「わかりました。もう……結構です。お騒がせしました」
俺はそう言って、田倉さんが何かを返してくる前に、彼に背中を向けた。
未練を断ち切るために。
……彩夏、すまない。
どうも、俺には力になれそうにない……。
足取り重く、俺は寺西厩舎へ帰ってきた。そして、まっすぐ馬房へ向かう。
結論はどうあれ、やはり彩夏には事の報告をしなきゃいけないと思った。「呼んできてやる」と意気揚々と出ていったにも関わらず、その目的は達成できなかったんだから。
彩夏は、俺が出ていく前と何ひとつ変わらない様子でそこに立っていた。俺は大きく息を吸い込み、声を落として言った。
「悪い……田倉さんは来てくれなかった」
こいつの表情を見るのが怖くて、目を閉じたまま続ける。
「俺は、自分にできることを全部やったとは言えないかもしれない。『信じられない』って言われるのがいやで、お前の名前すら出せなかったんだから。臆病者ですまない……」
そこまで言うと、やはり臆病ではいたくないという気持ちからか、俺は思いきって目を開けた。
彩夏はがっくりと首をもたげているかと思っていた。あるいは怒ってかみつくかどうかしてくるかとも思っていた。
……が、答えはそのどっちでもなかった。やつは、俺の言葉には一切無関心な様子で、顔を背けていたのだ。
そう――それはまるで、ごく普通の馬のように。
「彩夏?」
俺は、奇妙な違和感を覚えてやつを呼んだ。普通の馬であることに違和感を覚えるのは逆のような気もするが、俺はそれだけこいつを人間と認め、わずかの時間でも感情を移入させていたのだ。
彩夏は、答えなかった。
首の縦横で自分の気持ちを伝えてくることも、床の「会話装置」を蹴ることもなかった。
……俺の全身から、力が抜けていった。
理由はわからないが、こいつは「野々村彩夏」ではなくなっていた。
今ここにいるのは、昔通りの「ウィローズブランチ」なのだ。
馬として生まれ、馬として生きてきたそのままの姿の……。
俺は、夢を見ていたんだろうか。
……きっとそうだったんだろう。
中身が人間なら有馬だって簡単に勝てる――彩夏は、そんな想像が生み出した幻だったのだ。
そう思うことにした。
「ごめんな……ブランチ」
俺は、昔ながらの名前でやつを呼び、その大きな頭を胸に抱えた。
「お前はお前だ。他の誰でもない。有馬では、よろしくな」
そのとき俺は、心の中で「ブランチ」の気持ちを感じ取ったように思った。
『私なりに、一生懸命走るからね』
それもまた、幻だったのかもしれないが――。
幻
(エンディング No.7)
キーワード……ん