私は、僚を信じて見守ることにした。とにかく今は、この炎を消せる可能性が少しでもあるならそっちに賭けるべきなのだ。もし彼が倒れるようなことがあったら、私が支えればいい。
「させないわ!」
僚の行動を見た香先生が、そう叫んで起き上がろうとした。妨害を試みるつもりらしい。
「それはこっちのセリフよ!」
私は懸命に彼女を押さえつけた。レイラと、そして弥生さんも手を貸してくれた。3人に押さえられては、彼女も何もできない。
「僚! 早く!」
「サンキュー!」
僚はそれだけ答えて、両手の指先に全神経を集中させた。凍てつく波動のような音が低く響く。
私は香先生を押さえたまま、もし僚が倒れたらすぐに支えに行くつもりで体勢を整えていた。
そして――。

「……やあっ!!」

彼の気合いが、指先から冷気をほとばしらせる。
冷気は的確に炎を追い詰め、徐々に弱めていき、やがて――沈黙させることに成功した。

……僚は大丈夫!?
私は視線を、焦げた壁から彼の方に戻した。

彼は、私たちの方を見て親指を立て、にっこり笑っていた。元気らしい。
よかった……。
炎は消え、証拠は守られた。
そして、私たちも炎に巻かれることなく無事だったのだ……。

 

 

――こうして、美浦トレセンを襲った奇病事件は解決した。
ログハウスの研究室には警察の手が入り、香先生は逮捕された。
さらに、ログハウスの一室からは行方不明だった泰明くんが発見された。どっちへ行こうか一瞬迷ったあのT字路――あそこを右に行った先の部屋に閉じ込められていたのだ。しかもドアにはカンヌキがかけてあって、中からは絶対に開かない状態だった。もし僚の「冷気で炎を消す」に反対してみんなで逃げていたら、ログハウスは全焼して……そう思うと恐ろしい。
何より知りたかった治療法も、きちんと確立していた。薬物療法ではなく、男性患者は摂氏90度以上、女性患者はマイナス10度以下の場所に2時間以上入って体温を中和させるという原始的なものだった。熱があるから氷で冷やす、という発想と大差ない。
でも、方法はどうであれ、治る病気で本当によかった……。
今、僚と泰明くんはトレセンの調整ルームにあるサウナに、弥生さんは警察が呼んだ冷凍車の中に入っている。2時間入って髪の色が元通りになったら、それで完治だ。体力が低下しているのでしばらく安静にしていなければならないだろうが、有馬には何とか間に合う。僚はさぞほっとしていることだろう。
そして私も、涙が出るほど嬉しかった。自分が有馬に乗れなくなったことなど、どうでもよくなってしまった。
僚がすぐそばで笑顔で生きている――それが私にとってはこの上ない幸せだったことに、ようやく気付いたのだ。

唯一やりきれない結果だったのは、弥生さん以前の行方不明者7人のうち、彼女を除く6人が全員死んでいたことだった。
あの地下通路にあった鉄製のドアは実は死体置き場で、そこは入った捜査員たちもコメントを避けたがるような様子だったという……。
ただ、田倉さんがこっそり教えてくれた裏情報によると、6人の中で東屋先生だけは、丁寧に造られた棺の中で花に埋もれて眠っていたそうだ。
香先生のしたことは許されないが、彼女が父親を大切にしていたのは事実らしい……。

でも、彼女がこんな恐ろしい人体実験に手を染めてしまった直接の理由は、ついにわからなかった。
彼女は「競馬界人の夢は大嫌い」と言ったが、その本当の意味は謎のままだ。
警察の取り調べに対しても「それだけは言いたくありません」とかたくなに供述を拒んでいるらしい。
……それはそれで仕方ないかしら、と私は思っていた。きっと、それが言えるくらいなら、彼女はこんな事件は起こさなかったのだろうから。

 

 

――あれこれ考えているうちに、2時間以上が過ぎた。
僚と泰明くんが、ようやく調整ルームのサウナから出てきた。
病気を隠すための極端な厚着でも、暑いからと季節外れの薄着でもない、ごく普通の冬物に着替えている。
そしてふたりの髪は、元通りの色に戻っている――。

「僚……」
「泰明っ!!」
私が僚に歩み寄る前に、2時間の待ちぼうけでイライラしていた短気なレイラが泰明くんに飛びかかり、その頬に平手打ちをお見舞いした。
「あんた……バカじゃないの! 何、あんな女に引っかかってんのさ! ここにこんないい女がいるってのに!」
――彼女の怒りは待ちぼうけのせいではなかった。悲しみに近い彼女の叫びを、泰明くんは何とも言えない表情で受け止めている。
「あんたの考えてたことなんかわかるよ。どうせいつもみたく『彼女が必要としてくれるなら』だったんでしょ? だけどね、あたしだってあんたが必要だよ! そりゃ、はっきり言わなかったあたしも悪かったけどさ……気付いてくれたってよさそうなもんじゃない! 長いつきあいなんだから……」
レイラは突然泰明くんに抱きついたかと思うと、大声で泣き出した。
泰明くんはどうしたらいいかわからないのか、そのまま立ちつくしている――。
彼らをふたりだけにしてあげようと、私と僚は彼らから少しだけ離れた。

そして、ふと顔を見合わせて笑い合った。

 

 

解決

(エンディング No.58)

キーワード……ッ


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