緒にぶちまけた自分を好きになってもらえるのが『本物』。それでなきゃ意味はない。例えその結果、片想いに終わってもね」
難しい話だ――。

「……ぼくは帰るよ。ずっとここにいたら、何かストーカーみたいな気分になってきた」
泰明くんは、神妙な顔をして椅子から立ち上がった。
「君がいる間にレイラが起きても、ぼくが30分もここに居座っていたことなんか言わなくていいからね」
「わかったわ」
「それじゃ、また明日」
「また明日ね」

泰明くんは、ここにいた時間の長さが信じられないほどに、すぐに病室を出ていった。
静寂の中にドアの閉まる音が響くと、私の胸には、何か言いしれない影のようなものが落ちた気がした。

――と、そのとき。

「泰明、帰った?」
レイラの瞳と口が開かれた。

「レイラ! あなた……」
「まったく、30分も無言で座ってるだけなんてさ。寝たふりしてるあたしの身にもなってよね」
ケロッとした顔で、レイラはいたずらっぽく笑った。
「いつから起きてたの?」
「泰明が来たときからずっとだよ。あいつ、よく馬に話しかけたりしてんじゃん? だから、寝てるあたしにも何か話しかけてくるかなって思って待ってたのに、話しかけてこないわ帰らないわで、おかげでずーっとここで固まってたんだから。あーもう、落ち着かないなあ」
レイラは1ヶ所にじっとしていられないタイプだ。それはさぞつらい30分だっただろう。
「大変だったわね」
それでも私は、なるべく優しく言った。ずっと起きていたなら、レイラも泰明くんと私の会話を聞いていたことになる。彼女だっていやな気持ちはしていないはずだ。
「はい、ケーキよ。残念ながら、作ったのは泰明くんじゃなくて私だけど」
私は、例のケーキの箱をレイラに差し出した。
「サンキュー。あー、この中身がどんなケーキなのか、ずっと気になってたんだ」
レイラは笑って箱に飛びついた。

「……あなた、何とも思わないの?」
箱の中に一緒に入っていたフォークでケーキを崩しているレイラを見ながら、私はたずねた。
「何がさ」
「泰明くんのことよ」
私はがらでもなく口を尖らせた。これで何とも思わなかったら、いくら何でも泰明くんが気の毒だ。
すると、レイラはぼやきながら答えた。
「……まあ、あたしなりに思うところもあるよ。だけどあいつ、あたしには何も言ってくれないんだもん。さっきの話だって、あんた相手に、しかもあたしが寝てると思ったからしたわけで、あたしひとりじゃ絶対あんなこと言ってくれない。そのへんがちょっとね」
よかった。
私は人の心を読むのは苦手だが、少なくともレイラは、彼の言葉を喜んではいるらしい。
「あ、でも感謝してるよ。あいつにも、あんたにもね。これ、結構いけるじゃん」

……色気より食い気、ね。
私はそんな言葉を思い出して、そっと苦笑いした。

 

 

愛と友情

(エンディング No.30)

キーワード……ま


読むのをやめる