「りょ……僚……!」
拒絶され、張り倒されるのを覚悟していた。そうなったらなったでいいと思った。
所詮俺はこの世界の人間じゃない、そんな開き直りが、勇気か無謀かわからないような積極性をもたらしたのだろうか。
――ところが、真奈は動かなかった。俺の腕の中の女は、あたかも人の心とぬくもりとを持っただけの人形のようだった。
そしてそいつは、自分には言葉も出せると主張するかのようにつぶやいた。
「僚……よかった……あなたがいなくなったら、私、どうしたら……」
時には心にないことを言ってみせたりもする真奈。それは自分を有利にするためだったり単なる照れ隠しだったりするが、この言葉は違う。こいつが実際に心で感じ、その気持ちをまっすぐに出してくれたものに違いない。俺はそう信じる……。
「いなくなるわけないじゃないか。お前ひとり残してなんて……」
そう言って、遅すぎた想いに気付く。
「俺は……ずっと、お前のことが好きだったんだから」
そして、やっとそう言う。
今の俺には遅すぎても、この時代の真奈には遅くない――。
「……冗談でしょう? あなたが私をなんて……」
「俺が、冗談でこんなことすると思うか?」
「でも……ずっとって、いつから?」
「この時代の俺よりも、もっとずっと昔から」
「信じられない。いつも私のこと、かわいくないかわいくないって言ってるくせに……」
「かわいくないけど、放っておけなかった。それは、俺がお前を好きだからだ」
「……気がつかなかったわ」
「俺も、気がつかなかった」
俺は真奈を解放し、やつの両肩に両手を置いて、苦笑いをした。
「……だめよ、やっぱり」
真奈は顔を背けた。
「何がだめなんだ?」
「あなたは今の……私が言うところの『今』の僚じゃないわ。何の目的でここに来たかはわからないけど、もうすぐ元の時代に帰るんでしょう? 今の僚は、私にそんなことは言ってくれない。あなたの言葉は、私の中で真実にはなりえない……」
……俺は、ずっと説明しようと思っていた「目的」を伝えるのをあきらめ、その代わりに言った。
「真実にする方法もあるさ」
「えっ……」
その大きな瞳が、再び俺をとらえる。
「情けなくひっくり返ってる俺が目を覚ますのは、5日後だ。起きたら、あいつに聞いてみるといい。未来の俺に会った、そいつはずっと昔から真奈のことが好きだったって言ったけど、それは本当か……ってな」
俺が言うと、真奈はまた顔を背けた。
「……帰って」
「何……?」
その言葉を飲み込めずにいた俺に、真奈は突然、感情を爆発させた。
「お願いだからひとりにして! 私に夢を見せないで!」
そして――。
「おい、真奈!」
真奈は俺を押しやり、走っていってしまった。
泣いていたように見えたのは、気のせいだろうか……。
俺は、追うことはしなかった。真奈の心がわからなかったからだ。
ただ、やつの望む通り、元の時代に帰ろうと思っただけだった。
……そう決めただけで、目の前の空間がはじけた。
ためらいもせず、俺はそこに飛び込んだ。
――風が、真冬の冷たさになった。
気が付くと、俺はあの林の中にいた。
戻ってきたんだ……。
過去で俺がやったことは、この世界にどんな影響を与え、未来をどう変えたんだろう。
俺はそれを知りたかった。
まず、純也がちゃんとジョッキーになってくれてないと困る。それが目的だったんだから。
とりあえずこの林を出て、それを確認しに行くか。
……でも、それ以上に気になることがあるのを、俺は否めなかった。
真奈……。
お前は今、どこで何をしている?
何を考え、誰を愛している?
俺をどう思っている……?
俺は携帯を取り出した。
そして、真奈を呼び出してみた。
……。
高鳴る胸の音が、林を通り抜ける風に運ばれて散っていく。
そして。
『あっ、僚。ちょうどよかったわ。聞いてほしい話があるんだけど……今どこにいるの?』
あまりにもいつも通りというか、元通りの真奈が出た。
……こいつは、俺の「告白」を聞いたあの真奈のはずなのに。あの言葉も、こいつをその気にさせるまでには至らなかったのか。
それならそれで仕方がない。俺はこいつを愛する男として、その決定を尊重するしかあるまい。
「今、林の中だ。ちょっと散歩に出てな」
『それなら都合がいいわ。私もすぐそっちに行くから、そこで待っててちょうだい』
悲しいくらいに、いつも通りの真奈。
俺は「わかった」とだけ答えて携帯を切った。
真奈は、5分ほどでやってきて俺を見つけた。
服の好みや髪型が変わっていることもなく、表情も乏しいままだ。
だが――それでも、あの真奈だ。俺がいなくなったら、と感情を見せた真奈。
「待っていてくれたわね」
当然さ、お前のためだ――そう口に出せないのが悲しい。
……真奈の話とは、ゴールドロマネスクでの有馬参戦を降板させられた、という内容だった。引退が近い真理子おばさんに何とかG1を、と五十嵐先生が決定したことだという。おばさんに反発する真奈は当然納得がいかず、それで俺にグチをこぼしたかったようだ。
俺は俺なりの言葉で真奈を慰めてやったあと、たずねてみた。
「しかし、よくそんなこと俺に話す気になったな。普段は絶対他人に弱音なんか吐かないくせにさ」
すると――。
「あなただから話せるんじゃない、こんなこと」
真奈は、今までに見たこともないような笑顔でそう答えたのだ!
「え……」
「何驚いてるの? いつもそうじゃないの。この林にいる間は、私はあなたの恋人」
「真奈!!」
俺は大声で叫んだ。
変わっていた……。
未来は、変わっていたんだ! それも、俺の強く望む方向に!
「真奈……実は俺、たった今、俺が気絶したあの日から帰ってきたばかりなんだ」
俺はそれを告げた。
「まあ、そうだったの。そろそろかなって思っていたけど、今日だったのね。それじゃ、あの日から今日までのことは何もわからないの?」
「ああ……」
それは、記憶をなくしたことにでもなるんだろうか。
そう思っていると、真奈はにっこり笑って言った。
「大丈夫。私もタイムスリップ関係の専門書を読んだけど、それによると、そのうち歴史の矛盾を埋めようとする力が働いて思い出してくるはずよ。あなた自身には経験のないことでも、片山僚はこの世界にただひとり、あなたしかいないんだもの」
「そうか……楽しみだな」
俺も同じ笑顔になり、そして続けた。
「でも、やっぱり今知りたいことがある。お前さ、目を覚ました俺に、本当に言ったのか? その……俺はずっと昔から……」
なんで今さら照れくさいんだ?
疑問を抱いている間に、真奈は答えた。
「言ったわよ。あなたは……目を覚ました僚はすぐ私の話を信じてくれて、それからすぐ『本当だ』って。嬉しかった……」
そうなのか……。
おそらくあの日の真奈は、俺の存在を半ば幻だと思ってたんだろう。それで混乱しちまったんだ。
私に夢を見せないで――あの叫びがそれを物語っている。
でも、きっと……やつも俺のことを心のどこかで好きでいてくれて、だから俺を信じて、目を覚ました俺にその質問をしてくれたんだ。
そして真実は今、ここにある――。
「それじゃ、私の質問にも答えて」
「よし、何でも聞け」
もはや、障害は何ひとつない。
「あなた、本来は何のためにあの日に行ったの?」
俺は、その説明をした。
俺が元にいた未来では、純也が退学処分になってたこと。その事件の真相を知りたかったから過去に行ったこと。そして真相を知り、その濡れ衣を晴らそうとしたこと。
「純也くんはすごいわよ。今は関西のリーディングジョッキーベスト10に入ってるわ」
「よかった……」
「ほっとしてていいの? この林を出たら、私たちはライバル同士なのよ」
……このへんは元のままだ。それもまた、俺には嬉しい。
「そうだな。そろそろ、ライバル同士に戻るか」
そうして俺と真奈は、外に向かってゆっくり歩いていった。
林を抜ける直前、真奈は俺にそっとささやいた。
「好きよ、僚」
時を超えた告白
(エンディング No.23)
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