私は、泰明くんを1階の売店近くのロビーまで連れてきて、詳しい話を聞いた。
「……稔さんのことは、前々から知ってた。レイラのこと、本当に好きで……レイラも彼のこと好きで……だから中に入れなかったんだ」
「もしかして、昨日もここまでは来てたのに、そのとき彼が病室にいたから入れなかっただけなの?」
「そうだよ。幸せな時間の邪魔はできないよ」
泰明くんは皮肉めいた笑みを浮かべた。
……それを見て、私は言わずにはいられなかった。
「本当に、そうなの?」
「本当にって?」
「私は人の気持ちを読むのは苦手だけど、あなたも本当はレイラのことが好きで、他の男の人が彼女につきっきりなのがショックで入れなかったとか、そういうことはないの?」
少し失礼な言い方だったかもしれない。
が、泰明くんは気にすることもなく答えた。
「レイラのことは好きだよ。すごく好きだ……。だけど、自分の気持ちを押しつけちゃいけない。彼女に恋人がいたり、ぼくに好意を持っててくれなかったりしたら、この気持ちは気付かれたら迷惑になる」
「迷惑になるなんて、そんな……」
「君だって、全然意識してなかった男にいきなり『好きだ』って言われたら困るだろ?」
「それは……そうね」
「そう。だからぼくは、彼女に好きだって言わないし、何も望まないんだよ。積極的に近づきたい気持ちはあるし、勇気がないわけでもないけど、それがベストとは限らないって話」
私は初恋さえ未経験の女だからよくはわからないが、理屈は通っていると思った。
ただ、さっきの泰明くんの表情。
そして、レイラの心……。
泰明くんにジェラシーはなさそうだが、彼の心にはまだ自分の理解しえない感情があるように、私には思えた。
「ぼくの言いたいことはわかったよね」
「ええ……」
「それじゃ、ぼくはここで帰らせてもらうよ。これ……頼まれていた洗濯物。洗濯したからって、彼女に返しておいてくれないかな」
泰明くんは手提げ袋を私に差し出した。これを私が受け取ったら、彼は本当に帰ってしまうだろう。
だが、それではまずい……どこか本能的な部分で私はそう感じていた。
「私はやらないわよ。自分が引き受けたことは自分で果たしなさい」
だから私は、少々厳しいかなといった口調で言った。
しかし――泰明くんは苦しそうにうつむき、絞り出すようにつぶやいたのだった。
「頼む、引き受けてくれ。そうじゃないとぼくは……どうにかなっちゃいそうだ」
「だめよ! 自分で責任を持ちなさい!」
「帰らせてくれ!」
「あっ、泰明くん!」
泰明くんは手提げを椅子の上に置いたまま立ち上がり、玄関から外へ走り出ていってしまった。
「待って!」
私も慌てて外に飛び出し、玄関から数メートルのところで彼の腕を捕まえた。
そのとき。
「泰明!」
突然、後ろの頭上から声がした。
泰明くんが振り返ったのを確認したタイミングで私も振り返り、見上げると――2階の窓のひとつが開き、そこの窓枠にレイラが手をかけて、私たちを懸命に呼び止めていた。あそこはレイラの病室らしい。
「なんで黙って帰んのよ! 来てたんならなんで顔出してくれないのさ……痛っ!」
「レイラ?」
私が呼びかけると同時に、レイラはバランスを崩して窓際に倒れた……。
「危ないじゃないか! 足がそんな状態なのに……」
稔さんの声が、ここまで聞こえてきた――。
――その直後のことだった。
「レイラ!!」
泰明くんが私の手を振りほどき、叫びながら病院の玄関から再び中へと駆け込んだのだ!
彼の心情の変化についていけないまま、私も歩いて院内に入った。
そして、ロビーの椅子の上に置きっぱなしだった手提げを持ち、レイラの病室へと戻った。
病室では、飛んできた看護婦と一緒に、泰明くんと稔さんがレイラをベッドの上に戻していた。
看護婦が医者を呼びに行くと、稔さんは小さく言ったのだった。
「……君の気持ちがわかったよ。俺、片想いだったみたいだな……」
その声は寂しそうだった。いや、実際に寂しかったのだろう。
「稔、あんた……」
「いいさ。引き際は心得てるつもりだ。今後は彼と一緒にゲーセンにゲームでもやりに来てくれればいいよ。それじゃ、な」
ここにいた時間の長さに反比例して、意外なほどあっさり、稔さんは病室を出ていった……。
「……いったい、何があったの?」
3人だけになると、私はレイラに聞いた。
「あたし……泰明遅いなって思って、稔に手を貸してもらってベッドから立ったんだ。そんでそこの窓を開けた瞬間、下にあんたと泰明が見えた。泰明が帰ろうとしてるんだってわかったら、何か……わかんないけど帰らないでほしくって、思わず身を乗り出して叫んじゃった」
「あなたは?」
今度は泰明くんに聞く。
「ぼくは……レイラが倒れて、稔さんが『危ないじゃないか』って叫んだとき、彼女がまた足のどこかを折ったんじゃないかと思って、もしそうならぼくのせいだと思って、それで……」
「バカ!」
レイラは寝たまま、泰明くんの手を思いっきりひっぱたいた。手が届けば、頬にビンタをしていたのだろう。
「あんたのせいに決まってんじゃん! あんた……あたしがあんたのこと、どんだけ待ってたと思ってんの!」
「待ってたって……午前中に1回来たのに」
「そうじゃないよ! あんたがひとりで……自分からあたしのとこに来てくれんのを……」
「だって、稔さんが……」
……それを言われるのは、レイラもつらかったのだろう。
「泰明、あたし……」
おそらくは、彼を試したことを謝りたかったのだと思う。
が、それは言葉にならず、代わりにレイラの瞳からは涙が……。
「……泣かないで」
泰明くんはブルゾンのポケットから水色のハンカチを出し、レイラの頬を拭った。
レイラは差し出された彼の腕をつかみ、さらに泣いた……。
――私は、無言のまま例の手提げだけを置いて病室を出た。
どうもこういうシーンには免疫がないのだ。
でも……。
レイラは窓から身を乗り出した。
泰明くんは、あれだけ帰りたがっていたのに、一転してここに戻ってきた。
理性を超えた衝動――。
いつか、私にもわかる日が来るのだろうか。
来てほしい。
私は素直にそう思って、少しだけ笑顔になった。
衝動
(エンディング No.36)
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