「ごめんね、ちょっと思い当たらないわ」
「そうですか……。すみません、お騒がせしました」
それだけ言って、花梨ちゃんは近くの階段からさっさと下の階へ下りていってしまった。ひとつでも多くの心当たりに賭けてみたいのだろう。

 

 

脱出作戦――。
花梨ちゃんが行ってから、私はその言葉を胸の中で繰り返していた。

大丈夫なのだろうか。
……大丈夫であるはずがない。相手は銃を持っているのだ。下手に逃亡など試みようものなら、背中を蜂の巣にされて当然だ。例え人質9人のうち8人が無事で逃げられたとしても、ひとりでもそんな目に遭ってしまうことは、当然許されない。
やはり、花梨ちゃんを止めるべきだったのか。
私はそう考え始めていた。

……あれからもう、30分ほどが経っている。
今、彼女は何をしているのだろう。
まともに考えれば、いくつかのパターンが浮かぶ。

今でも手段を探しまわっているパターン。
あきらめておとなしくしていることを選んだパターン。
何かしらの方法を考えついて、その準備を進めているパターン――。
建物の内部は静かだから、最悪のシナリオを迎えてしまったということはないが、時間が過ぎれば過ぎるほどその危険性が上がるのは顕著だ。

止めよう!
私はそう決断して、さっき彼女が下りていった階段を続いて駆け下りた。
彼女がどこにいるかはわからない。とにかく彼女を見かけた人を探して、行方を追うしかない。

 

 

――が。

「何をバタバタしている」
焦って駆け下りているうちに、勢い余って1階のホールまで出てしまった。階段に座っているスキンヘッドが、振り返って私を見つける。
「あ、いえ……人を探してるの」
情けなくもしどろもどろに答える。
「人? ……お前、何か企んでるんじゃないだろうな」
「……」
「そんなことしてみろ。ただじゃおかないぞ」
スキンヘッドは私に銃を突きつけた。……確かに、ただじゃおかないらしい。
「な……何もしないわよ。間違って来ちゃっただけ。好きで来たわけじゃないわ。失礼」
逆らわない方がいいが、卑屈になるのもプライドが許さない。私はそう残して再び階段を上ろうとした。

 

 

そのときだった。

 

 

「動くな!!」

裏口へ続く廊下の方から男声の叫びがとどろいたかと思うと、リーゼントと女が並んでやってきた。
が――どうも様子が変だ。ふたりとも銃やマシンガンを持っていない上に、生気のない顔をしている。どうも叫んだのはリーゼントではなさそうだ。
「貴様……誰だ! いったいどこから……」
破壊された入口ドアの前に立ち、交渉相手を待っていたらしいサングラスが、そっちを向いて慌てる。私のすぐ前のスキンヘッドも顔を上げる。
リーゼントと女がゆっくり前に出ると――事態がようやく飲み込めた。
あのふたりの後ろで、また別の軍服姿の男が、拳銃を二刀流で持ってふたりの背中に押しつけているのだ。私たちの味方なのは間違いない。
短く刈られた髪は金髪だが、肌の色などからして明らかに日本人だ。染めているのだろう。表面が銀に輝くタイプのサングラスをかけ、顔を隠している。ホールに出てくるまでその存在が見えなかったのは、ふたりより背が低いからだった。リーゼントはともかく、女より低い男などそうはいない。

……僚?

私はそう直感した。あの服や銃をどこから調達したかはわからないが、背の高さやさっきの叫び声からして無理な推理ではない。
が、最大の疑問が残る。サングラスも気にしている通り、いったいどこからここへ入ってきたのだろう。
裏口の方から来たが、あそこから入ったなら当然センサーが作動しているはずだ……。

「くだらねーな。貴様らみたいな腐った野郎どもなんかにゃわかんねー世界から来たとだけ言っとこうか。……おい、そこのスキンヘッド野郎。こいつらの命が惜しけりゃ、後ろの女から銃をそらせ」
謎の男性がすごみの利いた声でこっちに言う。
……リーゼントと女は泣きそうになっている。それを見たのか、スキンヘッドは黙って私から銃口をそらした。
「よし。じゃあ、両方とも黙って正面玄関から出てお縄になりな。逆らうんじゃねーぞ!」
男性に言われて、ようやく私は外の警官隊に気付いた。彼らもホールの中をのぞき込んでその異常事態に目を白黒させている。どうもこの男性は、警察の人間というわけでもなさそうだ。
すると、やはり僚……。
普段の彼にはこんな恰好のいいイメージはないが、いざとなれば頼りになるんだわ……。
思いがけないヒーローの登場に、私はほっとしてそんなことを考えた。

サングラスとスキンヘッドは無抵抗に正面玄関から出ていき、待ち構えていた警官隊によって逮捕された。
僚(?)はリーゼントと女も背中の銃で押して玄関まで歩かせ、そのふたりも捕まった。
事件は、無事解決したようだ――。
私は思わずその場で力が抜け、足を滑らせて、玄関ホールの床まで階段を5段ほど落ちてしまった。
すると。

「……真奈! 大丈夫かー!!」

その声は、遠くから聞こえた。
……僚!?
私は顔を上げた。――紛れもなく、さっきと同じ服の僚が、ガラスの破片も気にせずに正面玄関から飛び込んでくる。
玄関のすぐ横には、まだあの軍服姿の小柄な男性が――。

じゃあ……じゃあ、あれはいったい誰……?

「僚……」
「しっかりしろ。ほら」
僚の手を借りて床から起き上がりながらも、私の視線は、突如現れて危機を救ってくれた「ヒーロー」の方に釘付けになっていた。
「あ、ありがとう……」
「おいおい、他のやつの方を向きながら礼を言うことはないだろ」
僚は皮肉めいた笑いを浮かべたが、それでも気にしないわけにはいかなかった。
「……しかし、あいつ誰なんだ? 敵じゃないよな」
「それがわからないのよ」
私の声が聞こえたのか聞こえないのか、ヒーローは持っていたふたつの銃を無造作に床に放り投げた。安っぽい音がした。
「なんだ、本物じゃないのか」
と僚。
「みたいね」
私は僚に答えると、自分の疑問に耐えられなくなって、ヒーローの方へと歩いていった。かばうように、僚がさっと私の前に立つ。

「あなた……ありがとう。でも、あなたはいったい誰?」
「名乗るほどのもんじゃねーさ。あばよ」
私がそっとたずねると、ヒーローは金に染めた髪に小さな手をくぐらせ、私たちに背を向けた。
しかし。
「……なんてかっこよく消えたいところですけど、あれだけ警察がいちゃそうもいきませんよね」
突然口調が変わったかと思うと、ヒーローはそのサングラスを一気に取り去り、再び私たちに向き直った――。

 

 

「花梨ちゃん!!」

なんと、サングラスの下から出てきた顔は、間違えようのない花梨ちゃんだった。
「か、花梨なのか……!?」
僚の方は、服と髪型にだまされたのか、顔を見てもわからなかったようだ。
「ええ、確かに。僚さん、驚いちゃいました?」
「そりゃあ、お前……どこから見ても男だぜ、その恰好は」
……もしかして僚、花梨ちゃんが本来は男性だっていうことまで忘れているんじゃないかしら。

「それより花梨ちゃん……あなた、これってどういうことなの? 詳しく説明してちょうだい」
「どうって、とある人の部屋からこのミリタリーグッズを借りて変装して、リーゼントの男と裏口の女をエアガンで脅してホールまで押してっただけですよ。脱出作戦を考えてるって言いましたでしょう? その結論がこの方法だったんです」
「危ねーなあ……」
「まったくよ。私、やっぱり脱出作戦を練るのなんてやめなさいって言おうとして、あなたを探していたのよ」
「ああ、それで私がホールまで来たとき、スキンヘッドの後ろにいたんですか」
花梨ちゃんはまったく懲りていないようだ。
「そんな問題じゃないだろ」
「結果オーライですよ。お気に入りの髪を切らなきゃいけなかったのは悲しいけど、みんなが助かるためなら仕方ないですもの」
と言って、花梨ちゃんは異様に短くなった髪をつまんで寂しそうに笑った。

「……危なかったのは事実だけど、感謝してるわ。私たちのヒーロー」
私は花梨ちゃんに笑いかけた。
「ありがとう。本当のところを言うと、ちょっと心配だったんです。あんなしゃべり方するの久々だったから」
「久々って……じゃあお前、昔はあんな男だったってのか!?」
「ええ。中学の頃まで、毎日あんなこと言いながら学校や街を歩きまわってました。いわばあれは、私の中に潜んでるもうひとつの人格『浅霧直哉』って感じですね」
「……信じらんねー」
空気でも抜けたように、僚が小さくもらす。
私も意外だった。花梨ちゃんは自分が「ニューハーフ」になった理由を決して誰にも話そうとはしないが、その真相はもしかしたらこのあたりにあるのかもしれない。
「でも、久しぶりに『直哉』に戻ってみて、こっちも結構楽しいかなって思っちゃいました。髪も切っちゃったことだし、これをきっかけにまた男に戻ろうかしら」
「やめとけ」
僚が言った。
「え? なんでですか?」
「お前、もうそのしゃべりが板についてるだろ。男に戻ってもそれだったら気持ち悪い」
「あら」
花梨ちゃんは慌てて口を押さえた。どうやら自分でも気付いていなかったようだ。
私たちは、3人そろって大笑いした。

「君、君」
玄関ドアからひとりの警官が入ってきて、花梨ちゃんを呼び止めた。犯人グループが一段落したから、今度は彼女を尋問しに来たのだろう。
「はい。……あーあ、細かく説明するの大変そう」
花梨ちゃんは私たちに向かってぼやいた。
「がんばってね。あなたは私たちのヒーローなんだから」
「……やっぱりヒロインにしてください。それじゃ」
それが本音だったのだろう。彼女は床のエアガンふたつを持って、警官の方へと歩いていった。
その後ろ姿を、私と僚はほっとしながら見送っていた。

 

 

ヒーロー登場

(エンディング No.50)

キーワード……の


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