「人間的に認められるジョッキーになるのが夢です」
俺がそう答えると、会場から途端にどよめきが起こった。
「人間的に……ですか?」
と進行役の男。……そんなに意外か?
「はい。実力的にももちろんですが、何よりも人間的に認められるジョッキーでありたいです。優しさと思いやりを忘れずに、たくさんの人たちに親しまれたいな、と」
「おおー! 素晴らしい!!」
進行役が大声で叫び、会場は割れるような拍手に包まれる。
……まいったな、すっかり受けちまった。俺は大まじめだったのに。
みゆきはどんな気持ちがしているだろう。それが気になった。
まともに答えたことを理解してくれただろうか。それとも「恰好つけちゃって」とあきれているだろうか。
理解していてほしかった。
彼女は、俺のファンの中でも一番熱心に応援してくれている人だ。彼女が俺の真意を理解できていなかったら、何か……ファンって存在を見る目が冷たくなっちまいそうな気がする。
そこまで思って、俺は心の中で苦笑いした。
……彼女ならわかってくれるさ。
彼女が俺を信じてくれるなら、俺も彼女を信じよう。
それだって、思いやりの第一歩だ。
あとは、この灯火を消さないようにがんばればいい。
俺は、彼女を初めとする大勢の前でそれを宣言したんだからな。
――そんなことがあってから、数年が過ぎた。
本当に、運命ってやつはどこでどう転ぶかわからない。
俺のあの一言には、予想外の反響があった。
「今時そんな考え方をする若者は珍しい」と何人かの馬主に気に入られて騎乗数が増えたのに比例し、成績もぐっと上がった。
あのフェスティバル直後の有馬は、リラックスしすぎて臨んだせいか残念ながら勝てなかったが、その翌年に重賞初制覇、さらにその翌年の桜花賞でついにG1初制覇を成し遂げた。
親父は泣いて喜び、俺はそんな親父を見ただけで、ジョッキーになってよかったと心底思った……。
そして、みゆきはやはり俺の理解者だった。
あの年が明けてすぐ俺に手紙をくれ、俺の意識は素晴らしいとほめてくれた。ファンでよかった、とも書いてきた。
彼女はその半年後に結婚して「佐川みゆき」から「森園みゆき」に変わり、中山に応援に来るのも皆勤賞ではなくなったものの、それでも中山の開催日には、月に一度くらいは来てくれた。
変わらずに送ってくる手紙によると、今では旦那も一緒に俺を応援してくれているらしい。結婚を機に競馬から離れるような人が多い中、彼女とその旦那が味方についているってのは、この上なく嬉しかった。
そして、気付いた。
デビュー当時からずっと、俺は彼女を大きな行動力の源のひとつとしていたことに。
時は流れ――。
2054年、2月。
俺は今、46歳。今月限りで、28年間続けたジョッキーを引退することになった。
通算勝利は1850勝。引退を決めたとき「親父の10倍勝った男」とちょっと騒がれた。が、親父だって俺のためにジョッキーをあきらめなければこれくらい勝てる実力を持っていたはずだ、と俺は信じている。
ともかく、ジョッキーとしてはかなり勝てた方だってのは事実だ。ほとんどが周囲の力添えによるもので、彼らには感謝してもしきれない。
俺はこれから1年間研修をし、その後に調教師として開業する。
これもまた親父が叶えられなかった夢で、俺の「親父のために」という気持ちはまだまだ燃えている。
すっかり老け込んだが健在の親父は、「お前はもう充分すぎることをしてくれた。これからはお前自身のために生きろ」と言うが、今の俺自身の夢はというと、やはり親父の夢を継ぐことで、結果は同じなのだった。
そういえば……。
25年前、あの森園みゆきが、俺の夢は何かという質問をした。そのときの答えが、俺のジョッキー人生を軌道に乗せたんだったな。
それを思い出し、ちょっと懐かしい気持ちになる。
みゆきは、やはり家庭に入ってからは忙しくなったんだろう、競馬場に来る回数は徐々に減っていき、ここ数年ほど一度も来ていない。ただ、定期的に来る手紙が「自分がまだ片山僚のファンである」ことを伝えてきた。
それはもちろん嬉しいのだが、実は不安でもあった。
本当は、もう俺の心からのファンではないんじゃないだろうか? それをはっきり言うのが悪いから、義理で手紙を送り続けているのでは……。
ジョッキーとして実績を作ってからは、俺のファンも増えた。だが、それでもみゆきは「俺のファン」とはっきり言ってくれた最初の人だ。叶うなら、彼女にだけはずっとファンでいてほしい。
彼女の本当の気持ちは、どうなんだろう。
そして、俺が引退した後、彼女は俺に対してどういう目を向けるようになるんだろうか――。
……2月の暮れ、中山競馬場。
最終レース終了後、俺はウィナーズサークルで引退式をやってもらえることになった。引退式といっても、台に上げられて成績などを読み上げられ、競馬会から花束が贈られたりするだけの簡単なものだが、ある程度の成績を収めたやつだけの特典なので、とても名誉なことだ。
引退式が始まった。
ジョッキーとして生きるのも、今日が最後か――。
司会者が俺の成績を詳しく読み上げている間、俺は何となく空気が抜けたようなぼんやりとした気分で突っ立っていた。
――が、そのぼんやりを一気に吹き飛ばす出来事は、すぐ後に待っていたのだった。
「では、花束贈呈にまいります。プレゼンターは、デビューから28年間ずっと片山騎手のファンを続けてこられたという、千葉県の森園みゆき様にお願いいたしました」
俺は弾かれたように直立不動の姿勢になり、慌てて花束を持った女を探した。
……いた。
ピンクの服を着た、中年ながら気品がある美しい女が、顔の何倍もある巨大な花束を持っている。
彼女が、俺を28年間見守り続けてきてくれた森園みゆきか……。
最後の最後になって初めて見た顔は、女神のように優しく微笑んでいた。
みゆきは、係員に促されて俺の前へやってきた。
そして、花束は彼女の手から俺の手へ――。
「長い間、お疲れ様でございました」
彼女は、落ち着いた声で柔らかく言った。
「ありがとう!」
俺は品も何もなく大声で叫ぶと、花束を抱えて右手を差し出した。
彼女がそれに応え、俺たちの間で、28年めにして初めての握手が交わされる……。
――とても、満たされた気持ちだった。
引退式終了後、俺は別室でみゆきと話す時間を与えられた。
彼女が今日のプレゼンターに選ばれたのは、競馬会の判断だったらしい。しょっちゅう郵便で手紙をくれる珍しい人ということで職員がずっと名前を覚えていて、それで今回の抜擢となったようだ。
「……本当に、感無量です。デビュー当時から今まで一貫して私のファンであり続けてくださった方がいらっしゃるなんて」
「ありがとうございます。でも、これで終わってしまったわけではございません。これからは、片山さんの厩舎を応援し続けていきますわ」
みゆきはそう答えてくれた。
彼女は、これからも俺の「女神」でいてくれるらしい……。
「私がここまでジョッキーとしてやってこられたことには、あなたのお力もあるんです」
感激した俺は、ついにそれをみゆきに言った。
「まあ、私の……。私が何か、特別なことをいたしましたでしょうか?」
みゆきは本当に不思議そうに聞く。俺は答えた。
「25年前、私が有馬記念フェスティバルに出たとき、あなたは私に質問をくださいましたね。一番叶えたい夢は何かと……。あのとき私は『人間的に認められたい』などと生意気なことを答え、それが周囲に注目されるきっかけとなったのです。実力が伴ってなくて苦労もしましたが、あの質問がなければ、ここまでの活躍はできなかったことでしょう。本当に、感謝しております」
「それは大変嬉しゅうございます。ありがとうございます」
彼女は控えめに頭を下げた。そして、続けた。
「実は、私もあの質問に自分の人生を賭けていたのですよ」
「え……?」
それは意外だった。彼女があの質問に、いったいどんな意味を込めていたというのだ?
「もし片山さんのお答えが私の力で叶えられるものだったら……と考えたのです。私のような小さい者にできることはかなり限られていますし、実際にお答えいただいたのは私ではどうにもできない夢でしたけれど」
「そうでしたか……」
俺は言葉少なだったが、その気持ちへの感謝は大いに抱いていた。
「でも、私の質問が成功のきっかけだったと片山さんがおっしゃるのでしたら、この私、これほど嬉しいことはございませんわ」
みゆきは微笑んだ。
俺のジョッキー人生は、幸せだった。
俺は今、改めてそれを実感したのだった。
女神
(エンディング No.77)
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