「俺にまかせろ!」
叫ぶと、俺は他ならない自分の意思で、両手を高く掲げた。
「させないわ!」
床に倒れていた香が、起き上がろうとする。
「それはこっちのセリフよ!」
が、真奈と弥生さんが、ふたりがかりでやつを押さえつけてくれた。
「僚! 早く!」
「サンキュー!」
俺は簡単に答えると、強く念じ始めた。
次第に、両手の先に冷気がたまっていく。
そして。
「……やあっ!!」
気合いとともに、俺の手から冷気が放たれた。
冷気は一瞬にして壁全体を覆い、炎を弱めていく……。
成功だ!
――やがて炎が完全に消えると、俺は真奈と弥生さんの方を向き、親指を立ててみせた。
そして俺たちは警察を呼んだ。香は逮捕され、俺たちは全員無事だった。
驚いたのは、泰明も同じログハウスの一室に閉じ込められていたことだった。もし俺があのとき、炎を消さずに逃げることを選んでたら――そう思うと恐ろしかったし、実際、救出劇に混ぜてもらえなかったレイラは、「泰明だけ死んだなんてことになったらあたし、後追って死んで、あんたに取り憑いてやる」と口を尖らせた。もっとも、これもみんなが無事だったからこそ出てきた言葉なんだろうが。
なお、現場となったログハウスは、トレセンの林の中に建っていた。その存在は俺も含めいろんな人が知っていたが、外から板を打ちつけられていたので、誰もが今は使われてないと思っていた。が、実際には香の父親・東屋先生が自分の診療所から地下トンネルを掘って入り、中を個人的な研究室として使っていたらしい。
その東屋先生だが、残念なことに、すでにこの世にはいなかった……。
真奈の話(俺も香から聞いた話などをやつに話した)、そして警察の捜査により、事件の全貌が明らかになった。
発端はこういうことだった。
東屋先生は研究一筋の人間で、食事などで時間をつぶすのを極端に嫌っていた。そのため、腹がふくれれば何でもいいと、常に手近にある馬の餌を口に入れるようなことがたびたびあった。
ところが――その中に「馬が食っても何ともないが、人間が食うと例の病気にかかる」物質が混ざっていたというのだ。
雑学的知識が豊富な寺西先生の話によると、こういう「与える影響が種族によって異なる」物質は結構あるらしい。彼が出した例では、アシビという植物は漢字で「馬酔木」と書き、これは馬が食うと麻痺するところから来ているそうだ。
ともかく、そのせいで東屋先生は発病し、例の病気第1号になってしまった。
自分のかかった病気が未知のものだとすぐわかった彼は、当然のようにそれについての研究を始めた。
その結果、患者にとある薬品を投与することで魔法のような効果を発揮できることがわかった。これは香も言っていたことだ。
しかし、東屋先生の病気は進行していき、1週間後、香だけに見送られて静かに目を閉じたという――。
そして、父親の死を目の当たりにした香は、その死を世間から隠し通し、自分がその研究を継いで完成させることを誓った。
こうして、事件は始まった。
研究室から生きて助け出された患者は、俺と泰明と弥生さんだけだった。それ以外の人間は、全員タイムリミットを迎えて死んでいた――。
だが、不幸中の幸いで、治療法は判明していた。
男の場合は90度以上の場所に、女の場合はマイナス10度以下の場所に2時間以上入っていれば、中和されて元に戻るそうだ。気付いてしまえば単純すぎてあきれるような方法だが、ともかく治るってのはこの上なくありがたかった。
俺と泰明は早速、ジョッキーが体重を落とすために使うサウナの中に閉じ込められた。今の俺たちにとっては、こんなところに2時間も入ってなきゃいけないのは地獄に等しかったが、治るなら耐えてやる。
なお、弥生さんはというと、冷凍車の中に缶詰にされているらしい。それもそれで気の毒だな、と俺は思った。
「香先生は、なんでこんな恐ろしいことをしたんだろう。いくらお父さんの後を継ぐためとはいえ……」
サウナの中で、泰明は寂しそうにつぶやいた。何だかんだ言ってこいつは、香にちょっとでも惚れていたのかもしれない。
「そりゃお前、研究だろ。研究の時間を作るためには馬の餌まで食っちまう東屋先生の娘だぜ。研究のためなら手段を選ばなかったんだろ」
「……ぼくには、そうは思えない」
「泰明……?」
何だか同情的だ。俺は不思議に思って、やつを見つめた。
「彼女とは、いろんな話をした。もちろん、それはぼくを陥れるためだったんだろうけど……1回だけ『叶うなら研究なんかじゃなくて、ごく普通の恋愛をしたい』ってつぶやいたことがあったんだ。それが妙に心に引っかかって……。すべてがわかった今でも、何か、あの一言こそが彼女の本心なんじゃないかって思えてしょうがない」
「……それも、あるのかもな。だが、彼女の心は彼女だけのものだ。俺たちがあれこれ想像したところで無意味さ」
俺は俺の思うところを言った。
いずれ香本人が心情を白状することもあるかもしれないが、どうも俺は、その可能性は低そうだと思っている。彼女みたいなタイプの人間は、自分の本当の心を知られるのを極端に嫌がるものだ。
こいつは、永遠の謎になっちまうだろうな……。
俺は、それを覚悟していた。
そして時間は流れ、俺たちは汗だくになってサウナから出た。
泰明の髪は、すっかり元の黒に戻っている。
俺も、長く続いていた漠然とした脱力感がなくなっていた。
俺たちは、生還したのだ――。
シャワーを浴び、着替えて外に出ると、そこには真奈とレイラが来てくれていた。
「僚……」
「泰明っ!!」
――真奈のしおらしい声は、レイラの怒声と乾いたビンタの音にかき消された。
「あんた……バカじゃないの! 何、あんな女に引っかかってんのさ! ここにこんないい女がいるってのに!」
レイラは涙ぐんでいた。泰明はたたかれた頬を押さえながら、ただやつの顔を見ていた。
「あんたの考えてたことなんかわかるよ。どうせいつもみたく『彼女が必要としてくれるなら』だったんでしょ? だけどね、あたしだってあんたが必要だよ! そりゃ、はっきり言わなかったあたしも悪かったけどさ……気付いてくれたってよさそうなもんじゃない! 長いつきあいなんだから……」
そしてレイラは、いきなり泰明にしがみついたかと思うと、わあわあと泣き出した――。
俺と真奈は、気を利かせて(?)ちょっと離れた。
「あなたが元気になってくれて、本当によかったわ」
真奈は言って、そっと微笑んだ。こいつの笑顔をこんな形で見ることになったのは、嬉しいようでもあり、悲しいようでもあった。
そんなことを考えているうちに、ひとつ思い出したことがあった。
「そういえば、お前……俺が香に操られてお前に冷気攻撃食らわせようとしてたとき、俺のこと助けたいって言ってくれたよな。あれ、嬉しかったぜ」
「え……あれ、聞こえてたの?」
やだ、といった感じで、真奈は口を手で押さえた。
「聞こえてたさ。お前だって、聞こえることを信じて言ってくれたんだろ?」
「まあ……それはそうだけど」
真奈は顔を背けた。その頬がちょっと赤いことに、俺は気付いた。こいつは感情は乏しいが、根はシャイなのだ。
「……しかし、いざ治ってみると、ちょっと残念な気がしないでもないな」
俺はつぶやいた。
「残念って?」
「ほら、俺、昔っから魔法使いが好きで、それ系の童話とかよく読んでたじゃないか。覚えてないか?」
「ああ……そういえば、思い出したわ」
「お前は『魔法なんかあるわけないのに』って興味のかけらも示さなかったよな」
「でも、今回の事件で、魔法も実在することが証明されちゃったわ」
真奈は顔を俺に向け直し、やれやれ、というように笑った。
俺は、そんな真奈に答えた。
「証明もされたし、未練もあるが……やっぱり、魔法なんて人間が使うべきもんじゃないのかもな。死人もたくさん出ちまったし、俺だって死にかけた。悲しんだやつも多かっただろうし」
「そうね……」
真奈は、俺をまっすぐに見つめた。
俺も見つめ返した。
こんなとき、相手の心が読めたらとは誰もが思う。
だが、それができないのが人間ってやつだ。
魔法への憧れはこのへんで封印して、これからはこの真奈をちょっとくらい見習って、現実的に生きてみるかな。
俺は、そんなことを考えた。
魔法
(エンディング No.57)
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