スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

###### 「キャンプ用品を自作して親子キャンプしよう」 ######

SCCは、「父性教育の重要性」を若いお父さんに伝える活動をしています。
「父性教育」は、辞書を開いても説明されていません。
そこで、ここではこれを

父親自身で子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を教えること
と定義しました。
そして、これを「親子キャンプ」でやってみよう!  と、若いお父さんにメッセージしています。

###### SCCのプライベートキャンプ場「さぎ山野営場」 ######
「さぎ山野営場」は、見沼代用水路に隣接していて、この用水路沿いで
ハイキングやサイクリングが楽しめます。
どんなところに「さぎ山野営場」があるのか、覗いて下さい・・・・・「見沼田んぼ」
=================================

私立幼稚園の職員研修のご案内  鞄本経営教育研究所

限定特別企画  「基本研修」 徹底的に学ぶ職員研修の決定版!!
日時:平成24年2月18日 13:30〜18:00pm
会場:埼玉県越谷市 越谷駅そば 萩原第一幼稚園ホール
お問い合わせは、上記HPの電話でご確認下さい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」で
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」で
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


11/12/31(土)朝 キャンプじぃじの日記

「スノーメン・キャンプ・クラブ」という名前は、
昔、「スノーメン・スキー・クラブ」という社会人のサークルがあって、
それを引継いだものだ。

この「スノーメン」という言葉には、
「思いっきり転げまわり、雪だるまになって面白くスキーをしよう」
という意味を込めて僕が名付けた。
それは、僕が高校生の時だった。

「転ばないようにスキーをする」のではなく
「思いっきり転ぶ」というところに僕の生き方が投影されているのさ。
「失敗から学ぶ」
「失敗の中にさえ面白くする」

僕には四人の男の子がいるが、
上二人は、上手に育てることが出来なかった。

だからこそ、この失敗があるからこそ、
僕は今、真剣に「父性教育」の重要性をここで訴え続けている。
僕と同じドジを踏むな、そういう願いを若いお父さんに伝えたい。

昨日の夜は、
その旧「スノーメン・スキー・クラブ」の仲間の忘年会があった。

この仲間の中に、
僕がカブスカウトのリーダーをしていたころ、
やはりボーイスカウトのリーダーをしていたヤツがいる。
コイツのお陰で雪中キャンプをやらしてもらった。

それは、
僕の子育てのためのキャンプで一番ヘビーで面白かった。
「親子キャンプ」DVDの「兄弟の関係」のタイトルの中にその時の様子が入っている。
そのキャンプは、予算の都合で二人の息子には羽毛のシュラフを与えたが、
僕はホームセンターで5000円ぐらいで買った安物のシュラフだった。
それで雪の中で寝た。
ヘビーだ。

その古い仲間は、大方が僕の高校時代のクラスメイトだ。
愉快な古い友人、
「物」ではなく「人との関係」を大切にしてきた。
そしてスキーでよく転んだ。

僕は、末っ子に
「物を手に入れるのが目的の人生は、惨めだよ。
  友だちとの絆を大切に生きるんだ。」
と、この間教えた。
心の豊かさを昨日は、満喫したさ。


11/12/30(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、マイ斧の手入れをした。
斧は、二本ある。
一本は、受注生産でネットで手に入れたものだ。
これは、焼入れが入っていて、生木と根切り用だ。

もう一本は、ホームセンターで普通に売っているもので、
乾燥した薪を割る斧だ。

この二本は、どこが違うかというと、
刃の厚さが違う。
生木用は、刃が薄く鋭角になっている。
生木に刺さるように割るためだ。

乾燥用の方は、刃が厚くなっている。
乾燥した木を叩き割るためだ。

ちなみに、
乾燥用の斧で生木を割ろうとすると、
斧が弾んで、歯ではなく「刃が立たない」。

逆に生木用の斧で乾燥した薪を割ろうとすると、
刃が突き刺さるだけで割れない。

僕は、さぎ山野営場を開墾したこの二年で、
これらのことを学習した。
いろいろと体験をしながら学ぶことを「体験学習」と呼ぶ。
この体験学習は、僕がビデオ屋になったプロセスでもある。

さて、その二本の斧の内、生木用のものを手入れした。
この間、
根切り作業をして刃がこぼれてしまった。
この作業は、どうしても土に紛れた小砂利を叩いてしまうから、
すぐ刃がこぼれる。

そして、刃を止めているクサビがブっ飛んだ。
柄も時折のミステイクで、ヒビが入っている。

こういうことで、柄を取替え刃を研いだ。

初めに古い柄から刃を取り外す。
当然だが、簡単には外れない。
生木用なので刃が薄い。
その刃の内径の巾に合わせて木の棒をカンナで削る。
そして、その棒を刃の上に当ててハンマーで思いっきり叩いていく。
こうやって刃を取り外す。

次は、
新品の柄を刃の内径に合わせて、カンナで削る。
柄は、取り寄せの状態ではオーバーサイズになっているからだ。
削りすぎてユルユルではいけない。
簡単には外れないようにほんの少しだけ、刃の内径より太くする。
ここの加減が難しい。

やり方を「知っている」だけの知識では通用しない作業だ。
最近僕は、仕事で「一人3カメ」という技法を確立した。
同業者がこれを見ても、すぐには真似できないだろう。
「知識教育」と「体験教育」とでは、
「知っている」だけのことと「出来る」という違いがあるんだな。

職人は、体験学習で技を磨いていく。
その「技」で飯を喰う。
子供たちに伝えたいことだ。

柄を削ったところで、そこに刃をハンマーで打ち付ける。
工作台にしている木の台に、刃を逆さまにして、そこに柄をハンマーで押し込む。
かなり強くハンマーで叩いていく。
ハンマーの重さは、1.5`。
それでガンガン叩く。

やっと柄が刃に収まったところで、クサビを打って
セラミックの砥石で刃を研いでお終い。

この前の柄は、少し短く切っていた。
それは、斧の破壊力より命中率を高くしたかったからだ。
今回、柄の長さは、取り寄せたままにした。

完璧。
当然のことながら試してみたくなるでしょう。
そこでそれからさぎ山野営場の薪割り場へ向かった。

初めに、細めの薪を手入れしたての斧で割った。
切れ味最高!
次に少し太めなヤツ。
乾燥しているから、先ほど説明したとおり、刺さるだけに一度なる。

角度を変えて、
今度は柄の長さが、ストロークが効くように斧を振り下ろす。
素晴らしい破壊力。
スパっと割れた。
全身に快感が走ったね。

二個割っただけで十分に満足して帰って、今度は昔のコースをサイクリングしたさ。
これも気分上々だった。

どういう生活環境であっても、そこを面白く生きる術というものがある。
僕は、これを「幸せを感じ取る能力」と呼んでいる。
これも子供たちにぜひ伝えたいことだ。

幸せは、「物を手に入れる」ことではない。


11/12/29(木)朝 ビデオマンの日記

「ビデオ撮影」の仕事がしたい・・・・・・

極めて漠然とした夢だ。
たいがい映画か報道のカメラマンのイメージなのだろうか。
こういう夢の描き方は、成就しにくいだろう。

「これを撮りたい」

こういう具体的な、被写体がハッキリしている夢は、命がけで取り組めば成功する可能性が大きい。
僕は、「子供をビデオで撮って売る」というハッキリとした目標で今の仕事に挑戦した。
そして成り立った。

これとは違うベクトルのものがある。
それが「営業力」だ。

あらゆる仕事、総ての仕事は、「営業」から始まる。
例えば、
サラリーマンになるのだって、そこの会社の「面接」という「営業」が必ずある。
会社員は、一つの会社を獲得すればいいという「営業」だが、
個人事業では、食べていくだけの件数を確保しなければならない。

それは、仕事によっていろいろだ。
会社のVPを作りたかったら、企業の「販売促進課」「宣伝広告課」または広告代理店に「営業」をして仕事を取って来ることになる。
僕は、ビデオ屋になる前のサラリーマン時代は、そういう「営業」を10年した。

映画や報道なら、そういう企業に勤めるのが一番手っ取り早い。

僕の仕事のメインは、「卒業ビデオアルバム制作」だ。
付随商品として、年間のいろいろなイベントを単発で売っている。
この仕事で食べていくためには、
メインのアルバム制作で5〜7件が必要だろう。
僕は、ピークで一人で10件まで顧客を伸ばしたが、仕事をこなしきれなくなる。

その他、単発だけの取引もある。
だいたい3〜4件ぐらいできるだろうか、あまり欲を張ってこれを追い求めるとメイン商品に悪影響が出る。

これでだいたい課長ぐらいの収入になると言えば分かりやすいだろう。

「ビジネス」の感覚がない人は、当然の事ながら商売を立ち上げられないものだ。
カメラに憧れて「撮影」の仕事をしたい、なんていう緩い目的意識ではプロにはなれないさ。

「何が何でも、これを撮りたい」
こういう強い意志と、
それの需要を見極める「営業力」の掛け合わせで商売が成立する。


11/12/28(水)朝 キャンプじぃじの日記

サイクリングで発散すれば、そのあとで編集が出来る。
最近身に付けた自分コントロールのテクニックだ。
もともとは、カブスカウトのリーダーをしていてこのテクを覚えた。

ということで、昨日は、さぎ山野営場に車を置いて、
そこからいつもの「見沼代コース」をフルコース、サイクリングした。
そして、午後から編集に取り掛かった。

快適に編集をしていると、そこにいつもの子供がやって来た。
この子は、僕の取引先の幼稚園を卒園した後も頻繁にやって来る。
最近、「家出」騒ぎを起こして、
おまわりさんに来てもらったばかりだ。

この子は、今、中学一年生だ。
反抗期真っ最中。
その騒ぎの後も、夜、徘徊をして補導されたと本人が言っている。
もう20回、徘徊したというが、それはウソっぽい。

どこまで本音で、どれがウソなのか・・・・・
見極めるのが結構難しい。

普段の会話で感じることは、衣食住に不自由がないけど親の愛には飢えているという感じだ。
両親が離婚して父親の自慢の一軒家に住んでいる。
「物」中心の生活態度が伺われる。

それは、この子の話しで分かる。
「なんでおじさんは、こんなボロアパートに住んでんの?
お金を貯めて家を買いなよ。
我慢してお金を貯めなよ。」

あらゆる「我慢」をして金を貯めて家を買う。
これが父親の姿を見たその子の感想なんだな。

しかし、最近こんなことを言いだした。
「僕、中学を卒業したらセブンでバイトして家を出るんだ。
だからおじさんのところで寝させて。」

この子は、ばぁちゃんに朝夕の食事を作ってもらっていて、
全部、電子レンジで「チン」だそうだ。
だからまずいという。

僕は、このことに「親の愛」の不足を訴えていると思った。
「物」ばかりを追い求めて、子供への愛が少ないか無い。
今の日本家庭の象徴ではないだろうか・・・・・

これらをどう分析できるだろうか・・・・・・
まず根本は「反抗期」があるということだ。
それが浅かったり、無かったりしているよりは、よっぽどまともに成長している。

この時期には、親を「ばばぁ」とか「じじぃ」と罵声を浴びさせることもある。
それでも、反抗期に反抗があった方がいい。

もし、しかるべき時期に反抗がないと、
その子が、30才、40才、50才、になって心のトラブルを起こしやすくなる。
それの代表格が「うつ病」だ。

僕の古い友人でうつ病のヤツもこういう家庭だった。
父親は、持ち家を買うだけで総ての人生を使っていた。
だから子供と遊ぶことが無かった。
これは母親の証言だ。
母親も子供と遊ぶことをしなかったと言っていた。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」と僕が言っているのは、
この家族がモデルになっている。
悲劇だ。

そしてソイツは、反抗期に反抗をしなかった。
それは、ソイツが30才代に現れた。
あぁ言えば、こう言う、という口による反抗がしばらく続いてあったことを思い出す。
そして、コイツは今、うつ病でまったく働いていない。

その子の「家出」は、たぶん自立心の芽生えだろう。
ヒナが羽ばたく練習を巣でしているようなものだ。
巣から落っこちないよう、本当の家出に突っ走らないよう注意して見守る必要がある。
このときに口うるさくない優しい母親の出番だが、この子にはいない。

その代わりの隠れ蓑に僕のところへやって来るのではないだろうかね。
そういうことで過去に一回だけしかこの子に注意をしていない。
たいがいのいたずらは、したい放題を許した。

その過去の注意は、こういうものだった。
この子が年中、やって来るのだが、時折昼飯時にやってきた。
だからこう注意した。
「あのなぁ、相手の都合というもがあるんだ。お昼ごろはこうして食べている。そこにノコノコやってくるのは失礼になるんだぞ。」
確か、小学校低学年の頃のことだ。
それ以来、お昼を避けてくるようになった。

昨日は、二回目の注意を少し厳しく言った。
それは家の居候の猫をかまおうとした時だった。
「・・・・・、お前は、なつこっくてかわいい、いいところがある。
ところでその猫は、ここの家族の一員だ。
ここには、いろいろな人が来るが、大抵その猫は、なついて膝の上に乗ったりしている。

しかし、猫がおびえて逃げ迷うのは、・・・・が来たときだけだ。
猫にここまで嫌われるのが、そんなに面白いか?

・・・・・は、テレビゲームだけが自慢なようだが、
それは脳みその回路を悪くするんだぞ。
ここに本を貸すからよく読め。」

貸した本のタイトルは、「脳内汚染」。
発売当時、非常に話題になった本だ。
しかし、そのあとで闇夜のような暗く恐ろしい権力のような働きで潰された。

余談だが、
僕は、「手作りのキャンプ用品でキャンプしよう」と訴えている。
だから決して、マスコミで取り上げられるはずがない。
企業エゴというものの標的に晒されるのがオチだ。

そう言えば、既存のマスコミを越してネットで革命が起こる時代、
神様は、「マスメディア」という化け物に対していいものをご用意してくださった。
ここの書き込み内容も、そういうことなのかも知れない。

物事の見方が胆略的・・・・・ゲーム脳という。

その子は、しばらく頭をかきながら本を読んでいたが、
明日また来ると言って帰っていった。
僕のちょっと厳しかった注意に何かを感じたのだろうか。

そんなことがあったので、
僕は夜中に金縛りにうなされた。

夢の中で誰かアパートに入ってきた。
次男坊、三番目、末っ子、の帰り方ではない。
恐る恐る、僕が声をかけたら逃げ出しそうにそこにいる。

それで、僕は、おばばを起こそうと金縛りの中、必死に大声を出そうとした。
長男が帰ってきた・・・・・・
夢だった。


11/12/27(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、末っ子が帰ってきた。
そこでさぎ山野営場に積もっている落ち葉を取り除く作業を末っ子に手伝わせた。

初めに大変な道路側をやっつけた。
二人だと作業が早い。
次に各サイト、そして最後に地主さんの趣味の小さな神社を掃除した。

その神社の鳥居に人影がある・・・・・
地域の方が、入り口付近の雑草を刈り取っていた。
このさぎ山野営場をキャンプ場として開墾して、ほぼまる二年、
地域の方がボランティアで掃除をしてくれているのは、初めて見た。

その方も、最近綺麗なので助かっているようなことを言っていた。
雑草の刈り取りは、ほぼ彼がやり終えていた。
あとは、末っ子がブロアーでやっつけた。

夜、
大家のおばぁちゃんを誘って末っ子の「歓迎会」をした。
そして夜のうちに末っ子は仕事場へ帰って行った。

末っ子にとって僕のアパートは、「帰って安らぐ」場所ではあっても
もうすでに末っ子が「住む」ところではない雰囲気になっている。
末っ子の自立心を育て、「親と一緒に住む環境」ではないことで、
本人は、ハッキリと「自立」を意識している感じがする。

「自立」を強く意識するからこそ
本人は、これからどう生きようか、真剣に考え出すことだろう。
僕は、ついこの間読んだ本「日本を捨てた男たち」をよく読むように末っ子に渡した。

間接的なアドバイスに「本」を利用するのはいい。
「こう生きなさい」とアドバイスしてくれる本は、なおさらいい。
「生き方」「生きる意味」「生きる価値」が明記してある本を末っ子は知っている。
あとは、この子がそれを真剣に学ぶかどうかだな。

「物を手に入れるのが目的の人生は、惨めだよ。
  友だちとの絆を大切に生きるんだ。」
僕は、さぎ山野営場に向かう途中、車の中でそう末っ子に言った。


11/12/26(月)朝 キャンプじぃじの日記

キャンプ用品を自作して親子でキャンプをする。

僕は、これに「ヒト」の生活の原点を感じるんだな。
普段の生活で、「こうでなければ嫌だ」「あぁでなければ嫌だ」
そんな我がままを「物」によって解決してきた。

だから「快適」「気楽」「便利」・・・・
これらを得るために「物」を崇拝するようになったのさ。
その「物」を手に入れるために子供と遊ぶことを端折って稼ぐことに夢中になった。

フィリッピンの人々は、日本人のように「働き虫」ではないので、
国自体が経済発展していないのだろうけど、
人と人との「絆」は日本よりはるかに大切にしているらしい。
それで「笑顔」が絶えない生活なのだという。
昨日、紹介した本を読んでこれを知ったのさ。
「困窮邦人」は、その「笑顔」に吸い込まれる一面があるという。

日本では、さらに
「子育て」そのものを「気楽」「便利」に済ませてしまおう、ということになってしまった。
この間、
ボーイスカウトの活動を若いお父さんに勧めるとこういう答えが跳ね返ってきた。
「手伝わなければいけないんでしょう?」

自分の子を育てるのにこのフレーズが出てくるのは、
「子育てを他人任せ」で「処理」する感覚ではないのかな?

それで僕は、父親自身で子育てをしようと訴えているのさ。
日本の今現在の父親に最も嫌われるだろうことを訴えているのさ。

だけど、ここのところの意識改革をしなければ
日本の自殺者とニートは、増える一方で減らないでしょう。
「物」だけが豊かで「心」の豊かさを置き去りにしてしまった。
耳障りのいいことを言っている場合ではないのさ。

子供を「知識の詰め込み」で育てるのではなく、
子供と父親という「人間関係」
そして一緒にキャンプ生活をするという「体験」を重視した子育て。

そこには、実行をしない限り分からない「大いなる恵み」があるのさ。
「父性教育」の重要性を訴える。
来年は、これの本腰を入れる一年にしていきたいな。
僕の50才代らしい成長でもあるんだ。


11/12/25(日)朝 キャンプじぃじの日記

「物」が豊かで「安全」「快適」「便利」「気楽」な日本の今。

方や、
自殺者が世界的に多い日本の生活。
子供をニートに育ててしまう日本の親。

ブータン王国の人々の暮らしぶりに、その幸福感に驚く日本人。
王子を国賓として今年は招いた。

たぶん、福島で被災された方々の中から、
「物」の豊かさと「本当の幸せ」は、無関係であることに気付く人がたくさん現れると、僕は思う。

たぶん、これからは、福島の女性と結婚するのが
幸せな家庭を気付くのに最高だ、という評判が立つだろうと、僕は思う。

たぶん、これからの日本の国をシッカリとリードできる大物が福島から出てくるだろうと、僕は思う。

理由は簡単だ。
日本の歴史に残る苦難、艱難、を乗り越えようとしている。
そして必ず乗り越えるからだ。
そのパワーは、日本の将来のヘッドライトになるさ。
きっとなるさ。

これを深く知るのに参考になる本を読んだ。

「日本を捨てた男たち」 水谷 竹秀 著
集英社 刊 1,500円

この一冊の本からは、たまげるほどの「考えさせられる」視点が飛び出してくる。
一番分かりやすいことは、「日本人の自己責任のなさ」だ。
誰が読んでも基本的に、根本的に、これが横たわってくるだろう。

でも読み進むにつれて、別のベクトルの視点が爆発的に見えてくる。
ここがたまらなく面白かったさ。

例えば、
この本に登場する「困窮邦人」は、フィリッピンの女に溺れるという共通点がある。
逆に言えば、そういう魅力が日本女性にないということだ。

このことは、女の子を育てる上で、非常に「考えさせられる」だろう。

「艱難は幸いです。 それで練られた人にこそ本当の希望がうまれる。」
「簡単」「気楽」な子育ては、不幸を生むのさ。
それで自殺者が多いわけなんだな。

キャンプ用品を自作して親子キャンプをする・・・・・・
そこには、「快適」「簡単」「気楽」と真逆な体験を積むことができる。
ここに「強い男」を育てるチャンスがあるのさ。

実行してみればこのことがよく分かるようになる。
そのときに父親も成長しているのさ。
だからこそ子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を父親自身で教えられるようになるのさ。

僕は、これを実践したさ。
そして頭はよくないけど子供が「自立」を果たした。


11/12/24(土)朝 キャンプじぃじの日記

ボーイスカウトは、だいたい中学生ぐらいの年齢だ。
その上には、「ベンチャー・スカウト」というのがある。

この間、さぎ山野営場にそのベンチャーの子と隊長、二人が来た。
今度の春休みに「大型工作物」を作りたいそうだ。
リクエストは、「橋」だ。

僕は、これを作ったことがないけど、
なぜかそれの指導者の一人に駆り出されているらしい。
「小さいものをしっかりと作れるようになってから大きいものが出来るようになる。」
と、言ってあるのだが、
「立ちカマド」を作ったことがある程度からいきなり「橋」に挑戦するらしい。

ボーイ隊のサイトは、二つ広げてあって、
その内の一つに、真ん中に木の根っこが残っていたので
そのベンチャーの子に「根っこの取り方」を教えて作業させた。
そのついでに駐車スペースにも2ヶ根っこが残っていたので
取り除いた。

ベンチャー隊専用のサイトを作る体験をさせたいというので、
候補地の伐採をチェーンソーを使ってその子に作業させた。

子供がこうしてさぎ山野営場に来てくれるのは嬉しい。
今度の春休みは、
とっても楽しみだ。


11/12/23(金)朝 キャンプじぃじの日記

メリークリスマス!

最寄のキリスト教会で本当のクリスマスを

親子で体験しよう!


11/12/22(木)朝 ビデオマンの日記

「ハイリスク・ハイリターン」
「ローリスク・ローリターン」
商売をやっているとたまに「ハイリスク・ナッシング」があったりして・・・・・

「生きる元気」「生きようとする力」
これらは「成長願望」と密接な関係があると思うな。

僕の場合、「子供に飯を食わせる」という日々の緊迫をした使命感があったので猛烈に「ビデオ制作」について学んだものだ。
そのころ、僕の子供たちは、30`の米を一週間も経たないうちにたいらげていた。

切羽詰って困っていない人、だからこういう人は学ばない。
犬に芸を覚えさせるのに「腹一杯」では、学ばないのと同じだ。

「ハングリー精神」とも言うな、このことをね。

今の子育ては、「安全」「快適」「気楽」の環境を与えることが「愛情」だと履き違えている。
そういう環境で育てられた人は、学ぶ意欲、成長願望、が低い。
結果として、歳の割りに幼い大人になってしまう。

こういう社会現象の中で、
「ハイリスク・ハイリターン」の人生は、敬遠される。
「ローリスク・ハイリターン」を求めて大企業に就職をしたがるようだ。

しかし、大企業になればなるほど「貪欲なまでの生きる力」が求められるのではないのかな?

僕のような個人事業は、「ハイリスク・ローリターン」だな。
若い人たちに人気がでない理由だろうか・・・・・
学ぶ意欲が獰猛な若者が欲しいなぁ。

どこかにいないかね?
僕は、「卒業ビデオアルバム」の制作技術だけではなく「営業」も教えられるんだがなぁ・・・・・・


11/12/21(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、同業者の集いがあった。
当然のことながら、呑み過ぎた。

それで、目がグルグル回る。
お終い。


11/12/20(火)朝 キャンプじぃじの日記

酔っ払い運転の車に追突されて、車が橋から落ちた事故があった。
小さい子が三人、そのときに亡くなった。

僕は、それまで時折飲酒運転をしていたが、その事故でピタッと止めた。
その頃にも、
古い友人と戸田市の道満グリーンパークで「親子で工作」のボランティア活動をしていたが、
このときに一切ビールを呑まなくなった。

二人でもう飲酒運転は止めよう、と誓ったさ。
この事故をとおして、飲酒運転をしないようになったお父さんは多いのではないだろうか。
もちろん、無関心な人もいたことだろうけどね。

福島の震災で、「生きる」ことの意味を真剣に考えた人が多かったのではないだろうか。
「物を手に入れる」ことばかりに夢中になる生き方に疑問を持ったお父さんもいたはずだ。

そうさ、「物を手に入れる」という「消費」が目的の人生は虚しいさ。
「消費」ではなく「成長」にこそ生きる感動がある。
これに気付くチャンスなんだよ、今が!

多くのお父さんが福島へ義援金を送ったことだろう。
そのお金で「消費」することより被災された方々の「成長」を願ったでしょう。
生きる感動は、こういうものさ。

「子育て」という成長も同じさ。
子供を他人任せにしないで、若いお父さん自身で子育てをしよう!
どうすればいいのか、真剣に子育ての方法を学ぼう!
そして実践だ。

僕の「親子キャンプ」DVDは、キャンプのハウツーが目的ではない。
お父さん自身で行う子育ての一つの方法を紹介するものだ。
反抗期の息子と一緒にキャンプで遊ぶのは、不思議な面白さがあったさ。
とっても素晴らしい思い出になるのさ。


11/12/19(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜、僕の四人の男の子のうち、二番目の子がヒョコっと帰ってきた。
そしてすぐ帰って行った。
どうしようもない状態の生き方、生活ぶり、
それがほんの少し改善の兆しなのだろうか・・・・・

祈りを捧げられる確かな相手、
それを聞き入れてくださる確かな手ごたえ、
目には見えないけど、その存在を持つことができてよかった。

「そんな仕事は、絶対にない」と僕は総ての人に言われ続けながらも今の仕事を開拓してきた。
そして、結果、それで食べさせてもらえた。
この奇跡は、僕自身の身の上に起こった。

子供に飯を喰わせなければ・・・・
そういう祈りを聞き入れていただいた。

数えてみよ、その恵み。
ほかにもたくさんある。

だからきっと、聞き入れてくれるだろう。
「自分の欲」を満たすためではなく、
「自分の都合」で命令するでもなく、
「自分のこと以上」に子供について祈ることは、大切だ。

目指すは、長男の更正だ。
祈りが届きますように。


11/12/18(日)朝 キャンプじぃじの日記

やっと一段落をした、仕事がだ。
たまには、僕だって仕事をするのさ。
社会人の一員さ。

編集は、健康盛に残っているけど、とりあえず年を越せそうだ。
めでたし、めでたし。

編集ねぇ・・・・・
さっさとやればいいのになぁ・・・・・
一応僕の手帳には、赤い文字で大きく27日以降数日にわたって「編集をしよう」と書かれてある。
なんとなく学校のスローガンになりそうな、
そうではないような・・・・・

さぎ山野営場の地主さんに挨拶にいかなくっちゃ。
僕の脳みその回路は、切羽詰らないと「働くモード」にならないようだ。


11/12/17(土)朝 キャンプじぃじの日記

「いやし」

いろいろなものに「いやし」を求めているよなぁ。
大分前には、「クラゲ」に人気があった。

整体、お香、ありとあらゆるものが登場しては、消えていく感じがする。
たいがい「いやし」は、受身であるのが特徴だ。
「いやしてもらう」という受身だ。

僕は、行くことが出来なかったけど、
福島へボランティアをしに行った人の話しでは、
「人助け」に行った人が逆に元気をもらった、ような話しを報道で聞いたね。

「いやし」を飛び越え「生きる元気」をいただく・・・・
その最初は、「助けたい」という願いと実行があった。
能動的だ。

子育ても同じさ。
金を払って他人任せの子育ては、決していいことはない。
子供を一人の自立した大人に、何が何でも育てたい・・・・
そういう願いと実行だよなぁ、今この日本で真剣に考えて欲しいさ。


11/12/16(金)朝 キャンプじぃじの日記

今年を表す一文字の漢字は、「絆」だそうだ。
大震災で、とっても大切なことに日本中気付いたんだろうね、きっと。
仕事より「絆」さ。


この時期は、毎年仕事に追われる。
普段、好き勝手に生きているときつい。
とうとう昨日の午後は、ひと段落をしたのでさぎ山野営場を整備しに行った。
とっても気晴らしになったさ。
山の中は、葉が落ちて木漏れ日がとっても美しかったさ。
そして小鳥達の音楽会を聞いてきた。

内閣府が「国民の幸福度」調査をするという。
ブータン王国の真根っこをしたいらしい。
大いに結構なことだ。

ブータン王国は、「宗教に根付いて質素な暮らし」をしているから「幸福」な生活なのだと聞いた。
自分達の宗教の「教え」に従っているというのが、肝心要なことさ。
だから「質素」で十分なのさ。

方や、
日本人が「幸せな生活」というと「豪華絢爛な生活」を意味する。
そもそも「幸福」の定義、感情、がその国とまるで真反対だ。

つまり日本人の「意識改革」がない限り、日本では「質素な生活」は、「不幸」なんだな。
「物の豊かさ」に溺れた生活では、分からないことがあるのさ。

「質素」でなければ人生の豊かさが見えてこないと思う。
ブータンの人々と同じで、
僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいを実践しているからこそこれが言えるさ。

家や車といった「物」を手に入れるために忙しくて子供と遊べない人生は、決して「豊か」ではないでしょう。
僕のようにボロアパート住まいでも
例えば、カブスカウトのリーダーを父親自らして年に70日活動して遊んだ方が「心の豊かさ」は、あるに決まっているでしょう。
こういうことなんだよ。

これに早く気付いた父親が、本当の子育てをするだろうね。
そして、子供も「物」以外の価値観を持てるようになるだろう。
「断捨離」という本を、だからよく読んだほうがいい。

ジョンも子育てのために音楽活動をピタッと止めた時期があったでしょう。
ここのところさ、「物」ではなくて子供との「絆」を大切にしたのさ。

貧乏生活の疑似体験を親子キャンプで、だからやろう!!
豪華絢爛ではなくて、キャンプ用品を竹で工作して子供と一緒にキャンプしてみよう。
僕は、したさ。
面白いぞ! 薪割り! 焚き火! 五右衛門風呂!
この間、僕の三番目の子は、本当にさぎ山野営場にある五右衛門風呂でビール呑んでやんの・・・・・


11/12/15(木)朝 ビデオマンの日記

今学期も残すところ数日だ。
年内納期の発表会のマスターを昨日の夜、必死にあげたさ。

今回、「一人3カメ」の仕事でテープ不良を起こした。
1本のアップのカメラがNGだと連れ合いのもう1本の絵もNGになってしまう。
そういう体験をした。

3本のカメラがあるということは、
1カメだけの場合より機材トラブルのリスクが3倍になるという意味があることを知った。
しかも、僕が撮れない場合、代わりの人がいないというリスクもある。

商品開発で、差別化を図ることは重要なことだが、
それに伴うリスク管理の徹底がこれからの僕の課題となった。
商売は、こうやって科学するのさ。

これが商売の醍醐味だ。


11/12/14(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、撮影の前に幼稚園のホールで暇をつぶしていた。
ストーブで暖まっているところに
発語が少し遅れている年少の男の子がじゃれてきた。

かまって欲しいんだな。
その子にこっちからじゃれついたさ。
それで、フト、その子を見ていて僕の三番目の子を思い出してしまった。

三番目の子も言葉が遅れていたからだ。
だから、僕は三番目の子とコミュニケーションをとるために
オバーアクションの「顔」を作った。

笑う顔、怒る顔、嬉しい顔、悲しい顔・・・・・
僕のその時の感情を三番目の子に分かりやすいように大げさにやってみせた。
それを毎日、毎日、来る日も、来る日も、やったわけさ。

そうしたら、知らない内にそれが僕の癖になってしまった。
そういうことで僕はどこの幼稚園に行っても子供がじゃれついてくるんだろうと思う。
子供は、ハッキリした顔つきが大好きだ。

僕はその年少の子を見ているうちにすっかり、三番目の子を相手にしているような気分になった。
そのとたん、目頭が熱くなって涙がこぼれそうになってしまったのさ。
歳をとると涙腺がゆるくなるのさ。

僕は、子供の「心」を鍛えようとたくさん子供と一緒にキャンプをした。
そうしたら、マザー牧場でキャンプスタッフの仕事をやるようになってしまった。

父親の成長って、こういうふうになるのさ。
「父親の好み」ではなくて「子供のため」にやっているうちに
思いもよらない人生の「技術」が身に付くのさ。
これが生きていて最高に面白いことなんだよ。

昨日は、幼稚園の女の子に折り紙のハートのネックレスと王冠をプレゼントしてもらったさ。
かわいいよなぁ・・・・幸せさ。

若いお父さんにこのことを分かってもらいたいよなぁ・・・・・
幼子のためにしたことは、神様にしたことになるのさ。


11/12/13(火)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ毎日、毎日、
朝から夜まで仕事に追われている。
僕には、生きている間に本物の「隠居生活」はないんだな、
思い知らさせられているよ。

仕事ばかりしているから、ネタがないのさ。
つまんない人生だな、今。
早くさぎ山野営場で焚き火をした〜〜〜い。
早く自転車でツーリングにでた〜〜〜〜い。

まぁね、「一人3カメ」という撮影技法も面白いには、面白いけどな。
実は、このテク、今年3年目で一つの壁にぶち当たった。
これを乗り越えると、一段上の面白さになるのだろうね、きっと・・・
今日もこれで撮影だ。


11/12/12(月)朝 キャンプじぃじの日記

20才では、親からシッカリと自立をさせる。
そういうふうに子供を育てる。
それは、このことを小学校高学年から意識して子育てをする。
自分の人生に対して自分でシッカリと「責任」を持たせる。
自分の人生は、自分で開拓をしていく。

20才で親から自立をしないとどうなるか考えてみよう。
20才でも親の庇護の元、
安全、快適、気楽、
稼いだお金は全部、お小遣い。
何の不自由もない人生を送っている内に・・・・・・
30才で、30才らしい成長は望めなくなる。

逆に20才で親から自立をしたらどうなりやすいのか考えてみよう。
25才ごろ、一人での生活に寂しさを感じやすくなる。
真剣に異性を求めようとするだろう。
真剣に自分の人生を考えるだろう。

「ヒト」は、動物と違って「考える」からこそ「ヒトらしい」生き方になるのさ。
「ヒト」を動物を飼うように育ててはいけないよな。

子供の「親離れ」は、イコール「親の子離れ」だ。
20才も過ぎて子供に親がベタベタするのは、
「親の甘え」ではないのかな?

「親の都合」「親の見栄」
で「子離れ」しないのは、本当の「親の愛」ではないさ。

子供の人生、
バブル経済が終焉して、「甘え」が許されなくなるこれからの日本社会で堂々と生きていけるように育てるのが本当の「親の愛」でしょう。

そこに必要不可欠になるのが、「父性教育」さ。
子供に、
「生きる意味」「生きる価値」「生き方」を教えような。


11/12/11(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、仕事で一日が過ぎた。
生き延びるためには仕事をしなければならない。

ところで今日あたりに、いつものボーイ隊がさぎ山野営場に来るらしい。
そこで、ボーイの隊長にこう伝えた。

「SCCサイトにある「竹ハウス」は、たぶん、積雪5センチまではギリギリ持ちこたえると思うけど、
ボーイ隊の本部サイトにある物置のテントは、
たぶんすぐに潰れてしまうだろう。
だから、何らかの補強をした方がいい。」

「竹ハウス」も積雪10センチに耐えられるよう補強が緊急に必要だな。
だけと、今、仕事でどうにもならないのさ。
こういう時もある。


11/12/10(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜、風呂上りのビールを買いに歩いて1分のところのコンビニへ向かって歩いた。
そうしたら、その手前の居酒屋の前で、
この間、知り合った僕よりは若いけど幼稚園ぐらいの孫が二人いるばぁちゃんとその不良友だちにバッタリと会ってしまった。

自然の流れで、そこで風呂上りのビールを呑んだ。
二人のばぁちゃんに挟まれて僕は「まな板の鯉」のていになったさ。

息子のセンズリ現場をおさえたというような下ネタで盛り上がった。
僕は、「女は溜まんないからいいかも知れないが、男は溜まったものは出さなきゃならないんだ。」とその息子達の弁明をしたさ。

こんな具合に僕は、二人のばぁちゃんに吊るし上げられた。
そうこうしているうちに、
うちのおばばの「付け馬」が店に来た。

世の中、キビシィ〜〜〜〜〜


11/12/9(金)朝 キャンプじぃじの日記

今度の日曜日にボーイスカウトがさぎ山野営場を使うらしい。
そこで昨日は、サッサと仕事を済ませて急いで山へ向かった。
いつ雨が落ち出してもおかしくはない様子だったからだ。

いつもは、11時ごろお昼にしているのを我慢して、
セッセと山の中、道路わきをブロアーで落ち葉を片付けた。

この間、ミッチリやっておいたので、
とっても簡単に整備が出来た。
それでも2時間はかかったさ。

去年は、使うという連絡があると、
嬉しくてすっ飛んでさぎ山野営場を整備しに行ったものだ。
そのせいで仕事を5日も穴を空けてしまった。
今年はちゃんと仕事をしながらも整備をしているさ、今のところ・・・・


11/12/8(木)朝 ビデオマンの日記

今度の土日には、継続して軽く20年を越す発表会の仕事がある。
これを毎年、年内に納めてきた。

カメラがチューブだったころ、
照度を上げるため、またフリッカーを押さえるために、
500wを2灯たいた時代があった。

それがCCDで1/100のシャッターが使えるようになって、
ノーライトになった。

2/3CCDのレンズの業務用カメラから、もっと小さいカメラにした。

その分、マルチカメラにした。

この20年以上の間に、「撮り方」をこういうふうに変えてきたのさ。


さて、今年は、新規のものをその後に撮影することになった。
「撮る」こと自体は、どうということはないけど、
その後の後処理が大変だ。

その新規のところは、
前の業者に不満があったそうだ。
なんでも、イベントをドキュメントするのに「カット割り」を1カメでやったので流れが中断して困ったそうだ。

参考に見させてもらったが、
「カット割り」した割には、視点のずれた絵だった。

たぶん、ドラマの監督気分で自分勝手な思い込みの強いビデオ屋だったようだ。
こういうのを「支離滅裂」って言うんだな。
この仕事に対して十分な知識とトレーニングをしなかったのだろう。

このHPの「卒業ビデオアルバム制作」のページを開くと、
4つの「学び」のボタンがでてくるが、
それぞれを開くと一番最初にでてくる「戒め」がこうだ。

################################

卒業(園)ビデオアルバム制作

この仕事は、
映画のような芸術ではなく、
テレビのような娯楽でもない。

10年後に、自分の子供を愛した記憶を呼び起こすものだ。
その時に親は涙が出るほどの感動が起こる。
そういう記録の仕事だ。

子供は、10年後に親に愛してもらったことを思い出すことで荒野の人生を
強く生きていく勇気がわいてくる。
そのための記録の仕事だ。

################################

こういう性格の仕事なのに、「映画監督」気取りだったわけだ、前の業者はね。
この仕事は、映画製作でもなければテレビ番組とも違う、まったく別物の仕事だ。

さぁ、若手のビデオマンさん、
またはこれからこの仕事を目指そうという若い方、

今いるビデオ屋のほとんどは、基礎的なことを学ばずに「機材」ばかりにこだわってきた人が多いぞ。
また、需要もないのにブルーレイにこだわっていたり・・・・
いやいやこれからは、「3D」だ、なんて妄想を抱いている古いビデオ屋が多そうだよ。

ということは、逆にしっかりと需要を見極めた商品開発
そして、シッカリした営業力でそれを商品化できるヤツがこれからは、勝つ。
若手のビデオマンさんは、ここのところを武器にトンチンカンな古いビデオ屋を蹴散らしてやってくれ。

僕は、このことを意識して「一人3カメ」を商品化したのさ。
商売は、こういうふうにやるのさ。
「的外れ」なことをして喜んでいるのは、歳の割りに幼稚なのさ。
若手のビデオマンさん、勝つチャンスだよ、今が!!

「本物のビデオ屋」を目指そう!!
そのためには、死んだ気になって猛烈に学ぼう!
そして実践さ。

そういうやる気満々のビデオ屋さんと楽しい酒を呑みたいね。


11/12/7(水)朝 キャンプじぃじの日記

もう当分さぎ山野営場を整備できないので、
昨日は、ミッチリしておいた。
それでもたぶん落ち葉は数日で積もってしまうだろう。

なぜ、僕がここの整備をするかというと、
一つは、山火事防止だ。
火起こしするのに落ち葉を使ってやることがある。
つまり、落ち葉の堆積は、そこら中に「引火物」があることを意味しているのさ。

それと不法投棄防止だ。
綺麗にしておくことで心理的に、不法投棄がしにくくなるようだ。
それでもまったくなくなるわけではないが、
多少の効果があると思う。

最後に、地主さんに対してのアピールだ。
道路側に沿って巾1メーターぐらいの木を切って薪にしていいという初期の地主さんからのオーダーは、
そこを綺麗にして欲しいという要望でもあった。

そこの部分は、すでに伐採が済んで、
今は、落ち葉をセッセと処分しているわけさ。

僕には、いろいろな遊び道具がある。
撮影機材・編集機材一式、キャンプ用品、自転車、
どんな「物」でも手入れをして使うからこそ、「物」としての真価ができる。
さぎ山野営場も、そんな遊び道具だ。
「手入れ」をすることで自分の道具になるのさ。

こうやって子供に「物」を大切に扱うよう教えられればいいね。
たくさんの「物」を子供に買い与えると、
子供は、「物」を粗末にするようになるよ。
本当に、どうしても、必要な「物」だけを子供に与えるようにしような。


11/12/6(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の午後には、思いっきりさぎ山野営場を整備して、
今日一日を空けるつもりだった。
そして、たっぷり今日は一日ツーリングに出られると
淡い幸せを描いていたのになぁ・・・・・

さぎ山野営場に降り積もった「葉っぱ」を取り除く仕事は、
すさまじい作業量だ。
要領よくやらなければ時間ばかり喰っちまう。

山の中は、それぞれのサイトの隅に落ち葉をブロアーで寄せれば済む。
使う道具は、ブロアーだけだ。

しかし、道路に面したところは、そういうわけにはいかない。
熊手で、落ち葉をかき集めて、
雪かきスコップと熊手でその集めた落ち葉を一輪車に乗せる。
そして、それを山の中の目立たないところに捨てる。
最後にブロアーで道路と山の側を綺麗にする。

一輪車でどのくらいの量だろうか・・・・・落ち葉
何十杯分だよ!
それを一人でコツコツとやるのさ。

そういう作業を昨日の午後から一気にやるつもりだった。
しかし!
山に向かう途中で一輪車がパンクをしているのを思い出した。

この間、一度パンク直しをしてしばらく使えたのだが、
またタイヤの空気が抜けた。
虫ゴムがいかれたのだと思い、それを取り替えた。

だが、それでもダメなんだな。
もうチューブそのものが劣化しているらしい。
最近知ったのだが、
一輪車のタイヤは、パンク直しをしないでタイヤのホイールごと交換するものらしい。

それで、それは、山から結構離れた三郷市にあるホームセンターで売っている。
昨日は、山に向かう途中でそのことを思い出して、
Uターンするように三郷までそれを買いに行って、
それから山に向かった。

山に着いた時にはすでに午後3時。
夕暮れまでたった一時間しかない。

しょうがないから、とりあえず道路に散乱している落ち葉を山側にブロアーで寄せる作業と、
山を横断する獣道と、地主さんの趣味の小さな神社をブロアーで綺麗にした。
そこまでで日没となった。

作戦変更さ。
今日は、ツーリングを諦めて、
見沼代用水路コースをフルでサイクリングして、
午後から、さぎ山野営場整備をしよう・・・・・・・

と、思ったら午後から雨だそうだ・・・・・
またまた作戦変更。
午前中、さぎ山野営場整備をする。

それで午後から雨で、僕はやることなし。
人生はなかなか思うようにはならないものだと、うそぶいてやるさ。


11/12/5(月)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は、おばばがこう言いいながら朝刊を、
まだ寝ている僕の頭のそばに投げた。
「お父さんの好きそうなことが載ってるよ」

一面トップに「少し危険 危機回避養う」
読売新聞だ。
プレパークでの取材の写真がデカデカと出ている。

プレパークは、僕の住む越谷の隣の町の草加市にもある。
草加文化会館の裏にある公園でやっているさ。
ここの書き込みでも何回か紹介をした。

自然体験、ナイフなどの工具の扱い、マッチのすり方、
危険だからと言って、やらせない親が多い。
逆に、
金を払って他人任せで「暗記」ばかりやらさせられる今の子供たち・・・・

これじゃ、子供の心は育ちようがない。
子供は、外遊びで「生きようとする根本的なもの」を感じて育つのさ。
子供を「もやしっ子」にするなよな、若いお父さん。


11/12/4(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜には、末っ子の「歓迎会」を大家のおばぁちゃん、
古い友人の二人を誘って開いた。
人気の回転寿司でテイクアウトしてアパートでやった。

子供が自立をするまでは、
かわいそうになるぐらいに僕のシゴキを子供が受けていた。
でも、一度自立を果たして帰ってくるようになった今、
僕はとっても優しく迎え入れている。

今夜は、末っ子にステーキを食わせよう。

四人の兄弟の内、問題を起こしている上二人も同様に
「罪を問わない」態度でいるのだが、
長男だけは、音信不通のままだ。

他の兄弟全員、長男のところへ様子見に行ったが、
三番目の子の張り込みの成功以外、長男に会えた者はいない。

その他にも僕の家系の問題で、解決のメドさえたたないままの事がある。
決して僕は今、「何の問題もない生活」を送っているわけではないのさ。

ただ、
今までの人生の歩みの中で鍛えに鍛えられた
「どんな条件下でも、そこに人生の面白さを創設する」能力を衰えることなく発揮しているのさ。

まぁ、これを僕は、
「幸せを感じ取る能力」と呼んでいるのさ。

僕には、四人の男の子がいる。
上二人は、僕が幼稚だったので育て方が悪かったが、
下二人は、自分の出来る限りを尽くしてみた。
それは、僕自身の40才代の成長にもなった。

それの目標の一つに、「明確な宗教」を身につけるまではいかなくても、
それに目覚めることを目指した。
そして、下二人はプロテスタント教会で洗礼を受けた。

日本の今のボーイスカウト運動は、
この点をもっとシッカリと捉えて活動をして欲しいと願っているさ。
ベーデン・パウエルの一番の目標のはずなのに・・・・・
それを目当てにBS活動に加わる「人生を真剣に生きようとする親」を失望させないで欲しいな。

宗教を無視することが正しい生き方という教えが日本にある。
悲しいことだ。
ブータン王国を見習って欲しいね。

今年は、この国最大の被災があった。
これを機に宗教を捉え直してほしいな。
僕は特定の宗教が正しいの間違えだのと言っているのではない。

僕は、愛のない信仰を「妄信」だと思う。
そういう人たちを見て「宗教なんてひどい」と思う人が出来てしまうのさ。

でも、無宗教、無信仰で、どう死んでいくんだ?
絶対確実にいつかは、自分が死ぬという事実を無視し続ける・・・・
なんてこった・・・・・
だから生きている「今」をいい加減に生きてしまうのでしょう。
もったいない。

そういう「無宗教」が、僕の家系の問題解決のメドが立たない原因でもあるのさ。
死んだ後、どうするつもりなのだろうか・・・・ハッキリしない・・・・
なんてこった・・・・
そんなことばかりに目を向けていると心が袋小路に陥ってしまう。

今日は、末っ子と僕とおばば、三人で教会に行けるんだ。
この子は、今年度成人式だ。
歳相応に育ったようすだ。
幸いなことだ。

本物のメリークリスマス。


11/12/3(土)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、仕事が忙しくて、
とても隠居生活をしている気分になれない。
生き延びるために働かなければな。

でも自分が生きるため、というのに寂しさを感じるのさ。
「子供に飯を食わせる」
今までこういう働く動機、使命感、があったので生き甲斐も強かったんだがね。


この間の発表会の後処理に昨日は追われていた。
夕方、おばばを車で迎えに行く前までに区切りを付けたかった。
処理をしているいくつかの作業の、
それぞれのかかる時間を計算しながらタイミングを見計らっていた。

そこに玄関で何か音がする。
進入した様子・・・・・・
何事かと玄関を覗くと、そこには末っ子が靴を脱いでいるところだった。

僕は、「ただいま」ぐらい言えと注意した。
この子は、本当に挨拶が出来ないんだな。
高校時代の柔道の顧問の先生はそうでもないと言っていたんだがね・・・・・

ともかく、久しぶりに見る末っ子の顔に、正直、とっても嬉しかったさ。
いつもの店「みさき」で昨日の夜は、
末っ子の「歓迎会」をした。
末っ子は、「焼肉定食」を食べてさっさとボロアパートへ帰っていった。
僕とおばばは、しばらく名物の鍋をつついたさ。

この子が反抗期を過ごした様子がこの書き込みにある。
僕の悪戦苦闘ぶりの、ほんの一部を書き込んだ。
興味のある方は、そちらをお読み下さい。

末っ子は、
今はもうすっかり「反抗期」を十分に通り過ぎた感じがするね。
僕の古い友人の中にうつ病のヤツがいるが、
コイツは、30才代ごろにこの「反抗期」の現象が出た。
しかるべき年齢でそれがなかった証拠だ。

反抗期には、反抗があることが人の心の育ちに必要だ。
それは、見栄えのいい「物」や「事」で簡単に無くすことができる。
そういう育て方は、
その子が30才、40才、になったころ「育つ上での不足」が現れて来るんだぞ!
本当に、それが原因でその子は、とっても窮屈な人生を歩みやすくなる。

そしてそういう育て方が今多いと思うんだ。
「甘やかし」
そういう育て方は良くない。 そう育てるのは後で後悔するよ!

日本の法律に基づいて、
20才では、自立をした本当の「成人」を目指して子育てをしよう!


11/12/2(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、故障していた自転車を自転車屋さんにもって行って直してもらった。
とても丁寧に直してもらっただけではなく、
スプロケット(後ろのギャー)を外して調子をみてくれた。

異音がしたかららしい。
一部の部品がへたっていたという。
でも走行に支障はないそうだ。
まるで車の車検みたいだな。

修理のついでにバーテープ(ドロップハンドルに巻いてあるテープ)も交換してもらった。
買ってから一度も取り替えなかったので、
一番使うところが、バーがむき出しになっていたからだ。

買って何年経つのだろうか・・・・
5年、6年、
ロードの完成車で6万の安さに驚いて買ったものだ。
車重がちょっと重いみたいだけど、ツーリングにはまったく問題ない。
そもそも今の僕の走りは、ポタリングだからだ。

僕が若かった頃は、チェーンは長距離の都度洗ったし、
オーバーホールは、月に一度くらいはしていたと思う。
踏み込むトルクが今とは全然違っていたから、
チェーンもすぐに伸びてしまったものだ。

これが伸びてしまうと「歯とび」と言って、
スプロケットからチェーンがすぐ外れる現象が出て走行不能になる。
今のロードでは、何年も使っているのに一回もチェーン交換をしないで済んでいる。

いかに脚力がなくなったのか、これでよく分かるな。
若い頃に、インナー(前のギャーで内側のもの)を使うことは滅多になかった。
今は滅多にアウターを使わない。

だから巡航速度は長距離で、若い頃はだいたい 20〜21`/h だったものが、
今は、17`/h ぐらいだ。

遅い分、タップリ風景を楽しむようになった。
昔は、ともかく殺風景な国道を突っ走って喜んでいたが、
今は、景色のいいところを目掛けて走っている。

歳とともに、「走りの質」が替わって来て、
楽しむベクトルが違うわけさ。
「若いころと同じ」ではなく「歳相応」を楽しんでんのさ。
これが「成長」さ。


11/12/1(木)朝 ビデオマンの日記

子育ての本当の目標は、
「子供の自立」であるべきだ。

それが「大学さえ出せば子育てをちゃんとやった」になってしまっていることが多い。
そして、場合によっては子供が三十を過ぎても庇護する親がいる。
ひどい甘やかしでしょう。

こういうのを「的外れなこと」と言うのさ。
結局、子供が窮屈な人生を歩むことになる。

同じように、
機材にこだわって、営業をしないでビデオの商売をしたいと、
どうしたらそれが実現できるのか、
そんなことばかりに夢中になる人がいる。
こういう方は、
何かの弾みで、まぐれ当たりの仕事で自慢したりするものだ。

商売の基本は、「営業」なのに、それが分からない。

これも「的外れなこと」なのさ。
いつまで経っても商売が立ち上がらない。

両者に共通していることがあるんだな。
それは、「甘え」だ。
自分の狭い心の中に閉じこもっている。
心が幼いんだな。

人は、「辛いこと」「苦しいこと」「嫌なこと」「厳しいこと」
そういうことを乗り越えることで「心の成長」が起こる。
決して「気楽」「簡単」「便利」な環境で心は強くならない。

このことは、バカバカしいほど当たり前のことだ。
高卒の僕でも気付けることだ。

「成功を知っている人」は、このことを分かっていて実行できるのさ。
「実行」がミソさ。
そして、どんなに苦しい時でも、
その真っ只中に「人生を楽しむ術」を身につけられるようになれる。

これが、「幸せを感じ取る能力」ということなんだな。

ビデオ屋の集いから、「会の方向性」を話し合う案内がきた。
この会の初期には、「営業」をしきりに考えていたものだが、
今は、機材・・・・ブルーレイだの3Dだのにこだわっている様子だ。

未だにそれらで商売が立ち上がったとは聞いたことがないのにね。

五十過ぎの人たちばかりで、幼くないだろうかね?
この歳には、もう若い人たちに「生き方」を教えられるのが本当だろうになぁ・・・・・

このようにして、日本全体が幼いんじゃないだろうか・・・・・・
「的外れ」の人生では、本当の成長は望めない。
この国にニートが多いのには、必然性があると思えるね。

このHPに「営業現場」の動画がある。
いろいろな営業があるが、これは「飛び込み営業」だ。
ビビっちゃいけないよ。
これができないのなら脱サラをしないほうがいい。

これを実行できるかどうかが、商売を立ち上げられるかどうかになるのさ。
その動画には、僕が写っている。
僕は、実行したさ。
だから商売が成立した。

さぁ、実行をしてみな! 
悔しいだろう、辛いだろう、
だけど、そんなもの笑い飛ばしちまえ!
その先に「成功」が君を待ち構えているんだ!
本当さ。


11/11/30(水)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、西へ17`行ったところの取材がある。
自転車で行こうと思ったら、
この間のサイクリングでディレイラーが壊れたままだったのを思い出した。
残念。

毎年今頃から、仕事でバタバタする。
「撮影」ということより、
そのハンドリングが難しいのさ。

そういう仕事なんだな。
被写体がかわいいから続けられるんだと思うな。

そして子供たちが、これからの時代を堂々と生き抜いて欲しいと思うからこそ、
若いお父さんは、気を引き締めて、
でも心に残る、
本当の幸せを感じることが出来る、
甘やかしではなく、「自立」を真剣に考えた、

「子育て」をして欲しいのさ。

結論から言って、
ニートや自殺者の多い今の日本の子育ては、
根本的なところで間違えているでしょう。
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

知識偏重に問題があると思うよ。
「金を払って他人任せ」の子育ては、心が育たないよ!

早くこのことに気付いてほしいのさ。


11/11/29(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園の子供一人一人に「大きくなったら何になりたいの?」というインタビューを撮った。
それで、
このインタビューで「幼稚園の先生になりたい」と時々言う子がいるものだ。

でももっと具体的に、自分が通う幼稚園の先生になりたいと言った子がいた。
こういう子は珍しい。

そして、本当にそこの幼稚園の先生になった。
つまり、僕の取引先に就職をしたわけさ。
幼心でもその志には、驚かされる。

それで、昨日は、そうして幼稚園の先生になった子が、
今度は、現役幼稚園の子にインタビューをしたのさ。

ちょっとややこしいけど、分かりますか? このこと。
本当に僕は、歳をとったものだ。
でもなぁ、こういう面白いものを見られるなんてね。
愉快だね。


11/11/28(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の仕事は、発表会を単発で販売をするところのものだった。
役員の方々は、お揃いのTシャツを着てお手伝いをしていた。
運動会では、よく役員が手伝うけど、
衣装作りではないところの発表会の手伝いは珍しいと思うね。
役員が緞帳の上げ下げをしていた。

それで、そのTシャツだが、
ナント、肩に園長先生の顔写真がプリントされていた。
園からの指示ではなく、役員さんたちの「趣味」なんだそうだ。

園長先生が慕われている様子がよく分かるエピソードだね。
だから、モンスターペアレントはでないそうだ。
確かに、僕は今のところそこでは被害にあっていない。

今の園長先生は、二代目で、まだ幼稚園を継ぐ覚悟がないころから知っている。
僕より若い。

先代の園長先生が「倫理研究所」という教えを実践していた。
昔、先代の園長先生に頼まれて今の園長先生と一緒によくその集いに行ったものだ。
この集いは、「宗教ではない」ということだが、
かなりそれに近いものがある。

僕には、別の明確な一つだけの宗教があるけど、
そちらの教えの中には、共鳴できるところと、
そうではないところがあったのを覚えている。

結局、今の園長先生は、その「倫理研究所」の支部だかなんだかを継いだし、
幼稚園も継いだ。
しかも今の園長先生は、「青年会議所」に通って人生をたっぷりもまれてきた。

こういうことで、人柄が好かれるようになったんだな。
そういう人となりの成長を目の前で見てきたのさ。
そして、ビデオ屋なんかの僕よりはるかに立派な人になったのさ。

先日、ボーイスカウトや青年会議所、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、
などで「もまれる」体験が人格形成にいいと書いたが、
この園長先生が僕の頭の中で、モデルになっているのさ。

その「倫理研究所」や、古くからある宗教を学び実行するのは、
結局その人を本物の「大人」へと成長させるのに重要なことだ。
そういう「教え」を無視した生き方は、「幼稚な大人」になってしまう。
僕は、その園長先生の成長振りを見て、本当にそう思う。

その倫理研究所の教えの一つに確かこういうのがあった。
「子供は親の鏡」
僕が、「親の心が成長した分、子供の心が育つ」とここで訴えているのは、
そこからきているのさ。

「消費」で頭が一杯の人は、本当に「心の成長」が止まってしまう。
これは、「断捨離」という著作でも近いことを言っている。
「消費」ではなく「心の成長」そのものを追い求める人生。

部下に慕われる上司の下で働く・・・・・
なんて幸せなことでしょう。
「物」じゃないよね。
ならば、若いお父さん自身がそういう成長を目指そうか!

「消費」ではなく「心の成長」
本当に、ここにこそ生きる感動が巻き起こる。

そういうふうに親が「心の成長」を目指して生きることで、
子供が真似っこをして「子供の心」も成長するのさ。
その教えの意味だ。

ぜひこのことを「分かって」「実践」して欲しいと思うね。
そのことで必ずやニートや自殺者が減るさ。
「物」ばかりが虚しく栄えるのではなく、
ブータン王国のようなパラダイスがきっと訪れるさ。

僕は思うな、人類最大の成長・・・・・
それが「子育て」さ。


11/11/27(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、一日仕事をしていた。
今日も一日仕事だ。
だからネタがない。

だいたいここで説教じみたことを書いているときは、
実は、ネタがない日だ。
自由業は、隠居生活でも仕事をしないと食べて生き延びられない。
「定年退職」という区切りがないのさ。

「自由」な分、厳しい。 当然だ。

さぁてと、「一人3カメ」という技法に磨きをかけるぞ。
今日は、発表会の撮影だ。
これは、結構面白い。 マイブームになっている。
撮影は、本当に仕事だよ。 遊んでんじゃないさ。

でもね、子供と遊ぶほどダイナミックではないな。
僕の子、末っ子が中学生ぐらいの時は、今頃「冬季キャンプ」の下見をしていた。
そして、「計画書」を作らせていた。

子供たちは、移動には公共交通か自転車だった。
僕は、車で資材運びの係りで、他にはなにもしない。
冬季キャンプで何もしないでジッとしていたんだな、僕はね。

ただでさえ寒いのに、動かないから余計に冷えた。
酒を昼真っから飲んでも酔わない体験をしていたものだ。
それで「マナスル」のキャンプストーブを買った。
これはうるさいけど、暖かったよ。

そんな面白いことをしていた。
もう子供がいないのさ。
おばばにもう一人産めよ、と言ったら嫌だってさ。

さぁ、若いお父さん、
子供の手を引いて飛び出せ! フィールドへ!
子供を「もやしっ子」にするなよな!


11/11/26(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、最近知り合ったカメラマンと二人でさぎ山野営場を整備した。
この間、一泊キャンプをするために整備したが、
この時期は、毎日落ち葉が降ってくるので、
すでにすっかり「落ち葉化粧」になっていた。

紅葉を楽しむ・・・・・・

落ち葉との戦いを余儀なくされると、
そんな感傷的なことを言ってられないんだよ。

使うかどうか分からないけど、
マメに整備をしないと大変なことになってしまうのさ。

さぎ山野営場は、これからが美しくていい。
葉が落ちて日差しが入ってくる。
木漏れ日がファンタジックなのさ。

寒いと言っても氷点下になる日は、そう多くはない。
ふんだんにある薪で暖をとれば最高のシチュエーションなんだよ。

この間のキャンプで、僕は気付かなかったけど、
古い友人がふくろうの声を聞いたそうだ。
たくさんの小鳥達の大音楽会は、毎日開催している。
それを焚き火を囲んでタダで聞くことも出来るさ。

この間のキャンプでは、
二日目の朝に、バードウォチングの団体様が通過して行ったよ。

さぎ山野営場をベースにハイキングをお勧めしたいね。
サイクリングも最高さ。 僕は、年中楽しんでいる。
なんだったら、サイクリングコースを案内してもいい。

BSクラスのキャンプの実力がある方は、ぜひ使って欲しいんだ。


11/11/25(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、西へ17`行った取引先へ申込用紙を届けに行った。
天気も良く、コンディッションがいいので当然のことながら自転車で行った。

その前に、
その途中にあるおばばの仕事場まで、
おばばと二人で自転車で走って、おばばの通勤に付き合った。

おばばは普段のサイクリングとは違って、
自己ベストの走りだった。
それだけではない、道路を縦横無尽、信号無視・・・・
チャリ暴走族だった。

まぁ、注意したところで直すわけでもないから、
運動不足解消に自転車通勤は良い、とポジティブに解釈をした。

届け物をした後は、僕はフリーだ。
どこで何をしてようと
夕方、おばばを車で迎えに行くまでは、
子供もいないし、僕の勝手さ。
貧乏生活だが、自由業の醍醐味だね。
この面白い生き方は、一度味わったら止められない。

ということで、そこからR-298 で荒川を渡る。
この間は、富士山がクッキリ見えたけど、
今回は晴れていたにもかかわらず、霞んで見えなかった、残念。

その後は、この間走って気に入ったコースをトレースするように走った。
「和光市駅」「並木道」「木立が綺麗で大きい公園」「黒目川」・・・・
そう黒目川を目当てにサッサと走ったね。

この間は、途中で断念して引き返したので、
その先がどうなっているのか気になってしょうがなかったのさ。
僕は、研究熱心だ。 遊んでんじゃないよ。

川に沿った道をドンドンと行くと、
一般道に交差したところに出た。
向い側に「セブン」があって、そこで川を見失った。

一所懸命にその先を探したさ。 あったよ、黒目川が。
川に沿って走る。
するとナント、木道があったんだ。 ハイキングの雰囲気になれた。

うっそうとした小道をドンドンと走る。
さらに突き進むと、
「真言宗智山派 柳窪長福寺」と「柳窪天神社」が隣り合わせにあるところに出た。

ここで黒目川が細々と流れているのが見えたが、
それに沿った道がない。 ついにそれを見失った。
そして「小平霊園」の中を走る。
妙に線香臭いコースだ。

ところで、僕は小学校四年生ぐらいのころ、
「神様」と「仏様」がどういう関係なのかを親に尋ねたことがある。
まったく意味不明、分からず終いだった。

中禅寺湖にある神社とお寺は、仲が悪いそうだが、
たいがい田舎では、神仏が一緒だ。
神社の境内に鐘突き堂があったりする。

僕がカブスカウトのリーダーをしていたときに、
ハイキングの途中で、神社やお寺があるたびに、
子供たちに、それらは、宗教が違うこと、
そして、それぞれの礼儀作法を教えながら歩いたものだ。
本当に子供たちは、まったくそういうことを知らな過ぎだった。

いいですか、こういうことって「家庭教育」で教えなきゃいけないことだよ!!!

12月24日にクリスマスだなんて言ってバカ騒ぎをして、
12月31日に除夜の鐘だと言って夜更かしをして、
1月1日には、初詣・・・・・・
精神的な未熟さがそこにあるでしょう。

ブータン王国の国民の人たちを見習うべきではないの?

そんなことをそこで考えたね。
川を見失って、腐っていてもしょうがない。
そこをどう面白くできるのか・・・・・
人生の作り方と同じだ。

当てもなくだが、人生で「自分探し」するようにそこからも走った。
すると「久米川駅」に着いた。
そこにあった周辺案内板に「空堀川」が近くにあるのを見つけた。

とりあえず、川が違っても「川沿いを走る」をテーマに、
そこを走ることにした。
すると間もなくその川沿いの道が線路で断ち切られてしまった。

しかし、その線路沿いにサイクリング道路があったので、そこを走る。
「多摩湖自転車歩行者道」と言うのだそうだ。

と、言うことはその先に「多摩湖」があるという意味か?
セッセとそのサイクリング道を行くと、あったよ、「狭山公園」が!

いつだったか、狭山湖を目指してサイクリングしたのだが、
どうしても狭山湖にたどり着けなくて川越を回って帰ったことがある。

落し物で、探すと見つからなく、
でも「探す」つもりのないヒョンなことで落し物を見つけることがあるでしょう。
昨日は、そんな気分で「狭山公園」に着いたね。

知らなかったが、「多摩湖」と「狭山湖」は隣接をしていて、
そこには、西武球場や狭山スキー場がある。
昔、狭山スキー場へ迷いながら行ったものだが、
本当にここは、分かりづらい場所だ。

多摩湖は、雄大でとっても美しい。
デートスポットになるな。
おばばと来たいとは思わなかったけどね・・・・・

しばらく湖畔めぐりをして、ドーム球場のでかさに驚いて、
帰路を目指した。
久しぶりに涙がボロボロと止まらないダウンヒルを楽しめた。
そしてとりあえず東方向へ向かうと所沢に出た。

所沢からは、通称「浦所道路」で旧浦和へ向かうことが出来る。
しかし、昨日はその道に沿って南側に川沿いの道があるのを見つけた。
そこを走る。 なかなか風情のある道だった。

でも次第に「浦所道路」からそれていく感じがしたので、
途中からメインストリートで走ることにした。

たいがい帰り道はせわしないものだが、昨日のコースは、全部面白かったな。
ただ・・・・・ただ・・・・
途中でリアディレイラーが壊れたけどね。
2ヶ付いているボトルゲージもダウンチューブに付いている方が折れた。

そんなに自転車を酷使したつもりはないんだがなぁ・・・・


11/11/24(木)朝 Snowmen Camp Club

昨日は、さぎ山野営場に僕の三番目の子が来た。
この子のアイディアである雨水が溜まる水槽の出来上がりを見に来た。

それの目的は、「防火用水」「五右衛門風呂用」だ。
現実的には、五右衛門風呂に使う。
それで、三番目の子が本当に使ってみたかったらしいので、準備をした。

五右衛門風呂のドラム缶より、4メーターばかり離れたところにその水槽がある。
その内に、その間に「シャワー」兼「排水用穴」を設置するつもりだ。

その水槽からドラム缶まで、ポンプで水を送る。
バケツでもできるけど、せっかくポンプをこのために買ったので使った。
三番目の子がポンプにホースをつないだ。

ポンプの水は、ドラム缶の上に設置したろ過器へ水を落とす。
このろ過器は、この間、中の炭を細かく割ったので、
その粉が出てきて、水が黒っぽくなってしまった。

古い友人は、「ろ過器を使わないでそのままの方が水がきれいだ。」と言っていた。
それじゃ、面白くないでしょう。

ドラム缶に付いている二本の筋の上のところまで水をはった。
僕は、そこらへんで丁度いい。
そして、ドラム缶はコンクリートブロックの上にあって、
三番目の子が、
そのブロックの囲いの中に薪を入れて、着火をさせ、風呂を沸かせた。

三番目の子に火の番を任せて、僕と古い友人、その同僚でサイトの片づけを始めた。
夜の12時まで、焚き火を囲んで、
酒を呑んでいたので、すごい散らかりようだ。
BSの活動だったら、ひどくヒンシュクを買うところだろう。

しかし、このSCCの野郎のキャンプでは、よしとすることにした。
そして、こういうキャンプの名称を「SCC焚き火を囲む会」にしたんだな。
寒い時期になって、焚き火で暖を取って酒を呑む・・・・・
なんでしょうか? 病み付きになると野郎どもの意見が一致した。

さて、五右衛門風呂がなかなか沸かない。
様子を見たら、火力が少ない。
三番目の子に遠慮をしないでガンガン薪をくべて火力を上げるよう指示した。
間もなく風呂が沸いた。

面白がって、三番目の子が風呂に入ったさ。
ここでの五右衛門風呂は、僕がこの間、一番風呂を決めた後、
誰も入っていないから、この子が二番目となる。

三番目の子が風呂に入ろうとしたら、
中の湯がはみ出た。
熊みたいな体格だからだった。 本当に熊の入浴だ。
これが本当の「熊の湯」か・・・・・?
面白いので、僕と古い友人は、携帯で写真を撮った。

古い友人が
「このためにいくら金をかけたんだ?
ドラム缶にポンプ、水槽・・・・草津の高級旅館に一泊できんじゃないの?」

そういうセコイことを言ったんじゃだめだよな。
男の遊びは、バカバカしいことを大真面目にやることに意味があるのさ。
面白けりゃ、なんだっていいじゃないか!

これは、SCCの前身であるSSCの時からの遊びの哲学だ。
そう言えば、その「Snowmen Ski Club」の忘年会は、
今年は、埼玉県の「羽生」でやることになった。

今まで酔っ払って這って帰れる「みさき」でやっていたのだが、
今年は、酔いがさめるような電車での旅になりそうだ。
遊び仲間がいるのは愉快だな。
子供たちにぜひ真根っこして欲しい。


11/11/23(水)朝 Snowmen Camp Club

昨日、今日、と、さぎ山野営場でキャンプをしている。
昨日の夜は、
いつもの古い友人の同僚と、その奥さん、
別の同僚、
僕の知り合いのカメラマン、が来た。
その内、一人の同僚が泊まっている。

そして、僕と古い友人、
三人で「竹ハウス」に泊まった。

簡易ベッドの工作物を初めて使ってみたが、
とりあえず、一泊では、潰れて壊れることがなかった。

これから、タンクで水汲みをして、
山にある「水槽」に水を溜める作業をする。
重労働だ。
20gのタンクでたぶん、30本分を溜めるからだ。

水槽は、僕の三番目の子のアイディアで作ることになった。
その三番目の子が、別の用事で越谷市に帰ってきている。
水汲みが終わったら、
その子を迎えにいって、水槽を見せたい。

その子のアイディアがこうして、採用されたんだ、と誉めてあげたいのさ。
僕には、四人の男の子がいて、
皆、独立して一人も一緒には住んでいないけど、
この世の中に確かに四人の男の子の存在があるというだけで
嬉しい。

その内の一人に会えるというだけで、幸せがこみ上げるのさ。


11/11/22(火)朝 キャンプじぃじの日記

今日の朝刊の一面に「オウム裁判」の記事がデカデカとある。
この事件は、
サリンという毒ガスを大量生産するプラントも作っていた。

幹部は、頭は非常に良かったんだよ。
ちなみに一流大学出身者が多いと聞く。
でも「心」が育っていなかった例だ。

最近、ドラ息子がパパの会社から100億とかという巨額の金をくすめて大騒ぎになっている。
この人も、超有名大学を出たにもかかわらず、
「心」の育ちが悪かった例だ。

これらは、社会的に目立つことをしたけど、
「ニート」に溺れる若者の「心」だって、
育てられ方に「知識偏重」があっただろうことは、想像できるでしょう。

「知識」と「心」は、まったく別物で育てるものであることに気付こう!

このことは、よく考えれば、たぶん、誰でも理解できるはずだ。
でもどうしても「知識偏重」に突っ走ってしまう・・・・・

「少しでもいい大学を出て、少しでもいい会社に勤めて・・・・・」
という親の欲望が「知識偏重」を子供に押し付けているんじゃないのかな?
だが、残念だが一流会社になればなるほど、「強い心」が要求されることを覚えよう!

20才前後の若いころに、

夜遊びで「享楽」を身に付けるのか、
それとも、人間関係でたくさんの
「辛い思い」「苦しい思い」「大変な思い」「嫌な思い」
を乗り越えることをとおして「心」が鍛えられるのとでは、
どれほど「人格」に違いができるか想像してみよう。

実社会では、こうした人間関係は避けて通れない。
ビデオ屋で商売をいつまで経っても立ち上げられない人がいる。
そういう人たちの共通点は、「営業」ができないということだ。

「営業」を避けて商売をしようという「心」は、
まさに、嫌な人間関係を避けたいという思いの現われさ。
そういう人は、脱サラをしない方がいい。

こういう人間関係の「切磋琢磨」ができる環境に、
ボーイスカウト、青年会議所、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、
などがある。

商売を立ち上げたい人、会社務めでもリーダーになる人、
そういうところで「もまれる体験」をした方がいい。
と言うか、必須だな。

ここに何回も書き込んだけど、

いくら、一流大学を卒業しても「心が強く」育っていなければ
その教育は、まったく無駄になる。

「消費」で頭が一杯だと「心の成長」は、みごとに止まってしまう。

これは、僕が考えたことではないよ。 僕が気付いたことだ。
これに気付くことができたので、ビデオ屋になれたのさ。
高卒でも「成長」があれば十分だ。


11/11/21(月)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

11/20(日) 道満グリーンパークで「親子で工作」実施

季節はずれの暖かさで、ダレたのだろうか、かったるかった。
そういう気持ちでやっていたから参加者は、
ママと二人の男の子、
親は来ないで小学校6年生の女の子二人、
これだけだった。

目当てのパパは、一匹も釣れなかった。

これから寒くなり、公園にはほとんど親子連れがいなくなる。
今までは、古い友人と僕とおばばの「気晴らし」になっていたので、
人気がなくてもやってきたが、
その古い友人が引越しをして参加をしなくなったので、
次回は、来年の3月に行う予定にした。

昨日は、テンションが下がったまま収穫がなかったけど、
夜には、何にも手伝うことがないうつ病の古い友人を誘って打ち上げをした。

僕が、「父性教育」を訴える動機は、
僕の四人の男の子のうち、上二人を上手に育てられなかったからだ。
本当に僕は、「ドジおやじ」の頭さ。

それと、このうつ病の古い友人がいるからでもある。
まったく仕事ができない、しようとしない、そういう状態でもう何年も過ぎた。
持ち家が自慢の家族だったが、
所詮サラリーマン家庭だ。 資産家ではない。

いつまで無収入でいられることやら・・・・・・
助けたくてもどうにもならないもどかしさがあるのさ。

コイツのうつ病は、間違えなく「育てられ方」に問題がある。
そして、昨日も書き込んだが、
そのひどい育て方は、結構他でも多いように思えるのさ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

「子供の心を育てる」という概念さえないのが現状に思えてならない!!
日本での自殺者の多さや、ニートの多さは、
間違えなく「育て方」に問題があるんだ!

これを打破できるのは、「お父さんの子育て」だと僕は、
つくづく思うんだよ。
立ち上がれ! 若いお父さん!

子供とタップリ遊んで、子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を教えよう!
「物」を手に入れて喜んでいるレベルから脱却しよう!

僕は、上二人ドジをしたので反省して、
下二人の子は、やったよ、実行したよ、
高卒で貧乏な一人の父親だけど、出来る限りをしてみたよ。

実行した分、子供の心が育ったさ。
さぁ、子供の「心」をシッカリ育てよう!


11/11/20(日)朝 キャンプじぃじの日記

「普通にしてりゃ、いいんだよ。」

僕が高校を卒業して都内の小さな会社に勤め始めたころ、
先輩からのアドバイスだ。
今から、37年前オイルショックが騒がれていたが、
依然、バブル経済だったころだ。

未だに、バブル経済の感覚が残っていないだろうか?
そもそも「普通」とは、一体なんだ?
廻りを見渡して、「皆と同じ」ということかな。

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

一時、よく流行った言葉だ。
日本人の「みんなで」主義をよく表している。

みんな大学へ行くから、みっともないからお前も大学へいきな。

こんな子育てが横行して、
ついに一部の大学で高校レベルの補修をするようになったそうだ。
「学問」に興味がなく「学ぶ」気がないけど、
みんなが行くから大学へ通う。

そこで、夜な夜な夜遊びをして「享楽」を身に付けてしまうのさ。
ひどい子育てだ。
確かに、ほんの一部の学生は、シッカリ、必死に学ぶ子もいるだろうけど、
そういう子は、昔から少数だ。

僕の古い友人で、うつ病になったヤツは、こうして社会人になったけど、
こういうプロセスで社会の辛さに負けてしまうようになったのさ。

いったいそれのどこに「愛情」のある子育てだったというんだ?
ヤッコサンの父親は、普通のサラリーマンをまじめにやったけど、
子供とは、遊ばなかったのさ。
「持ち家」には、こだわっていた。

日本がこれからまたバブル経済で潤う・・・・・・
まず、あり得ないことだ。
日本は、すでに高度成長期から成熟期、もしかしたら、
このままでは、衰退期へと向かうかもしれない。

世界の歴史では、「文明」はいつかは崩壊してきたでしょう。
すでに日本は、「先進国病」ではないだろうかね。
「ニート」「自殺者」
国際的に日本では多い。
こんな調子で国が栄えると思うかい?

大学さへ出せば子育てをしたつもり・・・・・・
僕には、ひどく感じるんだがなぁ。

ところで、ブータン王国から国王と王妃が国賓として来日したね。
「国民総幸福」という志を引っさげて来た。
彼らは、シッカリと宗教に根ざした生活を守り抜いていると聞く。

日本では、「宗教」を無視するのが正しい生き方としているのとは、
まるで反対だ。
「物」を手に入れるだけの人生・・・・・・・

何かへんじゃないのかなぁ・・・・・・

「心の豊かさ」に豪華なものは、必要ない。
それを手に入れるためには、どうしても「自立」が必要だ。
僕は、こう思うがなぁ・・・・・
僕の場合、
そうして生きてきたら「本当の自由」な人生になったんだがなぁ・・・・・

これからの日本で生きていく子供たちには、
これを分かって欲しいんだ。
「自立」そして「自分の人生」
自分の人生を自ら作っていく感覚をさ。

そして、若いお父さんには、「子供を自立させる」子育てを
ぜひ目指して欲しい。
さぁ、始めよう!

お父さんが、
たくさん子供と遊んで甘やかしではなく本当の「愛情」を伝えて欲しい。
子供は、親の愛情を心の糧に「みんなとは違う自分の人生」を作って欲しい。

お父さんが子供とどう遊べばいいのか、

今日、道満グリーンパークで「親子で工作」のボランティア活動をするけど、
僕の願いは、「自立」に向けた子育てなのさ。

僕は、貧乏人だ。
しかし、僕は、これを実行するぞ。
僕の子が住む日本を潰すわけにはいかない。

若いお父さんも、実行しよう、真似っこしてみよう!


11/11/19(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、西へ17`行ったところへ餅つきの取材をした。
天気がよかったのでもちろん、自転車で行った。
ついに「冬仕様」だ。

ニットの帽子、冬の手袋、足先ホカロン、
首には、何て言うのか知らないけど、暖かいヤツを着けて走った。
いよいよ寒くなったら、ダウンのベストを羽織る。
昨日は、それでは、暑くなるので着なかった。

去年でのこの取材は、園長先生が法事で段取りができなくて、
ナント、それを僕に振ってきたんだな。
つくこと自体は、どうということはないのだけど、
子供たちにもつかせるのだが、各クラスの出番に合わせて餅を用意するのが難しかったのを覚えている。

でもとっても面白かったな。
あれから早一年過ぎたか・・・・
昨日も、少しだけ餅をつかせてもらったさ。

昔、大分昔、
やはりここの幼稚園での餅つきの取材をしに行ったときの話しだ。
園長先生が、途中で用事があるとか言っていなくなってしまったことがある。
そして、「谷口さん、あとは頼むね。」とやはり振られた。

僕は、東京育ちで小さい頃は東京で育った。
それで、「餅つき」自体実物を見るのは、
幼稚園の仕事で初めてだったころだ。

その時は、興味半分、不安半分、
力任せに餅つきをしたら、後でギックリ腰になってしまった。

今は違うよ。
さぎ山野営場でこの1〜2年は、薪割りを散々やったからね。
斧だけではない。
1.5`の「木割り矢」を2.7`のハンマーで叩いて薪割りをしてきた。

初めの内は、その2.7`のハンマーを、グリップを握ったまま振り下ろしていた。
これでは、ウデより先にすぐに腰がくたびれてしまう。

それで昨日の幼稚園とは違うところの園長先生に、
餅つきでの杵の持ち方を教わったのだが、それを思い出した。
それは、こういうふうにする。

僕は右利きなので
左手で柄の先をしっかりと握る。
右手は、杵を持ち上げるときは、杵の頭に近いところを持つ。
こうすることで、頭の重さが最小限になるのさ。 ここがとっても重要さ。

そして、杵を振り上げきったところで、
普通に柄を持つところに右手をスライスさせる。
そして、杵の頭の重さを十分に利用して振り下ろす。

文章では、説明が難しいね。
ともかく、こういうふうな突き方を教わった。

そして、薪割りも同じようにしたら、全然楽なんだな。
そして、あの小さな木割り矢に鉄のハンマーを命中させるのだが、
よく当たるようにもなった。

こんな訓練をさぎ山野営場でたくさんしてきたから、
今では、僕は、餅つきは楽勝さ。

どんな遊び・・・・・失言、
どんな仕事でも研究熱心になることだな。
ついに僕は、餅つきの総ての段取りの内、
もち米を前日に水に浸けておくこと以外、総てをマスターしてしまったのさ。

そんなことで、都内の取引先でも
餅つきの取材は、おばばではなく、僕自身が来るようにと
保護者からのご指名をいただくまでになってしまった。

僕の本業は、ビデオ屋なんだけど、そのことの方が評判がいいのさ。


11/11/18(金)朝 キャンプじぃじの日記

親学会

宗教家の方にいいHPを教えていただいたので紹介しよう。

ぜひ覗いてください!!


11/11/17(木)朝 ビデオマンの日記

卒業ビデオアルバムでの取材で「一人一言」のインタビューがある。
今年は、早くも1件が全員撮れてあがった。
この仕事を20年やってきて、最速の撮れ具合だ。

その他、今月中に2件それを撮る。
インフルエンザの影響が少ない内に撮ったほうがいい。

これを撮ると、いよいよフィニッシュが近付いた感じがするのだが、
もう今年度も終わりかよ・・・・

自分の子供が全部いなくなり、
おばばと二人暮らしが今年から始まった。

子供がいる頃は、何が何でも喰わせるために嫌な仕事でもやらざるを得なかった。
でも、もうその必要性はない。
お金にガツガツはしたくない。 「足ルヲ知ル」これが大切さ。

気持ちいい仕事に集中していきたい。
なるべく、売れないタイトルは、整理していこうと思うのだが、
昨日、どうみても条件の悪そうな仕事が舞い込みそうになった。
それで、やらざるを得ないようだ。
気が重いよ。

子供がいる内だったら、よほど嬉しかっただろうに・・・・・
思ったようには、いかないのが人生だな。

でも、今までの僕の体験では、
思ったようにならないことに、不思議な恵みがあったりするものだ。
それがどんなものなのかは、当然ながら前もってはサッパリ分からない。
人生は、ミステリアスにできているのさ。

ということで、
谷口の新規撮影業務は、これにて終了をしました。
もういいです。 ノーサンキュー。
僕は違うことをやりたいんだ。
まったく新しい世界を開拓したいんだよ。
人生最後のトライさ。


11/11/16(水)朝 キャンプじぃじの日記

「父性教育」の重要性を訴える。

大変な仕事だ。
僕は、これをここで書き込むことで理解をしてもらいたいと願っている。

また、本当に小さな活動だが、そのために
戸田市の道満グリーンパークで「親子で工作」をしている。
今度の日曜日に今年最後の活動をする予定だ。

ヒョンなことでこの「父性教育」の大切さを知り、
仕事としてこれの重要性を伝えることを始めようとする人ができた。
かなり悪戦苦闘している様子だ。

僕とは違って、それを職業にすることをその人は目指している。
僕とは、「真剣度」が違うな。

どうか、彼を強め、支え、軌道に乗りますように。
こうした「草の根」の活動を通して少しずつ、
この「父性教育」について考えることのできる父親が増えていきますように。

子育てを他人任せで済ませようとするのではなく、
父親自身で、父親ならではの子育てが出来るようになりますように。

バブル経済は、とうに終焉した。
これからの時代を子供たちが生き抜いていく上で、
不可欠な教育・・・・・・父性教育に若いお父さんが気付きますように。


11/11/15(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場に多目的水槽を作った。
杭と板とブルーシートで作った。
容量は、満タンで約1dぐらいだ。

満タン時での内圧に耐えられるかどうか、
地震などの自然環境に耐えられるかどうか、
これから試して見られる。

材料費は、概ね1万円だ。
大型テントの「竹ハウス」もそうだが、
さぎ山野営場にある工作物は、
災害時に材料さえ手に入ればいつでも作ることが出来る。

実用的な工作物が、そこに見本としてあるんだな。

たくさんの子供たちに見せて、
「作る喜び」を伝えたいね。

僕は、子供のころ暗くプラモデルを作っていたが、
まさか、こういう風に「作る喜び」に、この歳になって夢中になれるとは思わなかったな。
子供のときの体験は、こうして重要なのかと改めて実感した。


11/11/14(月)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、午後からおばばを
見沼代用水路コースのショートカットへサイクリングに連れて行った。
運動をしないでムシャムシャ食べ続けた結果、
スペシャルデブになってしまっている。

それだけなら問題はないが、
そのことがベースでいろいろ具合が悪くなってきた。

僕は、深酒さえしなければ具合が悪くならないが、
おばばの場合、慢性なんだな。
世話がやけるよ。

昨日は、小春日和だった。
Tシャツで寒くもなく暑くもなく、快適な走り・・・・・・
いや、速度は、おばばに合わせていたのであくびが出る走りを楽しんだ。

前傾姿勢でのサイクリングは、水泳に継ぐ全身運動なのだそうだ。
僕ぐらいの歳から、
普段運動をしているのかどうか、生きていく上で重要になる。

とくに、暑さだけで体力が必要な夏の時期に
肉体労働がある場合、いかに普段から運動をしているかどうかが
そのまま、仕事が出来るかどうかになる。

僕は、自営業だから仕事ができなくなったところで、THE END だ。
自由な分、生きている限り働き続けるという義務があるんだな。


今日は、さぎ山野営場に多目的水槽を作ろうと思う。
昨日のうちに材料を買っておいた。

何かを作る、というのは、脳みそのトレーニングになるのさ。
僕は、仕事のために熱心だよなぁ・・・・体も脳みそも、自主トレさ。

僕は、遊んでんじゃないよ。 
誰にも言ってもらえないんで、自分で言うが、仕事熱心さ。


僕は、ボロアパート住まいで貧乏人だ。
だけど、好きな仕事で生活が出来るなんて、
なんて贅沢なんだろうか。

これから生きていく子供たちに、
ぜひとも「物」ではなく「心」の豊かさを味わって欲しいと願っているさ。
こういう生き方には、無駄なエネルギーは必要ない。
さぁ、「父性教育」の重要性を訴えていくぞ。


11/11/13(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、見沼代用水路のショートカットをサイクリングしたあと、
さぎ山野営場の整備をした。

多目的水槽の場所を水平にした。
土盛したところが、雨で流れ出さないようにコンクリートブロックで擁護した。

予定では、
約150p×250pの面積のところに6本の杭を打つ。

そこに板を井桁に組んでいき、ブルーシートで水槽にする。
上部は、網を被せて虫が入らないようにしながら雨水が溜まる構造にしたい。

何かを作る楽しみ・・・・・・
ワクワクするな。
子供たちにこれを伝えたいよ・・・・作り出す喜び。

落ち葉が「降り出す」。
いよいよ、落ち葉との戦いの始まりだ。
とりあえず、山の中と外をブロアーをかけた。


11/11/12(土)朝 キャンプじぃじの日記

「甘やかす」

この言葉の意味を間違って使う人が多いことに気をつけよう。
僕の辞書には、
「きびしくしつけないでわがままな行動を許す」
とある。

100歩譲ってもいいことではない!!
僕は、高卒だが、
それでも言葉の意味ぐらいは、理解して使ってるさ。

誤解されないようにここに具体的に
「甘やかし」と「愛情」の違いについて記しておこう。

乳児

だいたい満一歳位で(個体差が大きい)ハイハイからヨチヨチ歩きになる。
このときに「歩行器」を使って早く歩けるようにしてしまうのは、
間違えだ。

子供は、つたえ歩きをしたり、転んでは起きたりを繰り返すことで
「どうしたら転ばないで歩けるようになれるのか」
を「体験」で学んでいく。

子供にとって「簡単」なことではないが、
このときに「努力をして身に付ける」術を学んでいるんだぞ。
その重要な「学び」を歩行器で奪ってしまうことになるのさ。

「簡単に成功」してしまうという、これも一種の「甘やかし」に当たるだろう。

おむつは、だいたい2さいぐらいで取れるように「しつける」のが子育てだ。
子供が、「不快感」を親に教えるという一つの「コミュニケーション」を自発的にできるよう育てるのが子育てだ。

性能の良すぎる紙おむつは、その不快感がないように出来ている。
これは本当の話しだが、
幼稚園児は、満3歳以上の子供達だが、中にはまだ紙おむつが取れていない子がいる。
これも「しつけ」がなっていない例だ。

3歳児

ブラウスのボタンが自分で付けられない。
器用な子は、付けられるようになる。
ボタンの付け方を、親の指で子供の指の動きを補助してやろう。
これは、とってもいい「愛情」からくる指導だ。

5歳児

これは本当にあった話し。
幼稚園の年長さんの遠足のことだった。
芝が綺麗に敷き詰められているところで子供がスライディングするように転んだ。
僕の目の前で転んだ。

子供は、「あぁ、転んじゃった。転んだら血が出る! 血が出たら死んじゃう・・・」
とくだらない口上を転んだままの姿で言う。

普段、転んだらすぐ親が起こしてあげている証拠だ。
これは、やってはいけない「甘やかし」だぞ。

子供が転んで、よほどひどい怪我でもしていない限り、
「どうした? 転んじゃったか? 自分で起きよう!」
と大人が励ますことが子育てだ。

もちろん、僕はその子が転んで自分で起き上がるまで言葉掛けをし続けたさ。
自分で起き上がったところで
「ほうら、大丈夫じゃないか。」と安心させた。

このときに抱きしめてあげれば、それが「愛情」になる。
子供が努力したあとに、ギュっと抱きしめるのは、非常にいい心のプレゼントになる。

子供が転ぶ・・・・・
だいたいこの頃の子供は、体つきより頭が大きい割合だ。
だからちょっとしたことで転びやすい。

転んだからといって、すぐに大人が起こすのは間違っている。
甘やかしだよ! やってはいけないことだ。

自分で努力をして起き上がったたら、すぐさま誉めたり抱きしめてあげよう!

転んでそのときに付いた泥を払うのも、
子ども自身にさせるのが「子育て」だ。
大人が手を出してはいけない。 即、それは「甘やかし」となる。

子供自身でドロを払ったところで、誉める。
これが愛情のある子育てさ。

でもこのときに、子供の手が届かない、例えば背中のドロは、
大人が払ってあげよう。

どう見ても子供が出来ないところを大人が補助するのさ。
子供が出来そうなことを大人が「手を出し」「口を出し」するのは、
「過干渉」さ。 やってはいけないことだ。

分かってもらえたかな?
愛情のある子育ては、決して子供を甘やかしたりはしないものだ。
なぜなら、子育ての目標は、「自立」にあるからだ。


11/11/11(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、見沼代用水路のコースをサイクリングした。
長袖のワークシャツにウインドーブレイカーを羽織った。
晩秋だな。
自転車は、自然の風を肌で感じられるところが、また面白い。

そのあと、さぎ山野営場に多目的の「水槽」を設置するために
予定の場所の水平を出す作業をした。
三番目の子のアイディアで、雨水が溜まるようにして
普段は、防火用水として
そして、「五右衛門風呂」の溜め置きとして使う。

キャンプ場の脇にある用水路が、田植えの時期以外は枯れて水がない。
普段は、まったく気にならないことだったが、
そこからポンプで水を汲み上げて「五右衛門風呂」をやるつもりだったのに
目論見が頓挫したままだったんだな。

目標に向かって「諦めない」ことが生きていて大切だ。
それを子供達に教えるためにも、遊びを妥協しないのさ。

ところで、昨日の夜には、歩いて30秒ほどの居酒屋におばばと二人で夕食をとりに行った。
またこの間の50才近いばぁちゃん、今度は二人もカウンターにいた。
それと、似たような歳の意気投合したサラリーマンの人、
末っ子と同じ歳で、末っ子の「メル友」という青年もいた。

ばぁちゃんは、本当に孫がいる本物だ。
それでも僕より若いから、僕も正真正銘の「じぃじ」さ。
人生いろいろ・・・・・・
女の本音の話を聞いて面白かったさ。
おかげで、今朝は二日酔いだ。
また、やっちまった。 具合わる〜〜い。


11/11/10(木)朝 ビデオマンの日記

僕が今の仕事を始めようと思ったのは、
四人の男の子のうち、次男坊をビデオに撮って、
それをスロー再生したところにBGMを付けて編集をしたのだが、
これが気に入って、会社から帰ってきて、
毎日のようにそれを見たのがキッカケだ。

スロー再生という効果が「かわいらしさ」を強調してくれたのだと思う。
実物を脇においてそのビデオを見ているうちに
なぜ、本人よりビデオの中の息子の方がかわいいのか・・・・・

そういう疑問がわいてきて、直感だったが、「これ売れる」と思った。
僕の子の映像は、僕だけに価値がある。
ここにTVのマス・コミとの決定的、根本的な違いがある。

これを商売するためには、どうすればいいのか?
まったく分からなかった。
実際、そういう商売はなかった。
結婚式をビデオで撮る商売がチラホラと立ち上がろうとしていた時代だ。

家庭用ビデオデッキの普及率がまだ30%になっていないころだった。

今から27年前、僕が28才の時にどうしても
「子供をビデオで撮って売る」商売をしたくて脱サラした。
35万のサラリーをかなぐり捨てて、
まったく商売になる当てのない今のこの仕事に挑戦しだした。

もし、僕が「消費主体」の人生を歩んでいたら、
決してこんなバカなことにチャレンジするわけがなかったでしょう。
僕は、建物や車といった「消費」より「生き方」にこだわったのさ。

当たり前だが、
最初の一年で挫折をした。
4週で28万円の失業保険が切れた。

それが不思議なことに、僕を奮い立たせることがいろいろと起こったんだな。
本人は、完全に諦めたにもかかわらず、
まったく不思議な方法で僕を「商売成立」に向けて誘導させられた。

こういうことで僕は、今の仕事があることに、自分の実力で成り立ったとは、
思っていないのさ。
僕は、脱サラをして一年で諦めたのに、
その翌年に、幼稚園のお泊まり保育の仕事が舞い込んできた。

僕の目指す仕事が具体的に分かった瞬間だった。
それでも生活費を稼ぐためには、それだけでは無理だった。
この仕事で食べられるようになるのは、夢のまた夢の話しだった。

バブル景気の最後の方の時代で、
零細のビデオ屋が成り立っていて、ギャラ仕事をもらって食いつないだ。
その事実上個人事業のビデオ屋を何軒も渡り歩いた。
僕は、このときに技術を身に付けたのさ。

僕は「ビデオ制作」について学びたかったが、
実際に写真学校の夜間のそれの学部に応募したが、
僕一人だけの応募だったので、先方から断られるということもあった。

ならば独学で制覇するしかない。
そういうことで生まれた「映像論」がこのHPの別項にあるとおりとなった。
それは、僕自身が学びたかったことをまとめたものだ。

僕の30才代の成長になった。

脱サラをして、7年目ぐらいだっただろうか、
幼稚園の年間を取材したビデオを作っていたビデオ屋に出くわして、
商売にならないらしく、その仕事を僕に引き継いでくれた。

H3年度、その仕事を引き継ぎ、
年間の行事だけではなく、1本のドキュメンタリーとして取材をしてまとめたものが出来た。
これが「卒業ビデオアルバム」だ。

それを見本に営業展開をして、
商売が成立した。


僕が「消費」ではなく「成長」を目指せと訴えている根拠は、
こういうことでだ。

そして、社会人一番最初の「成長」は、つまり「自立」ということさ。
僕は、18才で自立をした。

だからこそ、
30才では、30才なりの
40才では、40才なりの
そして50才では、50才なりの成長を目指せるのさ。

簡単ではないからこそ、本物の面白さがある、それが人生の楽しみ方だ。
「快適な生活」に溺れていると、そこには「成長」が止まってしまうようにできている、これが人生の仕組みだ。

そういう「消費主体」の生き方は、福島の原発事故につながった。
僕には、そう思えてならない。

僕は、商売を立ち上げる上で学べたこのことを、
ナント、子育てでも同じであることに気付いてしまった。
僕の40才の成長だった。
そこで「父性教育」の重要性を訴え始めたわけだ。

僕は、死んでもこれを訴え続けるさ。
これからの時代を生きていく子供達のためにね!


11/11/09(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕の四人の男の子のうち、下二人は、親子キャンプで
最後の仕上げは、「ソロキャンプ」をさせた。
三番目の子は、
もうそのころ20才を過ぎていたので、完全にソロで行動させた。

僕は、18才で自立をして関東平野を自分の庭のようにサイクリングをしていたから、
子供にこういう体験をさせることが出来た。

末っ子の場合、
まだ高校生だったので、まったく一人というわけにはいかなかった。
そこで、同じキャンプ場にそれぞれサイトを離して「ソロ」に近い状況を作った。
このときには、僕も「ソロ」だったわけだ。

8石の米をどううまく炊けるのか、苦労をした。
つい最近、少量の米が炊けるコッヘルがあるのを知って、
それを買ったさ。

末っ子のソロキャンプの様子は、ここの書き込みのどこかにある。
「キャンプ」に関して総て子供に実行させた。

キャンプ場の下見、
計画書作成、
実行、
感想文、

こういう流れを身に付けられるようにしたのだが・・・・・
どの程度身に付けたかは、分からない。
でもこの体験を通して、明らかに「自立」に向けて心が育ったと思う。

若いお父さん、
「子育てのための親子キャンプ」の大雑把な年齢別目標は、こうするといい。

子供が就学前、
散歩程度で十分だ。
ただし、回数はたくさんするべきだろう。
僕は、末っ子の場合、毎朝1時間以上の散歩をしていた。
子供の手をシッカリ握って(スキンシップ)、いろいろなものを発見して(言葉掛け)歩いた。

小学校1〜4年生、
デイキャンプをたくさんやろう。
子供の様子をよく観察する。
そして、子供ができそうなことをドンドン作業をさせよう。
このときに、必ずお父さんが「よい作業見本」を見せる。
子供は「真似っこ」で覚えていくからだ。

小学校5年生〜中学生
いよいよ、本格的なキャンプを体験させる。
初めは、一泊だけで回数をたくさん体験させよう。
中学生では、キャンプにおける総ての作業が出来るように育てよう。

キャンプ用品は、初めは市販品を使うが、
次第に、それらを工作できるようにしていこう。
テーブル、椅子、タンク台、
SCCのオリジナル工作物「竹ハウス」が建てられるようになれればいい。
これは作り応えがあるよ!

子供に作る面白さを体験させよう!
子供にロープワークを教えるためには、
父親自身がそれまでにロープワークをマスターしなければならない。

初めの一つを覚えるのは、本当に大変だけど、
一つ覚えると、不思議なほどその後はスラスラ覚えられるようになったものだ。
たぶん、ロープワークが面白くなると覚えるのが早くなるのだろう。
このことは子供の「学習」にも当てはまるぞ。
これは子育てで非常に重要なヒントだ。

高校生、
ソロキャンプにチャレンジしよう。
ここまで出来るかどうかは、父親の指導力による。
だから、父親もシッカリと「成長」していこう!

想像してみてください。
息子がソロキャンプできるようになる姿を!
たくましいでしょう!

「親から自立」をするリハーサルとして最高です!

泊まりのキャンプをするようになったら、
焚き火を囲んで子供に「夜話」を父親が語ろう。
ここが、ここのところが本当の子供の心の育ちになるぞ。

父親自身で「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を子供に話しをするのさ。
父親ならではの「子育て」を実感できるよ。

こうして子供を自立に向けて育てるといいのさ。
さぁ、実行してみよう!
父親の実行力を子供が真根っこして覚えるよ!

父親なりの子供が育つ。
父親が本当の大人に成長できた分、子供の心が育つ。
実行すればこの意味が良く分かるようになれるさ。


11/11/08(火)朝 Snowmen Camp Club

11/22(火)〜11/23(水) さぎ山野営場でキャンプします。

市販のキャンプ用品ではなく、

キャンプグッズを工作して使います。

ぜひ、興味のある方はこの機会にご見学下さい。お待ちしています。

(見学希望の方は、必ず事前にメールでお申し込み下さい)


11/11/07(月)朝 キャンプじぃじの日記

僕が提案をしている「親子キャンプ」は、
もともとは、僕の子が発達障害で、それを乗り越え
どう自立できるのか、
本当に必死に考え実行をしてきたものだ。

当然のことながら健常児を自立に向けて育てるのにも非常に有効であるわけだ。
ところが、
よく今の日本社会をみると、
そもそも親自身が子供を「自立」させる気がないことが多いということに気付いたんだな。

なぜ?
それは日々の「快適な生活」に大いに関係していると僕は思った。
人生の目標が「快適」という「消費」に大人が夢中の状態・・・・・・

親も子も「自立」は、「快適」ではないから無視する・・・・・
いつまでもそんな社会が成り立つわけではないと思うのになぁ・・・・・・
その「快適」の飽くなき追求の末、
うつ病が増え、自殺者が年間3万人になる温床になっているのにねぇ・・・・・

ネットで「統計 自殺者」を調べてみると、
圧倒的に多いのが「無職者」と出ている。
つまりニートや引きこもりだ。

もしかしたら、一つの会社に依存していて、
リストラされたまま働かなくなった人も・・・・僕の友人にいる。
ソイツは、30才代でリストラされたまま引きこもった。
どちらにしても、「自立」出来なかった人たちではないのかな?

そこで僕は、
「消費」で頭が一杯だと「成長」が止まってしまう。
「成長」がないので「幼稚な大人」になってしまう。
と訴え始めたわけさ。

そうではなく、人生の目標を
「成長」に求めよう!
他人と比べて優劣を比べるのではなく、
ここ、非常に重要だ、
自分自身が、今までよりどれほど「成長」できたのか、
ここを目標に「学ぶ」人になれれば、人生に必ず「感動」を味わうことが出来る。
こうも訴えてきた。

つまり、人生の価値観を「消費」から「成長」へ変えるのさ。
親にとって、その一番美しい「成長」・・・・・
これが「子育て」ということなのさ。

若いお父さん、
仕事で忙しくて「子育て」ができない、
なんて古典的な言い訳をまだしているのかい?
もし、そういう言い訳をしているのなら、
それでは、なぜ仕事で忙しいんだ?

要するに、たくさんお金を手に入れて「家」や「車」を買いたいんだろう?
だから、そこの意識が「消費」主体になっているのさ。

僕は、このことに40才ぐらいのときに気付いて、
生活は苦しかったけど、仕事量を減らしたんだよ。
そして、BSのリーダーをした、子育てのためにね。

自分の子の心を鍛え、自立に向けて育てるために仕事量を減らした。
それで、その活動を年に70日もしたのさ。
同じことをしろと言いたいのではないさ。

人生の目標を「消費」から「成長」に変えてみて欲しいのさ。
そうすりゃ、子供とたくさん遊ぶ時間が出来るはずだ。
そうしてお父さんが子供と遊ぶことで、「父親」も「本当のオヤジ」に成長できるのさ。

子供も若いお父さんも共に成長できるものが「子育て」なのさ。
そこに本当の人生の感動があるんだよ。
本当だよ、
「物」なんかでは決して味わえない心が震える感動がそこにある!

「家」でも「車」でもそれは、本質的に「快適」が目当てでしょう。
さぁ、「快適」という消費から脱却して「成長」を目指そう!


11/11/06(日)朝 キャンプじぃじの日記

若いお父さん、
男の子にとって、小学生の頃にお父さんとたくさん遊ぶ体験はとっても大切なんだよ。

僕は、中学生、高校生、では、相当なインドア生活をしていた。
それなのになぜ、今、こうしてアウトドアーの遊びを若いお父さんに伝えたいのか・・・・・

それは、僕が小学生での体験があるからだ。
そのころ、僕は毎週のように父親にドライブに連れ出されていた。
父親は東名高速が好きだったようで、飽きるほどそこを走っていたのを覚えている。
行き先は、海、沼、が多かった。

強烈に覚えていることは、海縁で電気浮きで釣りをしたこと。
夜中中、その浮きを見つめていたことを覚えている。

これは印旛沼だったと思うが、
ゴムボートにテントを張って浮かべたこと。

子供ながら、父親はなんてバカなことをしているのだろうと思った。
どこをどうやったのかは分からないが、
本当に、ボートにテントを張った。
そして、その中で一晩を過ごした。
朝方、「カラス貝」を足で獲ったことを覚えている。

僕はそのころ父親に「自在結び」を教わった。
それは、ちょっと間違えていたことをBSリーダーになって気付いたこともある。

まだたくさん妙なアウトドアーを体験していた。
こういう僕の体験が、子育てで復活したのだと強く思う。

子供は、「真似っこ」でいろいろなことを覚えていくものだよ。
小学生の男の子にとって、父親は、「男」のモデリングになるのさ。

このときに、男の子が母親にべったりだと、
つまり、その子は「女」を真根っこした生き方になりやすいだろうことは、
想像できるでしょう。

逆に女の子は、台所で母親をモデリングすることで、
「家庭の味」を伝承していくものでしょう。

ナヨナヨした男は、父親の真根っこの機会が
たぶん少なすぎたのが原因だと思えるね。

さぁ、雨の中でもデイキャンプはできるぞ。
むしろ、雨の中こそ子供の心を鍛えるのには都合がいいんだぞ!
僕は、雨でも雪でも、
子供をアウトドアーに連れて行ったさ。
僕が小学生の頃、父親にしてもらったように子供にするものだ。
すごく面白かったさ。

若いお父さん!
その行動力を子供が覚えるぞ!
雨の中でタープを張ってカレーでも作って食べてきなよ、子供と一緒にね。

本当に、そうして父親の真根っこをして「生き方」を男の子が覚えるよ!
間違えないさ、これは僕自身の体験だから、よく分かるのさ。

学校では教えてくれない。
こういうことなんだよ!


11/11/05(土)朝 キャンプじぃじの日記

若いお父さん、
子供におもちゃを与える影響があるのを知っているだろうか?

子供が欲しがるままにおもちゃを与えてしまうことは、良くないのを知っているかい?
もっとまずいのは、子供が欲しがってもいないのに、次から次へと新しいおもちゃを買い与えることだ。

そういう子育ては、将来、「新しい物」に執着しやすくなる。
それでいて「物」を粗末にするようになりやすいぞ。

一つのおもちゃをいつまでも大切にして遊ぶことを教えような。
古くからある「プラレール」は、僕は何回も子供に買ったものだが、
あれは、とっても人気があるね。

それは、「レール」を組み立てて「ルート」を構築するところに面白さがあるのさ。
それは、「工作」に共通する創作だと思うよ。

僕は、中学、高校、と暗く部屋に閉じこもっていた。
今では考えられないな。
何をしていたかというと、
それは、プラモデルを作っていた。

ただ、組み立て説明図通りに作るのではなくて、
例えば、
タミヤの1/35シリーズの「タイガー戦車」というのがあったが、
車輪は、もともとは一体成型だが、それを全部サスペンションが効くようにしたり、
砲塔、砲身、もリモートコントロールで動くようにしたりと
「改造」マニアだった。

またそのころ、3o角の大きさで三方向のちょうつがいを作ったりもした。
「キューベル・ワーゲン」というドイツのジープのドアに使う。
10ヶ作って、成功するのは1ヶの確立だった。
友だちにそれを「輸出」したりして遊んでいた。

今、思うとそのこだわりが、ビデオの編集や
新しい撮影方法を編み出す力になったと思うんだな。

だから、子供には、
完成したおもちゃではなく、脳みそを使うおもちゃ、
プラモデルもよかったし、ジグソーパズル、知恵の輪、
手品のグッズ、将棋やその他考えることのできるゲーム、
でもテレビゲームは、いいとは決して思えないけどね。

まぁ、音楽や絵画、読書、そういった心に響くもの。
心が豊かになる映画。

「浪費」につながる完成したおもちゃは、子育てに必要ないさ。
そういうことで、
SCCのキャンプでは、キャンプグッズを工作するようにしているのさ。

人類は、二足歩行で「手」が自由になって、
この「手」でいろいろなものを作るようになったのさ。
それで大脳新皮質が発達していったと聞く。
食事に使う「箸」、これも大脳を刺激するそうだ。

さぎ山野営場に見学に来れば、
物置とその中にある棚、
「竹ハウス」という大型テント、その中には、
テーブル、椅子、簡易ベッド、タンクの台、が工作物の見本であるのさ。

僕が「工作」にこだわるのは、こういうことでなのさ。
今日は、その僕のおもちゃの内、
一番でかいさぎ山野営場の中を整備しに行くのさ。


11/11/04(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、一日中仕事だったのでネタがない。
それで、一昨日の話し。

一昨日は、さぎ山野営場の整備を朝8時半から12時ごろまでしていた。
道路に沿ったところの落ち葉を熊手で拾い集め、
それを一輪車で山の中に運び、
仕上げにブロアをかける。

気合を入れて、そこを一気に綺麗にした。
山の中は、手付かずだ。

そんな作業中に、2才の子二人、3才ぐらいの子二人を連れた保母さんらしい方二人
が手入れしたてのところでドングリ拾いをしていた。
たった今、綺麗にしたからそれはあまりないさ。

僕は作業をしながら、その子たちの近くに来たときだ、
3才ぐらいの女の子が、「こんにちは」と挨拶をしてきた。
とってもかわいいんだな。

そこで保母さんらしい方に、
「この近所に保育所があるのですか?」と尋ねたら、
すぐそばの大きな病院の託児所の先生なんだそうだ。

だから、平日は幼稚園に行っていないほんの少しの子を預かるのだそうだ。
そして、幼稚園が休みの土曜日には、たくさんの子を預かるという。

僕は、挨拶をしてくれた子に
「これから山を探検をしよう、さぁ、行くぞ、エイエイ、おぅ〜〜〜」と声掛けした。
ということで、
ご一行様を野営場案内をしたのさ。

初めだけ、ほんの数メーターばかり階段がある。
このぐいらいの子供達にとっては、「大冒険」の雰囲気が十分だろう。
もっとも2才の子には、何が何だかサッパリ分からない様子だったが・・・・・
また、そこが面白い。

最初にボーイ隊の本部サイトを案内した。
ボーイ隊のサイトは、少し離れているので端折った。
本部サイトには、薪割り場がある。

先生がそこで釘付けになったので、
薪割りの実演をして見せた。
子供より、先生達が驚いていた。
そこに山盛りになっている薪は、全部僕が割ったことを話した。
じぃじでもちょっとカッコつけられたね。

そして、SCCのサイトを案内した。
倉庫、竹ハウスや、そこにあるテーブル、簡易ベッド(まだ使っていない)を見せて、
全部、工作物であることを話した。

ここで大きい子供達がキャンプをしていると伝えたら、
今度、年長さんを連れて来られたらいいというようなことを先生が言うので、
僕は、ぜひ来て欲しいと「野営場の利用」を売り込んだ。
まったく想定外の新規開拓だ。

ご一行様が一通り見学をして帰っていくとき、
その子たちが、遠くになって小さく見えるぐらいのところで、
その女の子が、「また会おうね、バイバイ」と手を振ってくれた。
滅茶苦茶かわいいよなぁ。
その小さな女の子と一日中遊べたら幸せだろうね。

本当にまた遊びに来てくれたら、とってもいいよなぁ。
普段、道満グリーンパークでやっている「親子で工作」の
ドングリ人形や枝ハンコウを楽しんでもらえるさ。

思いも寄らないワクワクする一時だったな。
神様からの労いのプレゼントさ。


11/11/03(木)朝 ビデオマンの日記

今日は、今年度最初の幼稚園の発表会を撮る。
「一人3カメ」だ。
昨日、その仕込をした。

3本の映像は、「音声波形」で合わせる。
ミキサーからそれぞれのデッキへ同じ音声を送る。

マイクは、緞帳の上部にある縁に「プレッシャー・マイク」を2本仕込んだ。
(ここは、カーテンレールのノイズが入らない構造だからできた)
そしてラインを1本、計3入力だ。
「一人3カメ」なので、音声の調整は、本番中には無理だ。
だから、今日、早く現場に行って、
バランスをとる。

正直なところ、ほとんど勘に頼るしかない。
あとは、運命か?
ともかく「セリフ劇」で声の小さな子でも
なんとか、「声」を拾えるのが目標だ。
多少の過大入力は、ミキサーのコンプレッサーに頼る。

僕は、基本的に「モノラル収録」だ。
一人では、ステレオの管理が出来ない上、
モノラルでクレームになることがない。
音楽系のステージでは、そうはいかないだろう。

僕が使っているマイクは、
指向性の「ゼンハイザー」、PZM、無指向ダイナミック、
ピン・ワイヤレス、
これらを現場に合わせて使い分けている。

とくに「PZM」は、天井や壁に貼り付けるという技が使える。
僕のは、これの開発メーカーでアメリカ製だが、
今は国産でもあるはずだ。
幼稚園の発表会では、とっても重宝するマイクだ。


11/11/02(水)朝 復活サイクリストの日記

毎日、おばばを仕事場まで送迎をさせられているわけだ。
うちの「社長」は、偉そうに助手席で楽をしているんだな。
それで、ムシャムシャ食べてりゃ、誰だって太る。

そこで、昨日は、「行き」だけでも自転車に乗って運動しろ。
と僕が健康を思って親切にアドバイスをした。
ハッキリ言って、運動不足解消になるほどの距離ではないが、
まったく運動をしないよりは、マシだ。

おばばは、僕が死んだ後も生き延びるつもりらしく、
昨日は、自転車で朝、通勤をした。

それで、朝の送迎分の時間ができたので、
オーサリングの仕事を朝一で終わらせた。
仕事熱心でしょう。

目標がある仕事は、サッサと片付けられるさ。
それで昨日は、その後フリーになれた。
ラッキー。

もとい。
その後、西へ17`行った所に納品をしに自転車で行った。
その後、フリーになった。
青空が「行け、行け、GO! GO! 」とうるさいんだな。

しょうがないさ。 そこからもペダルを踏んだ。
とりあえず、荒川を渡るために R-298 を西へ向かう。
川を渡るところから富士山が見えた。

僕は、山岳信仰を持っていないけど、
でも富士山を見ると、何か得をした気分になるのは、何でだろうか?
秩父連山のシルエットも雄大に見える。
気分最高さ。

11月だというのに、暑いのでワークシャツを脱いでTシャツ姿で走る。
「和光市駅」に着いた。
始めてこの駅を見た。
駅の名前に「市」が付くのは、何でだろうね?
ここの住人は、よほど街に誇りがあるのかね?

線路をくぐって駅から西へ向かう。
すぐに並木道になって、とってもいいロケーションになった。
そこにある小さな公園で、
朝、食べ損なったバナナ1本を補給したさ。

そして、次に大きな公園にブチ当たり、その中を走った。
ここもとっても綺麗だ。
街の人たちが青空に誘われて、思い思いに公園で過ごしていた。
中には、簡易ベッドで「朝寝」をしている人も・・・・・

どこをどう走ったのか、
気付いたら、自衛隊の朝霞駐屯地の裏側にいた。
僕は、2年前ぐらいにここの中にあるお土産屋さんで
腰からぶらさげるサイドバッグを買った。

山仕事に、機材の仕込みに、遠足やお泊まり保育に、
便利に使っている。
チョッと、仰々しいけど、便利なのさ。

そのまま西へ向かって走っていたら「黒目川」に出た。
そこれに沿ってさらに西へ・・・・・
「東久留米駅」の脇に出た。

面白く美しいので、ドンドンと川に沿って西へ向かう。
遠目に秩父連山だろうか、チラチラと見えて旅情を誘うんだな。

いくらでも走って行けそうだったが、
できたら、日没までそのまま走っていって、
どこか旅館に泊まりたい衝動を必死にこらえて、
途中で北上した。
一般道に出て、しばらくしたら「水道道路」という道に出くわした。

この道は、この間の幼稚園の芋ほり遠足で走ったところだ。
確かに地理的に、たぶんすぐ近所にその芋畑があるところだった。
もちろん、ご縁のある道を走ったさ。

そうしたら、今度は、「野火止用水」というのに出くわした。
その用水に沿って小道があるので、そこを走る。
とっても狭いけど、「旅路」の雰囲気は、十分にあったさ。

その頃、お昼時になって小腹が減った。
とってもいいタイミングで「焼だんご」ののぼりが出てきた。
峠の茶屋に着いた気分だ。

団子を二本注文した。
28才の若いイケメンの人が、なぜかだんごを焼いてくれた。
妙なミスマッチだ。

のぼりやのれんを良く見たら、それは手作りだった。
それでも「ちぎれ」なんかは、プロの手で縫った感じがする。
赤い生地に文字は、ペンキを塗ってある。
でも書体はしっかりしていた。

僕は感心をして、中にいるお兄さんに褒めたね。
だんご、とっても素朴な味でおいしい。
それで、ヒョとしたらと思ってそのお兄さんにこう尋ねた。
「のぼりだけではなくて、団子の生地も手作りかい?」

お兄さんは、米の粉を練り上げて作ったと言っていた。
HPを持っていないそうだが、紹介しよう。

「焼だんご」(屋号) tel 048−477−8819

もっと書き込みたいけど、タイムオーバー! おしまい。


11/11/01(火)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、西へ17`行った所に追加注文を届けに行く。
天気のコンディッションはOK。
当然、自転車で行く。

オーサリングという作業をしなければならないので、
大人しく納品をしたら帰らなければならない。

頼むよ、大人しく帰っておくれ・・・・・
ちょっと心配さ、自分の行動がね。