「悔しくないさ」
俺がそう答えると、真奈はどうにも不可解そうな顔をした。
「そんな顔するなよ。彩夏の人生は彩夏のものなんだ。有馬勝ちたいのは事実だけど、それを理由に今回の一件を悔しく思うなんて、あいつの人生を自分のために利用しようとしてたことになるじゃないか。俺はそんなことは考えたくない」
「……あなたって、つくづくお人好しよね」
真奈がぼやいた。俺は言ってやった。
「お前にだってこういう気持ち、わかるだろ?」
「まさか。せっかくの有力馬が手から抜けて落ちたら悔しいだけだわ。現に私、そうなったもの」
「……え?」
俺がマヌケに口を開けると、真奈は無表情に言った。
「私、有馬には乗れないの」
「乗れないって……ゴールドロマネスクは……」
「どうしてもお母さんにG1勝たせたいって、五十嵐先生がおっしゃったの。それで乗り替わりが決まって、私はお役ごめんよ」
驚く俺を横目に、真奈は一歩前に出て、そっと空を見上げた。
「……この世界、他人のことなんか考えてちゃ、何もできないのよ。幼なじみとして忠告しておくけど、お人好しはいつかきっと痛い目に遭うわ。それがいやなら、あなたも私みたいに、他人の気持ちになんか一切頓着しない人間になることね」
悲しすぎる言葉だった。俺にはそんなことはできないと、真奈にはわかっているはずなのに。
……いや、こんなのはこいつの本心じゃない。ガキの頃からこいつを見ている俺だ。間違えるもんか。
感情を表に出すのは苦手だが、本当は心の中にいろんなものを隠して生きている女、真奈。
俺にはそれがある程度わかる。
考えてみれば……そうだ、そうじゃないか。
「お前は、他人の気持ちには一切頓着しないのか」
俺は真奈の背中に言った。
「そうよ」
その小さな背中が答えると、俺は続けた。
「じゃあ、なんで厩舎から出ようって言った? 田倉さんと彩夏をふたりにしてやろうって考えたんじゃないのか?」
「そ……そんなわけないじゃない。用事がなくなったらおいとまするのが礼儀でしょう。だからよ」
真奈が言い終わる前に、俺はやつの正面にまわっていた。
……やつは、苦笑いをしていた。俺は言った。
「お前、笑った方が絶対かわいいぜ」
「や、やだ」
真奈は必死に俺から顔を背けた。そうすることが「冷静さを失っている」証になるとも気付かずに。
……どれくらい、ふたりでそこに立っていただろう。
後ろから靴音がして、俺たちは一緒に振り返った。
田倉さんがいた。
「彩夏ちゃんは、帰っていったよ」
「そう……行っちゃったのね」
真奈はつぶやいた。
本人は気付かなくても、情愛のこもった声で。
情愛
(エンディング No.9)
キーワード……つ