私は、意地でも自分で思い出すことにした。
人に頼るのは好きではない。それに、一度聞いたことならば必ず思い出せる自信はある。
そのままトレセン内を歩き続け、私は必死に頭をひねった。
……そのうち、漠然と思い出してきた。
確か、永遠の命を持った兄弟の話だったはずだ。
兄弟のどちらかが永遠の命を持っていたが、そっちが瀕死の重傷を負い、死ねなくて苦しんだ。
それを見かねた兄弟の片割れが、永遠の命を自分が譲り受け、もう片方を死なせた――。
そんな話だった気がする。
思い出すには思い出せたが――これが、あの新谷ツインズとどうつながるのだろう。
亡くなった人といえばあの写真の男性で、兄弟は両方とも元気で生きている。
でも――彼ら兄弟のそばに亡くなった人がいるというあたりが気になった。
……わからない。
わからないが、少しだけこう思う。
豊さんはもしかすると、はっきり言葉にすることはできない――稔さんにも言えない何かを、私に伝えようとしたのではないだろうか。
豊さん――。
彼がそれほどまでに私を信頼してくれたと考えるのは、浅はかかもしれない。
でも、「また連絡をください」と言われて嬉しかったのは事実だ。
会いたければいつでも会える、そういう関係を望んでくれたということなのだから。
そう、いつでも――。
私は、ポケットに手を突っ込んだ。
……あら?
そこに、いつもの感触はなかった。
携帯がない――。
どうやら、ゲーセンのスタッフルームに忘れてきてしまったらしい。
豊さんの番号を登録して、それをポケットに戻す前に帰ってきてしまったのだ。
取りに行かなくちゃ――。
そう思って、私は再びゲーセンに行こうと歩き出した。
そして、取りに行ったら豊さんに聞くのだ。
双子座の伝説を思い出したけど、それと彼ら兄弟との関わりはわからないと。
――トレセンを出ようかというあたりで、私は同期生のもうひとりに出会った。
城泰明くんという男性だ。どうやらレイラを気に入っているらしいが、積極的に近づいてはいかない。彼女と稔さんが会っていることなどは知っているのだろうか? ……そんなことが気になるのはなぜだろう。
「あら、こんにちは」
「どうも。君も散歩か?」
「ううん、私はちょっと用事があって、いつものゲーセンまで行くの」
「君がゲーセンに?」
それは意外だろう。だから私は説明を試みた。
「さっきレイラと一緒に行ったのよ。でもそこに携帯忘れてきちゃって、取りに行くの」
「そうなんだ。大変だね」
泰明くんはまっすぐに笑う。
「大変っていうものじゃないわよ」
豊さんの顔をまた見られるなら、などと一瞬思ってしまい、その言葉を心からも表情からも消す。
そういえば――。
泰明くんの穏やかな顔を見ていて、思い出した。
彼も結構いろいろなことを知っている。双子座の伝説を詳しく知っているだろうか?
確かに人に頼るのは好きではないが、豊さんが自分たちを伝説に例えたときのあの表情の暗さを思うと、そんなことは言っていられない。
「ねえ、泰明くん。ちょっと聞きたいんだけど」
「何?」
「あなた、双子座の伝説って知ってる?」
「双子座の……?」
「ええ。ほら、永遠の命を持った人が重傷を負って死ねなくて、その人の兄弟がその永遠の命を譲り受けて……っていう話」
私は何のためらいもなく聞いた。
――ところが。
「違うよ。それは射手座」
「……え?」
まさか自分の記憶が間違っているとは、思ってもみなかった。
「射手座……これって射手座の話なの?」
「そうだよ。ぼくは自分が射手座だからよく知ってるんだ」
確かに、彼は昨日が誕生日だった。昨日の夜に彼が所属する五十嵐厩舎で行われた簡単な誕生日会に、私と僚とレイラも参加した。その席で、私はあのロマネスクの乗り替わりの件を五十嵐先生から通達されたのだ。
「第一、それはぼくが前、射手座の伝説として君に話したことじゃないか。ついでに言えば、その話で命を譲られたのは、兄弟じゃなくて友達だよ」
「あら……」
いつかどこかで誰かに聞いた気がする、とは思っていたが、その「誰か」はどうやら泰明くんだったようだ。加えてこの曖昧さ。私の記憶は予想外に当てにならなかったらしい……。
「ごめんなさい。てっきり兄弟だと思ってて、兄弟が出てくるなら双子座かしらって、勝手に解釈してたわ」
「兄弟が出てくるのは双子座に限らないよ。牡羊座の伝説も、兄弟を背中に乗せた羊が弟だけを落としちゃったって話だから」
「それはレイラが牡羊座だから知ってるの?」
ちょっと突っ込みを入れると、泰明くんは苦笑いした。
「まあ……それだから気に入ってるってところはあるけどね。でも、12星座の成り立ちなら一応全部知ってるよ」
「全部? じゃあ、双子座の詳しい話も知ってるの?」
私は身を乗り出した。
「うん。知りたいなら話すけど」
「お願い、教えて!」
私が真剣に頼むと、泰明くんは不思議そうな顔をしながらも、話してくれた。
「……神々の王ゼウスの息子たちの中に、カストールとポルックスっていう仲のいい双子の兄弟がいた。でも、兄のカストールは戦場で矢を受けて死んだ……。それでゼウスは、せめて弟のポルックスだけはずっと生きていてほしいと願って、彼に永遠の命を与えた。だけど、それは逆にポルックスを悲しませる結果となったんだ。死ねないということは、カストールにはもう絶対会えないってことだからね。……孤独に耐えかねたポルックスは、ついにゼウスに『ずっと兄のそばにいさせてください』と願い出た。そしてゼウスはその願いを聞き入れて、ふたりを空に上げて星座にしたんだよ」
「……そんな話だったの……」
私は小さくつぶやいた。
豊さんが、誰にも言えない何かをこの伝説に託して私に伝えようとした――その考えが正しいとすると、いったい彼の悲しみとは何なんだろう。
伝説では兄は死んだことになっているが、稔さんは生きている。
亡くなったのは、彼らの親友……。
何かが引っかかる。
何か……何かとても大きな勘違いをしているような……。
「……真奈ちゃん? 顔色悪いけど……大丈夫?」
泰明くんが私の顔をのぞき込み、持っていたバッグから青い袋を取り出した。それは彼がいつも持ち歩いている便利袋で、主に救急用具などが入っている。
「あ……大丈夫。ありがとう」
「無理しないようにね。……じゃあ、ぼくはそろそろ行ってもいいかな」
「ええ。教えてくれて、本当にありがとうね」
「どういたしまして。それじゃ」
泰明くんが去っていくと、私は駆け足でトレセンを出た。
何か――早く豊さんに会わないと、大変なことになりそうな予感がする――。
――トレセンからゲーセンまでほぼ一直線の道を走っていくと、途中に人だかりができていた。
野次馬をしているような余裕はないが、あまりにも人がたくさん集まっているので、何かと思って近づいていく。
どうやら、事故のようだ。
バイクが横転し、ガードレールが大破している。
そして――地面には血が大量に広がり、その中央に男性が倒れている。
これだけの血を流せば、まず助からないだろう――。
そのとき、救急車とパトカーが到着した。
ただちに救急車から担架を持った隊員が数人飛び出し、ケガ人の男性のもとへ飛んでいく。
隊員たちが、男性を仰向けにする――。
……!!
「すみません!!」
私は弾かれたように人混みをかき分け、その真ん中に飛び出した!
「何だね君は?」
「顔をよく見せてください! その人、私の知ってる人なんです!」
「何!?」
隊員たちは驚きの声を上げ、ほどなくその中のひとりが、男性の血にまみれた顔をタオルで軽く拭ってくれた――。
「……豊さん!!」
間違いない。
この落ち着いた顔立ち――稔さんではなく、豊さんの方だ。
「君の知り合いに、間違いはないか?」
「はい!」
「彼の名前……名字は? 住所はわかるか?」
「名前は新谷豊さんです! 住所までは……でも、ここをまっすぐ行ったところにある大きいゲームセンターで働いている人です!」
「そうか。……とにかく君、一緒に救急車に乗って病院までついてきてくれないか?」
「わかりました!」
豊さんの知り合いとして頼りにされているのだ。できる限りのことをしなければ。
私は、隊員たちや豊さんと一緒に救急車に乗り込んだ。
――けたたましいサイレンを鳴らしながら走る車内で、私は隊員たちに豊さんについての話をした。
血液型がB型Rhマイナスであることを話すと隊員たちの顔が曇ったが、双子の兄がいると告げると、彼を連れてきて輸血してもらえば何とかなるかもという結論に達した。競馬学校直前の事故と、ちょうど正反対のケースになるわけだ――。
今頃はゲーセンにも連絡が行っていることだろう。私からそう遅れることもなく、稔さんも病院に来るはずだ。
……さらに、隊員たちによってひとつのことがわかった。
豊さんのポケットからは、なんと私の携帯が出てきた。どうやら彼は、私の「忘れ物」をトレセンまで届けてくれようとバイクを走らせ、この事故に遭ったらしかった。
私が携帯を忘れてきたりしなければ――。
だが、落ち込む前に隊員が私を叱った。今は私が一番の情報源だから、沈まないでほしいと。
それで気力を何とか保ち、やがて――救急車は病院に着いた。
豊さんは集中治療室へ送られた。
その外でやきもきしていると、稔さんがやってきた。レイラも一緒だ。
「真奈!」
レイラは私がいたことに驚いた様子だったが、それよりも――私は、稔さんの表情の方が気になっていた。
……暗く深い悲しみと絶望感。
仲のいい双子の弟がこんな事故に遭ったのだから、当然といえば当然だ。また、普段の彼が軽いタイプなので、余計に沈んで見えるだけなのかもしれない。でも――私には何か、豊さんはもう絶対に助からないと、そんな覚悟をしたときのような表情にしか見えなかったのだ。
「稔さん……」
私がつぶやいたとき、責任者らしい医師が彼のもとへ駆け寄ってきた。
「あなた、新谷豊さんのお兄さんの稔さんですね? 弟さんは現在、非常に危険な状態です。それで輸血を施したいのですが……ここには彼に合う血液がないんです。あなたは彼とは一卵性双生児だそうですね。ご協力願えますか?」
稔さんは当然、速攻で首を縦に振るはず――だったのに。
「……できません……」
――私は自分の耳を疑った。レイラも医師もそうだったことがすぐわかる。
「できないって……あんたそれ、どういうことよ! ほっといたら豊、死んじゃうんだよ! まさかそれ、わかってないわけじゃないよね!?」
「できないんだ!」
稔さんの悲痛な叫びが、音のよく響く病院の廊下を遠くまで駆け抜けていく……。
できない……。
一卵性双生児ならば、できないはずはない。現に彼らは、立場こそ逆であるものの、過去にはそれができているのだ。
となると金銭的理由か、あるいは稔さん自身の勝手な事情ということになる。
金銭的理由はないだろう。お金がないだけなら、「金は何とかしますから、どうか自分を使ってください」といったようなことを申し出るはずだ。
「なぜ……なぜですか?」
医師は理由を聞こうとしている。当然だ。私だって気になる。
「……あいつを助けたい気持ちだけなら誰にも負けません。でも……それでも、俺にはできないんです!」
稔さんはそう叫ぶと、頭を抱えた――。
……。
不意に、泰明くんから聞いた双子座の伝説が頭に蘇った。
そして、それを元に、ひとつの推理が浮かぶ――。
でも……まさか本当に、そんなことが……?
考えてる暇はないわ!
もしその通りならば、早く策を講じないと、本当に豊さんは帰ってこなくなっちゃう!
「系列の病院から、豊さんに合う血液を運んでもらうことはできないんですか!?」
私は慌てて医師に聞いた。
「できなくはないですが……かなり遠いんですよ。間に合わせるためにはヘリで運んでもらうしかありません。それには……」
「お金なら私が出します! こんなときに言うのも何ですけど、私は騎手です! それなりにまとまった金額は持ってます!」
「真奈さん……!」
稔さんが、真っ赤な瞳で私を見る。
「し、しかし、彼に血液を提供してもらった方が、金額だけでなく安全かつ確実ですよ……?」
「それではだめなのかもしれないんです! どうかヘリを使って運んでもらって、私にそのお金、出させてください!」
医師の言葉をさえぎって、私は懇願した。
「……稔さん、どうなさいます?」
医師は稔さんに、最終的な決断を求めた。
「……頼むよ……」
稔さんは一度顔を上げ、私を見てそれだけ言うと、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
「じゃあ、あたしも金出すよ!」
すると、レイラもそう言い出した。
「ありがとう……」
「あんたにそんなこと言われたくないよ!」
レイラは、しゃがんだ稔さんの頭を平手で力強くひっぱたいた。
こうして、大急ぎでヘリで血液を運んで豊さんに輸血してもらうことに話がまとまり、そのための準備が始まった。
「よかった。……じゃ、あたし帰る。こんな恩知らずのそばになんかいたくないもん!」
レイラはそう残し、手術を見届けないうちに帰ってしまった。
恩知らず――確かに、以前豊さんから血を分けてもらって助かったのに、逆の立場になった今それを拒んだとなれば、誰でもそう思うだろう。
だが、私には稔さんが豊さんの力になれない、その本当の事情がわかったような気がしていた。
――やがてヘリが到着し、豊さんの治療が始まった。
医師の話では、助かるかどうかは五分五分だそうだ……。
……私と稔さんは、集中治療室の外のソファーに座って、手術の完了を待っていた。
当然だろうが、彼は何もしゃべろうとはしない……。
「……稔さん」
そんな中、私は自分の推理の真偽を確かめようと思って彼を呼んだ。
「あ、ああ……」
彼は力なく顔を上げ、私を虚ろな目で見る。
「私には、あなたがなぜ輸血を拒んだのかについて、ひとつの推理があります」
私はそう言い、その内容を重く口にした……。
「……あなたはもしかすると、豊さんと血液型が違うのでは? だから、どんなに輸血したくてもできなかった……」
……稔さんは無言だったが、私はその沈黙を肯定の意味に受け止めた。
私の思った通りなら、彼が私の話にうなずくのは、自分の人生そのものをなくすことにも等しいはずだ――。
「あなたたちが受けるはずだった競馬学校の入試の直前に、本当は何が起きていたのか……それについても、ひとつの推理があります」
稔さんは私の話を黙って聞いている。口をふさごうという気はなさそうだ。
それを理解してから、私はついにその推理を言った。
「豊さんが話してくださいましたが、彼ら兄弟にはとても仲のいいお友達がいたそうですね。彼は『その人はもうどこにもいない』と言っていましたが、『亡くなった』とは言いませんでした。……あなた、実は『新谷稔さん』ではなく、その『もうどこにもいないはずのお友達』ではありませんか?」
……「稔さん」はなおも無言だった。私は続けた。
「事故にあったのは、おそらく稔さんおひとりだけだったんでしょう。彼は生命の危機を迎え、当然豊さんは自分の血液を提供した……。ところが、稔さんはそれにも関わらず助からなかったのでは? それで……何を考えてかは私は知りませんが、あなたは顔を稔さんそっくりに整形して、それから後の人生を『稔さん』として生きることにした……」
「……君は、どうしてそんなに鋭いんだ? まるで過去へ行って見てきたような、完璧な推理だ……。その通りだよ」
彼は、ついに「人生」を曲げ、それを認めた。
「豊はあのとき……それこそ自分の方の命が危なくなるくらいに稔に血を分け与えたんだ。でも、稔は助からなかった。それで豊はふさぎ込んで、誰とも会おうとしなくなった……。あいつは稔がいなきゃ生きていけないんだ、それを悟った俺は、自分が『稔』になってあいつを助けてやろうと思って、顔をちょっと整形したんだ」
彼はそこまで語ると、再び頭を抱え込んだ。
「……頼む。このことは誰にも言わないでくれ。俺は『新谷稔』。豊のために、ずっとこのままでいてやりたい……」
――しかし、私は言った。
「いいえ。それはできません」
「なぜ……!」
「……あなたは、他人の気持ちをもっとわかってあげるべきです。豊さんは、あなたが稔さんの代わりになることなど望んではいません」
「……」
「あなたは豊さんを気づかっていたおつもりなのでしょうが、彼にはそれが逆に重荷だったのです。あなたと毎日顔を合わせて、そのたびに本当は亡くした稔さんのことを思い出して……。それは、例えるならば、自分の心を一番傷つけることを紙に大きく書いて貼って毎日眺めるようなものです」
「……」
「私から、お願いがあります。……どうか『稔さん』としてではなく、元のお友達として、豊さんのもとへ帰ってあげてください。あなたが稔さんを演じている間は、豊さんは稔さんだけでなく、あなたをも失っていることになるのですから」
「……ひとつ、教えてくれないか」
彼は私の言葉を受け止めると、顔を上げ、力なく私を見て口にした。
「君には、どうして豊の気持ちがわかるんだ? あれから7年、ずっとあいつのそばにいた俺も気付かなかったようなことを……」
「スタッフルームでふたりだけになってから、彼が私に話してくださったんですよ。彼と稔さんとあなたと……3人で撮った写真を見せて、私にいろいろなことを聞いてきました」
「あいつは、何を聞いたんだ?」
「まず、『家族』とは何かと聞きました。血のつながりと絆……どちらかが欠けたら、それは『家族』ではないのかと。もしかしたら彼は、気づかいをしてくれているあなたを、本当の家族だと思おうとしたのかもしれませんね。苦しむだけで結果的にできなかったとしても」
「……」
彼の瞳に、寂しさのような後悔のような、そんなものが浮かぶ。
「他には、双子座の伝説を知っているかと聞いてきました。そして、今の自分と『稔さん』は、その伝説の兄弟のようだと」
「双子座……『Gemini』か……」
「ええ。あなたはその伝説をご存じですか?」
「いや、わからない……」
「双子の兄を亡くした弟が、父親から永遠の命を与えられたものの、その孤独に耐えきれず、ついに兄と一緒に星座になることを選んだ……。父親は『もう片方の息子だけは絶対に死なせまい』という親心から永遠の命を与えたのに、それが弟には逆につらかったんです。思いやりや気づかいも、妙にすれ違ってしまうと逆効果だというお話ですよ」
「……そうか。あいつは君にそんなことを言ったのか。俺じゃなくて……」
彼は、今度はしっかりと私を見た。
そして――言った。
「あいつが本当に望んでいるのは、稔の身代わりじゃなくて、自分の気持ちを素直に打ち明けられる君みたいな存在なのかもしれないな……」
沈黙――。
でも、私は心配の中に、微かな嬉しさを感じ取った。
豊さんが本当に私を望んでくれるなら、私は――。
……そのとき、集中治療室のドアが不意に開いた。
私も彼も、反射的に顔を上げる。
そこから出てきた医師は――ほっとした表情だった。
「豊さんは、何とか持ち直しました。助かりましたよ」
「よかった……!」
私は彼――自分の人生を棄ててまで豊さんを気づかい続けた親友――と、思わず手を握り合った……。
――数日後。
私は、ひとりで豊さんのお見舞いにやってきた。
あの親友は「豊に合わせる顔がない」とのことで来なかった。
レイラは誤解も解け、今は傷ついた彼のそばについている。
豊さんはしばらく入院が必要だそうだが、とりあえず命は助かった。
それだけで、私は嬉しかった。
「……あなたには、本当にお世話になりました。手術代を出していただいて、輸血の手続きもしていただいて、しかも聞いたところでは、俺がここに運ばれるとき、一緒に救急車に乗ってくださったともいうじゃないですか」
厚く包帯の巻かれた頭を振りながら、豊さんは柔らかく微笑んだ。ゲーセンで初めて会ったときのあの無表情は、どこにもない。
「それに……双子座の話もちゃんとわかってくださって、あいつに俺の気持ちを伝えてくださって……本当に、あなたを信じてよかったです」
「そんなことをおっしゃらないでください。そもそも、私が携帯を忘れて帰ったりしなければ、あなたはこんなことにはならなかったんです。私があなたにしたいろいろなことを足しても、まだ穴はふさがりません」
私は本気でそう言った。心から、申し訳ないと思っていた。
しかし、彼は首を横に振った。
「いいえ。きっと……俺はこれでよかったんです。もしあいつがあのまま『稔』であり続けたら……俺はそのうち本当に、寂しさに耐えかねて『双子座の星』になることを選んでいたかもしれませんから」
「豊さん……」
呼びかけると、豊さんは窓の外をそっと見た。
時刻は夕方の4時半。今日か明日が冬至という時期だけに、もう空はかなり暗い。
「……あの双子座の伝説の弟ポルックスは、弱い男だったと思います。兄カストールの死をしっかり受け止めていれば、不死身にも星にもならず、普通に生きていられたはずです。兄と一緒に星座になるのは彼の望んだことですけど、それで本当に幸せだったとは、俺には思えません」
「そうですね……」
「俺も同じですよ。稔が助からなかったとわかったとき、それをはっきり過去にする勇気がなかったから、結局はあいつまで巻き込んで7年も過ごしてきてしまいました。でも――あなたがいてくださったおかげで、俺は星にならずにすみました。本当に、感謝いたします」
そう言って、また微笑む。
私は照れくさくなって、彼と同じように暗い空を見上げた。
「……私、あれから少し調べてみたんです」
そして私は、言った。
「あまり興味がなかったから今まで知らなかったんですけど、星占いって、自分が生まれた日に太陽がどの星座の上にあるかなんですね」
「ええ、そうですよ」
「私は11月12日生まれの蠍座ですから、てっきりその頃に夜空に蠍座が見えるのかと思っていたら、そうではなくて、逆に真昼に太陽と重なっていて絶対に見えないんです。その頃見えるのは、ちょうど逆の位置……蠍座から半年ずれた牡牛座ということになりますよね」
「はい」
「ですから……12月の今なら、6月に太陽の位置にある星座が見えるのではないでしょうか?」
「あ……!」
豊さんを振り返ると、彼は綺麗な瞳を見開き、私を見ていた。
……私はまたほんの少し視線をそらし、言った。
「空には双子座の星……。でも、あなたはずっと地上にいてくださいね。私が……おそばにおりますから」
「ありがとうございます。とても……嬉しいです」
彼の返事を受け止めたそのとき――空の彼方で、一番星がきらりとまたたいた。
双子座の星
(エンディング No.80)
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