「そういえば……」
「何かあるんですね!?」
私がその内容を話す前に、花梨ちゃんは身を乗り出して聞いてきた。
「ええ。私の部屋には、有線の電話があるの」
「有線の電話?」
「だから、電波で飛ばすんじゃなくて、電話線でつながっている電話よ。もう一般的じゃなくなって長いけど、私は好みで部屋に置いてあるのよ」
「でも、電話は使えないんでしょ? センサーが作動するから」
「やつらは『電波がセンサーに引っかかる』と言っただけよ。線でつながった電話ならば、きっとセンサーに感知されないで外に連絡できるわ!」
私は、そうであってほしいという願いも込めて言った。
「そうですね! 考えてみれば、今だって外からこの建物の中まで電気が来てるのに、センサーは作動してませんもの!」
「そうよ!」
今度は、私が明るい声を出した。こういうときは花梨ちゃんの方が冴えているのかもしれない。
「じゃあ、早速やってみましょう!」

 

 

私と花梨ちゃんは、そのまま4階にあった私の部屋に入った。
――今では姿を見ることも珍しくなった、旧式の電話。ナンバーディスプレイの機能は壊れてしまっているが、今は電話として使えればいい。

恐る恐る受話器を上げ、ふたり一緒に耳に近づける。
ツーというキャリア音が聞こえる。アラームは鳴らない――。
「大丈夫、使えますよ!」
花梨ちゃんが受話器から耳を離し、目を輝かせた。
「じゃあ、かけるわ。まずは警察でいいわね?」
私は聞いた。本当は僚の携帯にでもかけたい気持ちだったが、そんな私用に使っている暇はない。
「はい!」
花梨ちゃんの答えを聞くと、私は番号を「110」と押した。

……。

『はい、こちら110番。どうなさいました?』
つながったわ!
「美浦トレセンの独身寮が、武装集団に乗っ取られているんです!」
『その事件でしたら、すでに警官隊が急行しています。もう到着する頃と思われます』
相手の女性オペレーターは呑気に言った。……私の方が説明不足だったようだ。
「実は私、その独身寮で人質となっている中のひとりなんです! 内部の様子をお教えします!」
『えっ! それは……ただちに警官隊の者に転送します!』
オペレーターが機械を操作し、その音と彼女から警官隊への説明が私に伝わってきたと思うと――。

『もしもし! あなたは人質のひとりだとのことですが……!』
警察というより軍隊の一員といった感じの鋭い男声が、受話器の向こうから飛んできた。
「はい! 篠崎真奈と申します! 寮の4階、自分の部屋にいます!」
『篠崎さん……内部の様子を伝えてくださるとのことですが、内部は今、どうなっていますか? 落ち着いて話してください』
警官に従って、私は冷静に事態の説明を試みた。

「……まず、寮の周囲は完全に高性能のセンサーで囲まれています。人や物や電波が触れるとアラームが鳴り、もしそうなったら、人質全員を殺すと犯人グループは言っています」
『何!? しかし……それではこの電話は……』
「これは、私が個人的好みで引いている有線電話です。これで話す分には問題ないようです」
『そうか。不幸中の幸いだ……。あ、失礼しました。続きをお願いします』
「人質は全部で9人です。自由に建物の中を歩いていいと言われたので、私以外の人が今どこにいるか正確には不明です。……私が寮内を歩いて少し調べたところ、そのセンサーを切る装置は裏口の横にあるようです。しかしそこには、犯人グループのひとりである女が陣取っていて、センサーを切りに行くことはできそうにありません」
『犯人グループには女がいるんですか』
「はい。どうやら犯人は4人組のようです。私が調べた時点での位置は、玄関にサングラスの男、玄関ホールの階段下にスキンヘッドの男、裏口近くの階段下にリーゼントの男、そして裏口の横に女です。おそらくリーダー格のサングラスの男は玄関で交渉相手を待っていて、残りの3人は見張りなので、今も4人とも移動していないと思われます」
『それがわかれば充分だ! ありがとう!』
警官は私にそう言うと、少し受話器を外して、そばにいた誰かに何かを伝えた。
その内容は聞こえてこなかったが、耳をそばだてていると、やがて電話に戻ってきて告げた。

『篠崎さん。それでは、もう少しご協力願えませんか?』
「はい、もちろんです」
当然だ。
『今あなたがいらっしゃる部屋に、何とかして人質全員を集めてほしいんです。集めたら、鍵をかけるかドアにバリケードを造るかして開かなくしてください。それが完了したら、またその電話で私の携帯を鳴らしてください。番号は……』
警官は番号を読み上げた。私はそれをメモし、こちらからも読み上げて確認した。
『人質を全員そこに集めたとの連絡があなたから入ったら、我々は建物に強行突入します。人質に危害が及ばないとわかっていれば、すぐにでもそれができますから』
なるほど、光が見えてきたわ!
「わかりました。では人質を集めます」
『お願いします!』

私は電話を切ると、花梨ちゃんにその内容を話した。
「真奈さん、すごーい!」
「すごいって……役に立ったのは私じゃなくてこの電話よ」
そう言いながらも、私もこれを愛用していてよかったと思った。大事にしていれば応えてくれる、その典型的な例かもしれない。
「それよりも、すぐにでもここにみんなを集めましょう。花梨ちゃんは4階と3階を見てまわって。私はその下を見に行くわ」
「あ、私が下を担当します。あの連中がうろついていて危ないですから」
やはり私が下を……と言おうとしてやめた。今は役割分担などでもめている場合ではない。
「わかったわ。じゃあ、よろしくね」
「はい!」

 

 

――私はまず4階をまわり、部屋に閉じこもっていた5人に事情を話して自分の部屋まで連れてきた。
4階だけで残り7人のうち5人もいたのは、別に不思議な話ではない。女性の部屋はすべて4階だ。こんな事態なら自分の部屋に閉じこもるのが一番安全だとは、誰もが考えることだろう。私や花梨ちゃんは特殊なケースだったらしい。
レイラは部屋にいなかった。彼女もまた特殊のようだ。

3階は無人だった。
2階より下には、花梨ちゃんとレイラともうひとりがいるはずだ。思いがけなく時間が余ったので、私も下へ行こう――そう思ってホールへ続く方の階段を下りていくと、2階に着いたところでその3人とぶつかった。
「あ、真奈さん! 下にはこのおふたりしかいなかったんですが……」
「いいの。もう私の部屋には残り5人がいるわ。みんな4階の自分の部屋にいたんだもの」
「情けないなあ。あたしなんか、あのスキンヘッドの上に電気スタンドでも落としてやろうかって考えてたのに」
「……レイラ、実力行使に出るのがベストとは限らないのよ」
「はいはい、わかったよ。こんな状態とはさっさとおさらばしたいもんだ。籠城作戦でも何でもやってやるよ」
ぶつくさ言いながらもどこか安心したような顔で、レイラは私たちについてきた。

 

 

9人が私の部屋に集合した。私はすぐにドアに鍵をかけると、部屋の電話を取り、さっきの警官の携帯を鳴らした。
『はい!』
「篠崎です。人質を全員私の部屋に集めました」
『了解しました! あなたの部屋は4階のどこですか?』
「ホールにある階段を4階まで上って5つめです。外に私の名前が書いてあります」
『では、犯人グループにその部屋に入られる危険を回避するため、合言葉を決めましょう。誰かがドアをノックしたら、必ず『誰ですか?』と聞いてください。我々はそれに『大迷惑!』と答えますので、そうしたら開けてください』
「大迷惑……」
それはまたすごい合言葉だ。が、普通の人が思いつかないような言葉でないと合言葉としては機能しないのだろう。
「わかりました」
『では、警官隊が突入します! いずれまた!』
警官はそれだけ残して一方的に電話を切った。

私と花梨ちゃんとレイラ、その他にも好奇心の強い数人が、窓ガラス越しに玄関の前を見た。
――警官隊の突入が始まっていた。
周囲には野次馬が大量に集まっている。その中には私の両親や長瀬先生、そして僚や泰明くんの姿もあった。
僚も泰明くんも被害者なんだから、逃げればいいのに……私はそんなことを考えていた。
でも、あそこでずっと事態を見守り続けてくれていたことを、嬉しくも思った。

「……意外に静かですね。銃声でも聞こえてくることを覚悟してたんですけど」
花梨ちゃんがぽつりとつぶやいた。
「警官隊が入ったからって、必ず銃撃戦になるっていうわけじゃないわ。警官隊の方が盾を持ってたり防弾チョッキを着てたりして、犯人たちの方にその用意がなかったとしたら、連中だってむやみに撃ちはしないはずよ」
「そういうことさ。あと、仮に銃撃戦になってても、サイレンサーがついてんのかもしれないしね」
女の部屋には似合わない物騒な会話だ。早く解決して平和な空気を取り戻してほしいものだわ――そう思ったときだった。

突然、ドアが物々しくノックされた。
「どなたですか?」
私はドアの前に行くと、言われた通りに相手を確認した。
「大迷惑!」
来たわ……!
私は鍵を外し、ドアを開けた……。

「無事だったようですね」
そこには、銃と盾で武装したひとりの警官が立って、にっこり笑っていた。
「あなたが……お電話の相手の方ですか?」
「はい。犯人は4人とも逮捕しました。もう大丈夫です」
警官が言うと、私の後ろで何人かが安堵のため息をつくのが聞こえた。
「ありがとうございます。助かりましたわ」
嬉しくてか、私は思わず彼に握手を求めてしまった。
これで解決だわ――。

 

 

警官に先導されて私たち9人が外に出ると、野次馬(というのは聞こえが悪いから、見守っていた人、と言うべきかしら)の中から何人かが飛び出してきて、それぞれに関係のある人質のもとへ飛んできた。
レイラのところには泰明くんと五十嵐先生、先輩の女性騎手。花梨ちゃんのところにはお師匠様の先生。そして私のところには――両親と長瀬先生、僚が来てくれた。

「真奈……!」
らしくもない涙をぼろぼろこぼしたのは母だ。昔から何があっても泣かないことを自慢にしてたのに――やっぱり心の底では私のことを大事に思っていてくれたのかしら。
「お前……よく助かったよな。悪運強いよな」
憎まれ口のようなものを言いながらも、僚は感無量といった顔で私に笑いかけた。
「ええ、助かっちゃったわ。残念ながら」
「そんなこと言うもんじゃない。お前が助からなくて喜ぶやつがいるとでもと思うのか?」
父が静かに言った。見ると、父も手に白いハンカチを持っている。
もしかしたら私は、自分が思うよりずっと、両親に愛されていたのかもしれない――。

「あの警官に聞いたけどさ、お前、自分の部屋の電話で警察にかけたんだって? それで内部の様子を教えたとか」
と僚。
「そうよ。骨董品の電話だったけど、まさかこんな形で役に立つ日が来るなんてね。文字通り、電波にはない『ライフライン』だったわ」
「ちょっと気になるんだけど、その電話使ったのっていつ頃だ?」
「……なんだ僚、妙なことを気にするやつだな」
今まで何も言わずに私の頭をなでていた長瀬先生が、僚に聞いた。確かに……。
「あなたたちが解放されて、30分くらい経った頃かしら。廊下でぼんやりしていたら花梨ちゃんが近づいてきて、『脱出作戦を考えているから、部屋に使えるものがない?』って聞いてきて……それで思い出したの」
「なんだ、それじゃだめだ」
「……どういうこと?」
疑問は聞く、これが私のモットーだ。
「いや、実は俺、解放されて10分くらいでそれに気付いてあの電話鳴らしたんだ。でも、誰も出なかったからさ」
「本当!?」
「俺がウソついたことなんてあるか?」
……ない。昔から、頭に別の2文字がつくほどの正直者だった僚。
「だけど……なんでよりによって普段使わない部屋の電話なんか鳴らしたの?」
「連中の前で携帯鳴ったらやばいだろ。……あの警官にセンサーの存在聞いたとき、冷や汗もんだったぜ。もしそこまで頭まわってなかったら、俺、お前らを危険にさらしてたんだなって。勝手なことしてごめんな」
「……いいの。ありがとう。それと……今まで頭悪いとかいろいろ言ってごめんなさい」
ため息をつきながら、私は僚に深く謝った。

 

 

私は今まで、自分が比較的頭のいい人間だということを、ある意味で自慢にもしていたかもしれない。
でも……私の頭などは今回、結果的に何の役にも立たなかった。
私たちを助けてくれたのは、古いライフラインと、周囲の協力だ。

人は誰しも、周囲とつながっている。
たったひとりで生きることなど、できはしないのだ。

 

 

ライフライン

(エンディング No.48)

キーワード……い


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