「僚、ちょっと待って!」
私は僚を止め、その理由を言った。
さっきは炎を消せと言ったものの、それで彼が動けなくなってしまってはどうしようもないと思い直したこと――。
「そうか……サンキューな。わかった、じゃあ逃げるぜ!」
僚は叫び、床に倒れている香先生を背負おうとした。
「私も手伝うわ!」
弥生さんも彼に手を貸す。
……炎がすぐそこまで迫ってきている。本来は何の罪もない人間の安全を犠牲にしてまで犯人を連れて逃げる余裕などないが、治療法がわからないとなったら話は別だ――。

「早くしてよ! 泰明探さなきゃ! それにこの建物って密閉空間だから、あたしの計算だと、あと何分もしないでこの部屋、爆発するよ!」
いつしかドアを開けて廊下に出ていたレイラが、その場から私たちを呼んだ。
――そういえば、焦ってて泰明くんのことを忘れていた。彼もこの建物のどこかにいるのだろうか?
だとしたら、すぐにでも探さないと!
「そういうわけだ。とっとと動け!」
僚は香先生の腕をひっぱった。弥生さんも同じくひっぱる。
しかし――。

「……おあいにく様。私はあなたたちなんかに情けをかけてほしくないの。捕まるくらいなら……」
「あ……おい! 何をするんだ!」
「香先生!」

――僚と弥生さんの叫びは、香先生には届かなかった。
彼女は床で砕けていた装置の破片を手に取り、それで自分の手首を勢いよく切ったのだ――。

「香先生ー!」
「……仕方ない! 脱出だ!」
泣きそうな顔で僚は血にまみれた香先生を放し、弥生さんをひっぱって部屋を出た。最後に私が出る。

――しかし、火のまわりは予想外に早かった。
建物の外をまわったのか、出火が今の部屋だったのに、気がつけば私たちの行く先にも炎が渦巻いている……。

「……レイラ! 出口はこっちよ! 忘れたの!?」
さっきのT字地点で、地下通路のある方へ曲がらずまっすぐ進もうとするレイラを、私は呼び止めた。そっちは、さっき私がどっちへ進もうか迷って選ばなかった方だ。
「わかってるよ! だけど、泰明が……! お願い、調べさせて!」
「やめろ! あの炎が見えないのか!」
僚が叫んだ。
しかし、レイラは――。

「あんたたちは先に逃げてよ! こっちをチェックして、もしいなかったらあたしもすぐ逃げるから!」

「行くな! 行ったら戻れない!!」
僚の叫びも聞こえなかったかのように、奥へ向かって走っていってしまった。
同時に――天井から炎に包まれた丸太が1本、丸のまま落ちてきた。

「きゃあ!」
「……だめだ、これ以上ここにいたら俺たちも助からない! レイラを信じて先に逃げるしかない!」

――本当に、それしかなかった。
私と僚と弥生さんは、3人で右に曲がった。私が先頭に立って「地下通路の部屋」に駆け込み、床板を持ち上げて階段を出す。
レイラ、泰明くん、無事でいて――。
祈りながら、私たちは地下へと駆け下りた。

 

 

――しかし、祈りは届かなかった。

 

 

私たちの通報で警察と消防が来たときには、すでにログハウスは全焼して自然鎮火していた。
その内部を調べたところ――焼死体が3人分、見つかった。
ひとりは「最後の部屋」の女性。香先生だ。
そして、あとのふたりは男女で、同じ部屋から見つかった。――そこは紛れもなく、レイラが走っていった先の部屋だった。
判別はできなかったが、シチュエーションから、その男女は泰明くんとレイラに間違いはなかった。
ふたりは、泰明くんがレイラをしっかりかばった形で息絶えていたそうだ……。

……私は泣いた。泣いてもどうにもならないのに、泣いた。

あのT字地点で、右か左かで悩んだ。
もしあのとき、左ではなく右を選んでいたら、その場で泰明くんを見つけて、ふたりは死なずにすんだのに。
なぜ、右へ行かなかったのか――。
未来は見えないものだから仕方ない、と理屈ではわかっていても、悔しくて悲しくて、たまらなかった。

長瀬先生は、よく「分岐点」という単語を出して人生の例え話をされる。
その深さが、こんな時期になって痛いほどにわかった。
本当に、道の選択ひとつでここまで運命が変わってしまうこともあるのだ――。

……そして、証拠のすべては灰となり、治療法を知っていたかもしれない香先生ももういない。
それはすなわち、私の大切な人が助かる可能性もほぼなくなってしまったということだ。
今、民間の研究機関が競って治療法を研究しているが、先はまったく不透明らしい――。

 

 

僚――。
レイラ――。
泰明くん――。
弥生さん――。

どうしてみんな、死ぬ運命にあるの?
どうして私だけが生き残るの?
こんな気持ちを抱えたまま。

道の選択を間違えた私ひとりだけが死ねばいいのに――。

 

 

右か左か

(エンディング No.60)

キーワード……す


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