「渡しちゃだめ! 早く撃って!」
「黙れ!」
私の叫びは、サングラスの大声に押し込められた。
……僚も、おそらくは闘っていたのだろう。
私を殺すか、自分が死ぬかで。
だが――前者はまだそうならない可能性もあるが、後者はほぼ確実にそうなってしまう。
だから僚、私になんか構わないで、早くこいつを撃つ方を選んで。
例えその弾が私に当たっても、私はあなたを恨まない。
例えその弾がこいつに当たって、あなたが殺人者呼ばわりされたとしても、私は一生あなたのそばにいるわ――。
ところが。
僚は静かに銃を下ろし、それを無造作に私たちの足元に放り投げた――。
「僚!」
私は、その選択を非難しようかとも思って叫んだ。
しかし――僚の優しい視線を感じると、それもできなくなってしまった。
「いいんだ。……さあ、真奈を返してもらおうか」
そして僚は、落ち着いた低い声で言った。
「いいだろう」
私は解放され、僚の方へ突き飛ばされた。
――私の震える体は、僚のたくましい腕に受け止められ、しっかりと抱きしめられた。
だが。
「思う存分いちゃついておけ。どうせ、お前らに未来はないんだ」
「何!?」
私の体勢からは見えないが、僚の叫びと重なって、背中の方からカチャッという音がした。
「おい、何をする!」
「俺は、こいつを渡せば女を返すとは言ったが、お前らを無事ですますと言った覚えはない」
――最悪の想像が今、現実になろうとしていた――。
「この野郎……」
僚は私を背中にかばい、サングラスに向けて低く小さい声を飛ばした。
私は、僚を横に突き飛ばすかどうかして、自分が銃弾を浴びるべきなのだろう。
しかし、私と体格がほとんど変わらないはずの彼なのに、今ばかりはやけにその背中が大きく見え、それに安心したかのように、私の腕は動いてくれなかった……。
「負け犬の遠吠えは見苦しいものだな」
「遠吠えする気なんかない。撃てるもんなら撃ってみろ!」
……僚! そんなことを言っちゃだめ!
「言ったな。では、望みを叶えてやる」
僚……。
僚……。
――心で何度も名前をつぶやくうちに、その瞬間はやってきてしまった。
突然、大音響とともに、サングラスの銃が炎を吹いた――。
「僚――!!」
――瞬時に、視界が真っ暗になった。
そしてその中に、どういうわけか、白鳥の羽毛のようなものがいくつもいくつも舞った――。
……あれは、天使の翼だろうか。
それとも、砕け散った魂のかけらだろうか。
あるいは、こんなときにならなければ流れなかった、私の涙――。
……。
……どれくらい経っただろう。
私は、病院のベッドで目覚めた。
「僚……」
私の第一声は、それだった。そう言わなければならなかったし、それ以外にはなかった。
そして、その名前を口にしただけで、涙がとめどなくあふれた……。
「真奈!」
横から私を呼んだ声は……。
「お父さん……お母さん……」
両親だった。父も母も、手に持ったハンカチをくしゃくしゃにして目を真っ赤にし、憔悴しきっていた。
父はともかく、母まで私を……。
でも、母だって知っているはずだ。私が、誰よりも大切な人を亡くしてしまったことを。私は目覚めても、彼はもう二度と目覚めないのだと――。
そんなことを考え、どうしても意地悪な気持ちになってしまう。
「よかった……。絶対目が覚めるって信じてたけど、でも……よかった……」
母の声は、途切れ途切れだった。
……こんな親不孝娘のことを、そんなに心配してくれていたの?
「ぼくはみんなに連絡してくる!」
父が叫び、慌ただしく病室を飛び出していく。
「みんなって……」
自分から母に話しかけたのなんて、何年ぶりだろう。でも今は、無性にそうしたかった。
「ああ、真奈! もう遅いから帰ってもらったけど、さっきまでみんな、外であなたの目が覚めるのを待っていたのよ」
窓の外は真っ暗だった。病室の時計は、もう夜中の12時に近い時間だ。
「誰が、いたの……?」
怖い質問だ……。
「長瀬くんに片山くん、あなたのお友達もみんな。僚くんなんか、ずっと待合室を歩きまわって、少しもじっとしてなかったんだから」
……!!
「僚!? ねえ、今、僚って言ったわよね! 彼……無事なの!?」
私は掛け布団の端を握りしめ、母に詰め寄った。
「ええ、無事よ。……あの犯人に撃たれたんだけど、運のいいことに弾が外れたのよ。それがわかった瞬間に犯人に飛びかかって捕まえたんですって。勇気のある子よね」
「僚……僚、生きてるのね。また会えるのね。よかった……」
嬉しいはずなのに、私は笑顔にはなれず、また泣いた。でも、少しも情けないとは思わなかった。ただ、今の笑顔の分の幸せは僚の命を救うために使われたんだと考えて、それに感謝するばかりだった……。
父が戻ってきた。
「お父さん……」
「みんな、お前が目覚めたことを聞いてほっとしていたよ。中には、いいって言ったのにこれからここまで来るって言い張った人もいた」
「え……」
「僚くんだよ。嬉しいか?」
父は――いや、僚は、もしやという予感を的中させてくれた。
「……うん」
私は微笑んで、静かにうなずいた。
……その通り、僚はほどなくして、真夜中にも関わらず本当に来てくれた。
「よう、真奈!」
「僚……!!」
生きている……。
その元気な姿の、何と頼もしかったことか。
その動きひとつひとつの、何と愛おしかったことか――。
私は、恥も外聞もなく感情のすべてをはじけさせ、大声で彼に泣きついた……。
――そして、翌日の朝。
私はすっかり元気を取り戻していた。気絶したのは僚を殺されたと思い込んだことから来るショックで、体の方には異常はなかった。明日の朝には退院できるそうだ。
ただ、精神的ショックを考慮して、今週のレース騎乗は見合わせることになった。当然(?)ロマネスクは母が乗ることに正式に決定し、どうにも皮肉な結末になったが、今なら母に譲るのもいいかなと思える。
そんな私のもとに、ともに闘った「仲間たち」がお見舞いに来てくれた。
僚、レイラ、泰明くん、花梨ちゃんの4人だ。
彼らは、私の見ていないところで何があったのかを、正確に説明してくれた。
人質の女たちが裏口から飛び出したとき、そこには僚と泰明くんが来てくれていた。
が、いつまで経っても私が出てこないので、心配になった泰明くんが裏口から中へ飛び込んだ。
彼は例の階段の下まで来て、縛られたリーゼントと一緒に、私のスリッパの片方を見つけた。それで彼は私が捕まったことを悟り、裏口へ引き返して、そのことをみんなに伝えた。
そう聞いて動いたのが僚だ。慌てて裏口から中へ飛び込み、ある人物の協力を得て、私を助けるために上の階からホールに侵入したそうだ。その「ある人物の協力」については誰からも詳しく話されなかったが、おそらくは彼が投げたナイフや使った催涙スプレー、手錠などを提供した人物がいるのだと思われる。するとその人は、人質になっていたときにレイラが言っていた「ミリタリーマニア」だろうか。
――ともかく、そうして僚は私を助けに来てくれた。
サングラスの一撃が外れてからは、母が言っていた通り、僚があいつに飛びかかって銃を撃たせないようにしてくれたそうだ。同時に玄関からは警官隊が突入してきて、サングラスを含む犯人グループ4人兄弟を全員逮捕。事件は無事に解決した。
私としては、せめてあの末妹だけは逃がしてあげたい気持ちだったが――。
ちなみに、警察が用意していたのとは全然違う脱出作戦や救出作戦を勝手に試みた僚たち4人は、後で警官隊に怒られたそうだ(結果的に事件を解決に導いたので、それほどひどくではなかったようだが)。怒られずにすんだのは、気絶して病院送りになっていた私だけ。それを聞いて、申し訳ないと思いつつも、少々笑ってしまったりした。
平和なのはいいものだ……。
「……とにかく、ここにいるみんなの協力があって事件が解決したのは事実なのよね」
元気なところを見せようと、私はいつも通りの口調で言った。
「ええ。僚さんの勇気と、真奈さんの知恵と」
花梨ちゃんが微笑む。
「あと、レイラな。あれは本当に役に立った。サンキュー」
「え……何のこと?」
僚の言葉に、レイラはたずね返した。……私にもわからない。役に立った……あの末妹に変装したことだろうか。
「わかった、わかった。約束だ、忘れてやるよ」
余計にわからなくなった。いったい、僚とレイラの間に何があったというのだろう。「約束」って……。
……そんなことが気になるなんて、私らしくもないわ。
「他には、花梨ちゃんね。あんなにケンカが強いなんて知らなかったわ。あなた、格闘技の経験か何かあるの?」
その気持ちをごまかすために、私は花梨ちゃんに下手な質問をした。確かに彼女もそれなりに強かったが、やはりあのリーゼントは弱すぎる。あれなら私が立ち向かっていても勝っていただろうことは、想像に難くない。
「ええ、一応は……。でも、もう棄てた過去なの。お願いだから、あまり聞かないでくださいませね」
花梨ちゃんはいたずらっぽい笑顔をみんなに向け、その「過去」を消し去るように――あるいは懐かしむようにか――そっと瞳を閉じた。
「みんな、それぞれに活躍したんだよね……」
そのとき、泰明くんが小さい声でつぶやいた。……そういえば私は、彼の活躍らしい活躍は何も知らない。
「お前だって活躍したじゃないか。そもそも、一番最初に『自力で人質救出作戦を展開しよう』って言い出したのはお前なんだからさ」
と僚。人質にされていたときレイラも「たぶんそうだろう」みたいなことを言っていたが、それは本当だったようだ。
しかし、それだけなら確かに「活躍」としては弱いかもしれない……。
「泰明、あんた、本当のこと言っちゃいなよ」
すると、レイラがそう言って泰明くんを肘で数回つついた。
「え? 何のこと……?」
「……あーあ。こいつ、全然自覚してないの。しょうがない、あたしが言うか」
レイラはぼやいたかと思うと、途端に満面の笑顔になり、まるで自分の活躍を語るかのように話し出した。
「実はさ、今回の一番の功労者って、泰明かもしれないんだ」
「え……?」
僚が声を出して目を見開く。花梨ちゃんは不思議そうな表情だ。そして、私もその言葉の意味を測りかねていた。
「僚、あんたはあのサングラスに撃たれたけど無事だったよね。あれ、あいつがミスったせいだと思う?」
「そうじゃないのか?」
まさか違うのか、という風に僚が聞く。口には出さなかったが、同じ疑問は私も抱いていた。
「違うんだ。あれ、最初っから空砲だったんだよね。だから、誰が撃ったって当たるわけないの」
「空砲? 泰明がそうしたってのか? いつ、どうやって……?」
まったくの初耳だ。それは僚も同じらしく、質問を連発している。
「それは本人から聞きな」
レイラはまた泰明くんを肘でつつく。
「泰明、教えてくれ。知りたい」
僚が聞くと、泰明くんは照れながら説明を始めた。
「いや……真奈ちゃんが出てこなくて、ぼくが裏口から中へ飛び込んだだろう。例の階段の下で真奈ちゃんのスリッパと縛られたリーゼントを見つけたんだけど、そこに一緒に、今では珍しい回転式の銃がひとつ落ちてたんだ。最初にやつらが乱入してきたとき、リーゼントが天井に向けて1発撃っただろう? あのときのリーゼントの銃はオートマティック拳銃で、ついでにちらりと見たらスキンヘッドのは回転式だった。だから、これはそこで気絶しているリーゼントの銃じゃなくてスキンヘッドのだ。そうすると真奈ちゃんを拉致したのはスキンヘッドで、そいつが落としていったんだ。やつはいずれ気付いて探しに来るだろう――そう考えたんだ。だからぼくは、とっさに弾だけ抜いて空砲にして、元通りそこに落としておいたんだよ。拾って自分の武器にしたところで撃てるとは思えなかったから、せめて空砲にしたのをあいつらの手に渡らせるくらいのことはしておこうと思って」
「なるほど! 偉いぞ、泰明! 確かに、今回の一番の功労者はお前だ!」
僚は大げさなほどに泰明くんをほめた。
私も心から彼に感謝した。何よりも、彼がそうしてくれたおかげで、僚がこうして生きているんだから。
それにしても……。
銃の種類を気に留めていたこと。
ただ単に弾丸を外すだけでなく、火薬を残して「空砲」にする知識を持っていたこと。
それをレイラだけが知っていたこと――。
いろいろ考え合わせると、やはり例の「ミリタリーマニア」は泰明くんだったとしか思えない。イメージに合わないから隠していたのだろうか。
「泰明さんってすごいんですね。銃の構造にお詳しいようには見えませんでしたけど」
案の定というか、花梨ちゃんが聞くと、泰明くんは大慌てに慌てた。
「あ、それは……実は、ぼくの友達にその方面にすごく詳しい人がいて、その人に教わった知識だったんだ」
みんなそれがごまかしだと気付いたのか、笑っていた。
「……ともかく、これでやっとすべての謎が解決ね」
私は言った。僚とレイラの「約束」がまだ謎として残っているが……まあ、それはどうでもいいだろう。
「まだだ。お前が元気になって、それでようやく任務完了さ」
すると、僚はそう答えて、私の乱れていた掛け毛布を首のところまで引き上げてくれた。
「ありがとう」
またこうして彼にお礼を言えることが、私はたまらなく嬉しかった。
昔は頼りないただのおせっかいだったのに、いつからこんなに素敵な男性になっちゃったのかしら。
それとも――私の方がどこか変わったのかな。
退院したら、一度ふたりだけでどこかに遊びに行きたいとお願いしてみよう――そんなことを、私は考えていた。
生きているって、素晴らしい。
私は今、それを何よりも強く感じていた。
任務完了
(エンディング No.42)
キーワード……と