「いいえ、あなたはここでおとなしくしていてちょうだい。少しでも体力を温存しておいた方がいいわ」
「そうか……わかった。仕方ないよな」
僚は残念そうに笑った。自分の気持ちには反するが、生き延びるためなら……といった微笑みだった。
私だって、彼の好きなことをさせてあげたい。でも、それも命あっての物種だ。
「じゃあね。お大事に……」
私は僚にそう言い、彼の部屋を出て長瀬厩舎へと向かった。

 

 

――それから3日――。

 

 

僚の病状は悪化する一方だった。私以外の人の前では普通に振る舞い、病気を悟らせないようにしているのだが、自分ひとり、あるいは私とふたりだけになると、耐えきれずに途端に体を横たえる。
……その「普通に振る舞う」というのが、僚には予想外に負担になっているようだった。現に今日も「有馬記念フェスティバル」に「有馬騎乗予定騎手」として参加して帰ってきただけで、今、疲れ果てて眠ってしまっている。
これは、日曜日まで持たないかもしれない……。
考えたくはなかったが、その思いは日増しに大きくなっていった。

僚のことで精一杯で、自分の騎乗馬にこだわっている余裕はなかった。
そのため、知らないうちにロマネスクは母のところへ行ってしまったが、気にはならなかった。
今は僚のために自分のすべてを生きたい。

……騎手としては失格かもしれないわね、と私は思った。
でも、それで失格扱いされるとしたら、騎手とはなんと無情な生き方だろう。
僚がよく「ジョッキーなんて冷たい仕事だ」とぼやいていたのを思い出す。そのとき私は、情にもろい彼には合わないかもしれないが私には合うと思っていたが――私にも、人の心に弱い一面があったというのだろうか。

あれから、8人めの行方不明者も出てしまった。
しかもその人は私と僚の同期生だった。彼もまた、謎の奇病にかかって密かに入院したか、あるいは――。

……。
私は、自分の判断で携帯を取った。そして「119」を押す。

『はい、119番』
「……こちら美浦トレセンです。騎手の片山僚が、謎の奇病に感染しました。独身寮の自分の部屋で寝ています。すぐ来てください……」

 

 

……。
私は僚を裏切った。
彼はさぞ怒るだろう。21年かけて築き上げてきた信頼も好意も、すべて失わせてしまうかもしれない。
それでも――私は彼を死なせたくなかった。
病院に入れば、少なくとも今のままよりは長く生きられる。その間に治療法が見つかることに賭けたかった。
嫌われても構わない。
黙っていることは、私にはできなかった――。

……遠くから、彼を連れ去りに来たサイレンが聞こえた。

 

 

裏切り

(エンディング No.54)

キーワード……ス


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