ここのページは、 お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!! と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club の活動報告です。 クラブと言っても組織になっているわけではありません。 集まったそのときの人たちが仲間です。 さぁ、お父さん、キャンプ遊びをとおして心の強いお子さんに育てよう! 07/9/30(日) キャンプじぃじの日記 いやはや、今日も雨で運動会が延期になってしまった。 この間の秋の遠足のように運命は天に任せるしかない。 そうクラゲが漂うようにあるがままを受け入れる。 逆らってもしょうがないし、何かに当たっても解決しないし・・・ こういう時に神様がいればこう尋ねるんだな。 「あのぉ、神様。 僕は晴れることを願っているのですが、なぜかあなたは雨になさった。 それがどういう意味なのかは僕にはさっぱり分からないのですけど、今までを考えると不思議な方法で僕をビデオ屋で20年も食べさせてくれました。 だからこれも人知を越えた何かの御用のためのものだと知っております。 どうぞ御心のようになさってください。 がっかりはしてますが、計り知れないどこかの何かの大プロジェクトの一つのためだと思いますので、お役に立てて嬉しいです。」 てなことで今日も大いに off を楽しもうと思う。 ラッキー。 今、末っ子のソロキャンプが始まってこの冬に2回目を予定している。 この遊びでは、お父さんも「ソロ」なんだな。 今までは子供が作った飯を食べさせられてきたのだが、これから僕は自身で作らねばならない。 そこで個人用のコッヘルで米一合を炊く訓練をもう少なくとも15回はやっただろうと思う。 難しい。 4〜5人用のコッヘルセットには炊飯鍋があるので、それで普通に炊けばOKで、めったに失敗しないのだがこの個人用の小さなコッヘルではそうはいかない。 始めの10回ぐらいは、コッヘルをコゲにしたりベチョベチョ飯にしたり、とても納得できるものではなかった。 それがいろいろと試行錯誤を繰り返しているうちに何とか食べられるレベルになってきた。 実は昨日、画期的な手法で完成が見えてきたのである。 今日その方法をさらに改良して実用化のメドを立てる。 中間報告をしよう。 個人用コッヘルセットは、コッヘルの大きいものと小さいものの二つが普通はセットになっている。 大きい方でまずお湯を一杯に作る。 沸騰するまでに小さい方で米を一合研ぐ。 次に、それに水二合を入れた上沸騰したお湯を一合を足す。 これは今年覚えたことだが手打ちウドンを60度で湯煎すると早くできることにヒントを得て、これで米を炊く前の水で寝かす時間を30分から15分に短縮する。 すごいでしょう、マニアックなテクニック。 自分で酔うね。 さて米一合にぬるま湯で一杯の小さなコッヘルから、その湯をコッヘル8分目になるようにする。 それをそのまま蓋をせずにキャンプコンロで炊く。 その間、コッヘルの底が焦げ付かないように静かにシャモジでかき回す。 次第に温度が上がるに従って米が水分を含んで米の体積が大きくなる。 どのぐらいが適当かは、目下研究中だ。 コッヘルの中をかき回していてもブクブクと底から湯気が立ち上がる当たりを見当にして、米の体積と同じぐらいにお湯がなるように余分な湯を捨てる。 そしてすぐに蓋をする。 コッヘルの大きい方の蓋に沸かしてある湯を張りキャンプコンロにかける。 そこに米の入った小さいコッヘルを置く。 小さいコッヘルをシャモジで押さえて、沸騰する湯の中でそれが踊らないようにする。 米は水蒸気でこれより蒸される訳だ。 これは幼稚園での活動で給食センターへ行った時のことをヒントにしている。 給食センターでは、ビックリするほど大きな鍋で調理をする。 カレーなら何千食もできるそうだ。 その大鍋の熱源は、「火」ではなく「水蒸気」だ。 それにヒントを得た。 自分ながら凄いね。 だれか誉めてあげてよ、僕に・・・・ さて、昨日はこのテクニックで15分蒸したら、し過ぎたようだ。 今日は10分にしてやってみようと思う。 この方法だと例え炊くのに失敗してもコッヘルを焦がすことがない。 個人用コッヘルで米一合炊く。 もしかしたらキャンプ史上初の画期的な手法かも・・・ あぁ、仕事もしないで遊んでて大丈夫かねぇ・・・・ 07/9/29(土) キャンプじぃじの日記 普通日記というのは一日に一回だ。 今日は暇なもんで二回も書き込んでしまう。 退屈はいやだね。 本屋さんに取り寄せ中の「歎異抄」をどうしても読みたくて別の本屋さんで買ってきた。 ただ文字を読むだけなら一時間で済むほどのものだが、本当に理解するのには頭から湯気が立つほど難しかった。 読んでいる最中に末っ子が柔道の試合から帰ってきた。 そこに取り寄せをしていた本屋さんから電話があってお望みの本が届いたと言う。 子供にそれを取りに行かせて、なんと僕の手元に二冊もそれがある。 ご縁でしょうか? さて僕は仕事で浄土真宗の幼稚園と取引していたことがある。 そこの園長先生に浄土真宗について個人授業を受けた、職員室で。 僕は仕事柄なんにでも興味を覚えやすい。 非常に興味深く親鸞さんについて聞かさせられた。 それで予習はしていたので、この本の意味することは大体のところは分かった。 例えば「他力本願」ということの意味をご存知だろうか? 僕はその園長先生に教えていただくまでは間違った解釈をしていた。 僕のように教養の怪しい人は、それを「努力をしない怠け者」と約したりするものだ。 間違っている。 この本の核心的なことでその言葉が出てくる。 どうか僕のように俗説の意味にとることなく読まれることをお勧めする。 もちろん、他の宗派を批判したりするつもりはない。 そもそも僕は仏教ではないが生きていく上でこの「他力本願」の意味は覚えておいた方が本当にいいと思うので紹介したい。 お父さん、これからは宗教をしっかり学んで「生きる」ことを子供に教えよう。 キャンプファイヤーの灯りのもと、それを噛み砕いた話しを子供に聞かせよう。 その子にとって、これこそがこの世でたった一人のオヤジの言葉として心に焼き付くんだなぁ。 僕もそれをやったよ。 とってもいいと思うので強くお勧めするね。 それでこそ「親子キャンプ」なのだから、オヤジの小言・・・・ 07/9/29(土) キャンプじいじの日記 小雨で運動会の撮影が明日に延期になった。 僕の場合、失業者にさえカウントされない失業の身だ、今日は。 業界用語で off ってると言う。 一ヶ月も off ってれば大概のカメラマンは食えなくなる。 この仕事をよく20年続けられてきたと、本当に今思うと不思議でしょうがない。 昨日、末っ子に話したこと、 「砂漠の中を二人の足跡がず〜と続いている。 飲み水もなく喉がカラカラだ。 歩く足取りもふらふらしながら生死の境目をさまよっている。 その足跡の一人はお父さんだ。 もう一人は、実は神様だった。 その神様は、倒れるお父さんを見捨てずに支えると言った。 しかし、後を見ると所々に足跡が一人分しかない。 お父さんは神様に訴えた。 あれほど救ってくれると言ってくれたのに、神様、あそこと、あそこと、ここの足跡が一人分しかありません。 僕はそこのところで死ぬかと思っていたのに・・・ その度に僕は友人に『もう死にそう』と言っていたら友人は『お前のその"死にそう"はもう聞き飽きた』と言われました。 そうしたら、神様は言いました。 『良く見て御覧なさい。 それは私の足跡です。 私があなたを背負っていたのですよ。』 お父さんはビデオ撮影の仕事をしていて、この話しはお父さんのものだと心の底から思うよ。 本当にそれほどにヤバイ挑戦だったんだ。 だけどこの体験を通してお父さんは神様と友達になれたんだな。 お前も、強く生きていくためにこうなれればいいのだが。 まぁ、そういうものがあるということだけでも覚えておけ。」 末っ子は、半分聞いていたような、半分上の空のような・・・ この子に信仰奨励をするのは難しい。 だからこそ面白い。 07/9/28(金) キャンプじぃじの日記 驚いた。 僕はカブスカウトの活動をとおしてお父さんたちがあまりに子育てに無関心なことに気付いて、今、お父さんに向けた聞きたくもない辛口の小言をここに書き込みだしたわけだが、それに危機感を持つ方たちも結構いることを知った。 月刊「ポプラディア サムズ」ポプラ社刊 580円 この雑誌の11月号vol1 の p4 は特に僕とほぼ言いたいことが同じだ。 この雑誌がたくさん読まれることを心から祈っている。 子供の心を強く育てられなくて悲しい思いをするのは他でもない、その子の親だ。 僕も悲しむ親の一人だからこそ強くそれを訴えたい。 物や金を価値にした人生観をぼちぼち止めようよ。 それはすべて「消費」を喜んでいるにしか過ぎない。 手に入れたその瞬間だけ高揚感のようなものがあるが、それは幻だ。 すぐにさめる。 生きる感動、成長の喜び、本当の幸せってそんな消費になんかにない。 今ベトナムでは韓国男性と結婚するのが流行っているらしい。 韓流映画の影響だそうだ。 そこには豊かな韓国の生活が描かれている。 日本も、ついこの間までテレビに映る豊かなアメリカを見て物質主義が当たり前になってしまった。 お父さん、人生で目指すものが物や金では幸せは遠いと思うよ。 子供との関係でこそ幸せになれるのではないのかな? 子供の成長にあるのではないのかな? どんなときにも幸せを感じとる能力を、つまり強い心に子供を育てようよ。 これからの日本社会は、大企業と言えどもバタバタと潰れるようになる。 ましてや小さい会社は、僕の個人経営より下手をしたら危ない。 会社にぶら下がっていればどうにかなるのはもう時代錯誤もいいところなんだよ。 このことはお父さん自身が肌身に感じていることでしょう? だからこそ心の強い人に育てなければならないんだなぁ。 それでないとこれからの社会を堂々とは生きていけないんだ。 あのぉ、堂々と生きるっていうのは「空威張り」や「見栄を張る」ことではない。 自由に生きられるということを指す。 子育てを母親任せにすると、とんでもないことになるんだ! ぜひこの雑誌を読んで欲しい。 この雑誌を読んで素直に気付くことができますように。 本当に心からお祈りします。 07/9/27(木) キャンプじぃじの日記 来月のディキャンプ実施日が変更です!! 10月は、14日(日)に行います。 前日が運動会の撮影なのですが、もし前日が雨でそれが日曜日に延期されたら、すみません、中止です。 07/9/26(水) キャンプじぃじの日記 驚いた。 普段の生活で日本人ほど宗教が嫌いな国民はないと思うほどだったが考えが間違っていた。 先日、五木寛之著「私訳 歎異抄」東京書籍刊 を紹介したが僕はまだこれを読んでいない。 土曜日にこの本を知って翌日、子供に本屋さんへ買いに行かせたところ売り切れだった。 子供は、いつものように取り寄せ注文をしようとしたら、店員さんに「明日また入るから買いに来た方が早いよ。」と言われたそうだ。 そして昨日の火曜日の夜、また買いに行った。 また売り切れだ。 子供は、その本を取り寄せで注文をして帰ってきた。 本当に、この本は売れているようだ。 こんなに日本人が宗教に関心があるなんて本当に驚いた。 お父さん、ご家族の伝統の宗教をしっかり学んだ上で子育てをしよう。 本当にこれは世界の常識なのだから。 しかももう小学校で道徳でさえ教えてくれない時代になったのだから! お父さんが、これを学ぶことで「おやじ」に成長できるのさ。 07/9/25(火) キャンプじぃじの日記 昨日、末っ子の高校一年生の子に一冊の本を勧めた。 ビジネス書だ。 お父さんの中には、ビジネスの第一線を活躍されている方もおられるだろう。 そういう方たちのバイブルで、ナポレオン・ヒル著「成功哲学」は有名だ。 ぼくはそれを28才のときに読んだ。 子供に与えたのは、そんなような内容の日本製の現代版だ。 安物のそれは、「大金をつかむ」ことばかりが目的になっている。 しかし、その二冊に共通していることは、ビジネス書だから大金を著者がつかむのだが、それまでのプロセスを強調している。 子供に本を勧めるときにこう語った。 「お前はもうあと二年半で社会に出て自分の力で生きていかねばならない。 それまでに社会人の心になるよう今、ここで訓練をしているんだ。 さてここに本がある。 この本は『ビジネス書』と言って世の中でどうやって商売をすればいいのかが書かれてある。 仮にお前が工場勤務をしたとしても一生涯下っ端働きなのか、会社を動かす男になるのか、それの違いが書いてある。 読んで学んで欲しいのだが二つばかり注意して欲しい。 一つは、『リーダーシップ』だとか『企画書』、『モチベーション』といった言葉が出てくるが意味が分からなかったら辞書を引け。 実は、それらすべてボーイスカウトでやってきたことに気付くはずだ。 今ソロキャプを始めたが、この遊びでたくさんそれらが身につくんだ。 それを意識してこの冬にもいいキャンプの計画書を作れ。 もう一つ。 それは、我が家の宗教では『金持ちは天国に行くのが困難だ。』と教えていることだ。 実際は、困難というより無理だ。 なぜかは宗教をしっかり学べ。 ところでここに矛盾がある。 ビジネス書では最終的に大金をつかむという価値観がある。 しかし、宗教ではそれは人生の失敗と定義されている。 なぜお父さんはその本を勧めるのだろうか? それは、人生の目的は金にないが、生き方のヒントにそれを学んで欲しいということだ。 これは難しい物事の捉え方だが、ここに注意して欲しい。 人生の目的は物や金にない。 しかし、生きるテクニックをこの本で学んでみろ。」 この子は、中学三年生の春では学力が学年の最下位だった。 それが自分なりに必死に学んでレベルは低いが高校受験に成功して今、柔道で鍛えている。 僕の三番目の子は、専門家に学習障害を指摘された。 だが何とか定時制高校を卒業して就職した。 僕は、学校の成績が極端に悪い子に「やる気」を起こさせることが出来るようになってしまっていた。 もし、お父さんの子が僕の子ほどでないにしろ学校の成績が悪くて悩んでいたら、ぜひここの書き込みを注意深く読んで欲しい。 必ずヒントが得られることだろう。 お父さん、このことは逆に言うと学校の成績だけで安心をしていたらとんでもないことになることもある、ということだ。 分かって欲しい。 07/9/23(日) キャンプじぃじの日記 昨日、このHPの別項の「卒業ビデオアルバム制作」の「pro only」のページをほぼ完成させた。 これはこれからこの仕事を目指す若手へのガイダンスだ。 この書き込みは、10年前に作ったガリ版刷りの手作りの本がベースになっている。 僕の30才代の10年間は、この仕事をする上で猛烈に学んでいた。 それをその本にまとめたわけだ。 また僕の40才代は主にボーイスカウト運動について関係書籍を読みあさり学んだ。 そしてカブスカウトの隊長をしてそれを体験できた。 その30才代、40才代、で学んだことをベースにこのページの書き込みをしている。 このページは僕が学んだことの応用だ。 特に若いお父さんに向けて聞きたくない辛口の小言を訴えている。 世の中に僕のような「じぃじ」が必要さ。 ここに書き込んでいるものは、僕の実体験に基ずいているものなので揺るがない。 さて、高卒の僕だがこの社会を貧乏だが、底々「自由」に生きていられるのは、30才代、40才代で真剣に学んでいたからだと思う。 お父さん、子育てはその子が一生涯自分の好きな分野を思いっきり「学び続ける」習慣を身に付けさせる、ということを目指して欲しい。 僕は51才だが、同級生を見ていてその年代で学んでいるかどうかがその後の人生にものすごく影響していると思える事象が多い。 学ばない人は、総じて窮屈な人生を歩んでいる。 大学を出たかどうかではない。 一生涯学び続けられるように育てることが最も大切だ。 そうでしょう、僕は高卒だが今も学び続けているので古い友人たちより、 たぶんずば抜けて「自由」に生きているからだ。 だいたい4時半にはいつもの銭湯の露天風呂で自由を満喫している。 貧乏だけどね。 目先の学校の点数ではなく「生き方」をしっかりとお父さんが直接お子さんに、特に小学校の間に教えよう。 それが中学、高校での生活態度としてでてくるからだ。 その子の本当の幸せを願うなら、ぜひそうして欲しい。 07/9/22(土) キャンプじぃじの日記 ボーイスカウトの精神に習って特定の宗教を宣伝するつもりはない。 今朝の朝日新聞の記事に 五木寛之著「私訳 歎異抄」東京書籍刊 が今月出たばかりで12万部突破の勢いだそうだ。 これは、親鸞さんの教えと違うものが広まったので弟子がそれを悲しんで書かれたものを現代人に分かりやすくしたものだという。 先日の学校教育から「道徳」が消えうせようとしていることに危機感があるが、それより崇高な宗教の本が読まれていることに安堵した。 宗教を無視する人と、学ぶ人の格差はこれから爆発的な違いが起こるような気がする。 それぞれの家系において、下品と上質の違いが起こるのではないだろうか。 ぜひお父さん、ご家族の伝統の宗教を学んでください。 直接子育てに影響があろうかと思います。 07/9/21(金) キャンプじぃじの日記 僕は幼稚園を専門にしたビデオ屋だ。 ともかくシーズンになるとその季節のイベントを毎週撮る。 これから秋は運動会。 4週連続だ。 しかも重なっている日がある。 それが終わると同業者の手伝いのオンパレード。 吹奏楽とか日舞とか、そうこうしているうちに幼稚園の発表会が始まる。 これは11月から翌年2月まで続く。 そして卒園のシーズンになり、夏にはお泊まり保育があって、またマザー牧場でキャンプがあって・・・・ ともかく1年が子供のときの一日のように過ぎていく。 時の流れが暴走族だ。 この勢いだと、僕の死期はアット言う間に訪れることだろう。 生きているうちに、ぜひ若いお父さんに伝えたいことがある。 お子さんを心の底から、あらゆる犠牲を払ってもちっとも痛く感じないほどに愛してあげてください。 本当の幸せは、物や金にない。 お子さんを愛するところにある。 たくさん遊んでやって欲しい。 さぁ、ディキャンプをしよう! 注文していた本が本屋さんに届いたので、いつもだったら末っ子が取りに行っているのだが、今日は僕が行くことにした。 本屋さんの場所を地図にして書かせた。 「産業道路」が「三行道路」になっていた。 まぁ、僕の子は万事こんな調子だ。 頭は良くない。 まったく、しょうがないんだから・・・・ 07/9/20(木) キャンプじぃじの日記 僕が高校を卒業して会社員になった昭和49年ころは、「年功序列」という賃金体系が当たり前だった。 勤続年数に合わせて賃金がアップする。 これは多分に儒教思想の影響がある。 年上を敬う、そういうことで仕事が出来なくても年上の人に多くの賃金を払ったわけだ。 しかし、今では能力給が常識だ。 もとの年功序列に戻せという意見もあるらしいが、現実的には「世界の常識」に合っていくだろう。 だが、未だに日本人は「就職」ではなく「就社」だと言われている。 それは、おそらく多くの日本人に社会主義思想が根強いからだと思う。 会社があって、社員が潤う。 「個」より「集団」の方を大切にする。 そういう心の持ち方の背景があるのでお父さんが子供と遊ぶ時間が作れないのだろう。 僕は、子供と遊ぶために仕事を蹴っ飛ばした。 もちろん収入は減るが人生の豊かさは金にない。 これは僕が自営業だから出来たことであって、日本の会社に勤めていると難しいことだ。 こうして、儒教思想や社会主義といった物事の捉え方によって人々の生活習慣や就労感が出来上がっている。 たぶん少しずつこの「気持ち」は変っていくだろう。 おそらく世界の常識に次第に近づいていくと考えられる。 どういう世界の常識だろうか? その一番重要なことが「宗教を持つ」ことになるだろう。 どの宗教がいいとか悪いという話しではない。 形だけの宗教ではなく、 仏様なり神様は何を悟らせようとしているのか学ぶ態度がきっと重要になるだろう。 それが世界の常識だからだ。 朝日新聞9月19日付け朝刊に、「道徳、教科にせず」とある。 その根拠に、「道徳教育を教科の範囲でやることには無理がある」「一方的に教え込むことが、道徳教育の充実につながるとは思えない」ということだ。 道徳は、そのベースに宗教観があることを指摘したい。 逆の言い方をすれば、宗教によって道徳は違う。 どちらにしても学校教育から「道徳」はますます遠ざかる様相だ。 お父さん、本当にそれでいいのですか? 学校で道徳が教えられないということと、道徳なんてどうでもいいということとはまったく次元の違う話しだが、現実的にそれがなくなりそうだ。 子供たちは、何を基準にこれからの人生を歩めばいいのでしょうか? だれがそれを教えられるのでしょうか? そういうことで、「生き方」や「生きる意味」はぜひお父さんにして欲しいと願っています。 これは理想ではなく、子供にとってお父さん以外にそれを教えてもらえない現実なのです。 ぜひこのことを分かって欲しい。 そして実践して欲しい。 今度の休みには、ディキャンプで、お父さん、実行してください。 親子キャンプでお子さんに人生について熱く語って欲しい。 期待してます! 07/9/18(火) キャンプじぃじの日記 昨日、またいつもの小学3年生の男の子が来た。 どうやら目当ては、僕からのオヤツと末っ子らしい。 その子が「オヤツを買って」というから、とりあえず僕は「いやだ。」と言った。 そしてその子がダダをこねる。 ここまではほとんどお互いに事務処理的な慣習になった。 そして昨日は、僕の背中に乗ったら考えると歩み寄りの提案をした。 渋々、ほんの2〜3歩乗ってくれた。 僕は「そんなんじゃダメ。 50歩でないとダメ。」と交渉する。 その子は、始めに20歩カウントして、次に10歩、そして10歩、それでトボケようとした。 僕は鋭く残り10歩あることを指摘した。 その子は合計50歩僕の背中に乗ってくれた。 約束だから、二人で歩いて1分のコンビにへお菓子を買いに行った。 その子は「ねぇ、おじさん200円買って。」と言う。 僕は、「50歩だからダメ。 50歩は100円だ。」と根拠のないギャラを提示した。 その子は案外素直でそれを受け入れた。 50円の駄菓子と10円のそれを5ヶ、消費税分は目をつぶってやった。 その子はさっさと僕より早くボロアパートへ帰って末っ子のところへ行った。 最近、少しずつ日が落ちるのが早くなってきた。 その子にランプの明かりを見せてやろうと思い、まだ明るかったが玄関に灯した。 自治体の「よい子は帰りましょう」のアナウンスが流れた。 その子は、飛び出すように帰っていった、ランプを見ずに。 その子の一つ一つの行動がかわいいね。 さて、ランプが灯ったところで昨日は玄関前で夕食にした。 たった数メーターの違いだが外で食べるのは楽しい。 大家のおばぁちゃんも誘って大いにアウトドアーを満喫した。 僕はプリン体カットのビール風味の発泡酒を2本空けたところで、みんなに「今日は禁酒するつもりっだった。」と語る。 ここは重要なポイントだが、あくまで呑んでからそう言うことが大切だ。 台風の影響で湿って暑い風だったが、どこか秋を感じる愉快な夜だった。 #### Snowamen Camp Club #### 07/9/16(日) ディキャンプを実施 夏休みの空気がまだよどんで残っているような暑さの中、グリーンパークでディキャンをした。 たまたま通りすがった親子に簡単な工作物を楽しんでもらって、そのことで親子が触れ合う場として活動してきた。 何を作ったかではなく親子が触れ合うということが最大の目的だ。 ぼちぼちこの活動は2年続けてきた。 ちょっと夏ばて気味でブルーシートのフライを建てたところでグッタリ。 そのまま、おばばと転寝をしてしまった。 そこに古い友人が来た。 彼は「いつもだったら旗を揚げているのにポールさえ立てずによっぽどくたびれているようだ。」と言った。 その通りだ。 予定通り「芋煮」を作って食べた。 どうもキャンプ場の水が悪く、それが鼻をついた。 なんとかそれをごまかすためにカレー用のスパイスを入れたら、なかなかイケル。 これはいい手を思い付いたものだ。 インドではたぶん水が悪いということもあってだろうか、いいものを発明してくれた。 午後、「親子で工作」を始めた。 おばばが何を血迷ったかそこら中に「営業」をして客引き。 おかげで大賑わいとなった。 そういう中、一人の女の子が「去年は竹トンボを作った。」と言った。 その子は偶然にも今年もこの活動に参加したのである。 今年はそれより簡単な「枝ハンコウ」だ。 その子はまた竹トンボを作りたいという。 僕は「同じ物を作るより違うものにすれば?」とペットボトルの風車を指差した。 これは子供にはちょっと難しい。 結局、その子のお父さんが作り始めた。 そしてそのお父さんはどうやらハマッた様子で夢中になっていた。 なんでもいい。 親子で触れ合う一日があれば。 細々とだがこの活動を続けてきてこんな光景を楽しまさせていただくことができて本当によかった。 10年も続けていたら荒川の名物じぃじになっているかも。 ほのぼのとした夢が持てた。 ################ 07/9/15(土) キャンプじぃじの日記 この間、ラジオを聞いていたら「食育」を訴えている人の話しを聞いた。 ほとんどの国民が食事中にテレビを見ているのは、日本だけだそうだ。 その間、親子の会話がないという。 この構図は、テレビゲームとまったく同じだ。 子供はゲームに夢中の間、目の前に友達がいても「人との交流」がなくなる。 人間関係を築くのが苦手な大人は、こうして育つ。 日本の小学生が就寝するのは10時過ぎ。 アメリカでは8時台だそうだ。 その出演者は結びに、親として子育ての能力があるのか本当に心配と言っていた。 僕の仕事は「卒業ビデオアルバム制作」だ。 アイデンティティがハッキリしているでしょう? これを掴み取るために僕は30歳代の10年間、修業の身だった。 キャンプじぃじを名乗っている。 これは40歳代に主にボーイスカウト運動のやり方を必死で学んでいたからだ。 今朝、末っ子にこう語った。 「お父さんは貧乏だが、30才、40才、と必死に学んできた。 だからこそ成長できたんだ。 お前が高校を卒業して社会人になったとき、もうお父さんの「激」がなくなる。 そのときに、自分の心の中に「気楽」が起こったところで人生が終わると思え。 それは今日かもしれない。 一度気楽を求めたら成長が止まる。 成長が止まるから幼稚になる。 幼稚だから学ばない。 その悪循環に陥るんだ。 それがエスカレートするとお父さんの友達のようにうつ病になる。 アイツはもう気楽な遊びでも動けなくなってしまった。 いいか、気楽と戦え。 生きている間、自分自身で自分を育てろ。」 オヤジの小言はこういう風に語る。 冷酒とオヤジの小言は後で利く。 07/9/13(木) キャンプじぃじの日記 僕の三番目の子が元気良く社会に出て行ってしまったとき、あまりの寂しさにセミの抜け殻状態になった。 四番目の子が高校を無事卒業すれば2年後にまたそれが僕を襲ってくる。 そういうことの学習効果で、2年後には本格的に僕の仕事の後継者を育て始めようと思う。 具体的なアクションはもう始めている。 このHPの別項に「卒業ビデオアルバム制作」にその仕事のノウハウを書き込んでいる。 おおむね70%書き込んだ。 もうちょっとで完成だ。 その他に、研修者を募集するビデオを昨日完成させた。 久しぶりにビデオ編集に燃えたね。 来年の春にこのHPに載せようと思う。 子供がいなくなったら仕事人を育てる楽しみを創りだす作戦だ。 ともかく人間は「成長」の中に感動し、強烈な幸せを感じるように出来ている。 子育て真っ最中のお父さん、子供と思いっきり遊ぼう! そのときが人生で最も幸せな一時となるのだから・・・・ それを逃したらもったいない。 じぃじは、それも訴え続けたい。 07/9/12(水) キャンプじぃじの日記 貯金は天国に積みなさい。 これは見返りを期待しない奉仕のことだ。 天国に貯金したつもりなのにこの世でそれを受け取ってしまった。 ということは、預金残高がもうないのだろうか・・・・ 昨日、カブスカウトで一番世話をやいた子が自転車で2時間乗って来た。 この子は、小学校のときにパパを亡くして千葉へ越していってしまっていた。 中学二年生になって最大の冒険サイクリングだったらしい。 僕には4人の男の子がいるが、中学生をかわいく思ったことがない。 何が面白くて中学や高校の先生をしているのだろうと思っていた。 だけど、昨日はその先生たちの気持ちが分かった。 一所懸命に自転車をこいで、道に迷って来たその子、本当にかわいいね。 もうとっくにボーイスカウト運動から足を洗ったのに、その子にとって僕は永遠に「隊長」らしい。 「隊長!」そう叫んで僕のボロアパートに来た。 懐かしい。 でも声が変わって骨格がしっかりしてきて大きくなっていた。 その姿を見ただけで熱いものがこみ上げた。 僕の末っ子にも会わせようと思い、いつもの銭湯に入って夕食まで居させた。 末っ子は部活を早めに切り上げたらしく、早く帰ってきた。 久しぶりに賑やかな夕食となった。 自転車を車のキャリアに載せてその子を送り届けた。 帰りの車の中でこう隊長のメッセージを語った。 「なぁ、・・・。 お前はな、普通の子よりとっても悲しい思いをした。 その後も、普通の子よりよっぽど大変だった。 でもな、だからこそお前の心が強くなったんだ。 パパが亡くなったのは、ただ死んだのではない。 この辛い思いを通して、お前を強くパパが育てたんだよ、そういう意味があるんだ。 これからも大変なことが人生にいくらでもある。 しかし、・・・は心を強くしていただいたから必ず乗り越えられる。 ・・・、頑張れよ。」 語った僕の方が涙が出そうになった。 07/9/10(月) キャンプじぃじの日記 昨日の夜、玄関の前でサンマを炭火で焼いて食べた。 お宝のランプの下、大家のおばぁちゃんも誘ってキャンプの雰囲気が十分に出た。 実は、僕の古い友人でうつ病に悩むヤツも誘ったのだが来なかった。 ヤッコサンは、サンマが大好きなのだ。 とうとうこんな気楽なことにも動けなくなってきてしまったようだ。 お父さん、小学校の時期に「努力して面白くする」ことをしっかりと教えよう。 「たいした苦労がなく気楽で楽しい」を子供に覚えさせてしまうと、僕の友人のように歳をとってからうつ病になるリスクを負うことになる。 本当に、キャンプで子供の心を強く育てよう。 ディキャンプならお金はあまりかからない。 時間と場所さえ確保すればできる。 しかも、暑い日、寒い日、雨の日、風の日、こそ子供の心を強く出来るのだから年中やれる。 僕はその古い友人を見て、(昨日は来なかったので見られなかったが)そのことを若いお父さんに訴え続けようと物思いに耽った夜となった。 07/9/9(日) キャンプじぃじの日記 昨日僕のような個人経営のビデオ屋の集いで、その10周年の記念パーティをやった。 僕はこの一つの区切りでこの会を辞める。 「卒業ビデオアルバム」という仕事を開発し商品化したのだが、なんとかこの会でこの仕事を目指す若手を育てる目的でやってきた。 しかし、残念ながら若手が育つ環境ではないことが分かったのだ。 これからは、「お弟子さん」を探してそれを育てるという方法をとろうと思う。 僕は自分の子にこの仕事を継がすつもりはないので若手育成は重要な戦略だ。 まぁ、商売をやっているとこういう戦略の軌道修正という壁に時々ぶち当たる。 そこを元気良く乗り越えていく知恵と行動が必要になる。 お父さん、お子さんにこういう生きる力を教えていこう。 組織に振り回されることなく自分の人生を作っていく力。 これからの日本社会は、今までのようなわけにはいかない。 お子さんが将来、会社員だとしても自立した男を育てよう。 そのためにお父さんの言葉で、生きる意味や生き方を子供に教えるべきだ。 ぜひ、キャンプでやって欲しい。 07/9/7(金) キャンプじぃじの日記 今日も予定していた幼稚園の遠足が台風で吹っ飛んだ。 なるがままに、総てを受け入れて逆らわない。 僕は、貧乏なビデオ屋だが子供の成長にカブスカウトの活動がよいと考え仕事を蹴っ飛ばして一年に66日活動した。 そしてその結果は予想よりいい感じだ。 物や金、享楽に縛られていてはできない。 貧乏をあるがままに心に受け入れていなければできなかった。 それで手に入ったものは、心の豊かさだ。 盗まれる心配もなければ、古くなって飽きたりしないものだ。 むしろ、古くなれば古くなるほど良く醗酵して心が酔う。 子供との思い出。 たまたまだが、僕の仕事は子供の思い出をビデオという缶に詰める仕事をしている。 僕を生活させるだけの多くの保護者の方々に買っていただいた。 その中に、マザー牧場の担当者がいた。 なんという巡り合わせでしょうか。 僕はつくづく思うね。 親の欲望が子供の成長の環境で最も好ましくないということをね。 結果は子供が30歳、40歳、になったときに出てくると思う。 僕の古い友人の一人は50歳になってうつ病という形に現れた。 お父さん、 お子さんが適齢期を過ぎても結婚しない子になったらどう思いますか? 仕事をしない人になったらどういう思いになるでしょうか。 お子さんが年相応に育っている姿こそに幸せを感じると思いませんか? お父さん、ゴルフなんかに溺れていると大変なことになりかねないよ。 僕はそういう人を知っている。 欲望のままに生きるのではなく、子供が二度と戻らない成長の真っ最中ということをしっかりと心に受け止めてお子さんと大いに遊ぼう! お子さんとフィールドに繰り出してディキャンプをしよう! 子供は心からそうしてくれることを願っている。 07/9/6(木) キャンプじぃじの日記 あぁ、台風で予定していた幼稚園の遠足が吹っ飛んだ。 いくら科学が進歩しようと、デジタルで高性能になろうと、自然の力には逆らえない。 コンクリートの壁で人工飼育された子供は、この「自然」が見えないで生活をしてしまう恐れがある。 自然の怖さを知らない、籠の鳥。 怖いものがないという感覚は、心の制御ができないように育つ可能性がある。 「キレル」子供が多いというのは、そういう環境だからだろう。 今やキレルのは子供だけではなく、親も、年寄りも、こぞって些細なことに我慢が出来ない。 我慢が出来る子供に育てよう。 キャンプで自然の中、暑い、寒い、雨、風、をたっぷり体験させて強い子に育てよう。 僕の仕事は自然相手のことが多い。 あるがままに、まるでクラゲのように自然の中に生かされれば肩の力が抜ける。 07/9/4(火) キャンプじぃじの日記 やっと夏休みが終わった。 子育て中のお父さん、お母さんたちにとってこの長い休みが終わって、ホッとしている方が多いと思う。 僕も同じだ。 小学校高学年から男の子を育てるのには十分な注意が必要だ。 あるデータによると、男の子は女の子の10倍ズッコケやすい。 僕の4人の男に子のうち、上二人は僕の育て方が悪かったのでみごとにズッコケた。 だからこそ若いお父さんに上手に子育てをして欲しいと訴えている。 育て方が悪くて悲しい思いをするのは親自身だ。 僕も猛省して下二人を育てた。 さて、思春期の前、小学校5〜6年生あたりからその子の変化を毎日見る必要がある。 ここをサボるというのは、ハンドルを握らないで車の運転をするようなものだ。 子育ての放棄だ。 特に長い休みでは、毎日だけではなく毎時間と言っていいほどの子供の変化を見る心構えが必要だ。 そのぐらいにこの年頃では「気持ち」がころころと変る。 だからと言って神経質に扱ってはいけない。 放任以上に過干渉はよくない。 ジッと観察して、悪さの極限に行きそうなときだけビッシとお父さんが矯正する。 この役はお父さんに限る。 休みが終わってホッとしているお父さん、お母さん、ご苦労様でした。 お子さんをよく見ていた証拠です。 「不自由を工夫して面白くするところにキャンプの醍醐味がある。」 子育ても大変だからこそ深く思い出に残って、人生が豊かになるのです。 その豊かさは、物や金なんかに変えられない本物の豊かさ、本当の幸せなのです。 そう思えば大変な子育てが面白くてしょうがなくなります。 お父さん、お母さん、ご苦労様でした、お互いに。 07/9/2(日) キャンプじぃじの日記 見つけた! 僕はめったに消費の話をしないが、別にそれを楽しまないわけではない。 ただ人生の目的にはしていないが。 マザー牧場で食べたソーセージ、そこで飲んだ低温殺菌の牛乳。 ごちそうサマーキャンプに参加された方々も口にされたあれ。 僕の末っ子にその仕事の手伝いをさせるのに、そのソーセージで簡単に釣れた。 僕は埼玉県の越谷市に住んでいる。 マザー牧場は千葉県の富津市でだいたい100キロ離れている。 そこのソーセージと牛乳はうまいことを知ってはいるが、わざわざそれを食べに100キロを走ろうとは思わない。 春先、雪中キャンプに福島へ行くとき、そこで馬刺しがスーパーで手に入るがわざわざそれを食べに行こうとは思わない。 埼玉に近い栃木県に馬頭キャンプ場があるが、その近所に自家製ソーセージを売っている。 マザー牧場のそれと同じで滅茶苦茶うまい。 だがわざわざ行こうとは思わない。 しかし、マザー牧場のそれが車でたった15分のところで売っていたら、行きたくなる。 僕は昨日、久しぶりに完全に off っていたので末っ子と二人で越谷市の隣の三郷市にマザー牧場の出店があるらしかったので探しに行った。 それは、国道298号線の脇のイトーヨーカ堂の1Fにあった。 なんだか秘密のお宝を探し出せたような気分になった。 僕の末っ子も口に入るものには極めて敏感だ。 嬉しそうだった。 もちろん、牛乳とソーセージを買って帰ってきた。 さっそく「利き酒」ならぬ「利き牛乳」を末っ子とした。 「酪農3.6牛乳」もスーパーで売っている割にうまいと思うが、飲んだ後の余韻がマザー牧場のものは全然違う。 味も濃い。 見比べると色も真っ白ではなくわずかにクリーム色をしている。 パッケージには、「上にクリームがうきますので、よくふってお飲みください。」とある。 牛乳の注意書きにこうあるのは、たぶんこれだけではないだろうか。 うまい。 ちなみに客観性を持つためにうちのおばばにもそれらを飲ませてみた。 おばばには味の違いが分からなかったようだ。 いろいろな人がいる。 中にはそういう変な人もいるということを末っ子と二人は了解した。 ソーセージは、「ごちキャン」のときのものよりだいぶ小ぶり、と言っても普通よりは2回り大きいが、やはりうまい。 僕の古い友人たちもソーセージに目がないから、そのうちに驚かそうと思う。 国道298号線が近くに走っていたら、それで三郷まで走っていくだけの価値は十分にある。 別に僕はマザー牧場の回し者ではない。 騙されたと思ってご賞味あれ。 07/8/31(土) キャンプじぃじの日記 昨日またいつもの子が来た。 どうやら出張続きでいなかった間にも来ていたようだ。 昨日は、ちょうど昼飯時に来た。 この子は軽い注意疾患多動症の傾向が見受けられる。 頭でイタズラをしてはいけないと思っていても、ついうっかりイタズラをしてしまう。 たぶんその子はお昼を食べてやることがないので、僕のところを思い出したまますぐ来たのだろう。 しかし、相手にも都合がある。 こういう子はこれがどうしても分からない。 この場合、親が口すっぱく説教してもほとんど効果は無い。 もうすでに僕のアパートの中に入り込んでいるその子にまずこう言った。 「おい、・・・、おじさんのところはこれからお昼なんだ。 ・・・はもう食べたのか?」 その子は「カツ丼を食べた。」 僕、「そうか、でもここではまだなんだ。 一緒に食べようか?」 その子「大盛りのカツ丼でお腹が一杯だから食べられない。」 僕、「でもな、みんながこれからここでお昼を食べるのに君だけそこでイタズラをしているのは、なんかおかしくはないかい? どうだ、少しだけでもいいから一緒に食べよう。」 ということでその子も一緒に「いただきます」をした。 食事中、落ち着かないのと「犬食い」であることと茶碗の持ち方が悪いことが分かった。 その3つの内、落ち着いて食べることだけを注意した。 気が付いた全部をたった1回の食事で直せるわけが無い。 お父さん、これ子育ての基本です。 お昼のメニューは、塩焼きのサンマに混ぜごはん。 秋を感じていいね。 その子は、サンマが嫌いという。 僕はそういうフレーズが大好きだ。 よけいに食べさせたくなる。 1本勝負! サンマの身の解き方をデモンストレーションして、おいしそうなところをその子の茶碗に入れた。 そして僕の無言の圧力、ちょっと怖い目に。 その子は渋々それを食べた。 僕の勝ち! そして僕は「食べ物の好き嫌いは良くないよなぁ。 それは将来物事に対して、人に対して、偏見を持ちやすくなるからだ。 分かった?」 まぁ、多分一回では分からないだろう。 これからはその子と食事をする機会を多くして「分からせよう」と思う。 こうして実体験を伴って躾けるのが子育てです。 ぜひお父さん、参考にしてください。 07/8/30(金) キャンプじぃじの日記 昨日、幼稚園のお泊まり保育のビデオを編集しているところにまたいつもの子がやってきた。 ペットの犬を同伴してきた。 座敷犬の割りに人懐っこくかわいかった。 その子がモニターを覗いて自分に関係がある幼稚園だと思ったようだ。 そこで君の知っている幼稚園ではないことを教えたのだが、どこか納得しない様子だ。 これを思い込みという。 大人でもある。 酒とタバコと女を覚えれば「大人」になったつもりの人は多い。 そして子供が産まれれば「親」に自動的になれるものだと思っている。 確かに法的には「親」だが心構えは、真剣に子供を育てない限りなれない。 これは僕の体験だ。 母性本能というものがあるが、あれは母乳を赤ちゃんに飲ませることでそのホルモンが分泌されると聞いた。 自然のメカニズムは緻密ですごい。 電化製品の普及は便利になったが、子育てを簡単に済ませようという輩は、ひどい思い違いをしている。 子育てほど大変だからこそ面白いものは無いのだ。 大変なところに親として育つからだ。 思い違いをしないでこのことを分かって欲しいなぁ。 #### Snowmen Camp Club #### 07/8/26(日) ディ・キャンプ 戸田の道満グリーンパークでの「親子で工作」の活動で、10家族以上の親子に「枝ハンコウ」の工作を楽しんでもらえた。 大入り。 満員御礼。 去年は「竹トンボ」で時間が掛かりすぎたが、この工作は簡単なのでハケがよくいい調子で活動ができた。 この工作は定番メニューにしようと思う。 そしてもっと作りたい方だけ他のものを教えていこうと思う。 「何を作れたか」ではなく、親子で触れ合って工作することがこの活動の目的だ。 「親子キャンプ」もどこへ行ったか、何を食べたか、が目的ではなくお父さん自身が子供と触れ合って子育てをすることが最も重要だ。 キャンプのイメージは「夏」だが実際は、暑すぎて環境としてはむしろオフシーズンだと思う。 これから涼しくなって太陽が早く落ちていく。 ランプと焚き火の光の中でどうかお父さん、お子さんに生き方や生きる意味、そんなことをお父さんの言葉で語って欲しい。 それこそが「オヤジ」の教育になる。 オヤジがいる家庭になりますよう心からお祈りします。 どうかそういう家庭が築けますように。 そして心の強い人が育ちますように。 ################# 07/8/26(日) キャンプじぃじの日記 今日は、スノーメン・キャンプ・クラブのディキャンを実施する。 小さな工作物を通りすがりの親子に楽しんでもらうのだが、収穫のほどはいかに・・・・ おいしそうな親子が釣れますように。 この「親子キャンプ」で目指したいことは、マザー牧場でも訴えた「不自由な生活を工夫して面白くする」ということだ。 これは、キャンプ生活だけのことではなく、普段の実生活でも同じこと。 だからキャンプじぃじは風呂の無い二間のアパートで十分に幸せなのだ。 僕のところには、幸せの元の子供がなぜか寄ってくる。 言いたいことを言わせてもらえる「ごちそうサマーキャンプ」という仕事が与えられる。 ビックリ仰天する恵みに感謝せざるを得ない。 僕の古い友人は、父親が一流会社に勤めて母親は専業主婦、昭和40年ころに一軒家の持ち家で育った。 二流だが大学も行った。 しかしそこでズッコケた。 大学で享楽な人生を身に付け、留年。 どうも彼のうつ病はそこらへんが伏線になっていると思う。 「物」で立派な気分の見栄を覚えたが、ちっとも幸せそうにないではないか。 話を聞くと実力も無いのに仕事を選べると思っている。 なんだかいい歳をして結婚相手を選べると思っているのと構造的に同じ心のようだ。 物で立派−−→見栄を張れるのが幸せ−−→現実とのギャップ これこそ不幸の図式ではないだろうか? たとえどういう条件の人生であっても工夫をして面白くする力、それを子供に身につけさせよう。 親子キャンプでそれを実践して欲しい。 07/8/25(土) キャンプじぃじの日記 昨日いつもの小学3年生の男の子が来た。 暑くてたっぷりミルクのコーヒーを作る気がしないのでカルピスを買って振舞った。 その子が「お菓子も」とせがむので「一つだけね」と買ってあげておやつにした。 今度の日曜日に公園で工作をするからお父さんかお母さんと一緒においで、と誘ったがムジムジして気が乗らないようだ。 どうも何か事情がある様子だ。 その子が卒園した幼稚園とは別のところのお泊まり保育のビデオを編集していた。 その子が見て、自分とは違う体験のところを面白がって見ていた。 本当は、きっともっとたくさん遊びたいのだろうな、そう思った。 僕の末っ子が小学3年生の頃は毎週カブスカウトの活動を味わったが、 何かの理由でこの子は遊び足らない。 何かの都合で、この子は遊び足らない。 本当にかわいそうだ。 その子に頼んで僕の背中に乗ってもらった。 このぐらいの子の体重がちょうどいい。 末っ子にもさんざん乗ってもらった。 だが末っ子はもう80キロもある。 さて、中学1年生の男の子のことだ。 僕に宿題を頼めば簡単に出来上がるつもりでいたのに、残念ながら逆に作業が増えてしまった。 作りたいと思う何かを5つ思い浮かべる。 大変だったようだ。 どうしても思い付かないと言うので、3つにした。 それでもダメと言うのでとうとう、1つでいいことになった。 これ以上は減らせられない。 この子は、アイディアを捻出するときに、すぐに「それはダメ」「だからダメ」「無理」を連発した。 そこで僕は、アイディアを考えるときには一つのルールがある。 それは、「ダメと言ったらダメ」というルールがあることを教えた。 さてアイディアが出たら今度はどうしたらそれが可能か考える。 そのときにいろいろな障害や問題にぶつかる。 そこで、その問題点を逆さまにしたらどうだ? 大きくしたら、小さくしたら? 他の何かに使えないか? このように考えてみようと教えた。 これは広告の仕事で覚えた発想法だ。 このHPの別項の「卒業ビデオアルバム制作」のページの(3)のB表現をするための3つのトレーニングでも紹介しているものだ。 今日はここまで。 お父さん、お子さんにこれを教えよう。 07/8/24(金) キャンプじぃじの日記 夏の前半は、幼稚園のお泊まり保育の取材でバタバタして、後半はキャンプ三昧であった。 この大人の多動症が落ち着いたところに先日、中学一年生の男の子の宿題の相談が待ち受けていた。 なんだか僕は「子供何でも相談員」になった気分だ。 でもそれが幸せなんだなぁ。 さてその宿題だが、自由研究に何か作りたいという。 その子は、このおじさん(いくら「じぃじ」と呼べと言っても、どうしてもおじさんと呼ぶ)に注文すれば簡単に答えがもらえると思っていたようだ。 そこでちょっと意地悪して、君が欲しいと思う何かを5つ思い起こしなさい、と課題を与えた。 ドラえもんのポケットから簡単に答えが出てくると思っていたその子は、逆に考えなければならないものがかえって増えてしまったわけだ。 こうして子供を困らせて子育てをするのが大好きなんだなぁ、僕は。 意地悪じじぃ、そんな声が聞こえてきそうだ。 明日につづく・・・ 07/8/23(木) キャンプじぃじの日記 今年もマザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」でたくさんのご家族との出会いをいただいた。 一番インパクトがあったのは、この一年間僕のことを「キャンプじぃじ」と思っていてくれていた小さな女の子だ。 他にもたくさんの思い出が出来た。 そのキャンプに参加するために受付に来たときからず〜〜〜と大泣きしていた一歳半ぐらいの女の子。 恐らく環境の変化に耐えられなかったからだろうと思う。 うどん作りの時にも泣いていた。 僕は、それぞれの家族の様子を見るために巡回していた。 その子にはちょっと多めに様子を見ていた。 その時だ。 僕は別にそうするつもりはなかったのだが、泣き止んでいたので、思わずしゃがんで両手を一杯開いて「おいで」のポーズをとった。 そうしたら本当にその子が両手を一杯開いて僕に抱きついてきた。 そしてほお擦りをした。 サプライズ! そのお母さんはもっと驚いていた。 メチャクチャかわいいねぇ。 もうこの「ごちキャン」は辞められないね。 マイ箸作りのときだ。 今年は全家族に自分の箸を作っていただいた。 その作り方を指導する担当になった。 全家族の前で作り方のデモをした。 そして手におえない方は来て下さいと伝えたらあるお母さんが来た。 上手に切り出しナイフで竹を削れないと言う。 そしてナント、僕のことを「師匠」と呼んでくれた。 気合を入れてお世話するしかないね。 手伝いながら話をしたら去年も参加して僕の「工作コーナー」で竹トンボ以外にもいろいろ作っていったそうだ。 その中の「水鉄砲」は非常に好評だったようだ。 それで僕が師匠なんだって。 もう心を揺さぶる幸せは数え切れない。 とても書き綴ることができる量ではない。 「キャンプは不自由なところを工夫して面白くするところに醍醐味があるのです。」 僕のこのメッセージは述べ180家族のお父さん、お母さんに訴えることが出来た。 僕のこれからのライフワークのテーマをこうして伝えるチャンスを与えられて本当に感謝、感謝で一杯だ。 最高!! 物や金では味わえない。 #### Snowmen Camp Club #### 07/8/14(火)〜16(木) 夏季キャンプ 末っ子を育てるためのキャンプを実施した。 埼玉県に嵐山(らんざん)というところがあって、そこの「月川キャンプ場」へ行った。 キャンプ場の真ん中にロケーションのいい川が流れている。 僕は車に資材を積み込んで先回りして、サイトを確保した。 末っ子は、約60キロの道のりをサイクリングした。 僕は、キャンプ場の入り口にテントを張って、子供は川向こうに張った。 これで「ソロキャンプ」の雰囲気は十分でた。 お互いに干渉しないのだが、子供がその川で釣りをするときには僕とバディを組んで行動した。 このキャンプでは、子供は新開発の「ミニ竹ハウス」を建てて、それで生活をした。 8/19の夜に三番目の子が帰ってきていて、しばらくぶりに末っ子と会った。 三番目の子は、末っ子の様子を「だいぶしっかりした感じになってきた」と言った。 親子キャンプの効果があったようだ。 子供の心を育てるときに、他の子と比べるのはよくない。 あくまで、その子の今までと比べて「今」どう変化をしているのか、そこに注目をするべきだ。 そして将来一生懸命に働いて、自分の稼ぎで生活をし、自分の判断で自分自身を育てられる本当の「自立」を「成長」を目指そう。 僕の古い友人はうつ病でこの間、やっとアルバイトを探したが、結局1日しか行かなかったようだ。 気楽を教えると子供は、学びも働きもしないようになりやすい。 「気楽で楽しい」のではなく「大変だからこそ面白い」を子供に身につけさせよう。 ################# 07/8/10(金) キャンプじぃじの日記 今日またマザー牧場へ出張する。 そのあと末っ子とキャンプへ行くのでまたしばらく書き込めない。 この子とキャンプが出来るのはもう何回もないだろう。 僕の子育てのための「親子キャンプ」は、この子でその方法が完成する。 今回のキャンプは、すべてその子が計画した。 「竹ハウス」という我が家オリジナルのテントをさらに進化させた「ミニ竹ハウス」を建てる。 この「ミニ竹ハウス」のための訓練もしたし、キャンプ場の下見も行った。 それらの行程のすべてが「子育て」になっている。 計画、調査、実験、本番実施、お分かりいただけるだろうか、これは新たな商品開発と同じなのだ。 「親子キャンプ」の子育ては奥が深い。 ぜひお父さんもこの「親子キャンプ」で子育てをして欲しい。 07/8/9(木) キャンプじぃじの日記 「キャンプ」と言ってもその目的によっていろいろと分けることが出来る。 一般的なものが、レジャーキャンプだ。 若者のグループで、家族で、その目的は「気晴らし」である。 僕も若い頃家族でオートキャンプをしていたが、このレジャーキャンプをいくらしても子供の心を強く育てるまでにはならないようだ。 これは僕自身やってみてハッキリ実感する。 大学の山岳部がやるキャンプは、「登山」が目的だ。 いかに合理的に山頂を征服できるのか、そのためのキャンプだ。 サイクル・キャンプ−−−自転車でのキャンプやツーリング・キャンプ−−−バイクでのキャンプなどは「旅行」が目的だ。 こうしてキャンプにはそれぞれの目的がある。 子供の成長を目的としたキャンプは、ボーイスカウト運動を興したべーデン・パウエルという人が考え始めたものだ。 「キャンプ・ファイヤー」で子供に生きる大切な何かを感じてもらおうというイベントは、正にボーイスカウトから一般に普及していったのです。 子供にハイキングさせることもそうだ。 このボーイスカウトの遊びを、お父さん自身で行ってご自分の子を育てましょうと提唱し始めたのがこの「親子キャンプ」だ。 ボーイスカウトでは、子供たちの異年齢小集団の中で子供同士で切磋琢磨していくというものだが、この「親子キャンプ」は、父親と子供の関係を重視したものというところに大きな違いがある。 もちろん、「親子キャンプ」をしながらボーイスカウトも並列してできる。 僕は実際にそうして教育効果を高めた。 まぁ、ボーイスカウトに抵抗感がある方でも「親子キャンプ」は出来るのだから、そのやり方をぜひ身に付けてお子さんを育てて欲しいと願っています。 このやり方では、お父さん自身も本当の「オヤジ」になれる、親子で成長できその感動を味わうことが出来るのです。 今、この日本で最も不足しているもの・・・ それは「オヤジ」の教育力だ。 親子キャンプを通して子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値の作り方」をオヤジらしく子供に教えて欲しい。 頑張れ、お父さん! 07/8/8(水) キャンプじぃじの日記 同業者の集いが今年10周年を迎えた。 そこでその周年行事を企画している。 その中で活動の様子をビデオ上映しようということになり、そのビデオを作る役割となった。 会員の作品を募集してそれをダイジェストにして1本にまとめる。 今年の2月に「録音技術」について僕が講師役を務めて実施したが、そのときに音の基準値について口すっぱく説明したにも関わらず音声レベルがバラバラのものが集まった。 1本だけその基準値で作品提出した方がおられた。 ビデオ屋なのに基礎技術を学びたがらないことが鮮明に分かる。 今年から学校では学習障害を含めて障害の子の支援が法的に定められた。 僕の子はもう義務教育が終わったので関係ないが、今、子育て真っ最中のお父さんは、ぜひここらへんのことを学んでください。 同業者のように「基本」を学ばなくして成功はありえない。 仕事も子育ても同じです。 「LDのすべてがわかる本」上野一彦監修 講談社刊 1200円 によると教室での指導で何らかの困難を伴う子は6.3%いるそうだ。 100人のお父さんのうち、6.3%のお父さんがその保護者なのです。 自分に関係ないとは考えないで「子育ての基本」を真剣に学んでください。 宜しくお願いします。 07/8/6(月) キャンプじぃじの日記 去年の今ごろ、僕は自分の総てが抜けてなくなる、まるでセミの抜け殻にでもなったような気分になっていた。 何とかという心身症だそうだ。 その僕の乾いた心に生きる喜びの水を満杯にしてくれた1枚のお手紙があった。 それは去年の「ごちそうサマーキャンプ」の第一回目に参加していた子供からだった。 アンケート用紙の裏側に書いてあったので、それをスタッフの方から見せてもらえたのは、参加者が帰った後だった。 どういう子から頂けたのか、さっぱり分からない。 お手紙と言ってもそこに書いてあるのは、鉛筆で二人の人が描いてあって僕へのメッセージとその子のお名前だけだ。 たぶん、その絵は僕とその子だろう。 メッセージは「キャンプじぃじ だいすきだよ」と上のほうに大きくある。 僕はこの一言で心が一杯になった。 言葉は生き生きと生きるために必要不可欠であることを実感した。 どういう生きる言葉が手に入るのか、それによって人生の豊かさが決まるのだろう。 そのお手紙は、額に入れて飾ってある。 ところで、今年の「ごちそうサマーキャンプ」の第3回目を昨日無事終わらせられた。 おおむねスケジュール通りをこなして、開村式・閉村式の僕の挨拶も前回同様多くのお父さんたちに話すことができた。 お父さんたちに僕の言いたいことがどのくらい伝わったか分からないけど、自分が出来るベストだったので、もう十分だ。 さて、そのときの出来事だ。 テント設営のときに小さい子とお母さんが僕のところに寄ってきてこう言った。 「この子は、この一年間キャンプじぃじのことを言っていました。」 そして、その子に「ほら、キャンプじぃじだよ、挨拶をしなさい。」 その子は恥ずかしがってお母さんの足にしがみついて離れようとしない。 僕はその子の顔を見たくて覗き込もうとすると、顔を隠してしまう。 作業中だったので時間が無く、ちょっと強引にその子をお母さんの足からはがして写真を撮ってもらおうとしたら、その子が大泣きをしてしまった。 あぁ、残念。 それにしてもメチャクチャかわいいね! その子は、僕の心を元気にしてくれたそのお手紙の主だった! 人生50年以上やってればいろいろな感動に出会うが、この感動は僕にとって最大級だ。 時間がしばらく経って、さっきの大泣きがどこへ行ったことやらその子がお母さんに連れられて本部まで来た。 その子のお兄ちゃんに、僕とそのかわいいエンジェルの2ショットの写真を撮ってもらった。 本当の幸せは、物や金になんかにない。 実感。 07/8/3(金) キャンプじぃじの日記 僕は、幼稚園で「卒業ビデオアルバム」というものを作っている。 そして夏には幼稚園のお泊まり保育をビデオに撮って販売をしている。 思い出の缶詰のようなものだ。 この思い出に価値を感じる保護者の方たちに支えられて20年以上食べてこられた。 感謝します。 さて、そのビデオは、ぜひお子さんが高校生ぐらいになったときに家族全員で見て欲しいと思います。 昨日、僕の末っ子の高校生とカブスカウトのときの舎営(宿を使ったキャンプ)のビデオを見た。 懐かしい。 1カット、1カット、の絵に思い出が一杯詰まっていた。 なんとも不思議な体験だった。 僕が作ったビデオは、子供が大きくなったときにこそ本当の価値がでる不思議な商品だ。 それをお持ちの方は、ぜひ忘れずにほこりを払って見てください。 昨日の僕の感動が分かっていただけることでしょう。 さぁ、今日もまたマザー牧場で多くの親子のいい思い出作りのお手伝いに行って来ま〜す! 07/8/1(水) キャンプじぃじの日記 また昨日その子が来た。 友達を2人連れて来た。 2台のパソコンを稼動していたのでたっぷりミルクのコーヒーを振舞うことができなかった。 台車でしばらく遊んで、僕が気に入っている「ジャガリコ」というスナック菓子と牛乳のおやつを食べて帰っていった。 「星の王子さま」という童話がある。 その一節に王子さまの「このバラは自分で世話をしたから僕のものと思えるんだ。」というようなセリフがある。 これは子育ての本質をみごとに描いていると思う。 今、保険金殺人の容疑で逮捕された男がいるが、何年か前にも、犯人の子供も多額の保険金が掛けられ死亡していて、その疑いがあるということだ。 その子の実の父親だ。 親が子供を虐待したり、殺したり、ここのところそういった事件が多い。 これらのことを通して分かることが、自動的に人は「親」になれない、ということだ。 星の王子さまが言うように、子供を心を込めて世話をすることで初めて「親」の心ができる。 子育てを真剣にした分だけ「親」になれるとも言える。 子育てを金を払って他人任せにして気楽や豪華を追い求めている人は、決して本当の「親」にはなれないだろう。 僕の「親子キャンプ」のハウツービデオの初級編の終わりにこう語った。 「子育ての本質は、親から子へ愛が伝わることではないでしょうか。」 愛が伝わるほどに全身全霊をもって子育てをしましょう。 具体的には、親子キャンプが効果的だ。 さぁ、お父さん、お子さんと一緒に大自然へ繰り出せ〜! そしていい思い出をたくさん作って! |
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