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2007/4/18
小さいときに障害を指摘されて、それからずっとどうしたらいいものだか考え続けてきた。
僕は、一つの方法としてボーイスカウトの理念に感銘して実践した。
まぁ、いろいろあったがそれを貫き通すことで結果オーライだ。
そして、この活動を通してぼくも非常に社会勉強が出来た。
副産物として、今の日本社会の歪、子供の「心」を育てられないという問題解決の糸口さえ見つけ出したような感じがする。

貧乏生活が恐怖で何が何でも「見栄」が張れる生活がしたい。
そのために子供が少しでも高収入になるよう学力を上げたい。
稼ぐために心を育てるなどという手間は省きたい。
そんなようなことでニートやうつ病という神様からの裁きが下ったのではないだろうか。
僕にはそう思えてしょうがない。
僕は、高卒で貧乏な一人のお父さんだ。
しかし、十分に人生が豊かだ。

なんでもっと子供の心を育てようとしないのだろうか・・・・
子育ての感動が味わえるのに・・・・
得ようとする者が無くし、無くす者が得るという不思議な体験をした。
その得たものとは愛だ。

本当に「ビビル」ほど育てるのに難しかった子が大空に向かって自分の羽で、自分の意思で、羽ばたいた。
元気良く、思いっきり羽ばたいた。
もしかしたら飛べないかもしれない。 そう思っていたらいつの間にか成人した。 そして羽ばたいた。

その子は、たぶん仕事が見つからないだろうと思っていたら、僕のまったく想像できない職業についた。
ちょうど、去年の今ごろだ。
僕は、セミの抜け殻の気分になった。
何とかという心身症だそうだ。
去年の4月、5月、は何もやる気を無くしてしまった。 
これも初めての体験だ。
僕の内臓が、心が、その子と一緒に羽ばたいてしまった。

僕は千葉県にあるマザー牧場というレジャー施設で、そこに初心者キャンパーが一泊するのだが、そのお手伝いという妙な仕事を去年の夏にした。
それは夏休みに計5回やった。
元気が出てきた。
そこに集った親子の姿に、僕が夢中に育てた子が投影されている気がした。
熱いものがまたよみがえった。

「キャンプじぃじ すきだよ」
子供からの手紙でアンケート用紙の裏側にそう書かれてある。
涙が出た。
僕はそれを額縁に飾った。
子供からいただいた勲章になった。

なんて人生は豊かなんでしょう。
なんて素晴らしいのでしょう。

僕はこれから父親にそのメッセージを届ける仕事をしたいと決心した。
そしてここに自分の家族をあからさまに表現した書き込みをした。

それで僕は、キャンプじぃじ と言うんだ。

Snowmen Camp Club の活動は趣を変えて、父親に、
「お父さん、子供とふれあい、子供に心の豊かさを届けましょう」
というようなことを感じ取ってもらうために戸田の道満グリーンパークでのディキャンプで実践しだした。
父親の膝に子供がちょんと乗っかって、お父さんと子供が一緒に竹トンボを作った。
なんてほのぼのとした光景なのでしょう。
僕はこの「絵」が気に入った。
最高さ!


「見る」という行為は、「知っていく」ということ。
「知っていく」ということは、見るものを「愛する」ことなのです。
あなたは、家や車や服や食べ物や趣味や旅行ばかりが見えますか、
それともご自身の子が見えますか?
物やお金で幸せを得られるでしょうか。
あなたの子の見えない心を愛する人は幸いです。     谷口則之


2007/4/17
Snowmen Camp Club NEWS は、04年8月号から06年1月号まで発行した。
初めのうちは、僕の子供の友達を誘わせて何とか子供同士のグループ活動になるよう対外的に発行していたが、うまくいかず、次第に活動報告のものとなっていった。
主な読者は、BSで知り合ったリーダーや古い友人たちだ。
途中の企画で、僕の古い友人たちを招いてディキャンプをした。
本当に懐かしかった。 年に一度雪中キャンプで会うヤツも来た。
頭が薄くなったのは、僕だけではないということをそのときに知った。
さて、ごく普通の日本人だったら宗教は嫌いなはずだ。
しかし、僕は自分の子に物や金ではないところの人生の価値を見出して欲しいと願い信仰奨励をしているはずだったボーイスカウト運動に加わった。
残念だがそれはあまり期待できるものではなかった。
それでも諦めずに何回も転団してまでしがみついたのは、直接僕が子供に指導できたからだ。
そして目的を何が何でも達成させるべくこの自前のキャンプクラブを立ち上げたわけだ。
結局、クラブと名乗っても僕の家族だけの活動になってしまったが・・・・

話しは脱線してしまうが、この何が何でもという気持ち、これが人生を作っていくためのエンジンになる。
どんなことがあっても初期の目的を達成させる、そのためにはあらゆる手段を講じる。
これは僕がビデオ屋という商売を立ち上げそれで食べられるようになるために最も必要な能力だった。
この能力は、ナポレオン・ヒル著 「成功哲学」にでてくる。
今までビデオ屋に憧れてこの仕事に挑戦してきた多くの方がつまずいているのは、これが出来ないからだ。
とくに「営業」についてほとんどの場合、逃げてしまう。
決してプロにはなれない。
実はこれ、ビデオ屋での成功だけではない。
あらゆる難しい仕事を成功させるための秘訣だ。
けっして初期の志を忘れることなく成就する心の強さ。
またその達成感と感動、何としても子供に身につけさせたい。
子供が「気楽で楽しい」を覚えてしまうとこれが出来なくなるということだ。
分かっていただけるだろうか?
僕は自分の子供にこう教えた。
何が何でも目的を達成させる、その気持ちこそが重要だ。 しかし、難しければ難しいほど挫折を迎える。 そのときに助けてくれるのが宗教というわけだ。 だから宗教を無視するというのは、自分が楽しいと感じる範囲でしか何もできない。 みごとなまでに出来ない。
積極的に、ま・な・ば・な・い、人になる。 気楽かも知れないが不幸だ。
お父さんのように自分でビックリ仰天する成功を収めるためには、自分以外、つまり神様に助けてもらえればいいということだ。
これは、そこまで挑戦すればよく分かることだ。
貧乏生活は、失敗ではない。 自分の挑戦に勝つことが大切だ。

ある幼稚園の理事長先生がこう言った。
「あらゆる事業で最も難しいもの、それは子育てだ。」
ここで言う「子育て」とは、堂々と社会で生きていく人に育てるという意味だと思う。
その商売より難しい子育て、僕は、決して諦めなかった。

Snowmen Camp Club NEWS 04年12月 発行
4月18日の記事。
ボーイスカウト運動で最も大切な「明確な信仰を持つ」という目標が達成された記念日となった。

僕の三番目のハンディがある子がこの日、自ら宗教家のところで専門に学んで入信した。
いつごろから通っていたのかは、僕は、まったく知らない。
その子の入信にコメントを僕は親として求められた。
多くの方々を前に、言葉を出そうとすると涙が出そうで、涙を押さえようとすると声がでない。
僕は、生まれて初めてこれ以上はない本当の感動を味わった。
その子を20年、一番心配したその子、学ぶことに問題があった子、その子がこともあろうか、人として最も難しい学びを自ら求めるまでに育ってくれた。
人生はなんて感動的なのでしょうか、ビックリ仰天する恵み・・・・
本当の心からの「ありがとう」。

できたら、お父さんも味わってみたらいかがでしょうか?


2007/4/16

そのカブ隊と団は、僕が辞めることで消滅した。
もちろんカブ新聞も終わった。

だいぶ前に流行った本で「脳内革命」というのがあった。
誰かに貸したままで戻ってこないので作者や出版社は分からない。
それによると、人の脳の中に「快感」が起こるホルモンがあるのだそうだ。
そのホルモンの正式名称は忘れたが作者の造語でそれを「脳内モルヒネ」と呼んでいた。
本物のモルヒネのことではないと思う。
便利なのでここでもそのフレーズを借用する。
さて、僕の場合若いころからビールを飲み始めた。
おかげで痛風になってしまった。
僕は、「ビール」と聞こえるだけで嬉しい気分になり早くそれが喉を潤されることを期待するようになった。
僕の脳みその中で「ビール」という音記号によって脳内モルヒネが分泌されたのだ。
そうすると、それが実際に喉を通らないと今度は不快感に襲われる。
そこで早くビールを飲むためにあらゆる行動を取った。
ビールが嫌いな人にはこの現象は、起こらないのだ。
今は昔ほどその状態にならない。
なぜならビールを飲むと痛風で痛いという思いがその脳内モルヒネの分泌を抑制しているかららしい。
同じことで幼いころから物やお金で幸せだねと親に教わった子は、物やお金でその脳内モルヒネが盛んに分泌されるようになる。
テレビゲームで一度それが頻繁に分泌されると、つまり、ゲーム中毒の子ができるわけだ。
僕は、カブスカウトのリーダーをしてとても激しく心の中に快感が走った。
一度そうなってしまうと辞められない、止まらない・・・・  子育ての快感。

Snowmen Camp Club という家庭内での活動なのに大げさなことを言い出したのはそのおかげだ。
冗談で旗も作った。 これは昔やっていたスキーサークルでのクセだ。
そして・・・・
Snowmen Camp Club NEWS の刊行。
自分で思うが、ビョウキだね。

お父さん、お子さんを育てるのに「物やお金」でその子の脳に快感が走らないように、代わりに「成長」することにたっぷり脳内モルヒネが分泌するよう育てよう。
そうなれば子供は勝手に学びだす。
しかもうまく指導すれば、その子は一生涯「学ぶ」ことで脳内モルヒネが分泌するようになるだろう。
ニートとまったく逆の子が出来ると思う。
いい人生を歩んでくれると思う。
子供に本当の幸せを得て欲しい。 心からの願いだ。
僕の子は、それが他人と比べて極端に遅かっただけで、しかし諦めずにそう仕向けることで「自己教育力」が身についていった。
さぁ、明日は「Snowmen Camp Club NEWS」の記事を紹介していこう。


2007/4/14

カブスカウトでの子育て体験はこれで終わった。
しかし、子育ては続く。
障害がある子にいかに充実した人生を味わえるように育てられるか、本当に僕は命がけで考え実行した。
その一つの方法が終わったということで、まだ完成していない。
確かに学力が高い方が高収入に結びつく傾向があると思う。
高収入=幸せ
という方程式を採用するなら、いかに暗記をさせるかと言う作戦を練るわけだ。
そして暗黙の了解でほとんどの親のすることでもある。
国民の半分は、学力が半分以下なのに・・・・(偏差値のこと)
しかし、僕の子供にはその学力が先天的に不利なようだ。
じゃ、どうするか・・・・
高収入≠幸せ
という方程式を考えたわけだ。
高卒の僕でも、発想の転換はできる。

そうするとどういう作戦が考えられるだろうか?
物やお金と幸せは関係ない。
ということになったわけだ、僕の場合。
そこで何時の日だったか、ある本にこういう言葉に出会った。

「幸せとは、それを感じ取る能力の問題だ」

名前は忘れたがある哲学者の言葉だそうだ。
僕は自分の人生で出会った人を観察したり、本を読んだり、あらゆる学びでそれを追試してみた。
間違えがないことに確信をもった。
そこで僕は、子育てでその能力をいかに高めるかということを軸に実践して、その活動の一部が終わったということだ。

それで次はどうしようか・・・・

その能力は心を強く育てるということでもあるのだが、突き詰めると宗教の学びになることに気付いた。
考えてみれば、それは当然のことだ。
宗教はそのためにあるのだから。
しかし、既存の日本のボーイスカウト運動では、現実的にそれを子供が身に付けるということは難しいことも分かった。

ならば、自分でやっちまえ!
Snowmen Camp Club の誕生となる。

なぜキャンプが子育てにいいのか、どうすれば工夫を身につけられるのか、どうすれば我慢−フラストレーション耐性−を高めることが出来るのか、それまでカブスカウトの活動でやってきたことだが再検討した。
それで僕なりにまとめたのが、「親子キャンプ」のハウツービデオになった。
なんとなく知っていたような不確実なところが、これを作ることで明確に分かるようになった。
つまり、僕自身が子育てを再学習したわけだ。

さて、ここまでだけだったらただの学者や評論家だ。
僕は一人の父親として、愛する子供を何とか目標に近づける「行動」をとった。
いよいよエピローグだ。


2007/4/13
(カブ新聞03/9/20) 8月23日〜25日 夏季キャンプ その2
僕がリーダーを務めたこのカブスカウトでは、結局、ビーバー隊、カブ隊、ボーイ隊、ベンチャー隊、の内容を含めていた。
最後の一年間は、ナント、カブ新聞に載っている記事だけで66日活動をした。
自分でしたこととは言え、凄まじい。 馬鹿げてさえいる。
なんでこんなに夢中になれたのだろうか、仕事を蹴ってまで・・・

それは、自分の子と、他の子も愛していたからだ。
この子たちの成長ぶり、その伸びようとする新鮮さ、そのエネルギッシュな命、そういう姿に感動したからだ。
子供たちの生きることへの輝きは、あらゆる演劇に勝ると思う。
あらゆる音楽、美術よりよっぽども激しく僕の心を揺さぶった。
子供が大空に向かって大きくなろうというその姿、これこそがこの世の最大の幸せだ。 
僕は、この活動を通してハッキリとそれを知った。

なぜ、今の中学生や高校生は、しらけているのだろうか?
なぜ、ニートやうつ病が社会問題になるほど多いのだろうか?
なぜ僕の上の二人の子はグレてしまったのだろうか?
生きる輝きを失った成金趣味、不幸そのものではないか。
その答えがここにあったから紹介したい。

「下流志向」 内田 樹 著 講談社刊 1400円

この本にでてくる「消費主体」は、僕の言う「消費の喜び」に当たる。

僕は昨日、四番目の末っ子にこう言った。
「気楽で楽しい人生を追うな、それは消費の喜びで本当の幸せではない。
 大変だからこそ面白い。 そういう人生を求め続けなさい。 それは、成長
 の喜びで本物の幸せを勝ち取るための鍵だからだ。 
 キャンプはホテルと違って大変な生活だ。 だから面白いということ、
 気楽ではないからこそ、面白いということ、
 それを体験して分かっただろう?
 さぁ、これからは人生というキャンプだ。 
 辛い気持ち、いやになる気持ち、気楽、そういうのに勝っていこう。」

僕の「親子キャンプ」のハウツービデオでもこのフレーズが出てくる。
お父さんも、焚き火を囲んでこの言葉を子供に聞かせてみてはいかがだろうか?
思春期でしらけている子供は、親が物や金で幸せだと教えた結果だ。

カブ隊最後のキャンプの感想文を紹介する。
 二日のキャンプ 女の子
 私は、カブスカウトで、二日、とまりました。 一番、さいしょに、たいちょうが、車で、・・・くんといっしょに、むかいにいきました。(家まで。) お母さんに、「いってきます」と言い、車にのりました。 少したったら、千葉県の・・・くんの家(パパを亡くしたスカウトが母親の実家へ行ってしまっていた)に、むかいに、いきました。 車に、・・・くんがのり、しゅっぱつしました。 いばらき県の・しの山・に、つきました。 しの山は、すごーく、あつかったです、 おひるに、カブにぎりを食べて、よるは、バーベキューをしました。 ・・ねる時は、・うの・をしました。 ・・・くんは、すぐねて、・・・くんと私が、すこしおきてて、ついにねました。 二日目は、おさごはんをたべて、・・・おひるになったら、お母さんたちがきました。 ・・そして、あすなろの里に行って、プールにはいって、お母さんたちがきて、・・・みんなでごはんを、あすなろの里でたべて、お母さんたちとおふろにはいりましたジュースをのんでけて、・・・男子がきて、よるごはんをたべて、・・・よるに、きもだめしをして、うのをして、ねました。 <きもだめしは、こわかったです。>

 2泊3日のキャンプだほい!!  男の子
朝6じ30ごろでごはんをたべて家を8じ40分にでてはなちゃんとあそんで8じ43ぐらいに・・・ちゃんと・・・たいちょうがきました。
そして、9じ25分ぐらいにキャンプじょうにつきあそびました。 そしてむしとりをしました。 そしたら木のかげにカブト虫がいました。 そしておふろにはいってねるときUNOとゆゲームをしました。 けっか1位・・・くん2位・・・3位はじめてなのにぼく4位・・・そしてねました。
次のあさごはんをたべてとんぼとりをしました。 そして9じ45分ごろあすなろのさとに行きました。 そしてごはんをたべてプールにまたはいりました。 3じまではいって・・・はもうかえってしまったので・・・ぼく・・・くん・・・ちゃんと、おふろに行きました。 あつかったです。 まっ、たのしかったのでいいです。 きもだめしをして、(キャンプ場で)そしてねました。 この三日間おこっている人もいたしビールをのんでいたけどみんなニコニコ。

 二泊三日のキャンプ 男の子
ぼくは、さいしょに・・・くんちにいきました。
そして、くるまにのって、・・・のいえにいて、・・・くんのいけにきて、しの山につきました。
ボーイタイがいました。
そして、かぶとむしをとりました。
そして、ねました。
つぎのあさ、とんぼをつかまえて、かまれてあたまをとてしまいました。
そしたら、あすなろのさとにいきました、そして、−−−−ふろにはいて、プールをしたあとよるごはんをたべたりきもだめしで・・・くんがきもだめしで、こわがっていました。 そして、・・・がきもだめしで、こわがていました。

文中のビールを飲んだ人とは、僕だ。 ここに告白する。 なにせひどい猛暑で水分補給だったのだ。 スカウトたちも30分おきにアイスを僕がおごってあげたのに、貰ったことはちゃっかりと忘れている。
パパを亡くしたその子は、最後の最後まで手を焼かせてくれた。
それで怒っていたのだ。
言うことを聞かないとチュウーするぞ、と脅したら、「やれるもんだったらやってみな」という調子だった。
まぁ、ビールも入っていたのでただの脅しではないことを思いっきり知らしめた。
その瞬間を、母親がカメラでゲットした。

その子のほっぺたを両手でつまんで押し倒して、ブチュウーっとやっている一枚の写真。
ざまぁみろ、お前の初体験はこの頭の薄いおじさんになっちまったんだ。 
初チュウーの感想を尋ねたら、ビール臭かったそうだ。
僕の手帳に大切にしまって毎日持ち歩いているその一枚の写真。
そこには、心静かに尋ねれば「本当の幸せ」と書かれてあるのが見える。


2007/4/11
(カブ新聞03/9/20) 8/23日〜25日 夏季キャンプ その1
ボーイスカウトでは、ビーバー隊ではお泊りをしない。 カブ隊で宿をとったキャンプ(舎営という)を行う。 ちょうど幼稚園の園外のお泊まり保育と同じだ。 そしてボーイ隊で初めてテントを使ったキャンプ−野営−を行う、というのがスタンダードな活動内容だ。
もちろん、団や隊の能力によってその内容はまったくと言っていいほど違いがある。

さて、僕がリーダーをしていたカブ隊は、すっかりモチベーションが下がってしまっていた。
そして僕の子供二人は、すでにカブ隊ではない。
カブの子が何人集まるのかまったく分からない状態で、そういう中でも僕の子供の育ちも考えなければならない。
そういうことなので、予約が必要な宿をとった舎営は無理だった。

そこで妙案を思いついた。
僕の子供に我が家オリジナルの「竹ハウス」を建てさせる。 この工作物は、僕の子供の能力、年齢にちょうどいい。
それを半完成させて、残りをカブ隊の子にも作らせる。 カブ隊の活動としてはハイグレードだ。
そして、そこにカブの子が泊まる。 竹ハウスは、宿舎ではないがテントでもない。 カブ隊をテントに泊まらせるなと地区のお偉方からの強いお達しを屁理屈っぽくクリヤーできる。

自分で言うのも何だが、僕は遊びの天才だね。
このエネルギーで仕事をしていれば今ごろ蔵が建っただろうに、仕事を蹴っ飛ばしてカブスカウトの活動をしてしまった。

そこまで思い付いてしまうと、僕の頭の中で発想の連鎖が起こる。
徹底的に生活面を重視した内容にしよう、ならば洗濯をさせよう、買出しや調理、そういったところを目当てに行おう。
思い付くとやらねば気が済まない僕の性質。
そういうプログラムにした。

僕の団の団委員長の持ち物の専用キャンプ場が二箇所あった。
一つは、カブの子に小屋を建てさせた所。
もう一つは、大きい。 地区の10ヶ団のリーダー研修キャンプを実施したところで、それだけの面積がある。
最後なのでそこを使うことにした。
そしてたまたま、時期を重ねて他団のボーイ隊のキャンプもそこで計画をしていた。
そのボーイ隊の活動はバリバリでしっかりしていて、僕の子を入れさせたくなるほどの隊だ。
カブ隊の準備のため前泊の日が、そちらのボーイ隊の初日だった。
僕の二人の子供に「竹ハウス」を建てさせた。
その様子を相手のボーイ隊の隊長がずっと見ていたようだ。 面識のある隊長なのでその日の夕方に差し入れをしたときに驚かれた。
ブルーシートを真っ平らに張って、いったいどうやって雨をふせぐのだろうか、それでは雨水がシートに溜まってしまうではないか。
とその隊長は初めそう思ったと言う。
コシマキと呼んでいる回りのシートを張って、最後に中央の「つっかえ棒」を天井のシートに固定した。
このときにちょうどいい屋根の形が出来上がる。
その最後の瞬間に、その隊長が驚きをもって感動したようだった。
そのボーイ隊の隊長はベテランだ。 彼が知らなく驚いたこの工作物は、ボーイスカウトで今までなかった物と言えるようだ。
その隊長の驚きようで、どうやら僕の家族は必要に迫られてとんでもない発明をしでかしたようだと知ることになる。
それで後に、これをビデオに残そうということになり、「親子キャンプ」のハウツービデオ制作へとエスカレートしていった訳だ。

最後の夏のキャンプには、三人のカブスカウトが参加した。
カブ新聞に載っている写真を見ると、
竹ハウスの前にタープが張ってある。 その中には、竹で工作したテーブルがある。 カブ隊の作品だ。
この年は猛暑だったのでホースを使って水遊びをしている。
洗濯板を使って洗濯をしている。 物干しにパンツを干している。
自作のテーブルで調理をしている。
灯篭の花道を通ってキャンプファイヤーをしている。
写真にはないが、地面に穴を掘ってトイレも作った。 そして使わせた。
たった三人のカブスカウトだけとは思えない、ちょっとボーイ隊の内容にフライングした活動になった。

次回、スカウトの感想文を書き込もうと思う。


2007/4/10
(カブ新聞03/9/20) 8月2日 簡単な調理
カブスカウトには、「カブブック」という履修科目があって、そこにこの調理がでてくる。
たぶん、ボーイ隊のキャンプで大人に頼らずに食事の準備が出来るようにカブ隊で少しずつ練習する、という意味だろう。
カレーを作った。 そしてスイカ割りをしてカレーに添えた。
午後、畑に行ってトウモロコシを収穫している。
前に来た障害のある二人の子も参加した。
自前のスカウトだけでは少なすぎるので、「体験入隊」ということで友達を誘っている。
僕には、一番最後の子がビーバー隊で一人だけの活動と言う馬鹿げたことをさせられた思い出があるので、なんとしてもそのような寂しい思いを子供たちにしたくなかったからだ。

母親たちのいざこざですっかり隊活動のテンションが下がってしまった。
すでに団もその機能を果たしておらず、このカブ隊だけが事実上スカウト活動をしていた。
リーダーもいないし、存続する意味はまったくない。 あるとかえって何も知らないで期待する方たちに迷惑なだけだ。
すでに僕の子はカブ隊を卒業してボーイの年齢でもある。
総合的に判断して、夏のキャンプまでで終わらせる決心をした。
だからと言って、活動の手抜きはしない。
最後のキャンプは、他団のリーダーが仰天した活動をした。
明日の書き込みが、カブ隊の話題最後となる。
しかし、そのあとエピローグも用意しているのでお楽しみに。


2007/4/9
(カブ新聞03/8/20) 7月27日〜28日 小屋で一泊 
それまでにこつこつと専用キャンプ場で建ててきた竹の小屋に一泊した。
僕の四番目のボーイ隊の子だけ準備のために二泊している。
カブスカウトの子は、5名中4名参加だ。 集団として末期症状だった割には集まった。
ローソクの最後の灯りが明るいのに似ている。
子供たちの感想文を紹介しよう。

 一泊二日のキャンプ 男の子
ぼくは、小屋で、一泊二日をしました。
そのまえの日に、(あさ日ちょうの)いきました。 たのしかったです。
そして、あさになって7じ5分ぐらいに家をでて、
おにぎりをかってそとにでてまってたら・・・と・・・がきました。
夜ごはんにバーベキューをしました。 ぱんとにくとかをたべました。
みんなムシャムシャ・・・なんか「オリャー」ってゆうようにたべていました。
みんないつもニコニコ。

 一泊二日のキャンプ 男の子
 ぼくは、小屋で、一泊二日をしました。
そして、ごはんをたべました。
よるのごはんは、バベキュウで、
にくとかねぎとかういんなとかいろいろのやさいがでてよかたです。
そして、きもだめしをやたりしました。
そして、よるねました。
そして、あさになてながしそうめんをたべました。

 楽しい一泊二日のキャンプ 女の子
 私は、はじめてとまりました。
さいしょに小屋作りをしました。
2組は、バーベキューをのおつかいにいきました。
1組は小屋作りをしています。
・・・ママといっしょに車でスーパーに行きました。
・・・ママが安い物をえらんでいました。
・・・ママ(別のママ)が「やさいからえらぼうよ。」と言いました。
・・・ママが「安い物からネ」と言いました。
帰えてから小屋ができていました。
トイレに犬がいました。
のんびりしていたのでのんちゃんにしました。
バーベキューをしました。
おわたらきもだめしをしました。
・・・ちゃんがうそをつくのでムカツきました。
ねる時、・・・早くねました。
・・・と・・・ちゃんとうちがおきていました。
外からうるさい声がきこえました。
朝に、ながしそばをやりました。

 小屋にとまった一泊二日 女の子
 私は、みんなと、小屋に、一泊、とまりました。
 朝が、とうりすぎて、おひるにちかづきました。
 そして、2組は、買い物に行って、一組は、小屋の・しあげ・をやっていました。
 そして、二組は、買い物に、・・・ママと、・・・ちゃんといっしょに行きました。 でも、道にまよって、ちかくのおじさんに、話しをきくと、・・・ママがスーパーのみちをわかって、スーパーに、行きました。
スーパーでいろいろ買いました。
 私と・・・ちゃんは、・おかし・に、つられそうになったら、・・・ママが、「肉をさがすのよ!肉!」と、いって、お肉うりばにいって、とうとうスーパーをでて、車で、小屋にもどって、わたしと・・・ちゃんがこやを見たら、かんせいしていました。
こやにはいったら、きれいになっていました。 すごかったです。
 おひるになって、二組がサラダをつくって、みんなで、カブにぎりといっしょに、食べました。 とうとう、よるになりました。 みんなで、バーベキューをしました。 ねる時、みんな、ねむれなくて、・・・ちゃんがきて、オカリナをふいて、「まだ、ねむくない」と、・・・くんが言って、「そうだね。」と私と、・・・ちゃんが、いいました。
10時30分ぐらいでみんなが、「おきてよう。」といって、しばらくおきてて・・・
11時20分ぐらいで・・・くんがねて、11時40分ぐらいでねることにしました。

記事に添えた写真には、竹の骨組みにブルーシートをかぶせたクサビ型の小屋が写っている。
トイレの前にいた犬が、ボーイスカウトの隊長用のベレー帽をかぶっている。
僕の子が小ぶりの立ちカマドを作って用意している。
恒例のドラム缶の五右衛門風呂にも入ったようだ。
二日目の流しそうめんをしている写真。
スカウトの数は少ないが、腐ってもBSの活動だ。 レジャーキャンプとは違う。
子供の心を強く育てようという気持ちが具現化していると思う。


2007/4/7
すみません、カブ新聞の記事を一つ飛ばしてしまいました。

(カブ新聞03/7/20) 6月29日 世界の取引ゲーム
僕がやってきたカブ隊の活動で一番腹の底から笑える企画だ。
リーダーが日本を務めて輸出品の「ビデオカメラ」が黒板に飾ってある。
そのビデオカメラは、プラ板で出来ていて作り方は前年のこの企画のところに書いたと思う。 それはそのまま参加賞になる。
スカウトたちは、思い思いの国になってその国の衣装や国旗、外貨を稼ぐための輸出品を作って準備する。 そうそう、その国の挨拶も覚える。
通貨は、「BP」だ。 ちなみにビデオカメラは、193,700BP。 カメラによって値段が違う。
準備が整ったところで、取引開始だ。
各国は、日本に輸出して得た外貨でビデオカメラを買う。
子供たちは、前年度に一度取引を体験した。 しかもパソコンでの「タコの取引ゲーム」で鍛えたので、随分要領がよくなっていた。
カブスカウトの子は、二人だけなので、この日は僕の四番目の子とその友達も参加した。
商いは、まずまずの活況を見せている。
勿論、隊長に思いっきり値切られた。
タタキ値だね。 気の毒に。
そのときのスカウトの作文を紹介しよう。

 たのしかったせかいのくにぐにゲーム 男の子
 世界の国々ゲームでは てっことかをうりました。
さいしょにひつじの肉とかをうってそのじてんで11千500BPをもらってたいちょうがねさげして「あれをかおう」と思って4千500BPまでいったんだけど まだかえなかった。
そして、いっぱいたまった所で ・・・くんが「それかえるからかう」と言ってとられてしました。
ぼくは二番目にかいました。
くやしかったです。
けどみんなかえたらニコニコ。
そしていえにかえって「あぢー」といってむぎちゃをいっきのみしました。
のどがちょっとつめたかったです。
はたけにいってきゅうりをとったらすごいでかかったです。
こんなぐらいです。
そしてたべたらすごいおいしかったです。
たべたものの名前はきゅうりのサラダ

 世界のくにぐにゲーム 男の子
 ぼくは、最初に、インドのようふくをつくりました。
つくりおわったらダイヤモンドを、作ったりおてつだいをしました。
そして、ほんばんでダイヤモンドを うたりしました。
ダイヤモンドをうてたらお金がたまりました。
そして、ダイヤモンドがなくなりそだたから つくて、うりました。
お金がたまたからデジカメラをかいました。
たのしかったです。


2007/4/6
(カブ新聞03/8/20) 7月12日 ミニハイク
もともとこの「ミニハイク」は、子供たちに人気がない。
そこをどうにかいろいろな手を使って盛り上げようとしてきた。
しかし、保護者同士のいざこざで子供たちのテンションは下がりっぱなしで、ついにこの日の参加者も二名だ。
正直なところ打つ手はなくなった。 詰め将棋の状態だった。
そこで問題なのは、カブ隊の子たちではなく僕の二人の子についてだ。
カブ隊の活動を一生懸命に手伝ってきて、空振りの企画をそうそう続けていると、この子たちの向上心に深刻な影響がでそうであった。
熱心にお手伝いをしただけに、ショックが大きい。
そこで僕は、この子達を地区を替えてまた転団する決心をした。
まただよ・・・・
それでもこの運動を諦めない理由は、僕の子になんとか「明確な信仰」を持ってもらいたいからだ。
宗教が嫌いな大方の日本人には、まったく意味のないことだろうが、僕にとってはそれこそ、この子達が本当の幸せを握り締めてもらうためのキーワードとして考えているから、本当に気が気ではなかった。
僕が味わった生きる感動を、どうしても僕の子供にも掴み取ってもらいたい。
せっかく生まれてきたのだから、思いっきり自分らしく、自由に、堂々と、生きていって欲しい。
何が何でも、本当の人生の感動を・・・・
このお祈りは今でも変わらない。

お父さん、物や金で幸せだなんて、お願いだからしないように。
付け加えて、気楽で楽しいから幸せだなんて、お願いだから教えないように。

人生は、思いっきり大変だ。 だからこそ面白い、という体験を子供にたっぷりさせて欲しい。
幸せを感じ取る能力を高めるように子供を育てよう!!


#### Snowmen Camp Club ####

07/4 3日〜5日 キャンプ
雪中キャンプが中止になり、その代替えキャンプを実施。
茨城県の「フォンテーヌの森つくばキャンプ場」へ行った。
完璧な貸切状態。 人がいないということだけで自然が迫ってくる感じがしていい。
初日、雨の中設営。 二日目の日中は天気が良かったが夕方に雷雨。 三日目は快晴で放射冷却があり車のドアーが凍っていた。 雪中よりは、はるかに楽チンキャンプだった。
僕の最後の子と二人だけの生活を楽しんだ。
トロトロと作業を子供がしていたので、お父さんの罵声がキャンプ場に響き渡った。
いい声だねぇ。 小鳥のさえずりとの共演。
あと何回子供をしごけるんだろうか。
この間の訓練キャンプでこの子と作った「ミニ竹ハウス」の初の実戦配備だ。
いくつかの問題点が見つかった。
今度、ベンチャー隊でこれを克服するよう僕の四番目の子に指示した。
お父さんのシゴキがあっても歯を食いしばって頑張った。 三番目の子と同じ頑張りがでてきた。 とっても嬉しいね。
些細なことでふてくされない。 幸せを感じ取る能力が少し強くなったようだ。 その調子、その調子。
さて、シゴキはお父さんから子供へ、だけではない。
三度の食事は子供が担っている・・・・
スーパーで恐らく賞味期限がギリギリに思える鶏肉を前日に買ってきて、しかもそれが一日クーラーボックスにあって、子供が何の問題も感じないまま調理をしている。
それが一時間後には、僕の胃袋に入るのかと思うと、とても生きた心持がしないのだ。
鶏肉はいたむのが早いと子供に教えた。 にもかかわらず平然と食事の準備が出来上がってそれを食べさせられた。
結果は、三日経った今でも僕はちゃんと生きている。
あぁ、よかった。 子育ては命がけなのだ。


2007/4/3
(カブ新聞03/7/20) 6月28日 禅
午前中、べーデン・パウエルの話しと世界の国を地球儀で調べながら「世界の取引ゲーム」の準備をした。
午後、毎年行ってきた「禅の体験」をしに曹洞宗のお寺へ行った。

どういう宗教でも、その指導者はたいがい他の宗教の悪口を言うものだ。
僕は、ビデオ屋という仕事柄あらゆるイベントを撮ってきたので、また普通の人があまり見向きもしないものに興味を覚える性格なので、老舗の宗教から新興宗教まで、俗に言うオカルト以外は自分の首を突っ込んでみて本当に宗教家は他教の悪口を言うことに快感を持つように出来ていると思うようになった。
これは僕のまったくの持論だが、おそらく他教の悪口を言う宗教家は三流なのだろう。
例えば、ラジオで良く耳にする エイ・ロクスケ さん(すみません、漢字でのお名前を知りません)やマザー・テレサさんは、誰が見ても一流の宗教家で他教の悪口を言わない。
激しく他教の悪口を語る方を僕は非常に警戒をする。
僕は、宗教家ではなくビデオ屋だ。 すっかりボーイスカウト運動の本質的なところに惹かれてしまった一人だ。
その本質とは、「明確な信仰を奨励する」ということだ。
僕自身は、ほんのわずかな信仰だが一つに絞って生きている。
そしてここが肝心だが、この曹洞宗の住職は僕がまったく違う宗教だということを知っていながら僕の率いるカブ隊を快く受け入れてくださった。
僕はこの住職を心から尊敬している。 本物の一流の宗教家だと思う。
お父さんも、ご家庭の伝統の宗教をよく学びそれを子供に伝えよう。
ぜひ、ボーイスカウトの精神、明確な信仰を子供が持てるようにご指導願いたい。
そしてそのときに、決して他教の悪口を言ってはいけないとも、できたら教えて欲しい。
もちろん、僕も自分の子に明確な宗教を奨励しているし他教の悪口を言うものではないと教えている。 それを実践している。
僕の好きな本にこうある。 それは、「批判するな、それは批判されないためである。」
どういう宗教を信仰するかは、本人のまったく自由でなければならない。 
そして本人の責任である。
僕の好きな言葉。 それは、「人は人、我は我、されど仲良し」。 もちろん自分の子に教えている。
若いお父さんもぜひこれに習って親子で本当の人としての人生を勝ち得て欲しい。
そこにこそ本当の幸せを得るヒントがある。
物や金ではない。

余談
今年の雪中キャンプは中止になってしまった。 毎年の楽しみだったので非常に残念だ。
代わりに今日から三日間、関東平野のキャンプ場へ出向く。 僕の最後の子と一緒に、2ショットで。 
僕の一番の幸せ、それは子供と一緒に遊べることだ。
さて、今朝は雨だ。 BSで鍛えてきたとは言え、出っぱな雨はなんとなく気落ちする。
そういう気分を「岩はぶっち割り、ぶっち割り、山はぶっぴらき、ぶっぴらき」するんだなぁ。
ここのところがレジャーキャンプと決定的に違って子育てになるところです。
こうして子供を小学生のときからたくさん心を鍛えることで、うつ病やニートになりにくくなるのだろうと思います。
お父さん、ぜひまねっこしてください。


2007/4/2
(カブ新聞03/7/20) 6月22日 救急法
当時のリーダーや団委員長まで「クビ」にして団運営を混乱させたおばさんがいたので辞めたところのカブ隊から「救急法」の講習会のお誘いがあり、参加した。
このころには、そのおばさんは影を薄くして代わりに新しいリーダーで持ち直しだしていた。
このボーイスカウト運動は、リーダー全員ボランティアだ。
熱心なリーダーが多いので初心者の方によく有給だと思われているが、本物の奉仕活動だ。
しかし、どんな運動や活動でも妙な人は数うちには必ずいる。
その一人が、そのおばさんだった。
その人が何か行うのには、そこには動機がある。
一つの活動を行うのに、幾つかの動機がある場合もある。
そのおばさんがリーダーをした動機に、自己実現がどうやらあったみたいだ。
スカウトの心を育てるというのが本来、動機の優先順位の一番にあるべきだが、そのおばさんは、自分の「お城」を築こうとしていたようだ。
だから僕も含めて周りの人たちが、非常に陰険な思いをさせられた。 
しかし、本人は平気だったようだ。
僕が転団したあと、そのおばさんが率いるカブ隊では、スカウトがシゴキに耐えられなくなって辞めていくということを風の便りで聞いた。
今は、そこにそのおばさんは完全にいない。
そういう人が栄えることは結局ないようにこの世の中はできている。 大いなる時間の浄化作用だろうか。

余談
この書き込みにまったく関係ないが、「自己実現」が目的のリーダーは、本当に困ったものだ。
仕事仲間にもいる。
一番多いのが、どれだけ立派な機材を持っているか、それを自慢したくてしょうがないというタイプのビデオ屋。
そういうタイプの人は、総じてとんでもなく下手だ。
次に多いのが、自分に仕事が有利に取れることが本音で集いの実権を握ろうと言う輩。
そのおばさんにそっくりだ。
こういう人が、例えば会社の上司にいたら、それはそれは地獄絵の日々になるだろう。 うんざりだね。

僕は自分の子にビデオ屋を継がせるつもりはない。
だから後継者をなんとか育てなければ、この仕事はまるで砂浜に落ちた小さなダイヤモンドのように埋もれて忘れ去られてしまいそうだ。
僕は、この仕事が好きだ。 この仕事をこの世に残して去りたい。
せいぜい僕が生きていられるのは、あとうまくいって20年ぐらい。
良く働けるのは10年あるかどうかだ。 のんびりしていたら、そのチャンスを逃してしまう。
これは本音だ。
だから、ここの書き込みが一段落したら別項の「卒業ビデオアルバム制作」の執筆に入る。
この仕事で喰ってきたノウハウをオープンにして後継者を募る予定だ。

この書き込みでは、子供をどう育てるかということを考えてきた。
その後は、そちらの書き込みで「仕事人にどう育てるのか」を考えていきたい。
なぜなら僕にはもう小さい人がいないからだ。
これを読んでくださっているお父さんで自営を目指そうとお考えだったら、
その選択肢に入れてもらいたい。

要するに僕は人を育てること自体に快感があるのだ。
僕の古女房は、たんに寂しがりやなだけと言っているが・・・
さてさて僕の動機は、いったいどこにあるのだろうか?
神様に委ねよう。
乞 ご期待。


2007/4/1
(カブ新聞03/7/20) 6月15日 中止
予定していた団行事が天候の都合で中止になった。
「団行事」と言ってもボーイスカウトの活動を本当にやっているのは僕の二人の子だけだ。
すでに団という組織になっていない。 
しかたがないので、カブ隊としてパソコンで「タコの取引ゲーム」、公園で「キックベース」、畑でナスを収穫してそれを調理して食べた。
ついでに隊長の好みで七輪で魚とハマグリを焼いて食べた。
その勢いで、子供たちと銭湯に行って、「お風呂でキュ・キュ・キュ」をやっている写真を撮った。
その写真には、カブ隊の子は二人だけ。
僕の子はボーイの年齢だが、その友達が飛び入り参加で二人写っている。
まぁ、それだけ子供がいれば何でもいい。 楽しい。

余談
楽しみにしていた雪中キャンプもなぜか中止になった。
別にタイミングを合わせているわけではないが、この書き込みはなぜか過去の出来事と現在が妙にリンクしている。
なんで?

僕の古い友人がベンチャー隊の隊長で毎年雪中キャンプのお誘いがあったが、スカウトの都合で中止になったそうだ。
いやぁ、弱ったね。
僕の四番目の末っ子は、もう高校生。 道を歩くのでも、銭湯へ行くのでも、ともかく普段の生活では決してお父さんと一緒になんか歩くどころか、行動そのものを避けている。
そりゃそうだよねぇ。
いい歳してお父さんなんかとは、もう遊ばない。
そういう中でこの雪中キャンプは、唯一お父さんの言うことを聞いて一緒に遊んでもらえるチャンスだったのだ。
非常に残念。
昨日、その中止を四番目の子に伝えて、ここまで準備してもったいないよなぁ、場所を変えて実行しようか、とそそのかしてみた。
OK。
OKだよ。 ウシシ、やっぱりまだ子供だね。 餌で釣れる。


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