……別におかしくはないか。
こんなわけのわからない病気にかかれば不安にもなるし、仲間も欲しくなる。現に俺だって泰明に相談しようとしたのだ。あいつが同じことを考えたって不思議はない。
大方、相談相手ってのはレイラだろう。
同期仲間の中でも、泰明はレイラを一番信頼している。俺より先に相談を持ちかけたとすれば、あいつ以外にない。それを俺に言わなかった理由はわからないが、きっと何かあるはずだ。
同時期に発病した件に関しても、俺と泰明は一緒にいることも多いから、そのとき病気の原因が襲いかかったと考えれば怪しくもない。
俺は、これからの身の振り方を決めた。
まず、誰かに相談はしない。とことん隠しまくって、ひとりで乗り切ってやる。
誰に話しても、そいつの心を曇らせるだけだ。俺だって泰明も病気にかかってたことを知ってショックだったんだから。
そして、あとで帽子かバンダナでもかぶって白髪染めを買ってくる。それで外見はごまかせる。
バタバタすると死期が早まるって説があるから、それからは必要なとき以外は安静にする。
有馬の前に死ぬことだけは、どうしても許せない。俺はしっかり有馬に参戦し、優勝する。
俺のために、そして親父のために。
「先立つ」という最大の親不孝を回避できないなら、せめて喜びを捧げてから死にたい――。
悲しい話だが、俺はそう思うようになっていった。
――ところが。
その夜、泰明は行方不明になってしまった。
さらにレイラに話を聞いたところ、やつは泰明から相談は持ちかけられてなかったらしい。
じゃあ、あの「相談相手」は誰だったんだ……?
レイラの説によると、この病気はどこかの誰かが流行らせていて、相手はその「誰か」か仲間で、泰明はそいつに連れ去られたのかも……とのことだ。ネガティブになっているだけかもしれないし、信じたくはないが、考えられない可能性じゃない。
やっぱり、あの電話の後の一瞬の違和感を突き詰めるべきだったな……。
後悔しても始まらないが、それでも俺は、そう思わずにはいられなかった。
そして時は流れ――日曜日。
俺は何とか今日まで病気を隠し通すことに成功し、こうしてウィローズブランチの背に跨って本馬場に入ってきた。有馬の発走まで、あと15分。
ブランチの単勝オッズは10倍ほど。オークス馬だけにそれなりの人気になっている。そして、もちろん実力はあるし、馬の調子もいい。あとは俺が上手く乗れれば、勝機は充分だ。
……だが、心はとても晴れてなんかいなかった。
泰明の行方はわからないまま。真奈はとある理由でゴールドロマネスクから降ろされ、この場にはいない。
そして何よりも、俺――。
当然表に出すわけにはいかないが、もう限界が近いことを自分で悟っていた。体の自由はまだそれなりに利くものの、頭はふらふらし、時折意識が途切れそうになる。気力だけで踏ん張っている状態だ。
レースで体力を激しく消費したら、無事じゃすまないだろう……。
ゲートの後ろで、出走馬たちの周回が始まった。発走まであと10分。
……もし神というものが本当に存在するのなら、本気で祈りたい気持ちだった。
レース後に俺の命を捧げるから、何とか有馬を勝たせてくれ、と――。
発走まであと5分。
……ゴーグルの下で、俺は泣いていた。
これが、俺の人生で最後のレース騎乗になるだろう。
やり残したことだらけだ。仮にここで勝てたとしても、まだ叶わなかった夢はたくさんある。
泰明を探し出してやりたかった。いずれは調教師になってG1馬を育ててみたかった。いい女を見つけて恋愛もしたかった。
そして――なぜか、真奈の顔が浮かんで消えない。
……あいつと一緒に、この舞台で走りたかった……。
だが、雑念は勝率を落とすだけだ。
俺はゴーグルを押し上げると涙を拭い、もう二度と泣くまいと誓った。
――そして、ファンファーレが鳴った。
馬たちがゲートに入っていく。
さあ、最後の一戦だ!
ガタン、とゲートが開いて、俺たちは飛び出した!
……レースってのは、こんなにスピードが速いものだっただろうか?
道中、俺はそんなことを思った。
置いていかれそうになっているのはブランチか、それとも俺の心か……気付けばしんがりだ。
現在、3コーナーと4コーナーの中間点。
いくら末の伸びが自慢のブランチでも、そろそろ気合いのひとつもつけないと追い込みきれない。
そう判断して、俺は隠すように持っていたムチを構えた。
だが――終焉は不意にやってきた。
――まぶしすぎる光に襲われたかのようだった。
俺の体は一瞬にして自由を失い、バランスを崩し、スピードに置き去りにされて空中に放り出された。
届かなかった――。
空中では、そう思うだけで精一杯だった。
真冬だというのに不自然なほど青い芝にたたきつけられ、激しい衝撃といやな音が全身を貫いた。
「……ああっ!! ウィローズブランチ落馬しています!!」
場内実況の声が小さくなって、10万人以上の観客の歓声も遠くなって――。
……それっきり、俺が目覚めることはなかった。
それが落馬の外傷によるものなのか、それともタイムリミットだったのか……。
――俺には、わからなかった。
届かなかった夢
(エンディング No.71)
キーワード……ひ