やはり、誤動作すると困る精密機器のある場所だと考えるのが一番自然な気がする。
そうなると、病院――。

だが、田倉さんは「1時間で終わる」と言っていた。
1時間でその目的地へ行って用事のすべてをすませられるのなら、このトレセンからそう遠くはないということになる。
その範囲内で病院といえば、僚が入院したところくらいしかない。
まさか、彼も感染してあの病院に入院したとでも……?

――それはないだろう。
僚に入院を勧めたほどの田倉さんだ。自分が感染したら、その事実をはっきり周囲に告げると思われる。
だから、彼が病気になったというパターンは考えにくい。

そういえば……。
今気付いたが、このトレセンには、病院でなくても精密機器が置いてある場所が存在する。
馬や人の診療所だ。
田倉さんが診療所にそんな長居をする理由は思い当たらないが、行く理由ならば心当たりがなくもない。
一番最初の行方不明者は東屋先生だ。彼のことを調べるためならば、診療所の関係者に話を聞くかもしれない――。

行ってみよう!
私は決めると、部屋を飛び出した。
手がかりと呼ぶにはあまりにも不確かな手がかり。しかし、唯一の手がかりでもあるのだ。
行動に出さなければ、何も始まらない。

 

 

――そして、事態は東屋診療所の前で急展開を見せた。

診療所の前にある植え込み。その根元に隠れるようにして、見覚えのある帽子が落ちている。
拾って、裏を見る。
「S.TAKURA」とネームが入っていた――。

田倉さんは、ここに来たに違いないわ!
香先生に話を聞いてみなければ!
私は、そのまま診療所に飛び込んだ。

 

 

香先生は、人間用の診療室で書類を前にしていた。内容は私にはわからないが、仕事をしているらしい。
「すみません」
私は入っていった。
「まあ、篠崎さん。もしかして、またサンシャインに何か問題でも?」
「いえ、そうではないんです。あの、ここにトラックマンの田倉翔太さんが来たと思うんですが……」
そう言い、外で拾った帽子を見せる。
「あら、まあ……。落としていったのかしら」
香先生は帽子を見て不思議そうな顔をした。
「ここに来たんですね?」
「ええ。でも、もう何時間も前のことよ」
「それはわかっています」
「……あなた、何を調べているの?」
不意に聞く香先生。――私はその口調と表情に何か不審なものを感じたが、私の勘は当たらないことが多い。失礼な直感は追いやり、素直に答えることにした。
「いえ、実は彼から連絡してくれるはずなのにいつまで経っても音沙汰がないから、探しているんです。携帯を鳴らそうとしたら電源が切れているので、精密機器のある場所にいるのではと考えて、それでここに来てみたのです」
「どうしてここが候補に入るの?」
「ああ、すみません。最初からお話しします。……私と田倉さんは、今この美浦周辺で起きている謎の奇病騒ぎに犯人がいると考えて、それについて調べているんです。それで、その……申し上げにくいんですが、あなたのお父様も行方がわからなくなっていますね。だから、そのことを聞きに田倉さんがここをたずねてきたのではと思ったんです」
細かく説明すると、香先生はため息をついた。
「そうでしょうね。……確かに田倉さんは、それについて私に聞きに来たわ。でも、私は彼に答えられることは何もなかったけど」
「では、その後に彼がどこへ行ったかはご存じありませんか?」
「わからないわ。ごめんなさいね」
「そうですか……」
どうやら、手がかりは途切れてしまったようだ……。

「……篠崎さん。片山くんがその病気にかかったそうね」
あいさつをして帰ろうとすると、香先生は私に聞いてきた。
「え……ええ。田倉さんに聞いたんですか?」
「そうよ。片山くんと、彼の隣の部屋の城くんが一緒に発病したと聞いて驚いたわ。だって、そんなに近い人同士が同時に発病したケースは初めてだもの。やっぱり、何らかの形で伝染するのかしらね、あの病気」
妙に事務的で冷たい口調で、香先生は語った。彼女は私と同じく、感情的になるのが嫌いなタイプだが、それでも感染者や行方不明者がこれだけ出ているのに(しかも、その中には自分の父親も含まれているというのに)この冷静さ。医者とはこういうものなのだろうか。
「香先生。僚は発病しましたけど、泰明くんはまだ病気と決まったわけではないんですよ。ただ行方がわからなくなっただけで」
私はほんの少し反抗してみたくなった。
「そう……そうだったわね。ごめんなさい」
先生は謝ったが、それは素っ気ないものだった。まるで、泰明くんの行方不明は病気のせいだと100%わかっているのに謝らされたかのように。

……どうもおかしい。
田倉さんはマスコミ関係者だ。真実を報道する反面、本当にまずいことは秘密にしておく義務もある。そして、僚の発病や泰明くんの行方不明は、決して軽々しく話せるような内容ではないはずだ。永遠に隠し通せる事柄ではないにしても、果たして会った人すべてにそんな話をするだろうか?
それに――田倉さんの携帯の電源は切れている。つまり、今もなお精密機器だらけの場所にいる可能性が高いわけだ。
それが「ここ」だという確率は、どれくらいあるのだろう。

もしかすると――。

「どこを見てるの?」
――診療室内にあるベッドを見ていた私は、香先生にその視線を見破られてしまった。
ベッドのまわりのカーテンが閉まったままなのが気にかかっていたのだ。つまり、あの中には誰かが寝ていることになる。
「香先生。……あそこには、誰が寝ているんですか?」
「ケガをした人よ。もうすぐ救急車が来るわ」
「差し支えなければ、開けてもいいですか? ……だめなら、救急車が来るまで私はここにいますよ」

――沈黙が、室内を支配した。
そして、数秒の後――。

「……やれやれ。まさかあなたにも疑われることになるなんてね」
香先生はすっと立ち上がると、そのベッドのカーテンをさっと開け放った――。

――そこには、紛れもない田倉さんが寝ていた。
髪こそ元の色のままだが、その深い眠りは、揺すったくらいでは起きそうにないことをしっかり物語っていた。

「ま、まさか……!」
「そうよ、ご名答。私が犯人よ。彼にも気付かれたから、薬で眠ってもらったわ。これからは実験に役立ってもらおうかしらね」
香先生は、後ろで束ねた長い髪を解き、指を櫛にして1回通してポーズを作った……。

「な……なんてことをするんですか! いったい、どうして……!」
情けないほど取り乱しながら、私はたずねた。
香先生が犯人……病気を流行らせ、何人もの行方不明者と死者を出した犯人。
そんな人と、私は今向かい合っているのだ――。
「私の崇高なる野望のためよ。あなたみたいな良家のお嬢様にはわからないわ」
イヤミのようなことを言いながら、香先生は素早く私の後ろにまわり込んで、出入口のドアの前に立った。

――自分が犯人だと宣言した以上、彼女には私をここから出すつもりはないのだろう――。

それを悟ると、私の心はすっと落ち着いた。目的が決まったのだ。
脱出できる可能性に賭けて、聞けるだけのことを聞き出す。
「私に動機を話すつもりはないということですね」
「ええ、残念ながらね」
「でも、あなたは私を帰さないつもりでしょう? それなら教えてくれても問題はないんじゃないですか?」
「……確かにね。それにしても、こんなすごい状態なのに結構な開き直りようね」
香先生は不敵に笑うと、続けた。
「その勇気を讃えて、ひとつだけあなたの知りたいことを答えてあげるわ」
「本当ですか!?」
「疑うなら答えないわよ」
「……疑いません」
卑屈になるのは嫌いだが、この場合は仕方がない。
「そう。じゃ、本当にひとつだけよ。いわゆる冥途の土産なんだからね」
――言葉の恐ろしさに負けてはいられない。私はこのチャンスを逃さず、最も知りたいことをたずねようと思った。
動機、感染させた方法、失踪者の行方……いろいろあるが、ひとつに絞るとなると、これしかない。

「病気の治療法を教えてください」

「治療法ね。簡単なことよ。極端な高温や低温の場所に入って、体温を中和させるだけでいいの。具体的には、男性ならば摂氏90度以上、女性ならばマイナス10度以下の場所に2時間も入ってればいいのよ。それだけでおもしろいくらいに元通りよ。……民間の研究者も情けないわよね。こんな単純な方法に気付かないで、薬の調合ばっかり研究してるっていうんだから」
運命を弄ぶように、香先生は高笑いをした。

 

 

――そのときだった。

 

 

「なるほどな」

……!?
なんと、ベッドに寝ていた田倉さんが突然口を開き、起き上がったのだ!

「た、田倉さん……!!」
私の叫びには耳を貸さず、田倉さんは香先生をまっすぐに見て言った。
「君が俺に投与した薬は、ちょっと量が少なかったようだね。真奈ちゃんが来たあたりから目は覚めていたよ。事態を見守るために、まだ眠っているふりをさせてもらったけどな。……おっと、いくら君でも、俺と真奈ちゃんふたりを相手にして勝てるとは思ってないな?」
「あ……あなた、卑怯よ! 私をだましたのね!」
「それは、君が言えるセリフか?」
田倉さんの目線が香先生を貫く。
「……」
一転して、香先生は何も言えなくなってしまった。

「……真奈ちゃん。君は俺のその帽子を見つけてここに入ってきたんだろう?」
田倉さんは私の手元を見てたずねた。
「え、ええ、はい」
「俺は前々からここが怪しいと思ってた。トレセンの中だから『1時間で終わる』とは言ったが、こんな風にドジやって連絡できなくなる可能性も高かった。だから万が一のことを考えて、君には詳しい行き先を教えなかったんだ。でも、やっぱり自分の命は大事だからさ。手がかりとして帽子を植え込みのそばに落としておいたんだ。まさかそれを、気づかった相手の君に見つけてもらって助けられるなんてね。……さて」
そして彼は、すっかり生気をなくして恐ろしい顔になっている香先生を見る。
「ここにある物を警察に調べてもらえば、いくらでも証拠が出そうだな。俺としては治療法が判明しただけで充分だとは思うが、世間様はそれじゃ許してくれないだろう。覚悟するんだな」

「……」
香先生はなおも私たちを見ていたが――。

「……あっ!」
突然、彼女は後ろの棚から動物用のメスを手に取った。
そしてそれを、自分の喉元に突きつける――。

「やめろ!」
田倉さんが彼女に飛びかかり、その右腕を力強くつかんだ。
「放して! 捕まるくらいなら私、死ぬわ!」
「死なせるか! 絶対に死なせないぞ!!」
――田倉さんは、ちょっと普通ではないほどに真剣に叫んだ。
死なせたくない――それは私も同じだった。僚を病気にした犯人なのに、父のお師匠様の孫だという以外香先生に対して思い入れもないのに、一番大事な治療法も聞き出したのに、それでもなお「死ねばいい」などとは思えなかった。
恐怖をかなぐり棄て、私も彼女に飛びついた。そして、田倉さんが押さえる右腕の先からメスを奪い取る。
「真奈ちゃん! 警察だ!」
田倉さんが私を振り返る。
「は……はい!」
私はメスを放り出し、診療室内の電話に飛びついた……。

 

 

――香先生は逮捕された。
彼女の診療所には秘密の研究室に続く地下通路があり、行方不明者たちはそこにいた。
残念なことに、泰明くんと弥生さん以外はすでに全員死んでいたのだが――。

病気の本来の発見者と研究者は、東屋先生だったらしい。
彼はある理由により自分が病気にかかり、興味を覚えて研究を始めたものの、タイムリミットを迎えて死んでしまった。
それで、香先生が研究を引き継いだという。

研究の目的も明らかになった。
この病気にかかった人には、ある超人的な能力が備わる。
それを実用化しようと、香先生は意図的に感染者を出し、人体実験を行っていたのだ。

……でも、現代ではそんな能力は破壊しかもたらさない。
生き残った患者たちはただちに治療され、この病原菌は世界から抹殺されることとなった。

治療――。
僚は助かった。治ってしまえば数日で体力を取り戻して元気になれるという。有馬に乗れるのだ。
それを知って、彼は泣いて喜んでいた。
私にすがりついて感謝の気持ちを表してきたので、ちょっと照れくさかった。

ただひとつ、残った謎――。
香先生にこんな研究を続けさせる、その原動力となった情熱はいったい何なのか。
それだけは、誰にもわからなかった。
彼女は取り調べに対して「競馬界が憎かった」と答えたらしいが、なぜ憎いのかは決して話そうとしないそうだ。
おそらく、それについては一生供述することはないのだろう……。
私はなぜか、そう感じていた。

 

 

……翌日。
私は今日も、田倉さんと一緒に、僚をたずねた。
彼の退院は明日。今日一杯ここでゆっくり休めば、明日からは今までと何ひとつ変わらない生活が送れるそうだ。

「田倉さん」
事件についてを僚に一通り話し終えると、私は少し心に引っかかっていたことを田倉さんに聞いてみた。
「あなたは香先生が自分の喉にメスを突きつけたとき、絶対に死なせないとがんばりましたね。もちろん人間なら見殺しにはできないでしょうが……あの一生懸命さはどこから来たんでしょうか。失礼ながらちょっと怖かったです」
「真奈、お前なあ……」
すっかりいつもの調子を取り戻している僚が、ベッドの上で苦笑いをした。
「相変わらず鈍いっていうか、野暮だな。そんなの、彼があいつを……だからに決まってんじゃないか。……そうですよね、田倉さん」
男のくせに、すぐラブストーリーに持っていきたがる僚。それは入院していようが例外ではなかったようだ。
ところが、田倉さんは笑顔を消して重く答えた。
「残念ながら片山くん、それは違う。……いや、自分の気持ちは自分じゃ見えないが、違うと思う」
曖昧な答えだ。そうかもしれないが、認めたくない……そんな感じなのだろうか。

「俺……実は、人を自殺させちゃったことがあるんだ」
すると田倉さんは、窓の外をぼんやりと見ながら話し出した。
「俺の実家の隣にかなり年下の女の子が住んでいてね。1年前、彼女に好きだと言われたんだ。でも、俺は彼女を妹みたいにしか思えなくて、その告白を断った。そうしたら――彼女はその翌日、通っていた高校の屋上から飛び下りて死んだ……」
「田倉さん……」
ありがちな話だが、どんなに世間にありふれていても、実際に経験するとそんな風には思えないのだろう。
「……自分が追い詰めたことで人が死ぬっていうのは、ものすごく後味が悪いものだよ。しかも、隣の家の女の子が死んだのも、1年前のちょうど昨日だった。だから、昨日もし香先生を自殺させたら、俺は自分の責任でふたりも死なせた上に、そのふたりが同じ命日を持つことになる……。勝手かもしれないけど、俺にはそれは耐えられなかった。だから、一生懸命になったんだ。香先生を死なせるくらいなら、自分が殺された方がいいとさえ思った。怖くはなかったよ。彼女の死の可能性の方が、よっぽど怖かった……」
「そんなことが……あったんですね」
悲しみを出すのは彼に対して失礼な気がして、私は無表情を作って答えた……。

「……俺は、弱いよな。自分のためにしか一生懸命になれない。それに比べると、君は偉いと思うよ」
「え……?」
私を振り返って言った田倉さんに、私は目を見開いた。
「君が今回の奇病騒ぎに首を突っ込んだのは、自分のためじゃなくて片山くんのためだ。彼を助けたい、ただそれだけだったんだろう?」
「え……ええ」
確かにそうだ。他人に言われると「あくまで自分が謎を解き明かしたかったから」などと反発したくもなるが、その気持ちは偽れない。
私は僚を失いたくなかった。それを思うとやはり自分のためのような気もしたが、ここは素直に、謙遜しないでおこう。

「サンキュー、真奈」
……僚が、私の手をそっと握った。
そのぬくもりが、もうあの病気はどこにもないのだと、私を安心させた。

 

 

安堵

(エンディング No.70)

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