私は走り出した。
何を考えるともなく、心の導くままに――。

 

 

……私は、トレセンの中心部にある公園にたどり着いた。
ここは、僚との想い出が一番たくさん詰まった場所だ。
幼い頃、外で一緒に遊ぶときはいつもここだった。端の方には、僚が登って下りられなくなり、泣いて助けを求めた椿の木も。

もし――もし私が病気にかかったとして、最後に1ヶ所だけ好きなところに行けるとしたら、私はここを選ぶだろう。
ここまで来て、私はそう感じた。
そして、不意に思った。
もし僚もそうだとしたら……。
……そうだといいのに……。

私は、想い出の椿の木に近づいていった。

 

 

――そこには。

 

 

「りょ……僚!!」

水銀灯の弱い明かりが照らす中に――本当に、僚がいた。
頭には大きめのバンダナをかぶり、髪の色を隠している。
そして、木の幹にもたれ、体を支えてもらっている――。
「僚!!」
私は彼に駆け寄った。

「……真奈……」
僚は、虚ろな目で私を見上げて、小さな声を出した。
「あなた……なんでこんなところにいるのよ! 早く病院に戻りなさい!」
私は、厳しすぎるほどに厳しく叫んだ。
だが。

「……俺は帰らない。どこにいたって、どうせもうじき俺は死ぬんだ。それなら死に場所くらい自分で決めたいと思って逃げてきたんだ。だから、今さら帰るつもりなんかない」

「僚……」
死に場所くらい自分で――という言葉が、私の胸をえぐった。
僚は、その「死に場所」をここに決めたから、逃げてきたのだ――。

「死に場所……。それが、ここ……」
本当は、そんなことを聞かずに引きずってでも病院に戻すべきなのだろう。
でも私には……こんなときになって初めて重なった心を、かなぐり棄てることはできなかった。
「ああ。お前だって覚えてるだろ? こいつのこと」
僚は木に寄りかかったまま、右肩越しに幹の下の方を指差した。
――「りょう」「まな」と刻まれている。
子供の頃、いたずら心を起こしてふたりで刻んだ名前だ――。
「俺、死ぬんだな……って思ったら、こいつのこと思い出した。それで俺……死ぬならここしかない、って思ったんだ」

「私も……」
私は僚の前に膝をついて座り、その名前をそっと指でなぞった。
「私があなたの立場でも、そうすると思うわ。あなたとの想い出をたどって、きっとここへ来るわ……」
「そうだろうな……お前、現にここまで来てくれたもんな。ありがとう」

――闇に目が慣れ、微かな光の中でも、僚の整った綺麗な顔立ちが見える。
その顔は、微笑みの形になっていた。
冷たい夜空を飾る星のまたたきが、彼の表情に反射して私の胸に突き刺さる――。

「……俺、お前に、一番大事なこと言ってやれなかったな……」
悲しみの唇が、そう動いた。
一番大事なこと――。
私にも、彼に一番言ってほしかったことがある。
それらはきっと同じ想いで、今まさに、私と彼との間で揺れているのだろう。
「今、言ってちょうだい。私、待っているわ……」
だから私はそれを望んだが――。
「やめとけ。死にゆく男にそんなこと言われたって、後々つらいだけだぜ」
それも僚の優しさなのだろう。
でも私は、首を横に振った。

「構わないわ! 私は……私はあなたが好きよ! 今までも、これからだって、ずっと一緒に生きていきたいのに……」

……涙が落ちた。
なんで、こんなときにならないと言えないんだろう。
なんで、お互いに元気で笑っていられた頃に言えなかったんだろう……。

「……泣くな」
僚は優しく言って、私の頭に手をかけて引き寄せた。
私は何もせず、そのまま引き寄せられた……。

もう、ほとんど周囲の冷たい風と変わらない温度の僚。
私でなければ、精巧にできたロボットのように思って気味悪がるかもしれない。
だけど――それでも、僚だ。
胸の中に熱い想いを抱いた、僚なのだ。

「真奈。……お前が好きだ。死ぬ瞬間まで、お前のことを考え続けて、お前の色に染まっていよう……」

 

 

――そして、私たちは長い長いくちづけを交わした。
もしずっと昔からつきあっていれば――そう考えて、そのすべての時間を埋めるように。

 

 

……私が離れると、僚はその場に崩れ落ちた。
もう、何もできなくなっていた――。

でも、その顔はとても幸せそうだった。
私が与えられるほんの少しの幸せを持って、彼は旅立っていった……。

 

 

くちづけ

(エンディング No.74)

キーワード……こ


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