スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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「パパ&ママ子育てフォーラム」 担当: 吉村 日出男 先生

学校の成績という狭い教育ではなく、
小学生から成人までの子育てについて、
「一人の大人」に育てる上での親の心構えや、子育てのヒントを伝えます。
ますます増え続ける「ニート」や「自殺者」の問題を分かりやすく解説。
いくら学校の成績が良くてもニートに育ててしまっては、その教育は何の意味もありません。
今、日本でニートなどは、240万人もいます。 他人事ではありません。

日時:H24年4月28日(土) 10:00〜11:30(予定)
会場:萩原第一幼稚園 遊戯室 埼玉県越谷市「越谷駅」徒歩3分

お子さんが、卒園しても、他園に通っていても、お誘いの上ご遠慮なくご参加下さい。
(この企画は、幼稚園の催事ではありません)

講演料:お一人様1,500円 ご夫婦お二人様2,000円

                       主 催 :  鞄本経営教育研究所

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」で
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」で
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12/4/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

「子育てフォーラム」では、
まず初めに母親に「父親の子育て」の必要性を訴えるものにして、
そこで、次に、
主に父親に向けたフォーラムを開催しようというガイドラインだった。

その二つのフォーラムで話が完結する。
そして、最後に「子育ての体験日帰りキャンプ」を案内して、
そのフォーラムの「実技」に結びつける予定だったが、
不発に終わった。

しかし!
これとはまったく別に、
さぎ山野営場から歩いてすぐのところにある教会の塾に子供が通っている親子が
「子育ての体験日帰りキャンプ」に参加をすることになった。

スペースの都合で、max4家族募集のところ、5家族も今日、集まるようだ。
評判がよければ、
フォーラムなしで、僕の一番目指しているこの「実技」が定例化できるかもしれない。

ものごと、どんなことでも思ったようにはならないけど、
神様の許しがあれば、
こうして目標を達成することがよくあるものだ。

それはいつも不思議な歩みだが、
いつも結果、オーライなんだな。

僕の仕事もそうして立ち上げることができて、
商売を継続もさせてもらってきた。
本当にいつも不思議な方法で成長をさせてくれるんだな。

今日は、教会の塾に集う子供の家族に
「子育ての体験日帰りキャンプ」の真意が伝わりますように。
「キャンプ」そのものが目的ではないんだな。
「子育て」がどうあるのか、それを体験して欲しい。


12/4/29(日)朝 キャンプじぃじの日記

明日、さぎ山野営場で「子育ての体験日帰りキャンプ」を実施できそうだ。

さぎ山野営場でキャンプをするときに、
日曜日には、そこから歩いてすぐのところのプロテスタント教会で礼拝を守りに行っていた。

それで、そこの牧師先生と意気投合して、
この企画が立ち上がったんだな。

その教会での塾に通っている子供とその親が4組みも参加してくれるようだ。
このキャンプはこうだ。

午前中、子供たちが昼食のカレーの食材の買出しに行く。
その間、親に工作物の特訓を僕が行う。
そして、子供たちでカレーを作ってみんなで昼食にする。

午後から、親自身が自分の子供に工作を教える。
このことで、親に子供との交流の楽しさを味あわせる。
簡単に言えば、「父親参観」のノリだ。

今まで戸田市での道満グリーンパークで「親子で工作」をしてきたが、
それのままでもある。
ただ、親子を巻き込んだ企画でさぎ山野営場を使うのは、初めてになる。

SCCでやっと、このキャンプ場を有効活用することになった。
今日は、これからその打ち合わせを兼ねて、そこの礼拝に出席して、
午後から、その準備をするさ。

なんだかとってもワクワクするんだよね。 とっても楽しみだ。
自分の消費しか頭にない人がいるけど、
そういう人は、本当に気の毒だ。
もっともっと、人生には感動と生きる豊かさが味わえるのにね。

なんで、こんな面白い人生を神様は、この僕に与えてくれたんだろうか・・・・・
べつに、立派なことは何もしてこなかったんだがね、不思議だ。

せっかく生きているのに、この面白さを味わえないなんて、
それじゃ、もったいないんだけどなぁ・・・・・
物や金に目がくらむと分からなくなってしまうんだろうなぁ、きっと。

明日は、親子で本当の人生の豊かさを味わえるように頑張るぞ。
さぁ、その準備をするぞ。
なんて面白い人生だ。


12/4/28(土)朝 キャンプじぃじの日記

日本は今、「バブル景気」ではないんだな。
でも生きる感覚はそのときのままでしょう。

「普通にしていれば大丈夫」

「今頃は、大学をでるのが普通だから、
      普通に大学さえでれば大丈夫」

そこで子供が真剣に学べば非常にいいけど、
夜遊びを覚えてしまったら、どうなると思いますか?

享楽だけを身に付けてしまったら、そんな子育てをしてしまったら、
どんな大人になってしまうのか考えてみよう。

日本は今、「サバイバル経済」真っ最中なんだな。
そこに必要なのは、「危険」をどう乗り越えられるのか、
その能力を鍛えるべきでしょう。

東京電力に勤めている人の中には、
「これで一生涯安泰だ」と思った方もいたでしょう。

郵便局に勤めた人の中には、
「これで一生涯安泰だ」と思った方もいたでしょう。

古くは、
国鉄に勤めたからこれで一生涯安泰だ、と思った人たちがいたようです。

そして、未だに「一生涯安泰」を求めて殺到する「就職感」でしょう。
また、親がそういう子育てをし続けているでしょう。

そういう子育てを受けてしまった子供が
どうやってこの「サバイバル経済」を堂々と生き抜いていけるのでしょうか?

僕は、ただの高卒だけど、このことが、こういう子育てに、
問題を感じるんだがなぁ。
なんで、このことに危機感がないのかなぁ・・・・

僕は、ただの高卒だけど、
その年齢、年齢、で自分なりに、自分でできることで「成長」を目指したのさ。
18才で自立をして
20才代で実社会での「営業」を覚えて、
30才代で「卒業ビデオアルバム」の制作で飯が喰えるようになり、
40才代で、命がけで子育てを学び、実践して、

それで今、仕事のある隠居生活をしているのさ。
適当に刺激があって面白いし、
それでいて自由な時間がタップリあるという隠居生活を思いっきり楽しめるようになったのさ。

自分で信じられないような「豊かな人生」が与えられたんだがなぁ。

「普通に大学をでる」のではなく「成長し続ける」事の方がよっぽども大切な生きる感覚ではないのかね。

「幸せは、それを感じ取る能力」であること、「物」ではないこと、

「自分の消費で頭がいっぱいの人は、心の成長がみごとに止まってしまう」ということ、

「消費ではなく、成長にこそ生きる本当の感動がある」ということ、

これを子供に教えていった方がいいと思いませんか。
そういう子育てをしようではありませんか。

「人生の危険を乗り越え、乗り越え、無我夢中で生きる」
    ことを身に付けられる子育てをしようではありませんか。

厳しく、粗末な、大自然の中でのキャンプ生活をタップリ体験させれば、
これらの「生きる感覚」が鍛えられるんだな。
さぁ、「子育て」を強く意識した「親子キャンプ」をやってみよう!


12/4/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、貧乏だが今のところ貧困までには至っていない。

もちろん、金持ちになる見込みは、まったくない。

貧困でも金持ちでもない中道を行く。

なんでもバランスさ。

両極端には、必ずどこかに歪ができるものだ。

自分の仕事量と子育ての時間。

これだってバランスさせるのが重要さ。

子育てをおろそかにして、晩年辛い思いをするのは、

若いお父さん、他でもないあなただよ。

子供は小さい内は、親に従順だけど、

健全に育っていれば、子供が「反抗期」を迎えるようになる。

もう一度言うよ。

子供の健全な成長には、「反抗期」がある。

それが浅かったり、なかったりしたら、

それこそ、その子が中年になって心のトラブルの温床となるんだよ!

子供の様子を小さい内から、シッカリと見極めていて、

それで、その反抗期の対応が親として出来るようになれるからね。

子供の「反抗期」は、他人任せにしたくても、

できないからね。


12/4/26(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第六話。

僕は、写真屋さんでアナログのマルチカメラの調整と、録音技術を覚えた。
次の小さなビデオ屋さんでは、
照明技術を学んだ。
そしてそのころ、通信教育でシナリオ作成講座も受けていた。

またフリーに戻ってキンダーで幼稚園のお泊まり保育を一気に10件撮った。
そこで、この仕事は、「成功報酬」「興行収入」ということを「知っている」のではなく、「分かった」。
大人の体験学習だ。

収入の目安がとれないでいたら、
女流のカメラマンに小さな別のビデオ屋さんを紹介してもらえた。

そこは、今はもう無くなったアサミカラーというラボ屋さんとくっついていた。
そのラボ屋さんでは、街の写真館や、
学校のスチルの卒業アルバムを手掛けている写真屋さんを得意先にしていた。
当時、関東平野ではトップクラスのラボ屋さんだった。

そのラボ屋さんは、写真屋さんが取引している幼稚園の発表会のビデオ撮影を代行するサービスをしていてた。
その小さなビデオ屋さんは、そのラボ屋さんの下請けをしていたわけだ。

いきなりその年の冬に僕は、そのビデオ屋さんから17件だったか18件の幼稚園の発表会のギャラ仕事をもらった。
それまでのいろいろな技術が買われた。
一人で、撮影だけではなく一通りのことが出来るのは、小さい現場では重宝されるんだな。

つぎの夏には、そのビデオ屋さんをとおして、キンダーのお泊まり保育のビデオ撮影を受けた。
7件だったか8件のお泊まり保育を取材した。
でもまたグロスで赤字になってしまった。

商売を立ち上げるのは、簡単ではない。

今、「子育てフォーラム」を商売として立ち上げようとしている講師がいるけど、
僕は、それの後方支援をやっているけど、
彼は、サラリーマンなので商売の厳しさを十分にはまだ「知っている」のではなく「分かって」いない。
彼を叱咤激励するのも後方支援のうちでやっているさ。
これを、失敗を、たくさん乗り越えることで「本物」になれるんだよなぁ。

いやにならない。 諦めない。

僕は、お泊まり保育の売り上げが思うように上がらないので、
そこを辞めた。
振り出しに戻った。
でも僕は、諦めなかった。

つづく


12/4/25(水)朝 キャンプじぃじの日記

炊飯器の炊き上がったことを知らせる電子音・・・・
「アマリリス」が4:40amごろ鳴って、
おばばがそれで目を覚まして電気をつけた。

なにも僕を巻き添えにすることはないだろうになぁ。

まったく・・・・今、眠い。 あぁ、眠い。 非常に眠い。

そういう「機械」に人生を振り回されるなんて最低の朝だ。
「物」を手に入れるために人生を棒に振るのと同じではないですか。
「物を手に入れる」ために不自由な人生・・・・・

なんでそういう生き方をしてしまうのだろうか?
親に「こんないい物を手に入れて幸せだね」と教わったからかな。

無意識の内に「快適」「簡単」「気楽」な生活が「物」で手に入るので、
それで嬉しくなる・・・・・かな。

過度な「快適」「簡単」「気楽」な生活に溺れて生きていて、
少しでもそれが脅かされると、恐怖になってしまう、かな。

バカバカしい。
たくさんキャンプをすると、生活に必要な最低限のものが見えてくる。
不必要な「物」に振り回されて生きている人を見て、
本当に気の毒に見えてくる。

「物」は、少なければ少ないほど、「自由」に生きられるようになれるのにね。
どうしても、「物」にしがみ付いて生きていなければ気がすまなくなってしまうのは、なぜだろうか。

「断捨離」という本は、そこのところをするどく突っついているのさ。
「物」に支配されている「心」に警鐘を鳴らしているのさ。
それに気付き始めた人々も、その本がヒットした分、多くなってきたんだろうなぁ。

「物を手に入れる」から「自分の子は自分で育てる」という人生に替えていくことに気付いてもらいたいな。
僕は、個人事業で仕事をしているが、
「稼ぐ」から「子育て」にスイッチした人生のターニングポイントがあった。
それは、僕が40才の時だった。
本当に、その意識改革が重要だった。
僕はその時に、子育ての本当の面白さを知ったさ。

いくら「物」や「金」を手に入れても、
いくら商売が繁盛しても、
子育てがまずければ、人生の終わりで後悔ばかりになっちまうよ。
本当さ。

炊飯器に起こされるなんて・・・・最低、眠い・・・・


12/4/24(火)朝 キャンプじぃじの日記

末っ子がまだいた頃。

子育ての仕上げに「ソロ・キャンプ」をやらさせていた。
「ソロ」と言っても完全ではない。
現場には、資材運びと万一に備えて僕もいた。
ただ可能な限り、僕と末っ子のサイトを離した。

当然のことならが、僕も「ソロ・キャンプ」だ。

僕は、今まで4合ぐらいの飯炊きは得意だったが、
1合以下の飯を炊いたことはなかった。

チタンでできた個人用コッヘルセットで米を炊くと、
どうしてもうまくいかない。
そこで、徹底的にそれを訓練したなぁ。
それは、ここの書き込みのどこかにある。

ついに、僕は奇抜な方法で米1合以下を、そこそこの出来具合で炊く方法を編み出した。
それは、
コッヘルの小さい方に米と水を入れて、
大きい方のコッヘルに少し水を入れて、さらに米と水が入った小さいコッヘルを入れる。
それで炊く。
つまり、二重構造にした。

そこまでにたどり着くのに何回も失敗を繰り返した。
10回や20回ではなかった。
ビデオ屋家業の癖は、自分で嫌になることがあるな、このコダワリがね。

まぁ、100点満点ではなかったが、グチョグチョでもなく、芯が残っているわけでもなく、
食べられるようになった。
ただ、やたらに時間がかかった。

そこまでして末っ子は、「自立」に向けて「ソロ・キャンプ」を繰り返し行ったんだな。
末っ子は、自分の意思で、自分の選んだ道で、人生を歩み始めた。
ちょうど、20才になったときのことだった。

僕は、「20才では、自立をした一人の大人の社会人に育てる」という子育ての目標をクリアした。
僕は、机上論を言うだけではないぞ。
ここの書き込みは、僕が「実行」したことを書いている。

末っ子もいなくなり、もうキャンプはやらないだろうと思っているところに、
ボーイスカウトの知り合いの隊長が突然、僕のボロアパートを尋ねてきた。

もういらなくなったキャンプ用品をあげると僕が言ったら、
まぁ、そうは言わずにもうちょっと遊びましょうよ、と彼が言う。
僕は、「絶対に制服は着ない」と宣言したが、それでも彼は諦めずに、
一緒にキャンプしようと言う。

くどいのは、僕だけではないことを知った。
そういうことで、ウロチョロと彼に誘われてボーイの子たちとキャンプをしているうちに、
なぜか、プライベートの「さぎ山野営場」をタダで借りられるようになってしまった。
ここらへんも総て、ここの書き込みのどこかにあるとおりだ。

結局、なにかにつけて僕はまたソロ・キャンプの機会が出来てしまった。
そこで、灯油のランプを修理するために東京のキャンプ用品の店に行ったときに、
少量の飯を上手に炊く方法を尋ねた。

店の人に、チタンでしかも薄くできたコッヘルは、
米を炊くのに最も不都合なものだと教わった。
チタンは、熱伝導が良すぎる上、薄いから余計に火力のムラが出来るという。
確かに、その炊きムラに苦労をした。

そこで、アルミで肉厚のある炊飯専用と言っていいもので、
少量のものが焚けるコッヘルを買った。
もう一年以上前になるかな。

今年もまたキャンプのシーズンを迎え、その少量の炊飯訓練に取り組んだ。
昨日は、ナント、4石の炊飯をした。
ほんの少し水が不足して、若干、米の芯が残ったところもあったが、
「カニの穴」ができたさ。 炊き具合はよかった。

何年か前に技術開発をしたそのノウハウがあるんだな。
いろいろあるが、画期的なのは、
最後の「蒸らし」だ。
コッヘル全体をタオルで覆っておく。

これで、「カニの穴」ができるのだと思うな。

今年は、10年以上使って、生地が劣化したテントを買い換えたし、
飯は少量を炊けるようになったし、
5月からは、「和食基本講座」のクッキングスクールに通うことになったし、

キャンプ道に磨きが入る年になりそうだ。

ボロアパートの貧乏生活だけど、人生はこうして豊かにするのさ。
というか、僕にとってこのボロアパートは、人生の仮住まいなのさ。
僕の住所は、天国にあると牧師先生が言っていた。

建物のために一生涯を使い切ってしまう生き方を見ると、
本当に気の毒に思うのは、こういうことでだ。
今の子供たちには、人生を生き生きと生きられるように、
キャンプをとおして教えていきたいよなぁ。


12/4/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、
おばばと二人で教会へ行った後にインド人がやっているカレーやさんでお昼にした。
最近、これがマイブームだ。

インド人のマスターもすっかり顔馴染みになった。
それで、僕が店に入るなり、マスターがお香をたきだした。
ゾウの絵の下に、ミニュチュアのそれと燭台らしきものがあって、
そこにライターで火をつけていた。

気になるのでそこまで僕は行った。
そして彼に説明を受けた。
どうやらヒンドゥ教のものらしい。

そのゾウは、神様の子供だそうだ。
日本でのヒンドゥー教の寺院は、池袋にあるという。
そこらへんのエピソードを説明してくれたのだけど、
片言の日本語とジェスチャーで、よく分からない。

かれは、ネットで調べれば出ていると文明の利器に説明を振った。
僕は、ボロアパートに帰って調べたね。

ヒンドゥー教が多神教であることは知っていた。
あまりにたくさんの神様がいるのでイギリス人が「ヒンドゥー教」と一くくりしたとも聞いている。

さて、そのゾウさんだが、名前は、ガネーシャという。
父、シヴァ神、母、パールヴァーティー、の息子ということだ。
ただ、
母パールヴァーティーが自分に忠実な息子が欲しいということで、
セックスレスで母パールヴァーティーの「アカ」から息子を作ったそうだ。
骨から女を作った話にちょっと似ているな。

母パールヴァーティーは、息子に入浴中、誰も入ってこないように番をさせた。
そこに、事の成り行きをまったく知らない、父シヴァが帰ってくる。

初対面の父と息子が、お互いにその事情を把握できなく、
小競り合いとなり父シヴァが息子ガネーシャの首をはねてしまう。

騒ぎに気付いた母パールヴァーティーが現場に行くと、息子の首がない。
母パールカーティーは、怒り狂ったという。
問題なのは、そのパールヴァーティーは、「戦争の神様」だったこと。

父シヴァも太刀打ちならない。
なんか、今の日本の男と女の力関係によく似ているよなぁ。
女々しい男は、女に媚を売っていないだろうか・・・・・
おぉ、コワ〜〜〜。

真っ青な父シヴァは、前の道に最初にやってきた者の首をとって、
息子にくっつけるからと許しを請うたそうだ。

そこにやってきたのが不運な「ゾウ」だった。
ゾウは、その首をはねられ、ガネーシャに与えられ、息子は生き返ったんだと。
それで、体が人間で顔がゾウの絵が飾ってあるわけなんだな。

余談があって、
そのゾウ、ガネーシャ神は、酒に酔って転んで右の牙を折ってしまう。
一部始終を見ていた「月」が大笑いをしてしまう。
怒ったガネーシャ神が折れた牙を月に向かって投げつけたんだそうだ。
それで、月の満ち欠けができたという。

こんな神話だ。
今度、マスターに会ったら意味が分かったことを伝えよう。

お香を焚いたところは、要するに「神棚」だったわけだ。
日本の神様では、お香はたかない。
でも発祥の地をインドにもつ仏教もお香をたくのは、そういうことでなのだろうか。
ちなみに、カトリックでも乳香をたいているようだ。

ヒンドゥー教のお香は、どうか分からないが、
仏教のお香とカトリックの乳香は、
どちらも、科学的に沈静効果があるのだと聞いたことがある。
古い人たちの生活の知恵は、とっても敏感ですごいよな。

いったいこの神話は、何を伝えたいんだろうかねぇ?
女の強さだろうか、
それにしても、なぜ父を仰がずに息子を祭るんだろうか、
分からない。 聞いてみたいよね、そこらへんをさ。


12/4/22(日)朝 キャンプじぃじの日記

吉村先生から借りた本を読んだ。
戦後の日本人は、「敗戦」でアイデンティティを失ったというような内容だった。

アイデンティティ
自己像
自己の確立

これは、一人の人間が生きていく上での「理念」でしょう。

同じ本にこうあった。
長期戦略を組み立てるという能力が日本人にはあまりない。
これは、アジア人、ラテン民族、スラブ民族も得意ではない。

これは、商工会議所での販売士2級を学んで覚えたことだが、
「理念」があって「戦略」が立てられる。
「理念」なき「戦略」は、ありえない。

ということは、「戦略」ができなくても
戦前の日本人は、「理念」があった。
ということになるのだろうか?

現実的は、「理念」があっても「戦略」がなければ「実行」も「具現化」もできなく意味がなくなると思うな。

「理念」と「戦略」は、どちらもあって初めて機能するものでしょう。

僕は、大企業の「理念」「戦略」を構築するほどの器はないけど、
個人事業を立ち上げる上でのそれは、実際に自分でやってきた。

これができなければ、「卒業ビデオアルバム」の商品開発、商品化、はできなかった。
これは、僕の実体験だから本当によく分かる。
このドキュメンタリーを「ビデオマンの日記」で始めてこの間、第五話を書き込んだ。
その書き込みに「理念」「戦略」がどうあるのかを読み取って欲しいなぁ。

新しいカメラを買って商売ができると思ってしまう幼稚な人がいる。
販売士の勉強をして「理念」「戦略」が立てられなければ、
いくら経っても「商売を立ち上げる」ことは、だから出来ないさ。
50才、60才を過ぎてもこれが分からない人が本当にたくさんいて、見てきた。

そこで思ったことだが、
本当に日本人は、もともと「理念」「戦略」があまりに出来なさ過ぎだ。
自信が持てないのは、アメリカのせいではなく、
「勉強不足」が原因さ。
これは「知識詰め込み」では、学べない。

それぞれの家族がどう生きていくのか、
それぞれの家族の「理念」「戦略」は、父親が担っている。
でも、それができない。 とっても苦手。

だから、見える物、家とか車に固執するんだろうなぁ。

そして、それらを手に入れるために長時間労働をする。
しわ寄せは「子育て」を直撃する。
こういうことではないんじゃないかなぁ・・・・・

僕には、四人の男の子がいて、
上二人がグレた。
そこで猛省して、商売を縮小、具体的には、
「卒業ビデオアルバム」の制作を10件まで伸ばしたが、
半減させて、「金」より「子育て」に集中した。
これこそ、「理念」「戦略」そして「軌道修正」だったんだよ、分かる?

「理念」「戦略」は、
「自立」するために不可欠なものだ。
日本はアメリカの属国と言われるけど、
そもそも「理念」「戦略」が嫌いだから、国が「自立」できないのは、当たり前の話でしょう。

日本という国が自立するためには、
そこに住む個人・・・・一人ひとりが「自立」出来なければならないよね。

「理念」「戦略」が苦手だ、なんてのんきなことを言っている時代ではないぞ!
バブル経済は終焉したんだよ!
今は、「サバイバル経済」真っ最中なんだ。
ここは、日本だ。 ブータンではない。
後戻りはできない。

そこに必要なもの、不可欠なもの、
それは、個人でも国でも「自立」だ。

その手法に「理念」「戦略」があり欠かせないんだな。

これが分からない家族は、これからのこの日本の現実社会では、非常に息苦しく生きていかねばならなくなる。
政治の問題だ、なんて、責任転嫁しても、現実は襲ってくるさ。

さぁ、どうする若いお父さん、
家長として、その責任をどう果たせるのかな?

僕は、個人事業で実行してきたぞ。
僕は、高卒で貧乏だが、それを学び、実践してきたぞ。

僕は今、ブータン王国の人々にやや近い「スローライフ」を楽しんでいる。
「自立」「理念」「戦略」を持ちつつも、
のんびりライフをエンジョイしているさ。
「貧乏生活」というのがキーワードさ。
せっかく生きているんだから「物が豊か」ではなく、
「人生が豊か」でなけりゃ、もったいないさ。

今日の話しは、難しすぎたかな?
分かったかな?


12/4/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夕方、おばばを仕事場まで迎えに行って、
それから銭湯へ行くためにボロアパートに寄ったら、
末っ子が帰ってきていた。

末っ子は、銭湯に行かないというので、おばばといつも通り二人で行った。
僕は、今日はさっさと風呂から上がれと言っておいた。

昨日は、金曜日、露天風呂に硫黄温泉風の入浴剤が入っている日だ。
僕のささやかな楽しみの日。
そこに浸かっていると、極楽浄土、いや天国に入れるんだな。

それで、自分で言っていて、さっさと風呂から上がるのを忘れてしまったさ。
それでも途中で思い出して、
僕にしては、珍しく40分で出た。
そうしたら、僕よりもよっぽども早くおばばも出ていた。

こうして、いつもより早く銭湯から帰って、
いつもの店「みさき」で末っ子の歓迎会をした。

何で「歓迎会」と言っているのかというと、
すでに僕の住むボロアパートは、末っ子の住むところではないということを「知る」のではなく「感じさせる」ためだ。

末っ子の故郷は、末っ子の心の中にある「思い出」の中に見出して欲しいのさ。
それは、たとえ津波でも無くすことのない見えない故郷なのさ。
見える物は、どんなに豪華でも虚しいものさ。
それをいつの日か、分かって欲しい。
まだガキンチョだから分からない。

幸せ・・・・・
それは、幸せを感じ取る能力だ。
だから、それを鍛えればいい。
物を手に入れても必ず虚しくなるときがある。

その「物」のために一生涯を使ってしまうなんて・・・もったいない。
これを末っ子に分からせたい。

さぁ、若いお父さん、
今日は、子供との思い出をタップリと作ろうか。
必ず、お父さん自身の子供との「故郷」になる日がくるよ。
親も子も、本当の故郷は、心の中にある。
本当さ。


12/4/20(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、一昨日と、さぎ山野営場を整備した。

サンサンと太陽のエネルギーをタップリ受けて、
雑草がスクスクと育ちだしていた。

そのままにしていると、すぐにでも膝ぐらいまで伸びてしまう。
そうなると、草刈をした後のそれの量がすさまじくなる。
処分するのにも、一輪車で山の中に運ばなければならなくなる。

そこで、学習効果で去年から、少しでも雑草が出てくると刈ってしまう。
そのことで、体積がまるで違って少ない。
それはそのままにしておけば、乾燥するから山の中に運ぶ必要もない。

こういうことで、雑草の図々しさに先手を打つべく一昨日、草刈を始めた。
ところが、
草刈機の刃が、まるで総入歯の人の寝起きのように刃がない。

どうやればそこまで完璧に刃がなくなるのだろうか・・・・不思議。
ともかく、刃を買いにホームセンターへ行った。
新品はいい。
うちのおばばも新品の頃は、それなりに良かった。
それが図々しさばかりが残っていくんだな。
雑草みたいだ・・・・・何の話だっけ?

そうそう、草刈機の刃ね。
鋼鉄の円盤の刃を買おうとしたら、
その道のプロの人に「ヒモ」の方がいいよ、とアドバイスをくれた。

なるほどと思い、それを買ったが、万一不都合があったらまたホームセンターまで買いに来ないといけない。
山から店までを往復すると小一時間掛かってしまう。
作業にならないから、普通のものも買った。

僕は、こうして新しいおもちゃが手に入ったわけだ。
さっそく、その「ヒモ」を草刈機に取り付けて作業を始めた。

ものすごくいろんなものを吹き飛ばすんだな、「ヒモ」は。
危うく犬のウンコも吹き飛ばしそうになった。
超、やばいよな。
それは、スコップですくったさ。

ところが、「ヒモ」はすぐにダメになってしまう。
それの交換が頻繁で作業にならない。
結局、いつも通りの鋼鉄の刃で作業をした。

普通のものも買っておいてよかったさ。
でも、どんなことでも、実際に試してみないと分からないものだ。

吉村先生の「パパ&ママ子育てフォーラム」も
蓋を開けてみなければ、どうなるのかサッパリ分からない。

雑誌「サムズ!」は、2007年11月10日にポプラ社から創刊された。
今から5年近く前のことだ。
父親の子育てを訴えるものだった。

僕は、早速この雑誌を読んで編集部宛に僕が作った「親子キャンプDVD」を送ったね。
そうしたら編集部から「非常に興味がある」という返事がきた。

でも、その雑誌は、創刊して第二号を発行したところで廃刊になってしまった。
父親がどう子育てに興味がないのか、痛いほどその時に分かったんだな。
やってみなければ分からない・・・・・・

今度は、「雑誌媒体」という方法ではなく「フォーラム」という手法で吉村先生がチャレンジをする。

今度こそ、父親が子育てをすることがどう重要なのかを知ってほしいね。
やってみなければ分からない。

そうだなぁ・・・・・
子育てもやってみなければ、分からないことだらけなんだよなぁ・・・・・・
ある著名人がこう言った。
「子育ては、ある一線を越すと快感になる」
「面白い」レベルではない「快感」になる。
僕は、これの意味がよく分かるんだな。
しなきゃ、分からない。

吉村先生のパフォーマンスに多いに期待したいね。


12/4/19(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第五話。

写真屋さんに勤めていたときには、
アナログの準放送規格のスイッチャーでマルチカメラをたくさん体験することが出来た。
そして、「録音」もこのときに随分と分かってきた。

その次の小さなビデオ屋さんでは、
そこの社長が「黒澤オタク」で面白い体験をした。

その頃、
バブル経済でどこのビデオ屋さんでも景気が良かった。
それで、いろんなものをそこで撮ったが、
「照明」は、映画畑の人に来てもらっていた。
その必要はなかったのだが、「ムビー気取り」をしたかったようだ。

出張先で、その照明のおじさんと良く酒を呑んだ。
それで聞いたことだ。
フィルム(ムービー)の照明とビデオの照明は、まるっきり違うということだ。
携わる人もまったく違うということだった。

フィルムに比べてビデオは、ラチチュードが浅いので、
ともかく「ぺラッ」と全体を明るくするだけだからつまらないと言う。
これは、僕も写真屋さんに勤めた経験があるので、
スチルでだが、体験的に分かった。

そして、現場では、その照明マンに少しずつ手ほどきをしてもらった。
僕は、「カメラで撮る」ということより「照明」の面白さに惹かれたなぁ。
とうとう、僕は、簡単な照明なら出来るようになってしまった。

そこのビデオ屋さんにしても、人件費が浮くので多いに僕に照明をさせた。
まぁ、「照明」と言っても、所詮素人だから小さい物に限ったけどね。

そうこうしているうちに、夏の幼稚園のお泊まり保育の時期がやってきた。
些細なことで、そこのビデオ屋さんの社長と喧嘩をしてタイミングよく辞めた。

僕は、「キンダー」から直接幼稚園のお泊まり保育の取材の仕事を貰うことができた。
ナント、
秩父、マザー牧場、箱根、金谷、と、現場違いで9件のお泊まり保育を撮った。
秋には、もう1件、幼稚園の中のものも撮ったので計10件も撮った。

東京湾をフェリーで行ったり来たりした。
その時だ、自衛隊の潜水艦とヨットだか何だったかが衝突する事故が起こった。
僕の乗っていたフェリーから目と鼻の先で起こったらしい。
浜金谷に着いた時には、大騒ぎになっていた。
そんなこともあった。

僕は、撮ったそれらをある手づるで「シブサン」の編集機(レコーダーのこと)などを借りてそれを編集した。
そして販売をしたのだが、
そこそこ売れたのもあったが、5本とか6本だけのところも何園かあった。
総じて「赤字」だった。

僕はこのときに、この仕事は「興行収入」「成功報酬」なんだということをいやっというほど味わったな。

つづく


12/4/18(水)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育が近付いてきた。
僕には、4泊のお泊まり保育が二件もある。
僕と同じ仕事をしている方で、
多くても一夏に5件、5泊ぐらいだろう。

1泊のお泊まりがその他に2件あるから、
僕は毎年、10泊、幼稚園のお泊まり保育を取材してきたわけだ。

「卒業ビデオアルバム」の制作よりも古くからこの仕事をしているから、
もう何年やってきたことだろうか。

あの小さな子が、親から離れて集団生活をするのが、
お泊まり保育の「教育」になる。
それで、それなりにその小さな子がちゃんとやってくるんだな。

つまり「自立の第一歩」を果たしてくる。

だけど、せっかくのそのすごい体験も、
その後に「自立」を目指して子育てをしないから、
結局「自立」が遠のくようだ。

例えば、「英語」もそう。
無理に小さい内から英語を詰め込もうとしても、
普段の家庭生活で「英語」を話さなかったら、
結局は、「英語で会話」は、できないままになりやすいでしょう。

子供がそれらの教育を受けても、
家庭内でも同じくそれをしなければ、「身に付く」ことがないんだな。
子供にとって、
家庭内が最も影響を受ける「教育環境」なんだよ。

僕が、「子育てを他人任せにするな」とここで訴えているのは、
こういうことでだ。

幼稚園でお泊まり保育をして子供に自信がついたら、
ぜひ、家庭で「子育てのための親子キャンプ」を実行できれば最高だろうなぁ。
この二つは、「軸」が同じだから、効果は抜群だろう。
子供に身に付くさ、「自立」がね。

そういうふうに育てられれば、無理なく、
「20才では、自立をした一人の大人の社会人」に育つことだろう。

ニートの問題、自殺者の問題、婚期を外してしまう問題、etc,
これらは、「人生の価値に豪華なものを手に入れる」ということだけに固執して、
「自立を無視」した子育てだから起こるのだろうと、
僕は思うね。

しっかりと子供を自立に向けて育てる。

「消費」ではなく「成長」にこそ生きる意味や価値が出来ることを子供に教える。

こういう子育てが多くなれば、それらの問題は改善されるだろう。
そのためには、
家長である父親自らがこれに気付き、実践をして、
子供にとっての良き「モデル」になれる必要があるのさ。

子供は、すべて親の真似っこをして育つものだ。

だから、「父親が成長した分、子が育つ」のさ。

吉村先生の「子育てフォーラム」で、一人でも多くの父親がこれに気付いてもらいたい。
そうでないと、
南雲ドクターが危惧しているように「日本人は、絶滅危惧種」になっちまうよ。


12/4/17(火)朝 キャンプじぃじの日記

前回の「母親向け子育てフォーラム」が、母親に向かって父親の子育ての重要性を話したのに対して、
次回、吉村先生の「パパ&ママ子育てフォーラム」は、

その父親に向けて、父親の子育ての具体的な例をあげて理解をしていただこうという内容になる。

まず、父親自身が「子育て」に興味がないことには、話にならない。
子育てをする気のない人に、やる気を起こさせることは、事実上無理なことだ。

父親が、かわいくてしょうがない我が子にどう接して、
具体的に、何をどう教えていけばいいのか、
また、そのタイミング、年齢的に合う「子育て」はどういうものなのか、

これのヒントにしていただくものだ。

僕自身、これを教えてもらえるところがなかった。
だから、ともかくそこら中に子供を連れて遊びに行けばいいのだろうと思った。
しかし、
そういう「レジャー」は、大方、「子育て」にはなっていないものだ。

吉村先生に、戸田で行っている僕のボランティア活動の「親子で工作」を見に来てもらったことがある。
そのときに、ここに注意して観察をして欲しいと僕が彼にこう言った。

「まず、ほとんどの家族連れのデイキャンプのサイトでは、
こういう光景を見ることが出来ます。

それは、親子で来ているのですが、たいがい父親がタープ張りなどの作業の全部をしてしまって、
子供は、暇です。

また、調理やその準備は、ほとんど母親がしてしまって、
子供は、暇です。

「子供」にとって、その日、一日、やることもなく退屈をしています。
何かのおもちゃを持ってきて遊んだりしていますけど、
それら全部、その公園に来なくてもできることばかり・・・・」

これが間違っていないことを吉村先生に確認してもらった。
そこで、僕の「親子で工作」の活動に参加をしてもらうことで、
父親に子供とどう遊べばいいのか、それを感じ取ってもらいたい。

そしてそれを普段の習慣になればと願ってボランティア活動をしてきた。
でも、効果のほどは、「・・・・・・」だな。

そこでだ。
「パパ&ママ子育てフォーラム」を受講した方に、
僕がやってきた戸田の公園での「親子で工作」を実際に父親に体験してもらう企画をたて案内することになったわけだ。

子育てフォーラムで、予習をしてもらってから参加をするこの「親子で工作」は、
今までよりは、効果的であろうと思える。

「いい話を聞いた」というだけではないんだな。
父親の子育ての「実技」にしたいのさ。

僕は、来月から「和食基本技術」を学びにクッキング・スクールに通う。
何だって、「基本」があるでしょう。

「子育て」だって、本当にその「基本」がある。
あって、当たり前でしょう。
それを、若いお父さんに伝えていきたい。

サターンの攻撃からこの企画をお守り下さい。
今現在の子育てでは、ますますニートが増えてしまいます。
もう一度言います。
今現在の子育てでは、一所懸命に働く若者が育ちません。
自殺者も減りません。

「子育て」の本質・・・・・
「子供を自立した一人の大人の社会人に育てる」ということ、
そのために何をどうすればいいのか、
この企画を通して、一人でも多くの父親が、理解し、実行できるようになれますように。


12/4/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、古い友人が「葉桜」でも花見をしようというので、
歩いて15分ぐらいのところにある葛西用水にある桜並木のところまで行った。

古い友人、うつ病の古い友人、僕とおばばで葉桜の木の下に陣取った。
別のお花見パーティが一ついた。
昼間組らしい。

我々が着いたのは、午後4時半ごろ、
夜桜が目当てだ。 もとい、夜葉桜だ。
だいたい、これは寒い。

僕は、子供たちと散々冬季キャンプや雪中キャンプをしてきたからどうということはないけど、
最初にめげたのは、おばば。
次に、うつ病の古い友人。

こうして過去の自然の中で遊んできた体験が、この「夜葉桜見物」に耐えられるかどうかの違いになるんだな。
「もやしっ子」にするな、とは、厳しい自然環境に順応できる「ホモサピエンス」に育てることなのさ。
コンクリートの養殖場で子供を育てるのは、ひ弱になってしまうでしょう。

言いだしっぺの古い友人と僕の二人で、撤収をした。
台車と携帯一輪車にデイキャンプの装備を積んで帰った。

僕は、普段、「消費」ではなく「成長」を目指せとここで訴えているけど、
でもこうして僕だって「消費」を楽しんでもいるさ。

ただ、「消費で頭が一杯」ではないんだな。
ここだ。
「消費で頭が一杯な人は、みごとに心の成長が止まる」ものだよ。

僕の50才代の成長・・・・・・・
「父性教育の重要性を訴える」というところに照準を合わせた。
その古い友人に「子育ての体験日帰りキャンプ ご案内」のチラシを手渡した。
連休に予定したから、手伝うよう要請したさ。

「成長」にたとえ失敗しても、こうして「成長」しようと挑戦すること自体にワクワクするではないですか。
人生は、こうやって楽しむのさ。
「消費」は、手に入れたそのときにだけ、「嬉しく」なるものだ。
本当の「成長」には、さらに次の展開がある。
次の「成長」がある。

これが面白いのさ。
子供たちに伝えたいよなぁ、このこと。


12/4/15(日)朝 キャンプじぃじの日記

吉村先生の「子育てフォーラム」は、
第一回目が「母親向け 子育てフォーラム」で約100名のお母さんに集まってもらって、大盛況だった。

そこで、「教育」と「子育て」の違いを分かりやすく解説。
なぜニートが240万人も日本でできてしまったのかを話した。

そのキーワードが「父親不在」ということを訴えてくださった。
そこで、どう父親が子育てに関わればいいのか・・・・・
というところで、今度は、お父さんに来てもらいましょうと、第一回目を終了した。

次は、第二弾。
本丸だ。
4月28日(土)に同じ会場で行う。
それの申込用紙を一昨日、幼稚園に届けた。
どのぐらいのお父さんが来てくれるのでしょうか・・・・

連休中なので厳しい部分もある。
内容は、もう講師と僕とですりあわせをしたので、あとは実行あるのみ。

さらに、
その第二弾「パパ&ママ 子育てフォーラム」を終えたところで、
それの実技、実際にお父さんに「子育ての勘所」を体験してもらう企画が固まった。

ここで、僕の登場さ。
「子育てのためのデイキャンプ」を企画した。
もちろん、会場は、さぎ山野営場だ。
この企画は、SCC主催でボランティア活動になる。

当初、吉村先生が野田の清水公園を使って、商業ベースにするというアイディアだったが、
どこをどうやっても、それが難しい。
将来の検討課題ということで棚上げした。

こういうことで、普段、戸田市の公園で行ってきた僕のボランティア活動「親子で工作」をベースに企画したわけだ。

「SCC キャンボリー」
副題「子育ての面白さをお父さんに伝える」

活動は、午前中、子供たちに食材の買出しをさせて、親はそれを「見守る」
その間、午前中、僕がお父さんにナイフなどの扱い方を特訓しておく。
午後の活動で「お父さん」が子供たちに小さな工作物を指導する。

このお父さんの指導の部分が「子育て」の体験となるのさ。
このこと自体は、戸田市でのボランティア活動と同じことをするんだ。
だから、僕が手馴れている。

この最後のお父さんの子育て実技は、
「パパ&ママ 子育てフォーラム」を受講した人に案内をする。
つまり「理論」と「実技」の二段構えなんだな。

ともかく、目標は「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことだ。

僕の老後の楽しみ方は、こうやるのさ。
面白いでしょう。
自分の消費を喜んでいるようでは、「幼稚」だ。
人生の豊かさとは、こういう「生き方」にあるのさ、「物」ではない。


12/4/14(土)朝 Snowmen Camp Club

本日のボランティア活動「親子で工作」は、雨天中止です。

二ヶ月連続で中止は、珍しい。

次回は、5月19日(土)に行います。

この活動の目指すものは、
父親と子供が一緒になって小さな工作物を作って楽しんでもらうものです。
「父親参観」みたいな、ちょっとワクワクする幸せを感じ取ってもらいたい、
そう願って実施してきました。
今まで日曜日に行っていましたが、
今は、主に「第三土曜日」に予定しています。

「父性教育の重要性を訴える」活動の一環です。


12/4/13(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、ポカポカ陽気で天気が良かった。
もちろん、ボロアパートで編集なんかをする気分になれない。

さぎ山野営場にある薪置き場の整備をした。
朝一番に行って、完了したのは午後3時だ。

それから、
「生木用」の斧の柄にヒビが入ったので、それを新品に交換をする作業を玄関の前でした。

薪割りは、「木割り矢」も覚えたが、
それより、斧の柄の交換は、かなり上達するほどやってきた。

こうして、僕は思わぬ「成長」をこの二年でした。

夜、近所の居酒屋で末っ子と同い年の子に出会った。
その子に、
「『物』という文明でみんな幸せになれると思っている。
しかし、『物』で幸せなんかにはなれない。
なぜなら、
幸せは、それを感じ取る能力だからだ。
能力である以上、鍛えなければ衰える。
簡単なことさ。」
と、説教をした。

その子は、私立の中学へ行って今、医師を目指して大学へ通っている。
頭がいい。
僕の説教に驚いていた。

ついでに、
「消費で頭がいっぱいだと、心の成長がみごとに止まってしまう。
どんなことでも『成長』にこそ生きる感動があるものだ。
そういうことで、『物』に固執した生き方は、不幸なのさ。」
と教えたら、ビックリしていた。

愉快だね。
僕は、この二年で「キャンプ場整備」が上達した。
そういう「成長」をした。
面白いでしょう。
こうして人生を楽しむのさ。
その若者のおかげで、呑み過ぎて、今朝はどうにも僕は使い物にならない。

呑み過ぎれば、こうなるという学習は何十年もやっても覚えない。
二日酔い。
ダメだ、こりゃ。
おしまい。


12/4/12(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第四話。

マザー牧場で幼稚園のお泊まり保育をビデオで撮っていた。
その園は、もう今は廃園になってしまった。
浦和市にある小松原幼稚園だった。

一般には知られていないが、
マザー牧場の隅に禅道場があって、そこを宿泊場所に使っていた。
キャンプファイヤーは、その宿舎から歩いてすぐの、
ちょっと傾斜したところで行った。

一泊のお泊まり保育の初日の取材を終えて、
二日目の取材が始まった。

僕は、幼稚園のお泊まり保育の仕事は、これで2本目だったので、
編集を考えて無駄撮りは、いかに少なくするかを考えながら撮っていた。

なんだって、シブサン(Uマチックとも呼ぶ)と2/3CCDのカメラ、
ブローニーと35oスチルカメラ、
予備のバッテリーとテープを全部一人で担いでいたので、
無駄撮りは、できない。

そういう井出達で二日目の最後の昼食をマザー牧場の場内で子供たちが食べた。
その時だ。
僕は、子供たち全員を撮っている内に、自分が食べる時間がなくなった。
でもオレンジ色のシャツを着て、いろいろと指導をする若い男性が、
「間を作るから早くカレーを食べてください。」
と優しくしてくれた。

僕はてっきり、その人はマザー牧場の社員だと思っていた。
さっさとカレーを食べて、その人にお礼の挨拶をしてちょっと会話をした。
それで分かったのだが、
彼は、幼稚園のお泊まり保育を企画、運営をする会社からの派遣で指導をしているのだという。

その会社は、「キンダー」と言った。
キンダーブックとは、何の関係もない。

キンダーでは、ひと夏にたくさんの幼稚園を相手に「お泊まり保育」の企画を展開しているという。
僕の脳みそに100Wの電灯が灯ったね。
つかさず、その男性に会社の住所を聞いておいた。
彼のニックネームは、「のびた」と言っていた。

カレーを食べることが出来たこと、
僕の仕事のターゲットを発見したこと、
興奮したなぁ。

取材が終わり、それを編集した。
そのころ務めていたその写真屋さんに大学卒の新人が入ってきた。
そのカメラマンが、この書き込みによくでてくる「古い知り合いのカメラマン」だ。
最近、ちょくちょくと遊びに来る。
ちなみに「最近知り合ったカメラマン」は、その古い方が連れてきた。

僕は、お泊まり保育の現場で知ったその「キンダー」という会社を尋ねた。
当時、原宿に事務所があった。
表札を確認して、ドアーをノックすると女性が出てきて、
「たしかに、キンダーの事務所を兼ねていますが、
今、キンダーの社長は留守です。」

それで、僕は、事情を説明した。
「お泊まり保育の現場で知ったのですが、僕は幼稚園のそれを専門にビデオで撮りたい者です。」
そうしたら、その女性がこう言う。
「こちらもビデオ屋です」

????
いろいろ説明を受けたら、
どうやら、そのビデオ屋にキンダーが間借りをしていたらしい。

ともかく、出直すことになった。
次は、電話番号が分かったので、アポをとってキンダーの社長に会うことができた。
その人は、田宮さんという。
数年前に亡くなった。

田宮さんに会って、次の夏には、幼稚園のお泊まり保育の取材をさせて欲しいと僕が頼み込んだ。
簡単にOKを取り付けた。
ついでに、間借りをしているところのビデオ屋さんの社長を紹介してもらった。

そのビデオ屋さんでもフリーのカメラマンが欲しいというので、
すぐに、務めていた写真屋を辞めて、そのビデオ屋さんから仕事を貰うようになった。

そのビデオ屋さんでも幼稚園の仕事をほんの少しだけはしていたが、
こういう仕事を見下していた。
主な仕事は、会社のVPだった。

得意先にパーマ屋さんのフランチャイズの会社があった。
そこで
カリスマ美容師のパフォーマンスをビデオで撮ったりした。

そのビデオ屋さんと、専属のカメラマンとの間で、何かトラブッた様子だった。
やたらに仕事を僕に振ってきた。
おかげで、結構なギャラになった。

とうとう、月に25日だったか、殺されるかと思うような取材になった。
当時、会社案内にビデオを使うというのが大流行だったから、
そのようなものも撮った。

そして、ギャラを払うより社員の方が安く上がるので、
僕に社員になれと言いだした。
でも、僕は、次の夏にはキンダーでお泊まりを直接仕事で取りたいから、
断わったのだが、
結局、おされて、僕はそこの社員になってしまった。

つづく


12/4/11(水)朝 キャンプじぃじの日記

子供がいたら、雨の中こそ「おい、キャンプに行くぞ」とやっただろうなぁ。
でも、
僕は、キャンプそのものが好きなわけではないから、
それで、子供がいなくて雨の今日は、大人しく編集の仕事をするしかないな。

もし、雨が降らなかったら・・・・・
ジッとしていられない。 仕事にならない。
本当は、今日はさぎ山野営場で薪割り場の整備をしたかったんだ。

そもそも建物の中に閉じこもっているのが嫌いな僕には、雨は苦痛だ。
去年の今頃、
手術で10日も病院に缶詰になった。

麻酔が効かなかったことよりも、
病院飯よりも、
いや、病院飯には、一週間の間同じものが出なかったことにとっても感心したが、
何よりも、建物の中に閉じ込められるというのが苦痛でならなかったのを覚えている。

何だろうか、
いつの間にそういう僕の性格になったのだろうか、
やはり、子供のころ、
親や周りの大人たちに、
「さっさと外で遊びな、もやしっ子になっちゃうぞ」
と言われて暑かろうが寒かろうが、外に追い出された結果に感じるんだよね。

そういう僕だったが一時期、家に閉じこもっていた。
それは、中学、高校、の時だった。
歳にしては幼いプラモデルにハマリきっていた。
1/100oの精度の工作を、カミソリの刃でやっていた。

また、何でも動くようにするのが好きだった。
1/35スケールのドイツのキューベルワーゲンのドアーを開閉できるようにしたり、
同じスケールのタイガー戦車のサスペンションを全部可動にしたり、
その戦車は、リモコンで砲塔、砲身も動くようにして、
しかもリモコンの線を取り外すこともできるようにした。

「作る」ことへの執着心とでも言うのか、
本当に夏休み中、模型を作っていたものだ。

でもそれが今、
実は、「編集」に役立っている。
工作をするのと編集は、作業が違うけど、「一つにまとめ上げる」という心がまったく共通するように感じるんだな。

また、模型作りは、そのままキャンプでの工作に強烈に快感を覚えるようになったのだろう。

でも、そういう暗い少年だったが、
高校を卒業した後、サイクリングに燃えた。
火をつけたのは、古い友人でうつ病のヤツだ。
二人で、日光へサイクル・キャンプをしたのがキッカケだった。

それ以来、建物の中に閉じこもるのができない性格になった。

子供のときに、夢中になれる体験。
他人と比べて優劣をつけられるのではなく、
自ら、夢中になる体験。

僕は、これが大人になって自分の好きな仕事に夢中になれるのだと強く感じるな。

でもね、
それがテレビゲームに突っ走ってしまったら、大変なことになってしまうよ。
俗に言う「ゲーム脳」になってしまう。
詳しくは、
「脳内汚染」 岡田 尊司 著 文藝春秋刊
を読んでみるといい。

さて、そういうことで僕は、高校を卒業してからサイクリングに目覚めたのだけど、
それの元は、やはり大人たちの「さっさと外で遊びな、もやしっ子になっちゃうよ」
という言葉掛けが深層心理にまで影響をしたんだろうなぁ、そう思えるね。

「外遊び」
これは、僕が仕事で「営業」を実行できるようになった大元でもあると感じるな。
僕と同じ仕事で「営業」ができない人がいる。
何年経っても商売として立ち上げることが出来ないものだ。

僕の人生を振り返ると、
「無駄」なことは、結局何もなかったことに気付いたな。
どんなことでも、すべてに意味があった。
その時には、サッパリ分からなかったけど、一つ一つに意味があった。

「父性教育の重要性を訴える」ということも、
元をただせば、僕の子育ての失敗があるからこそ、
僕自身に利益があるのではなく、
若いお父さんに、どうしても分かって欲しいと思う動機になっている。

生きていくのは、とっても不思議なパズルだな、面白いね。
結果として僕は、神様にうまいこと操られて生きている。
面白いね。

「幼稚であってはならない。しかし幼子のように素直になりなさい」
なるほどねぇ・・・・・


12/4/10(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場にある薪置き場の整備に取り掛かった。
破れたフライシートの下にある薪を取り除く。
そして、竹で見立てたポールを撤去。
薪を置く台にしていたブロックと太い枝も脇に置く。

すごい量の落ち葉がそこに溜まっていた。
それをブロアーで綺麗にして、更地にした。

今度は、軽く二年以上もつ構造にしようと、考えた。
こうして試行錯誤するところが面白いんだな。
買ってきたキャンプ用品で「豪華なキャンプ」をしていたのでは、
分からない面白さだ。
そして、「アウトドアー力」が鍛えられる。

SCCサイトに常設している「竹ハウス」は、
竹と市販のシートをロープだけで固定して組み立てた、
約6畳の大きさのテントだ。

僕の子供たちと共同で開発したものだ。
今までは、キャンプ中にもてば良かったのだが、
今度は、常設に耐えるものに改造をした。

最初の竹ハウスは、一年もたなかった。

でも、今、建っているものは、一年以上建ちっ放しだ。
まだ大丈夫そう。
どのくらいもつのか試してみたい。

その他の工作物も総て、堅牢度を重視した。
こういう工作は、ボーイスカウトではやらない。
規定では、一箇所でのキャンプは3泊までとなっているからだ。

子供に「作る喜び、面白さ」を伝えよう!

僕のこうした手作り工作物は、そのまま「商品開発」の能力を鍛えられるものでしょう。
僕は、こうした「気持ち、行動力」で、「卒業ビデオアルバム」を商品開発をしたのさ。
学校の成績をその場限りで上げる「教育」とはまったく違う「育ち」だぞ。
社会人になって役に立つ「心構えと実行力」だ。

これが「生きる力」というものさ。
「子供の遊び」
ここから「生きる力」は、鍛えられるのさ!
ウソじゃないよ。 僕は、自分自身にも子供にも実践したことだ。

これからの日本は、「バブル経済」に戻らない。
すでに「サバイバル経済」になっているのさ。
このことをシッカリと捉えた子育てをしないから、
ニートが240万人もできてしまったんだぞ。

今現在までの「子育ての感覚」が非常に良くないことをこの数字で分かろうよ!

これは、緊急を要する課題だ。
「断捨離」という本が流行ったのは、もう「物」にすがる生き方を改めようということなのさ。
そして、今まで子育てに携わることがなかった「父親」が「父親らしい」子育てをして、
これからの「サバイバル経済」の中で生き生きと子供が生きていけるようにしていこう!

そこで問題なのが、
いったいどうすれば「父親らしい」子育てを実践できるのか?
具体的にどうすればいいのかが分からないでしょう。

その具体的な一つの実例を

「パパ&ママ子育てフォーラム」で吉村先生が面白く解説してくださいます。

これを参考にして、それぞれの若いお父さんが、自分に合った、
しかも「勘所」は、しっかりと押さえられた子育てを「実行」して欲しいね。

「サバイバル経済を生き残る子供に育てる」


12/4/9(月)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、礼拝の後、サイクリングをしたかったので、
一昨日の鎌倉でのサイクリングのまま、車に自転車を乗せっぱなしにしておいた。
それで、教会に行った。

ちょっと早めに着いたので、
おばばと二人でそこの近所をブラブラしていた。
そうしたら、
大量の切り株があるところを見つけた。

道路を挟んで反対側の民家に煙突がある。
と、言うことは、もしかして・・・・・
たまたまその民家から出てきた僕と同じぐらいの歳の方に、
「この切り株は、お宅のものですか?」と尋ねた。

そうだと言う。
そこにあるものでだいたい二年もつという話だった。
それの中には、太くて薪割りの台にするのに最高のものがあった。
そこで、僕は彼に、その太いところを譲ってくれないかと聞いたら、
OKをいただいた。

午後の四時前には、取りに来ますと伝えて、礼拝に出た。
だいちゃんラーメンでお昼にして、さっさとさぎ山野営場に向かった。
ボーイ隊が活動をしていた。
隊長に挨拶をして、そこからおばばと二人で見沼代用水路のショートカットコースをポタリングした。

おばばのペースで走ると、ケツが痛くなる。
桜が7〜8分咲きだった。
桜の花のトンネルの中を走る。
3D映像だよ! コースのほとんどのところに桜が咲いていた。
美しいというより、とっても面白かったさ。

おばばの運動不足解消をしたところで、
さぎ山野営場に置いてあるチェーンソーとブロアー、オイル、
を車に積んだ。
そして、貸し倉庫に寄って2サイクルのガソリンも車に積んだ。

急ぎ足で、その民家に行く。 午後の三時に着いた。
持ち主に挨拶をして、代金はいくらか聞いたら、
もらった物だから、タダで言いという。
おまけに、お茶をどうぞと、ふるまってくださった。

そうか、昨日は、
イースターだったんだな。 おまけに花祭りでもあった。
ついているわけだ。 ラッキーだね。
めでたい、めでたい。

さっそく、目当ての切り株をチェーンソーで、適当な大きさに切った。
そこから、三つの台ができた。
とってもいい大きさだ。 直径が45pもある。
まだ生木なので重い。 ドッコイショとばかりにそれを車に積んだ。
そして、切りくずをブロアーで掃除をして作業を終了した。

これから、さぎ山野営場にある薪置き場のフライシート交換と、
整理、そして薪割りをしなければならないんだな。

この間、取り替えたばっかりの斧の柄がまたひび割れをしてしまった。
ベンチャーのサイトでの根切り作業でダメになった。
この斧は、「生木用」で刃が薄く出来ている。
だから、柄もクサビも専用を買わないといけない。

それらは、ネットで注文をして、11日に着く予定だ。
薪割り場の整理には、何日もかかりそうだ。
そして、薪割りもウンザリするほどある。
とりあえず、
今日、入園式を撮ったら、山に行かなくっちゃな。

面白い人生さ。 自分で思うよ。
若い内に「必死に生きた」分、いい老後があるのさ。
「気楽」「簡単」を追い求めて生きると、最後は窮屈な人生になりやすいよ。


12/4/8(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、車に2台の自転車とおばばを積んで逗子へ行った。
いつもの秘密の場所に車を停めて、
そこからおばばとサイクリングをした。

逗子から鎌倉までは、あまりに近すぎるので、江ノ島へ向かった。
期待をしていた春風ではなく、まだ、冬の空気が残っていた。
この間買った、ワイヤレスのインカムは、サイクリングに便利だ。
おばばがちゃんとくっついて来ているかどうか、リアルタイムで分かった。

江ノ島に朝、10時ころ着いて、それぞれのお店が開き始めていた。
もうすでに、サザエを焼いている店もあった。

ここまで来て海の幸を頂かないというのは、何かへんだよな。
当然のことながら、それを注文した。
店先に目をやると・・・・・
「江ノ島ビール」がある。

サザエにビール。
常識でしょう。
僕は、非常識なことをしなかった。

地ビールは、独特の濃い味と香りがするよな。
サザエだけでは物足りないから、イカ丸も注文した。
本当は、ハマグリも食べたかったのだが、
その店にはなかった。

ちなみに、両隣にはあった。
海風につつまれながら、地ビールでサザエのつぼ焼き、最高さ。
ついでにイカ丸をおばばとほおばっているところに、
お兄さんが、ハマグリがたんまりと入った網の袋を店に届けにきていた。

日本産のハマグリは、小さい。
江ノ島で売っているものは、たしか韓国かどこかからの輸入物だ。
ちなみに、千葉の九十九里や御宿あたりのものもそうらしい。

でもなぁ、あのデカイハマグリは、喰い応えがあってうまいんだよなぁ・・・
しかし、僕はイカ丸で十分に満足してしまった。
しかも、朝っぱらのビールは、効く。

海岸に寝そべって昼寝をしたくなった。
そうおばばに訴えても聞く耳を持たない。
困ったもんだ。
しきりに鎌倉へ行きたがっている。

江ノ島までの行きは、海岸線を走ったので、
帰りは、陸地探索に挑戦した。
とりあえず着いたところは、「江ノ島駅」だった。

若い連中が輪行でやってきて、自転車を組み立てていた。
そこから、グニョグニョと気の向くまま走ると、
江ノ電の路面に出た。

滅多に電車が来ないということを前提に、車がビュンビュンと走っている。
大分前に、そこをバックに末っ子を写真で撮ったけかなぁ・・・・
思い出すことは、子供たちが小さくてかわいいころのことばかりだ。
今は、子供を四人も、好きなだけ産んだ出がらしのおばばだけが残った。

どこをどう走っても、海岸に出てしまう。
それでも諦めないで内地に向かう。
そんなことを繰り返している内に、
鶴岡八幡宮の脇の道に出た。

その道を行けば北鎌倉へ行ける。
神社仏閣めぐりをしようと、そこを走り始めたのだが、大渋滞。
道幅が狭く、自転車も通れない状態だった。

しょうがないから、参道に行くと、今度は新宿よりすごい人ごみ。
よくもまぁ、こんだけの人間がいるものだとビックリした。
これだけの人が、どうやってその小さな町にたどり着いたのだろうか?
それを想像するだけで、もうそこを立ち去りたくなった。

そうは言っても、おばばが納得しそうもないので、
参道に沿ってある商店街へ向かった。
作務衣を見つけたのは、おばばだ。
しょうがなしに、見に行ったのは、僕だ。

僕の普段着は、作務衣だから、生活必需品を買った。
おばばは、それをいいことに便乗して古着の着物を買っていた。
上下セパレーションのアンチョコ着物が2千円だった。

お昼を食べたいと思っても、どこの店も一杯。
去年の今頃にも鎌倉へ行って、そのときに立ち寄った蕎麦屋さんなんかは、
すごい行列が出来ていた。

繁華街から、離れたところに普通のお蕎麦屋さんを見つけて、
そこでお昼にした。
店はガラガラ、僕とおばばだけだった。

混まないうちに帰って、
うつ病の古い友人と、大家のおばぁちゃんと僕とおばばの四人で、
いつもの店、「みさき」で夜を過ごしたさ。
のどかな一日だった。

欲をかかなければ、人生は豊かなんだな。
煩悩(欲)があるから、四苦八苦しているのさ。
それでストレスが溜まるとボヤくのは、おかしい。
欲をかかないで、僕のように貧乏に質素に生きていれば、人生が豊かなのさ。
鎌倉帰りらしいことを言うでしょう。


12/4/7(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ツーリングに出た。
最寄の駅から「やぎゅう駅」まで輪行をするつもりで電車に乗った。
しかし、その途中までの電車しか来ない。

駅で待機していてもつまらないから、
「南栗橋駅」まで電車で行って、そこで降りて自転車を組んだ。

利根川を渡って、一路「渡良瀬遊水地」へ向かう。
僕の定番になった、このコース。

渡良瀬遊水地に架かっている大きな橋を渡って道の駅「きたかわべ」を目指す。
その橋の上をキジがのんびりお散歩をしていた。
ちょっと驚かせてやったさ。 「オリャ、オリャ」とね。

のどかだよなぁ・・・・
道の駅について、これも定番の「デカにぎり」を一つ買って、
展望台で食べた。
広々とした渡良瀬遊水地越しに山が見える。
興奮しちまうよな。

おかげでデカにぎりに付いていたタクワン二切れの内、
一つを落としてしまった。
「フー、フー」してそれを食べちゃったさ。

子供を無菌状態で育てるから、それの耐性がなくなる・・・・
これはお医者さんが言っていたことだ。
自己責任で「フー、フー」して食べちゃうことで、細菌に対する耐性を鍛えたのさ。

展望台から左手を見ていると山が見える。
右手を見ると、住宅街や遠くに高層ビルが見える。
こちらを見て興奮することがないのだが、
「食わず嫌い」でもいけないと思って、右手も眺めた。

そうしたら、手すりに何かの表示があることに気付いた。
今までにしなかったことをすることで、
まったく想像できない発見がこうしてあるものだ。

それを良く見たら、その展望台から埼玉県、栃木県、群馬県、
の三県の県境を望むことが出来ると書いてあった。
それらしき方向に目をやると、それらしき小さな表札が建っているのが見えた。

そこでデカにぎりと二切れのたくわんをほおばってから、そこへ行くことにした。
車だと小回りが出来ない、徒歩だと機動力が欠ける。
そういうときにこの自転車は、とっても便利だ。

その小さな表札を目指して自転車で行くと、
ついに田圃のあぜ道になって、歩くより他がなくなった。
その表札を見つけた。

その根元に、民家に良くある小さなU字溝が三方に広がっている。
こここそが、三県の県境なんだな。
記念に携帯で写真を撮った。

さて寄り道は、それぐらいにして渡良瀬遊水地に沿って川を上って行く。
ほどなく、渡良瀬川となる。
ここで、強烈な北西の向かい風が出向いてくれた。

渡良瀬川を上って行くとどうなるのか・・・・初めてのトライだった。
しかし、その向かい風は、ローギャーでトロトロ走っているのに、
目からボロボロと涙が出るほどだった。

しばらくして、線路が川を交差してそれ以上上って行くには、
ちょっと難儀しそうなので、諦めてその線路沿いに走って帰ることにした。
着いた駅は、「佐野市駅」だった。

当然のことながら、駅前のラーメン屋さんで「佐野ラーメン」を堪能して、
そこから輪行で帰ったさ。

ちょっと不完全燃焼だったが、いいのさ。
その分、今日、おばばと鎌倉あたりで「オートサイクリング」して挽回するさ。


12/4/6(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、見沼代用水路コースのショートカットをポタリングした。
いよいよ桜が咲き始めたよ。
2〜3分咲きだ。

このコースは、かなりの部分が桜並木になっている。
場所によっては、枝がコースを覆っていて、
桜が咲くと、「桜の花のトンネル」になる。

もうじき、これを楽しむことが出来るな。
「お花見サイクリング」
オツなモンじゃないですか。

ホトトギスが、甲高い声で鳴いたよ。 よく響いた。
もう半袖がちょうど良かったな。
やっと春だ。

さぎ山野営場に一周して戻ってきたときに、
「アオスジアゲハ」を見かけた。
今ごろのものは、越冬組みだ。

今度の土日にもボーイが活動をするというので、
それから、各サイト、通路、地主さんの趣味の小さな神社、
をブロアーで整備した。

ブロアーにガソリンを入れようとしたときだ。
ホワイトガソリンが入っていた缶に混合ガソリンを作って入れてあるのだが、
ここのところの暖かさでそれが膨張していた。

栓を少しだけ開けて、ガス抜きをしようとしたら、
ものすごい勢いでガソリンそのものが噴出した。
メガネから服までガソリンだらけ。
そこに火が着いたら、
コンガリ焼じぃじの出来上がりになるところだった。

それ以外に
今回の嵐での被害はなかった。

午後三時には、ボロアパートに帰ってきて、
編集の準備に取り掛かったさ。
遊んでいるようでも、ちゃんと仕事もしているさ。

やる気になれば、事業の拡大をして金儲けに走ることができる。
でもね、「足ルヲ知ル」を、じぃじだから学んでいるのさ。
これで得られるもの・・・・・
自由さ。


12/4/5(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第三話。

その写真屋さんで、最初の夏には岩井海岸でスチルカメラマンをやったが、
次の夏には、幼稚園のお泊まり保育の取材を担当することになった。

その写真屋さんに勤める前に、
街の電気屋さんの仕事で、やはり幼稚園のお泊まり保育の取材をビデオでしていた。
そして僕が編集をしたので見本を持っていた。

その見本をそのときに務めていた写真屋さんに見せて、
ビデオの販売をするよう勧めた。

OKが取れたのだが、そこは写真屋さん、
ブローニーで集合を撮るのと、35oでスナップをも撮るのを条件にされてしまった。
チンドンヤそのものの格好となった。

そのころのビデオ取材は、まだ3/4in巾のビデオテープだった。
通称「シブサン」と呼んでいた。

取材用の20分テープが子供の弁当箱よりはるかに大きい。
それをリュックに詰めて、お替りのバッテリーも、
ブロニーも・・・・・
よくそんなにリュックに入ったものだ。

それだけではない。
ビデオカメラは、チューブからCCDになったとは言え、
2/3inのCCDだから、それなりの大きさがあった。
そして一番大きいのが、シブサンのポータブルデッキだ。
ポータブルとは、名ばっかりで、35×35×15pぐらいのもので非常に重たかった。

そのころ、SONYのシブサンのポータブルが放送規格ではない一般業務機ででていたが、
たしか、ビクターのものだった。

そして最後に、35oのスチルカメラを手にしていた。

分かりますか?
全部一人で持っていたんだな。

そこで行ったところが・・・・・
千葉県にあるマザー牧場だった。
僕は、今、そこでキャンプ・スタッフを夏休みにしているけど、
縁があるんだな。

のどかな雰囲気があるけど、現場はダダ広い!
ビデオマンは、常に、子供たちを前から撮るために先回りをしなければならない。
展望台に向かうというので、
早めに、そのチンドンヤの格好でよじ登るようにして行った。
本当に、カニのように横歩きをしてよじ登ったのさ。

そうしたら、
場内アナウンスで、
僕を呼び出している。
「写真屋さん、予定変更で牛の乳絞りをするようになりました。」

・・・・・・・、絶句。
ブツブツと文句を言いながら展望台から、牛舎へ向かうことになった。

しかし、このときに想定外の出会いがあったんだな。

つづく


12/4/4(水)朝 キャンプじぃじの日記

今回のベンチャー・スカウトたちの活動は、
嵐で一日遅れになり、終日が嵐になった。
気象的に恵まれていたな。

冗談ではないさ。
「大変」「辛い」「苦しい」体験こそ子供の心を強く育てられるから、
こういう大自然を相手にした遊びは、そこがいいのさ。
そしてそこに「自己責任」も学ぶことになるのさ。

「自己責任」を出来た分だけ本当の「自由」が得られるものだから、
無責任な、また、責任を一切拒否する人には、
だから「自由」な人生を送ることが出来ないのさ。

いくら大金をつかんでも、
どんなに贅沢な生活を手に入れても、
そこには、本物の「自由」はない。

「快適」「気楽」「簡単」「便利」な日々を幼いときから「当たり前」にして育てられた子が、
どうして「感謝の念」が生まれるのでしょうか?

よく教育関係者が、子供に向かって
「ありがとうと言える子」だとか「何にでも挑戦できる子」になってください。
と言っている。

子供が自分の力でそうなったら、正直なところ化け物だ。
そうなるように親が子供を「育てる」ものなんだな。

子供に「快適」を与え過ぎない。
そして「20才では、自立をした一人の大人の社会人に育てる」ことをシッカリと目標にもった子育てを親自身でして欲しいよな。
子育てを他人任せにしては、いけないよね。

それでは、具体的にどう、そういう子育てをすればいいのでしょうか?
「学校の成績」を上げる狭い意味の教育ではないよ。
「心の育ち」について、具体的にどうすればいいのでしょうか?

これを教えてくれるものが日本に少な過ぎるのでしょう。
4月28日の吉村先生の「パパ&ママ子育てフォーラム」は、
実例を挙げて説明してくださる内容になると思います。

ぜひそれをヒントにしていただき、
若いお父さんが出来ることから始めましょう。
そうやって、父親自身で子育てをすることで、

父親が本当のオヤジに成長できるのです!

多くの若いお父さんにこのことに早く気付いて欲しいね。

さて、今日は、昨日の嵐の被害がどの程度あったのか、さぎ山野営場を見に行かなくてはね。
ついでにサイクリングをしようかな。
この間、タイヤを新品に交換したばかりだから、
快適に走れるだろうな、楽しみさ。

僕は、自分の仕事を自己責任で開拓をしてきた。
そして、命がけで子育てをした。
だから今、「自由」なのさ。


12/4/3(火)朝 キャンプじぃじの日記

ベンチャー・スカウトの活動後方支援キャンプ三日目。
今、朝の5時20分。
さぎ山野営場付近の公園の駐車場にいる。

PCを使うのに、車から電源をとるためにエンジンをかけなけらばならない。
うるさいので、公園にいるわけだ。

散々見慣れているはずの、公園の池。
来た時には、うっすらと朝もやが立ち込めていた。
それが次第に廻りの木々を覆いかぶさり、まるで雪でも積もったようだ。

自然の美しさは、どんな人間の被造物よりもはるかに「美しい」く「すごい」。

その朝もやは、今度は、次第に薄くなっていく。
なんだか、ドラマチックだな。

昨日から、携帯のパケット通信がうまくいかなくて、
昨日の書き込みは、わざわざアパートに帰ってした。

夜中には、「簡易ベッド」を竹で工作したもので寝ていたのだが、
寝返りを打って、そこから落っこちた。
もう、見当も付かないほどたくさん簡易ベッドで寝てきたが、落ちたのは初めてだ。
ろくなことがないよな。

しかし、活動は最高だった。
今回、ベンチャー専用サイトの開墾と大型工作物というのが活動の目標だったが、
それをクリアーした。

サイトの方は、初日にほぼ完了。
昨日、一日で大型工作物をベンチャーの子たちが作り上げた。
それは、「橋」だ。

つり橋の構造で、約3メーターのものだ。
「麻縄」を使うのは、僕は、初めてのことだった。
ベンチャーの子がまだ「角結び」を完全にマスターをしていなかったので、
指導をした。

ただ、結び方が良ければいいというものではない。
どこに力を思いっきり入れなければいけないのか、
それも教えた。

橋の歩く部分、天板と言っていいのかどうか、
ともかくそこにどう板を張ればいいのか、
別の工作物、「テーブル」の天板を見せて、教えた。
ここ非常に重要さ。 「よい見本を見せる」

よい見本を見せもしないで、「ダメ」だ「ダメ」だとダメだししていても子供は伸びない。
必ず、どんなことでも初めは、

子供に良い見本を見せる。

子供に「どんなことにも挑戦する心の強い人」になってもらいたかったら、
父親がそれの見本を子供に見せればいい。

父親が出来ないものは、子供は真似っこしようがないでしょう。
父親なりの子が育つのさ。
分かりますか? 若いお父さん!
父親が成長した分、子が育つとはこういうことなんだな。

さて、昨日は、その橋の歩く部分をテーブルの天板を見せて作り方を教えたところで、
アパートへ帰ってここに書き込みをしたのさ。
そして、さぎ山野営場の近くにある天然温泉に浸かった。

遊び方が完璧だった。

今日は、これから、最高の味噌汁を作ることに挑戦だ。
僕は、どうも調理が下手だ。
この間、おばばに料理教室に通うかなと言ったら、
白い目で見られた。

もう30年も一緒にいて僕の行動力がまだ分かっていないようだ。
見せしめに本当に通うかな、料理教室・・・・・


12/4/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、とっても穏やかな一日だった。
そういう中、さぎ山野営場で、ボーイスカウトは、
デイキャンプをし、
ベンチャースカウトは、二泊三日のキャンプが始まった。

ベンチャーの後方支援を僕は、やった。
やっぱり子供がいるキャンプは、面白い。

ベンチャー隊は、二人。
この子達は、昨日はボーイ隊用のサイトに間借りをして、
ベンチャー専用のサイトを開墾した。

チェーンソーとブロアーの扱い方を教えた。
斧に「生木用」と「乾燥用」の二種類があって、何が違うのかを教えた。
そして、生木用の斧で、サイトに生えていた木の根っこを切らせた。

太目のものは、スコップで根っこの周りを掘らせて、
そして根を切らせた。
その後の作業は、隊長が指示していた。

それから、僕は暇になったな。
古い友人が様子見に来て、二人でコーヒーを飲んだ。
夜には、最近知り合ったカメラマンも尋ねてきた。
彼は、ノンアルコロールのビールを持参してきた。

唯一、僕がまともに作れる、「イカ・明太」とチーズ、
鳥の皮でスープのダシをとって、
それからその皮を「クレイジーソルト」で焼いてつまみに食べた。

ボーイの隊長と、ベンチャーの隊長、そして僕の三人で「反省会」をして、
SCCにある「竹ハウス」に昨日は、泊まった。
ボーイの隊長は、今日、帰るらしい。
ベンチャー隊は、今日、大型工作物を作り出す予定だそうだ。
「橋」を作りたいのだとか。

とても、明日中に完成しそうもない。
今度の連休にその続きをする予定だという。

昨日は、お昼をベンチャー隊、ボーイ隊、混合の子供たちの作ったものを頂いたが、
夕食は、辞退した。
それでもベンチャーの子が夕食の差し入れをしてくれたので、
たまたまいたカメラマンに、勧めたさ。
僕は、ほとんど夕食を食べない。

普段、夕方は、「神聖なる儀式」つまり、
つまみとビールの個人的な聖餐式を厳かに執り行っている。
「これは、一生懸命働いて得た食料だ。記念してつまみを食べなさい。
  だれでもこれを食するのにふさわしくない気持ちで食べてはならない。」
また、うまそうなビールを掲げて
「これは、一生懸命働いて得た貴重なビールだ。記念して飲みなさい。」
とっても厳かでしょう。

だから、夜は、つまみとビールがあれば十分なのさ。
そして、
子供のいるキャンプは、最高に面白いさ。
これ以上に何も欲しいとは思わないさ。

子供のいるキャンプ・・・・・・
僕の子と一緒にやったキャンプ・・・・・・
懐かしいよなぁ。


12/4/1(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、嵐のためベンチャー・スカウトの活動が一日、延期になった。
ということで、今日、仕切り直しだ。

さぎ山野営場に常設している「竹ハウス」(竹と市販のシートで組んだ面積6畳のテント)は、
建てっぱなしで一年もった。
そこに、昨日の雨対策で、1.8m×2.7mのシートのひさしを付け加えておいた。

本当は、昨日は古い友人と二人でそこに泊まる予定だったが、
今日、その友人はデイキャンプでやってくるはずだ。
スカウト活動の後方支援が目的だけど、便乗して楽しむのさ。

そのベンチャーの活動は、大型工作物と聞いたけど、
ベンチャー専用サイト開墾をしながら、時間的に2泊三日では無理だろうな。
どうなることやら・・・・・

明日の書き込みをお楽しみに・・・・


12/3/31(土)朝 キャンプじぃじの日記

反抗期について考えようか。

これは、あくまで僕が子供たちや大人(結果)を見てきたものを
まとめるものであって、正しいかどうか、確度については、分からない。

これは僕が強く思うことだ。

たぶん、「反抗期」は、「ヒト」が親から自立をするためのタイミングなのだろう。
おそらく文明や文化が遅れた国では、
「ヒト」が地球に現れてきたままに、この「反抗期」で子供が親から自立をしているのではないだろうか。

経済発展の遅れた国やその地方の話を聞いていて、
こういう傾向があるように思える。

日本でも逆説的に「姥捨て山」という風習が昔あったという。
つまり、「ヒト」が生きていくのに自分を食べさせる以外に余裕がなかった。

それは、親にとっても、子供にとっても、お互いに余裕がなかった。
これは、貧乏生活をしている僕が実感としてあるな。
子供がいなくなったら、ウソのように生活が楽だ。
「ヒト」の原始生活では、もっと切実なことだっただろう・・・・
・・・・「自立」

しかし、人類は、食料を畑で生産し、大量の獲物を飼育するようになった。
こういう「文明」の力で、「自分が食べるだけしか余裕がない」ということから解放されたんだな。

そして、衣食住のすべてにおいて、
「ヒト」と「ヒト」が協力することで合理的に「便利な物」が提供できるようになった。
そこで必要になったのが、
どう協力し合えるのか・・・・そのルールや、分配や、そしてここが重要だが
「教育」になったのさ。

そういうことで人間社会を形成してきたんじゃないのかな。

こういう高度な人間社会では、「反抗期」で「自立」をしてしまうと、
高度な「教育」の期間がもてなくなる。
そこで人類の文明の進化で、「反抗期」より遅れて「自立」させるようになった。

しかも、もっと高度な文明社会では、「自分が食べるだけしか余裕がない」ことから解放されているから、
子供も親も無理に「自立」する必要性が感じられなくなっていくのさ。

こうして「文明」が発展した人間社会では、次第に「自立」を忘れ去っていくんだろうな。
「自立」に対してかなり鈍感になっていった。

ところが、「自立」のメカニズムは、
人類史上、いや、たぶん生命体としてプログラムされてきたものだ。
このたった数十年の「文明」で得られた、
「快適」「気楽」「簡単」な生活には、対応していない。

ここに心の歪が起こるんだろうな、きっと。

子供のときから、何の不自由もなく育てると、
この「反抗期」が浅かったり、なかったりする。
これは、発達心理でも説明されているのではないだろうか。

「反抗期」が、浅かったりなかったりした「ヒト」は、
その後の人生の「辛さ」に勝てなくなる・・・・
これがうつ病といったもので現れるのだろう。

また、「反抗期」が浅かったり、なかったりしたと思える「ヒト」は、
30才、40才、でその「反抗期」が出現することがあるようだ。
もともと、「反抗期」がプログラムされていたものが遅れて出現する。

その年代では本来、人間社会で人間関係を円滑にするための「術」を身に付けなくてはならない。

それなのに「ああ言えば、こう言う」という反抗期特有な現象の「ヒト」ができてしまうわけだ。
こういう生き方は、本人にとって意味もなく不自由な人生になってしまっている。

「反抗期」で、自立をしてしまうと、
高度な文明社会でどう生きていっていいのか分からないことになってしまう。
これは、僕の四人の子供のうち、上、二人が当てはまる。

逆に、25才も過ぎて自立できないと、
極端な例で分かりやすいのが、最近起こった事件で、
パパの会社から100億の金をくすめたドラ息子がいる。
この息子は、東京大学の経済学部だったそうだ。

いくら「知識教育」が最高水準でも「心の育ち」が遅れていたらこうなるといういい見本だ。
ほかにも、例えば、結婚したくても婚期を外してしまうのも「自立」に関係があるでしょう。

ちょうどいい「自立」・・・・・
そう考えると、

子供の反抗期には、しっかりと反抗期を味あわせて、それに対応できる親になれること

僕は、こういうことで「父性教育の重要性を訴える」活動をしてきたのさ。

そして「20才では、自立をした一人の大人に育てる」ということが非常に理にかなっているわけだ。

これを実現させるためには、
「快適」「便利」「気楽」「安全」という「高度過ぎる文明」を行水のように浴びさせるのを改めて、
それで、しっかりとある「反抗期」から「自立」までの期間を適正にコントロールをした「子育て」が重要なのさ。

「快適」「便利」「気楽」「安全」ではない体験の重要性・・・・・
そうさ、子育てのための親子キャンプの有用性は、こういうことでもあるわけさ。

さぁ、そんなことを考えて、今日は、ボーイスカウトの活動の後方支援をしに
これから、さぎ山野営場へ向かうのさ。
「志」のある遊びさ。 面白いさ。

僕は、言うだけではない。 有言実行。
さぁ、若いお父さんは、どうする?


12/3/30(金)朝 キャンプじぃじの日記

一昨日、僕の四人の男の子の内、三番目の子が帰って来た。
それで、二夜連続で祝った。
一昨日の店は、「とみふじ」というつまみのうまいところで、
昨日は、定番の「みさき」で、

おかげで左足が少しムズムズする。
通風の予兆・・・・・・
ひぇぇぇ〜、ヤバイ。

父性教育の重要性を訴える。

当然のことながら、自分でこれを実行できなければ話にならない。
その三番目の子にたっぷり「オヤジの説教」をしたさ。
久しぶりだな、熱弁をふるった。

若いお父さん、
これをキャンプファイヤーでやるといいのさ。
薪火を囲んで、子供に
「生きる意味」「生きる価値」「生き方」を若いお父さんの言葉で語るのさ。

面白いし、カッコいいじゃないですか。
やってみようよ!
子育てを他人任せにしないで自分でしよう!


12/3/29(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第二話。

僕が目指す仕事がどういうものなのか・・・・
それがその写真屋さんに勤めることでハッキリと分かった。
目標が具体的に分かるというのは、人生の冒険の始まりだ。

僕は、
自己啓発セミナーで学んで、本当に目標をポスターにして壁に貼った。
自分の理想を見えるようにする・・・・・
脇道にそれないためにもぜひするべきだ。
そのポスターは、今もそのままにある。

写真屋さんに勤めてからというもの、
それは慌しい仕事量だった。
ピアノの発表会の撮影が押し寄せた。

「撮影」だけではなく、このときに「録音」だけの仕事もこなした。
当時、それをレコード盤に吹き込んで売っていた。
一般に市販されているレコードは、「プレス」されたものだが、
このときのものは、「マスター」だったわけだ。

レコードの溝を切っていく作業もした。
一定の温度に熱した針でマスター盤を切っていく。
その時に出る溝のゴミをバキュームで吸い込む。

初めの内は、一枚のレコードに音を吹き込むのに何枚も失敗をした。
とっても珍しい体験をした。
そんなことだから、そこで「録音技術」を身に付けたんだな。
「ケーブル巻き」は、そこで覚えた。

「ノイマン」というマイクも扱った。
SONYの「サンパチ」は、普通のものだった。
マイクを仕込むのに難しい現場では、「プレッシャー」を使った。
ミキサーは、「TAMURA」だ。
4入力、-20db、2出力。 +4、2出力。
その内2chは、ファンタム付き。
コンプレッサー型のリミッター。
SNは、放送規格。

一人で取材をするのに最低限必要な機能のものだった。
それで十分な機能。
これは、そこを辞めて最初に買った機材でもある。
当時、25万した。

僕は、ビデオ屋の仕事で「音」がどう重要なのかをそこで学んだ。

また、アナログでのスイッチャーも扱った。
マルチカメラで、位相調整や同期調整をやった。
今では、デジタルなので必要のない技術だが、
それでもそういう調整をやってきたので、
今、マルチでそれぞれの色合わせでは、苦もなくできるわけだ。

夏には、写真屋さんだから「臨海学校」で忙しくなった。
ビデオではなくスチルのカメラマンとして現場に行った。

千葉県の岩井海岸は、僕も子供のころに臨海学校で行ったことがあるが、
今度は、「写真屋さん」でそこに一週間缶詰をした。

一つの小学校は、二泊三日でやって来るのだが、
それが三校つながって入れ替わりで写真を撮った。
集合写真は決まった場所、決まったアングルで「ブローニー」で撮る。

あとは、35oでスナップをバシバシ撮る。
だいたい35枚のフィルムを一日10本〜15本撮った。
宿は、それぞれの学校が手配するのでバラバラだ。

ヤドカリのように岩井海岸の宿を転々とした。
面白かったなぁ・・・・・
いろんな子に遭遇した。

あるときには、
大広間に子供たち全員と写真屋の僕が一同に布団を敷いた。
僕は、子供たちから離れて、隅のほうに陣取っていた。

そこに、
いかにも「ガキ大将」の男の子が、
夜、寝るときに僕に、「ねぇ、隣に寝ていい?」と尋ねてきた。
僕が「いいよ」と答えると嬉しそうに自分の布団を僕の脇に持ってきた。

そして、翌朝。
僕が寝ている間に子供たちがお引越しをしてきて
僕を囲むように布団を並べて寝ていた。
かわいかったなぁ・・・・・
思わず微笑んでしまう光景だった。

またある時には、
ヒョロっとした男の子がどこへ行くのにもへばりついて来た。
海岸へ向かう時に、その子がこう言う。
「僕のお父さんもカメラマンなんだ・・・・」
そこで僕は、その子にニコンのカメラを手渡して撮っていいよと言った。

その子は、飛び上がるように嬉しそうに、
でもきっと父親にカメラを触っちゃダメと言われているのだろう、
「本当にいいの?」
と言う。
僕は、
「会社のカメラだからいいさ。 撮ってみなよ」と言った。
その子は、遠慮しながらシャッターを2〜3回きった。

あの子は、今頃どうしているんだろうなぁ・・・・
もう35才ぐらいになるはずだ。

とっても愉快な体験をいっぱいした。
仕事をしてるんだか、遊んでるんだか、自分で分からなかった。

つづく


12/3/28(水)朝 復活サイクリストの日記

見沼代用水路コースで、ここのところ足慣らしをしたので、
昨日は、ツーリングに出た。

この間、日光まで輪行をしたのだが、
そのアンチョコサイクリングの味が忘れられなくて、
それを再現した。

前回とまったく同じ時刻の電車に乗って、東武日光駅を降りた。
なんでもこの路線は、「東武スカイツリーライン」と改称したのだとか。
全国への知名度が上がるだろうね。 商魂たくましい。

この間と同じように「あげゆばまんじゅう」を買いに駅前ロータリーを行く。
そうしたら、その店だけ行列が出来ていた。
一人で何十個も買うお客が何人かいたので、
客がなかなかはけない。

僕は、意地になって行列に並んでそれを1ヶ買って、そこで食べた。
僕は、甘いものは嫌いだが、
揚げたてのころもに塩がかかっていて、
そのショパ味とあんこのあまさが妙に不思議なコントラストのある味なんだな。
あんこの回りに、ゆばが入っている。

ナント、日光のお土産でナンバー1になったんだそうだ、このまんじゅうが。
ここでいきなり時間が押してしまった。

この間同様、そこから「日光橋」まで自転車をこいで登って行く。
そこのところが「頂上」なんだな。
そして、一気にダウンヒル!

涙、ボロボロ出しながら、じぃじの暴走族だ。
よい子は真似をしないように。
自転車の最高速度は、30k/hです。
車を追い越してはいけません。

途中、地元のお蕎麦屋さんでお昼にして、
鹿沼まで軽快な足取りで、「楽チンサイクリング」をした。

こういうの、サイクリングと呼べるかどうか・・・・・
電車をスキーのリフトに見立ててれば、
自転車で「滑走」したという方が正確な表現だな。

この間は、鹿沼から脇道にそれて、訳が分からなくなってしまったので、
今回は大人しく秩父市の近くまでは、一般道を走った。
秩父が近付いたところで、
進路を西へとる。
目当ては、「思川」だ。

秩父の地図もあるし、方位磁石も持っているのだが、
行き当たりバッタリのサイクリングが好きなんだな。
なかなか思川に出っくわすことがなく、
代わりに「赤津川サイクリングロード」なるところに着いた。

その土手沿いに走っていく。
線路でそのサイクリングロードが遮断されても、
迂回してまた赤津川を見つけて土手を走った。

ついに、その川は、「永野川」に合流して消滅した。
今度は、この永野川の土手を走っていったのだが、
どうも東へ、東へ、傾いていくような気がした。

そこで、思いっきり西へ進路変更をする。
だいたい太陽に向かって走って行った。

でもなぁ・・・・・
太陽は、いつまでも南にあるわけじゃないんだよなぁ・・・・
ここのところ、日が伸びて、太陽が刻々と西へ落ちていく感覚がなかった。

いつものようにサッパリ訳が分からなくなる。
そこに片側二車線の大きな道に出たので、
とりあえず、どこにいるのかを知るために、その道を走って行った。
携帯でも位置が分かるのだが、ここはアナログチックにサイクリングを楽しむ。

そうしたら、国道50号の標識がでてきた。
ナ、ナント、前橋方面へ向かっていた。
スゲ〜〜〜大回り。
途中に藤岡方面左折の標識が出てきたので迷わず、それに従った。

本当に日が伸びた。
時計を見たら、その時点で三時過ぎだ。
急がないと、おばばを仕事場までお迎えするのに間に合わなくなる。
遅れるとどうなるのか・・・・・・
わぁ〜〜〜、想像したくない! 
「あたし、働いてんのに、一人であそんでんだから」
こういうフレーズが脳裏をよぎる。

いつもこうして最後は、せわしなくなるんだな。

たぶん前回同様の電車に乗れそうな時間に藤岡駅に着いた。
それに乗りそこなうと、一時間待ちに・・・・
ヒェ〜〜〜〜、恐ろしいぃ。

そこで自転車をバラして輪行袋に詰め込んで切符を買って、
改札を抜けたときだ。
上り電車が来るが見えてしまった。

猛ダッシュさ。
階段を二段飛びしようと思ったら、「お年頃」でよろけそうになった。
自転車で鍛えた「ピッチ」で階段を飛ばさずに一段、一段、丁寧に駆け上った。

自転車を担いでのダッシュなんて産まれて初めての経験だ。
もう二度としたくない。
努力のかいがあってギリギリセーフ!

良い子の皆さん、駆け込み乗車はしないように。
まぁ、こういうスリルも旅の面白さなのさ。
危なっかしいからこそ面白い。
人生も同じだ。
危なっかしいから、濃い人生が楽しめるのさ。

シナリオ作成では、平穏な台本のことを「水っぽい」と言う。
せっかく生きているのに、水っぽい人生なんて、もったいないのさ。
子供たちに教えていきたいよな。
年寄りチャリ暴走族ではないよ、生き方をさ。


12/3/27(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日、見沼代用水路コースをサイクリングで一周した。
まだ冬の寒さだ。
去年の秋も暑さがいつまでも残って、「秋」が短かったが、
この「春」も「春一番」がなかったし、短いのだろうか。

こうしてサイクリングやキャンプは、自然の中に溶け込んで遊ぶものだから、
「地球の調子」を肌で感じることが出来る。

コンクリートの壁の中で、
口先だけで「自然環境」がどうした、こうした、と言うのはおかしいさ。

同じように、
自分の子供とたっぷりと遊ぶことをしないで、
「教育ママ」の気分になっても、
「子育て」を、上手に出来るとは限らないのさ。
これは、本当にそうさ、そういう例をたくさん見てきた。

ここを読んでいるパパ!
僕は、発達障害の子を自立させるのに本当に命がけで「子育て」に取り組んだ経験があるのさ。
この体験でハッキリ見えてきたことがある。
今の子育てでは、ニートが240万人もいるのは、当然のことに感じるようになった。

「子育て」のために、いろいろな、各種「教育」があるんだよ。
つまり「自立をした大人」に育てるのが本来の目的で、
「教育」は、そのための「手段」に過ぎないんだよ!!

ここの違いをよく理解しよう!

大学さえ出せば子育てをしたつもり・・・・・

完璧に「目的」と「手段」を取り違えている現象だ。
よく「教育熱心な人」という方がいるよね。
真似しちゃいけないよ、そういう人に気をつけるんだ。

厳しい現実社会で、生き生きと生きる子供に育てた親をよく見て、学ぶのさ。
それは、街の中に普通にいるさ。
親父の後をついで、命がけで漁に出る漁師とか、
和菓子屋を継いで、新作和菓子を商品開発する若旦那とか、
きっと、そこの「オヤジ」は、
子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を教えたのさ。

昨日は、ホトトギスの声をいくつか聞こえたな。
でもホトトギス語を上手に発語できないでいた。
「ホ〜〜〜〜、ホケ、ケ、ケ」とか、
「ケキョ、ケキョ・・・・」とか、
まだ修行中だった。

たぶん、巣で飛ぶ練習もしているんだろうな。
人間の子もしっかりと「巣立つ」ことができるようにたくさん練習をさせて
つまり、「実体験で学ぶ」ことをさせて自立させようか。

それには、「自然体験」がなにより重要だと僕は、思うね。
建物の中ではないさ。
なぜなら、
人間だって「自然の一部」だからだ。
肉体も精神も、「大自然」の中でなければ健全に育たないものがあるのさ。

サイクリングで自然の空気をたっぷり吸うと、これがよく分かるんだな。


12/3/26(月)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、カメラが好きでビデオ屋をやっているのではない。
子供をビデオで撮るのが好きで仕事をしてきた。

同様に、
僕は、キャンプそのものがそれほど好きなわけではない。
子供たちがいるキャンプが好きなんだ。
だから、
夏の幼稚園のお泊まり保育や、
マザー牧場でのキャンプスタッフが好きでたまらないんだな。
面白くてしょうがないのさ。

昨日、さぎ山野営場でボーイスカウトが炊事訓練をするという連絡があったので、行った。
新米ボーイがいつものように隊長に怒られていた。

ボーイスカウトは、おおむね中学生ぐらいだ。
高校生ぐらいになると「ベンチャースカウト」と呼ぶ。
この活動は、ありとあらゆることを体験させられる。

キャンプ生活全般は、言うまでもないが、
街の清掃活動といったボランティアや、
募金活動も行う。

そして、そのすべてが「自立」の訓練になっている。
ベンチャースカウトでは、
まったく大人リーダーの力なし(本当は、厳密には、ちょっと違うけど・・・・)
で、自立をしてキャンプを実行する。

僕も、四人の男の子の内、
下、二人は最後には、「ソロ・キャンプ」を体験させて、
自立のリハーサルをした。
末っ子での「ソロ・キャンプ」の様子は、
ここの書き込みのどこかにある。
中学、高校、あたりの子供の心の揺れについても書き込んだ。

昨日は、ボーイの子の他にベンチャーの子が一人来ていて、
ベンチャー専用のサイトを開墾していた。
今度の日曜日を挟んで、二泊三日のキャンプをするそうだ。

それとは別に、ボーイ隊も一泊キャンプをするらしい。
もちろん、僕は、活動の後方支援のために出向くのさ。
今から楽しみでしょうがないさ。

昨日の夜、おばばに今度の休みには、キャンプでいなくなると伝えた。
怪しそうな顔をするので、
こう宣言した。
「しばし、別居生活で解放される」
本音さ。

ところで、昨日は、隊長の依頼で道路側に生えている木が、
幹の途中でひび割れしていて危ないから処分して欲しいという依頼があった。
また薪が増えちまったよ・・・・


12/3/25(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

昨日は、午後から晴れて暑くなるようなことを天気予報で聞いた。
それで、気合を入れて小雨が降る中、タープを張って準備をした。

ところが朝の10時半になっても雨がやむどころか、
降りが強くなった。
11時ごろ、早弁をして様子を見たが、一向に雨がやむ気配が無い。

道満グリーンパークには、まったく親子連れのピクニックの存在はなかった。
ゆえに、「親子で工作」は、断念して帰って来た。
これから、ビショビショのタープを干さなければならない。

いくらいいことをしようと思っても、
神様の了解を得られなった。
こういうこともある・・・・・・

次回は、4月14日(土)に実施予定です。


12/3/24(土)朝 キャンプじぃじの日記

本日、戸田市の「道満グリーンパーク」で

「親子で工作」のボランティア活動をします!!!!!!

午前中、その準備で、午後から活動しますので

ぜひ「親子」で参加してください!

午後3時には、終了をしてしまいます。



12/3/23(金)朝 キャンプじぃじの日記

SCC 「親子で工作」 ボランティア活動を明日します。(雨天順延)

場所:戸田市 「道満グリーンパーク」

詳しくは・・・・ スノーメン・キャンプ・クラブ

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

昨日は、見沼代用水路コースをサイクリングした。
花粉にやられた。
どうして天気がいいのにいつものようにサイクリストがいないのか、理由が分かった。
ヘックショ・・・・

その後、山仕事をした。
薪は、一昨日のうちに一段落をしている。
今度は、防火用水用の水槽だ。

積雪対策で、上面に被せていたネットを水槽の中に落としておいた。
すっかり、落ち葉が水槽の中を泳いでいる。
ネットを引き上げて、
その落ち葉を、志賀昆虫で買った業務用の虫網ですくう。
昆虫マニアが見たら、相当憤慨するだろうなぁ。

ほとんどの落ち葉を水槽から取り出したところに
そのネットを元通りに被せた。
これは、落ち葉や蚊が入らないためのものだ。

水槽には、ここのところの雨が溜まり、五右衛門風呂が何回もできるほどになった。
ただし、あくまでもこれは、「防火用水」だ。

また不法投棄があった。
今度は、エロ本だ。
それも、よくもまぁ、こんなに買ったものだと感心するほどの量。
今時、エロ本なんてねぇ。
風流だ。
平成春画か。

ともかく、それが散乱していたので、紐でまとめて持ち帰った。
おばばに処分するように丁重にお願いをした。
なんだったら、見てみる? とそそのかしたら、
おばば曰く、おじさん用に置いておいたのじゃないの? だってさ。

確かにあれば見ちまうよな・・・・・・


12/3/22(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第一話。

今から30年ぐらい前、僕は自分の子をビデオで撮って
それを編集した。

VHS×VHSの編集なので画質は良くはなくても、
スローモーションにBGMをつけたら、
それが面白くて、かわいくて、
その頃勤めていた会社から帰ってきては、
そのビデオを毎日、何かに取り付かれたように見ていた。

僕は、小さな会社に勤めていた。
仕事は、広告物の営業だった。
このときに、僕は営業を覚えたんだな。
これが人生最大の僕の「生きるための技術」になろうとは、
まったく想像できなかった。

バブル経済で非常に給料が良かったが、
その会社を10年勤めて自分のしたい仕事を目指して辞めた。

その仕事が、今の仕事だ。
自分の子を撮って見たそのビデオの魅力はいったい何か・・・・
これは商売になる。
そういう勘が働いた。

会社を辞めて「ビデオで子供を撮って売る」商売は、どう立ち上げればいいのか?
サッパリ分からなかった。
周りにいる連中は、「絶対」を付けて「そんな商売はない」と言っていた。
確かに、そのころには無かったんだな、今の商売はね。

でも、きっといつかは売れるものが作れると思った。
自分の子が写っているビデオは、宝物のように売れる日がくる・・・・・

失業保険の4週で満額28万をいただきながら、
どうしたら商売を立ち上げることが出来るか、
いろいろ試行錯誤をした。
思いつくこと、そのときに自分一人でできること、
全部やってみた。

このときに、自己啓発セミナーを受けてみたり、
商工会議所で、「販売士」の勉強をしたりもした。
目標に向かって必死だった。
人生には、こういう命がけの成長が必要だ。

しかし、
道筋がまったく見えなかった。

ついに失業保険が切れて、生活費を稼がなければならなくなる。
どうやっても個人事業のビデオ屋をどう立ち上げればいいのか分からないので、
この挑戦を諦めざるを得なかった。

僕の持っている「技能」は、車の普通免許のみ。
そこで、住んでいるところの運送屋さんに就職をしようと決断した。
たしか、三社ばかりの社員募集に応募したと思う。

最後の一社に出向いて、面接官に履歴書を出した時だ。
彼は、僕よりも若かったのだが、熱心にこう僕に訴えてくれた。
「谷口さん、違うよ、運送屋ではない。 目指した仕事を諦めないでやるべきだよ」
こんなようなアドバイスをくれた。

僕にとって、人生で最大の奇跡の言葉だった。
なぜなら、
あまりに熱心にそう面接官が言うので、その足ですぐ「アルバイトニュース」と言ったか、
そんなような雑誌を初めて買ってみた。
そこに、
ある写真屋さんがビデオ部門を新設するにあたって社員募集の記事を見た。

たった一行のものだったが、僕にピッタリのものだ。
奇跡でしょう。

すぐに、そこへ出向き応募をした。
即決で、次の日から出勤となった。
その写真屋さんのメインの仕事は、「卒業アルバム」だった。

僕の脳みそに100wの電灯が灯ったね。
そうか、僕は「卒業ビデオアルバム」という仕事を目指せばいいんだ!

そのころ卒業アルバムの製本大手のダイコロという会社が、
写真屋さんがアルバム用に撮って編集には使わなかった「写真」を預かり、
それをビデオ映像に撮り直して、
つまり、1枚の写真の中でパンしたり、ズームしたり、「見かけの動画」にして
「卒業ビデオアルバム」として売り出していた。

それは、写真の「卒業アルバム」のおまけとして商品開発していた。
僕は、その時に思ったね。
「卒業ビデオアルバム」は、取材自体動画でしなければ本物ではないでしょう。

そこまでは、理論的に分かったのだが、それを商品化できたのは、
それからまだ何年もかかった。

つづく


12/3/21(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、夏場の肉体労働に向けての体力作りのために
見沼代用水路コースをサイクリングした。

さぎ山野営場に車を停めて、そこから自転車でコースにでるのだが、
野営場の北側にある巾1メーターぐらいの小さな用水路に枯れ木が覆いかぶさって、
しかも道路にまではみ出ているのを見つけた。

邪魔ではあるけど、危険ではなさそうなので、
走った後で処分することにした。

走り初めのころは、曇っていて北風が強く真冬のようだった。
もう3月中旬を過ぎたのにねぇ・・・・・
それでも、この1ヶ月以上、仕事に追われて外の空気を吸えなかったから、
もう嬉しくて、とっても気持ちが良かったな。

コースは、もう何十回と走っているので、自動操縦だ。
まるでレールの上を走る列車のように僕の体が勝手に反応をする。
こうだから、ツーリングと違って
走っている最中、ず〜〜〜〜っと何かを考えてしまうんだな。

そうこうしているうちに、ホトトギスの声を聞いた。
この寒いのに、聞き間違えだったのだろうか・・・・
休日だったので、思い思いのカラフルな格好をしているランナーに出会った。

サイクリングをしている人もチラホラいたけど、
寒いせいか、それほどは多くはなかったな。

だんだんと快晴になり、風もやんで、今度は暑くなってきた。
やっぱり春だ。
軽快に一周をしてさぎ山野営場に戻ってきた。

今度は、山仕事、その道路まではみ出た木を処分するために
チェーンソーにガソリンとオイルを入れて、
その木があるところまで行こうとした、その時だ。

途中に地主さんの趣味の小さな神社があるのだが、
それをかすめるようにして、直径30pぐらいの倒木が・・・・・
あたりには、それの枝が散乱していた。

あぁ、仕事が増えちまったよ。
とりあえず、道路にはみ出たのをやっつけようとしたら、
チェーンソーの刃がNG。
それを交換しに倉庫へ戻る。

はみ出たのはすぐ処分できたが、
神社のところの倒木は、せっかくだから薪にしようと、
30pぐらいずつにスライスをする。
途中でチェーンソーがガス欠。
どのくらいの作業量かが分かるでしょう。

その倒木は、根元からではなく途中から折れていたのが分かった。
それで、危ないので5メーターぐらい立ち枯れをしているのも倒した。
幹を全部スライスをしたら、
今度は、それを薪割り場まで一輪車で運ぶ。

根元近くの切り株を二つだけ一輪車に乗せて、運んだのだが、
重い。
一回だけ運んで嫌になった。

と、その時に、野営場でもホトトギスが鳴いた。
おぉぉぉ、春だよ春。

今日は、これから残りのものを全部、薪割り場まで運んで、
ブロアーで掃除をする作業をしなければならない。
キャンプ場の整備は、こうして大変なんだ。
せっかく手入れをしているんだから、子供たちに多いに使って欲しいんだよ。


12/3/20(火)朝 キャンプじぃじの日記

みなさん!

ネットで「自立 子育て」を検索しましょう!

知識で「自立」を知っていても、

子供を実際に自立させる子育てをどうしたらいいのかが分からないでしょう。

日本では、「成人」を20歳と法律で定めています。

それは、20歳では「大人」、

つまり自立をし責任が取れる年齢ということを前提にしているのでしょう。

本気でこの「自立」を考えて実行をしようではありませんか!

「ニート」の意味は、「働きも学びもしない若者」という意味です。

「自立」と真反対な状態が、つまり「ニート」です。

今、日本ではこのニートが240万人もいるそうです。

学校の成績だけを、知識だけを、子供に押し付ける教育だから、

また、物や金だけが「生きる価値」と子供に教えるから、

最大限の「快適」を子供に与え続けるから、

ニートが爆発的に増えているんだと思えるんです。

他人事では、ありませんよ!

そうして育てられて、ニートこそならなくても、

その子が、30才、40才、になった時にうつ病にもなりやすいんだと思います。

そんな育て方は、子供を不幸にするだけでしょう。

「20才で自立」が出来るように子育てをしましょう。

そのためには、遅くても中学生になったら、

子供に「生きる意味」「生きる価値」「生き方」をお父さん自身で教えましょう。

これを「知識」で教えるのではなく「体験」で教える。

さぁ、子育てのための「親子キャンプ」で具体的にどう実行すればいいのかが

分かります。

少なくとも、僕はこれを実践しました。

僕は、高卒で貧乏な一人の父親です。

だけど、子育てのための「親子キャンプ」をやった。

吉村先生の「パパ&ママ子育てフォーラム」では、

「自立」を具体的に見せる内容になるだろうと思います。

このフォーラムをヒントに、お父さんが「実行」出来る内容になると思います。

4月28日(土)には、越谷市にある幼稚園のホールを借りて、

このフォーラムをします。

ぜひ、ふるってご参加を下さい!!


12/3/19(月)朝 復活サイクリストの日記

運動をしないで、ムシャムシャ食べていれば確実にオデブになる。
そうして出来上がったうちのおばばを何とかして運動をさせるべく
昨日、サイクリングした。

僕と同じで急な運動は、血圧の急上昇を招き、
どこかに血栓がつっかえて、
それが元で心肺停止になる危険がある。
そこで距離を短くすることにした。

「見沼代用水路コース」は、周回コースになっていて、
一周約50`(だいたい47〜48`)だ。
そこを適当にショートカットをすれば、ご希望のコースの長さになる。

最近、一番のお気に入りのショートカットをして
おばばの運動不足解消を目指した。
うっかり結婚させられて、未だにこうして大変な思いをさせられているのさ。
それだけではない。
ときどき、乳がん検診もしなければならない、医師免許なんかないけどね。
どう? 若いお父さんもちゃんと生体観察をしているかい?

一人でサイクリングをするときには、
後方確認は、道路に駐車している車を避けるために、
後ろから車が来るかどうかを知る程度だから、そうはしない。

しかし、二人以上のグループでサイクリングをする場合、
概ね1分に一度ぐらいの後方確認をして、
トップを走るときには、ちゃんと後ろがくっ付いて来ているかどうかをチェックする。

若い頃は、どうということがなかったのだが、
歳をとって、バランス感覚が鈍っているところに、
速度が遅いせいか、
ちょっと振り向くと、その弾みで自転車がふらついてしまうんだな。

そこで、この間、手頃な価格の双方向同時通信できるトランシーバーを手に入れたわけだ。
僕の仕事では、こういうのを「インカム」と呼ぶ。
見通しのいい直線だとギリギリ100メーターは電波が届くけど、
20〜30メーターぐらいまでが実用的だ。

サイクリングでは十分。
そういう文明の利器があっても、おばばとでは、楽しい会話なんかないね。
黙々と走っていたら、インカムから「ガッシャ」という音が聞こえてきた。
おばばがコケていた音だった。

すごいリアリティーだな。 そこに感動をした。
おばばの損傷は、ほとんどなく、本人は、手首が痛いと訴えていた。
でも今朝、平気な顔をしているところを見ると、たいしたことはなかったようだ。

おばばがコケて、しょうがないから、
ショートカットにしたコースをさらにショートカットして、
えらく短いサイクリングで終わった。
これじゃ、運動不足解消にはならないよなぁ。

まったく世話の焼けるおばばだ。


12/3/18(日)朝 キャンプじぃじの日記

あぁ、世間では今日はお休みの日か。
僕も今日は、off った。
卒園式のシーズン最後の一本を明日撮って今年度の取材終了。
・・・若干撮り足しが一件あるか・・・

まぁ、これで僕の春の到来だ。
たんまりとサイクリングをしたいよなぁ。
僕の頭は、今、このサイクリングという消費で頭が一杯だ。
しばし、大人になりきれない青二才を楽しむさ。

この間、本を読んでいて「内面化」ということを教えられた。
ある意味、僕の「考え」は、ここに書き込むことで僕の脳みそにそれを「内面化」してきたとも言える。
そして見えてきたことを「言葉」にしてみた。

「子育てを他人任せ」
「父親が成長した分、子が育つ」
「消費で頭が一杯の人は、(心の)成長が止まる」
「消費ではなく成長にこそ生きる感動が生まれる」
「快適病」
「親の最大限の贅沢、豪華は、子供にとって生きる最低限の条件になる」

そして、政治家も、教育者も、学識経験者も、インテリも、博士でも、
評論家でも、テレビでの露出度の高い人も、
息子に100億の金をくすねられた大社長も、

分かっているようでしなかったこと・・・・
「子育ての目標は、自立をした一人の大人に子供を育てること」

自立できないから、ひきこもりやニートになってしまうのでしょう。
とっても簡単なことではないですか。
自立できないから、結婚したくてもできないのでしょう。 
政治の問題ではないさ。
自立できないから「物」で虚勢を張って不幸な人生を歩むのでしょう。

「幸せは、それを感じ取る能力」
だという。
自立しないとこの能力は、鍛えることが出来ないと思うよなぁ。

結構、僕は、サイクリングをしていて、
子供のことを考えているか、そうでもなければこんなようなことを考えて走っているんだな。

禅宗が「まったく考えないで無にする」ということで、
どうやら人生について内面化をするのだろうか。

僕は、サドルにまたがって「積極的に考えることで自分の思いを内面化」しているような気がする。
方法は、どうであれ、
「人は、生きる意味を内面化する動物」なんだろうな、きっと。
何も自分に内面化できなかったら「動物と同じ生き方」になってしまう。

今日は、妙なことに気付いてしまった。
早くサイクリングしてぇ〜〜〜。


12/3/17(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、卒園式で来賓の小学校の校長先生が、
「早寝・早起き・朝ごはん」
を訴えていた。

医学的にも、子供はどんなに遅くても夜の9時には、寝かせないといけない。

「早起き」が身体的な健康だけではなく精神的な健康の基でもあるという。

「早起き」は、「早寝」をすることでできるものだ。

育ち盛りの子供に「朝食」抜きは、あまりにひどい。

でもいるんだな、こういう基本的な生活ができない親がね。
「教養」の問題だけではないような気がする。
たぶん「快適」「気楽」「簡単」を追い回す生活をしているうちに、
「夜更かし」になり子供が起きていても平気になる。
それが「朝寝坊」になって、朝食の準備ができなくなり「朝食抜き」と連鎖をしてしまうのだろう。

小学校の間に、そういう子育てをするから、
中学生の反抗期で、「そんなのむり〜〜」「かったるい」「おっくう」
というやる気のない子に出来上がってしまうのだろう。

ニート予備軍だ。

僕は、こういう親を「快適病」と名付けた。
家長の父親が、子育ての基本を知り、学び、実行できるようなものがどうしても必要でしょう。

「学校の成績」という狭い範囲の教育ではなく、
「一人の大人」に育てるための講演、
それが、

吉村先生の「パパ&ママ子育てフォーラム」だ。 ぜひ聞きにきてください!


12/3/16(金)朝 復活サイクリストの日記

久しぶりだ。
やっと自転車に乗れた。

週に二回自転車に乗るととっても体の調子が良くなる。
でももう、一ヶ月以上乗ることができなかった。

とりあえず、足慣らしで見沼代用水路のフルコースをゆっくり走った。
期待通り、とっても気持ちよかったな。

僕は、サイクリングをする度にこう思う。

子供を建物の中に閉じ込めて「もやしっこ」にするな。
外遊びをたっぷりさせて、少しぐらいのことでくじけない心に育てよう。


12/3/15(木)朝 ビデオマンの日記

子供の心を強く育てる・・・・・・・

僕が今、一番興味のあることだ。
「ビデオ屋で生計を立てる」という目標は、もう28年前のことだった。
今は、ビデオ屋で「喰ってきた」のさ。

脱サラしてこの商売を始めた。
そこに必要だったのは、「志」だ!
目標がハッキリしていた
「子供をビデオで撮って売る商売」と言葉にしていた。

だからこの商売を目指して28年、少しもブレることなく突き進むことが出来た。
「何でも撮ります」は、裏を返すと「何にも撮れません」になるのさ。
被写体に対しての専門性がないからだ。

僕のキーワードは、「子供」だ。
カメラに興味があってこの仕事をしているのではない。
だいたいそういう人は、アマちゃんだ。

「子供」を撮るという見る行為、観察、から
「子供」を育てるということへのスイッチは、僕にしてみれば自然な流れなのさ。

「心が強い人」でなければ、この商売を立ち上げることが出来ない。
ガンガンと「飛び込み営業」ができる。
それで、僕は商売を立ち上げてきた。

この能力を今度は、「子育てフォーラム」に使うのさ。
僕の商売ではないが、ニートが240万人もいて放っておくわけにはいかないさ。
今、僕の隠居生活の最大の刺激だ。

これからこのフォーラムをガンガンと売り込んでいって、
講師に張り切ってもらって「本当の子育て」を伝道していって欲しいのさ、日本全国ね。

めでたし、めでたし、今日、そのフォーラムを上記の通り発表します。
これで、
やっと今日サイクリングが楽しめるんだ。
人生は、バカみたいに面白いよなぁ・・・・・・・
滅茶苦茶大変だったけどね。


12/3/14(水)朝 キャンプじぃじの日記

次の講演のネーミングは、「仮称」がそのままになった。
講師と検討をしている時間などなかった。

「パパ&ママ子育てフォーラム」

昨日、とりあえず会場と予告案内のチラシを幼稚園の保護者に配ってもらえるところまで漕ぎ付けた。
次に、講師が自分の会社に企画のりん議を上げて通してくれればここで発表できる。

ぜひ、小学校低学年のお子さんがいたら聞きに来て欲しいと思います。
このフォーラムは、幼稚園の催事ではありませんから、
ドシドシと読者の方、来てください!
当日受付をする見込みです。

「子育て」で重要ではない年齢などありません!

なぜか、幼稚園を卒園して小学校に子供が通うようになると、
とたんにホッポリパナシになって金を払って「他人任せ」にしてしまうようです。

子供が10才ぐらいまでにタップリと父親が関わる、
これが後の反抗期にどれほど影響があるのか知って欲しい!

ニートが240万人もいるというのは、今の子育てでは必然なのです!
これは、他人事ではないですよ!
行政の問題でもない。

いくら学校の成績をよくしてもニートになってしまっては、
何にもならないでしょう。
厳しい現実社会を生き抜く強い心に育てましょう。

「お父さんの子育て」を具体的な例で見てもらい、
参考にしてもらえる内容になると思いますよ!

近日、内容をここで発表します。
乞うご期待!


12/3/13(火)朝 キャンプじぃじの日記

「子育てフォーラム」

これの講師は、幼稚園の体操の指導を31年してきたので子供の様子を、
たくさん見てきた。
その現場での様子、昔の子と今の子、地方の子と都会の子、
細かい違いを具体的にこの間、語っていた。

講師の「見た」「感じた」「思った」ことを話したので、
多くのお母さんに共感をいただいたわけだ。

その上で、どう「お父さん」が子育てに関わるべきかを話した。
そして、講師が「今度はお父さんに向けて話しましょう」と訴えたら、
それのアンケートで、「ぜひ聞きたい」「他の幼稚園のお母さんも聞きたがっている」
という反応をいただいた。

とは、言っても、本当に必要としている保護者は、
この間、集まった内の一部になるだろう。

次のフォーラムの内容を検討している内に時間ばかりが過ぎた。
「ぜひもう一度聞きたい」・・・・これに応えなくては・・・・・
でも、
よく考えてみたら、そう思うお母さんの多くが今度の卒園式でいなくなる・・・・・

なんでも初めてのことをするというのは、
こういう盲点だらけなものだ。

僕は、昨日、このことにやっと気付いて、
慌てて、次回の講演の「予告」のチラシを考えて、講師に見てもらって了解を得た。
インターネットのお陰だな。
今、講師は関東平野にいない。

今日、幼稚園にも了解を取り付けて、
すぐに配布しないと、もうあと数日で卒園式で間に合わなくなる。

講師は地方への出張続きで何も出来ないでいるから、
僕がハッスルするしかない状況だ。

どうか、ギリギリセーフなので、次回フォーラムの了解を取り付けられますように。
そして、OKが取れれば、この紙面でも発表をしますので
ここを読んでくださっている、お母さん、お父さん、もぜひ聞きに来てください!!

小学生から成人するまでをどう「子育て」すればいいのか、
そのヒントに必ずやなると思います。

いくら学校の成績をよくしても、
子供の心を強く育てられなければ、元も子もありませんよ!

ニートが今現在240万人。
これをどうにかしなければなりません!


12/3/12(月)朝 キャンプじぃじの日記

新聞を読んでも、教会へ行っても、ラジオを聴いても、
昨日は、一日悲しい思いをしたな。

前を向こう。

ブータン王国の話をしよう。
震災の後、ブータン国王が国賓として日本に来たではないか。
励ましてくれた。

ブータン王国を「庶民」の視点で日本人が書いた本を読んだ。
喫茶店で読んでいて、面白くてつい声を出して笑ってしまった。

著者は、今頃の日本の幼さが残る若い女性だが、
分析は、さすが東大卒で、日本のビジネスに関わっていただけに
するどい指摘もあった。

決して「ヤッコク」ない。

「ブータン、これでいいのだ」
御手洗 瑞子(みたらい・たまこ)著 新潮社 刊 1,400円


12/3/11(日)朝 キャンプじぃじの日記

去年のこの日、
僕は写真展を見に、滅多に乗らない地下鉄で新宿御苑へ向かっていた。
「巨大地震で緊急停止します」
という車内アナウンスで電車が停まった。

すごく大きな揺れだった。
僕は、地下鉄の中、とても助からないと観念したさ。

あれから一年。
僕は、それほど普段と変わらない生活をした。
生きてきた。

神様の何かの必要で「今、生きていろ」と言われているような気がしてならない。
僕は、
それは「父性教育の重要性を訴える」ということをしろ、
ではないかという気がしている。

これは大変な仕事だ。
とてつもなくでかい壁が立ちふさがっている。

でも、
同じ目標で「子育てフォーラム」を始められた講師との出会い。
決して偶然ではない気がするんだ。
そしてこの活動のアウトラインが見えてきた。

この間、「母親向け子育てフォーラム」を講師が開催し、
盛況に終わったが、
その第二弾「パパ&ママ子育てフォーラム」(仮称)の内容の案を講師に送った。

これをタタキ台に講師と内容を詰めて、同じ会場で実施できる見込みだ。
しかも、次の講演で、
お父さんにフォーラムの感想をいただくことや、
もうすでに幼稚園の保育現場で父親に保育補助の体験を実施している先生からもコメントを頂けそうなところまで進展をした。

この根回しは、自分でも快挙だと思う。
神様に背中を押されている・・・・・たじろぐな・・・・

そして、それら「生」のご意見をまとめて「子育てフォーラム」の販売促進DVDを作るつもりだ。
そのDVDで、このフォーラムに賛同くださる幼稚園を開拓していこうと思う。
極めて具体的かつ、実現可能な範囲になった。

日本の国民の240万人がニート。
年間3万人以上の自殺者が12年連続している日本。

ブータン王国では、電気もまだない山岳地域での生活があるというのに「幸せ」な国民とは、
あまりに対照的だ。

日本がブータン王国と同じ生活をすることは出来ない。
しかし、そこに「幸せ」のヒントを見出すことは出来る。

「一家団欒」
たぶん、これだと思う。
そして家長である父親の存在。

ただ父親がいるということではない。
「父親の機能がある家族団欒」
間違えなく、この存在だろう。

忙しく働いて金や物を手に入れても、
夕食に父親がいない不幸をどうにかしたいね。
お父さん自身の気持ち次第だ。

「父親の存在」
これを訴え続けることに、今、僕が生きている意味を見出したいな。
子供たちが自立していなくなったので、本気さ。


12/3/10(土)朝 キャンプじぃじの日記

若いお父さんの親の世代が「バブル景気」という砂糖のような甘い社会を味わった。
たぶん、なにかにつけそのユルユルの生きる感覚が残っていて家庭に影響をしているのではないだろうか。
「うぬぼれ」

「消費で頭が一杯だと、心の成長がみごとにとまる。」

「いつまでも幼稚を引きずるので自立ができない。」

こういうことで、窮屈な人生・・・・ニートやうつ病・・・・
になってしまうんだろうと思える。

だからその逆をするのさ。
「立派な物」や「豪華」で「幸せだね」と子供に教えるから「うぬぼれ」が育つ。

「ブータン王国」を大いに参考にしてみよう。
「物」は、日本人がたまげるほど不自由らしいが、
「幸福度」が高い・・・つまり幸せの見本・・・・・

真剣にこのことを考えて子育てをしよう。
子供は、豪華なものよりも
若いお父さんと手を握って散歩をする方がよっぽども幸せなのさ。

どう考えるかな? ニートが240万人というこの日本を。
政治の問題ではないぞ。 間違えなく心の問題だ。


12/3/9(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕には、四人の男の子がいるが、
上二人を上手に育てられなくて荒れた。

そこで、下二人は、ボーイスカウトに参加させ、
僕自身も自らリーダーをした。

後から考えると結局「親子キャンプ」になっていた。
それで成長したのは、子供だけではない。
僕自身も父親として成長できた実感を得た。
それで、「父親」の子育てが、いかに重要かを身をもって知ったわけだ。

「仕事で忙しい」
これは、言い訳だよ。
「やる気がない」
本当は、こうじゃないのかな?

僕は、手狭になったアパートの部屋を増やして借りるために
売り上げを伸ばそうとした。

メイン商品は、「卒業ビデオアルバム」だが、
一時、10件まで取り扱うようになっていた。
だけど、仕事量を減らしたよ。
今、その半分の5件だけだ。

収入は減ったけど、子供と遊ぶ時間はたくさんできたさ。
カブスカウトの活動を年に70日もやるほどの時間が出来たさ。

ここだよ、ここ。
「物」にしがみつこうとすればするほど、「子供」をほったらかすものだ。

その結果が、ニートが240万人になったのさ。
この数字、講師の間違えじゃないかと、この間尋ねたら、
本当だそうだ。

ただ、昔から女性の「家事手伝い」がニート臭いけどその数字にカウントされない。
実際には、それよりはるかに多い可能性がある。
ニートは、240万人もいるんだよ!

「働きも学びもしない若者」
ニートの意味だ。
そう子供がなってしまうのは、間違えなく「親の心構え」の問題でしょう。
とくに「父親」の子育てがこの問題に関係をしているのさ。

吉村先生の「子育てフォーラム」は、
ここのところを重点的に講演するのが特徴になっている。
そして、これを聞いた多くの母親が、もっと詳しく知りたがったのさ。
アンケートを読んでそれがヒシヒシと伝わってきた。

「母親向け子育てフォーラム」の次は、
母親と父親が揃って参加をするフォーラムをやる予定だ。

昨日、吉村先生にそれの催促をしたら、
アウトラインがもうできたという。

早く、ステップ2を実行したいね。
その次のステップもある。

そう、最終的にどう父親が子供と接すればいいのかということを
実体験してもらう。

この「子育てフォーラム」は、3回で一つのものだ。

ステップ1、「母親に父親の役割について知ってもらう」
ステップ2、「母親と父親の両方にニート問題などを認識していただき、
                         そうならない子育てを提案していく」
ステップ3、「父親に具体的に子育ての方法を体験学習してもらう」

こういう作戦だ。


12/3/8(木)朝 ビデオマンの日記

年度内納期の受注分は、すべて今朝できた。
今日と明日で納品が出来る。

卒園式まで一週間あるが、まさかその日に納品というわけにはいかない。
この後、若干の追加注文があれば、
それを来週早々納品をして、ギリギリセーフ、とこうなるわけだ。
間に合った・・・・・

これで谷口君の春が来る〜〜〜〜
嬉しいね。
やっとサイクリングができるよ。

ところで、同業者の集いで例会前に「卒業ビデオアルバム」の制作講習会を恒例化させて欲しいと申し出ているが、
さした理由もないのにグズっているフシがある。
この道20年以上の講師に直接学べるということを雑誌でアピールすれば若い人が来るかもしれないのに。

何が何でも若い人を育成していかなければ、
僕だけではなく、他の年寄りももうすぐ困るだろうになぁ。

同業者の集いの人たちは、ほとんどが「舞台もの」で商売をしている。
「ブライダル」を扱う人は、ほとんどいなくなったような感じがする。
それを商売にするのは、かなり難しいからだ。
「舞台もの」の仕事は、パイが決まっているから、
「奪い合い」の構図が避けられない。

その点、「卒業ビデオアルバム」の制作は、谷口の作っているようなものでは、
手間をふんだんにかけているから、「会社組織」ではコストが合わない。
「個人事業」だからこそできる作り方だ。

それで、まだまだ顧客未開拓で発展させることが出来る。
ここが重要だ。
需要を掘り起こす余地があるんだよ!!
「ビジネス」は、こういうふうに捉えて展開をするのさ。

発表会も販売している園では、こういう構成にしている。

○ タイトル
○ 卒園式
   式中、保護者のスピーチで言葉の回想に合わせて当時の入園式へOL
○ 入園式
○ 年少の時の発表会のダイジェスト
○ 年中の時の発表会のダイジェスト
○ 年長になってからの普段の様子
○ 年長での行事を10シーン以上
○ 年長最後の行事に卒園式での保護者の回想にOLで戻る
○ 卒園式後半
○ 園児、一人ひとりへのインタビュー(クラス別編集)
○ エンディング

こういう感じでもう20年以上、手間をかけて作っている。
この技術を若い人に教えたいんだがなぁ・・・・・


12/3/7(水)朝 キャンプじぃじの日記

この間の「子育てフォーラム」のアンケートを全部読んだ。
それは、49枚あった。

全体的には、講師を喜ばせるようなお褒めのものが多かった。
批判的なものはほとんどない。
一つだけそれっぽいものがあった。

それは、「少子化問題」で講師がたくさん生みましょう、みたいなことを言ったのだが、
なにせ、講師は男なのでその大変さが分からない。
そこを突っつかれていた。

人それぞれ感じ方や、印象の持ち方、参考の仕方は、違う。
たぶん、
「今までの自分」では気付かなかったことに強い印象を持つのではないだろうか。

そういうことを考えてどういうフレーズが多かったかを調べてみた。

「父親の子供との接し方」 8件
ダントツ多かった。
これは、僕が目指すところの「お父さんの子育て」にあたる。
父親がどう子育てをすればいいのか分からない。

男は、つまらない見栄があるから「子育て」をどうしたらいいのか人に尋ねたりしない傾向がある。
そこで、講師のアイディアで、
まずは母親にそれの重要性に気付いてもらって、
母親から父親をプッシュしてもらおうという作戦は、
どうやら大当たりの予感がする。

「自立」 4件
意外と少なかった印象だ。
言われなくても分かっているという人が多いのだろうか。
しかし、「知っている」のと「出来る」のとではまるで違う。

次回には、講師に「子供を自立させることが出来る」という項目を増やしてもらいたいところだな。
そして「いつ子供を自立させる」ことができるのかという難しい問題がある。
この「自立」は、「反抗期」とリンクするものなので、
「反抗期」から「自立」が遠ざかれば遠ざかるほど、難しくなるものだ。

そして「自立」をしそこなうと、つまり「心のトラブル」を引き起こしやすくなる。
そう「ニート」や「うつ病」だ。
自殺者のほんとんどは、「うつ病」がからんでいるという。
そういうことで、「自殺者の多さ」も本をただすと「自立」の問題に行き着く重要な話なんだな。

「親が子供に成長させてもらっている」 3件
これももうちょっと多くの人に気付いてもらいたい。
ゆえに「子育てをするからこそ、父親が本当の『オヤジ』に成長できる」わけだ。

ごく最近僕が気付いたことだが、
父親が「子育てを母親任せ」にするので、
母親が「子育てを他人任せ」になりやすくなるのではないだろうか、ということだ。

今回のアンケートを読んで「子育てを母親任せ」であることの悩みが非常に大きい印象があった。

たった1件だけでも、参考になるものもあった。

「欲しい物を何でも買い与えない」
物質的豊かさは、人の心を弱くする。
これを説明するのにいいモデルが「ブータン王国の幸福度」だ。
昨日、これについてのいい本を手に入れた。
これから読む。

「アウトドアーをより楽しむには」
このフレーズには、僕は飛び上がりそうなほど嬉しくなったね。
任せてちょうだいよ。

「他の幼稚園に子供を通わせている友だちもこのフォーラムを聞きたがっていた」
今回の「子育てフォーラム」の評価は、このご意見によく現れていると思うね。
これから、
この「子育てフォーラム」をしっかりと売り込んでいきたいな。

多くのお母さんがこの「子育てフォーラム」で感動したようだ。
そう正直に書かれてあるものもあった。
分かりますよね?

「成長」にこそ「感動」があるものだ。


12/3/6(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、「子育てフォーラム」の講師と会って、
この間の、講演のアンケートを借りた。

これからジックリと読みたい。
今現在の母親の「生の声」は、
これからの活動の参考になる。
目指すは、「お父さんの子育て」だ。

講師にこのアンケートのコピーをとってもいいと了解を得た。
これを強力な販促物にして「子育てフォーラム」を売り込んでいこうと思う。

僕は、これを商売にする気はまったくない。
講師と別れるときにこう僕は言った。
「先生の仕事として軌道に乗るまでは、僕はボランティア活動をします。
   この仕事の後方支援をしっかりやりますから、頑張ってください。」

この活動の本質は、「父親の子育てに対する意識改革」だから容易な事ではない。
どうしても「プロ」の力が必要だ。

とてつもなく難しい挑戦には、どうしてもプロの力がいる。
大いに講師の活躍を期待したいな。


12/3/5(月)朝 復活サイクリストの日記

とてもまだサイクリングを楽しむ余裕などない。
サイクリングをするのにいいグッズを手に入れた話しだ。

この間、同業者の撮影の手伝いをした。
その時に、今まではワイヤードのインカム(カメラマン同士の通信機器)を僕が貸してきたのだが、
彼は、今年いいものを買ったという。

ワイヤレスで双方向同時に通信できる小型の「トランシーバー」みたいなものだ。
機能的には、まったくインカムとして使えた。

そこで同じものを僕は手に入れたわけだ。
昨日、おばばと自転車で教会に行くまでに使ってみた。
微弱電波で本当に50メーターばかりで通信が不能になった。
でも、二人でサイクリングをするのにそこまで離れることはない。

逆にそれだけ離れると通信不能で「無音」になるのですぐ気付くことができた。
今まで、複数の人数でサイクリングするときは、
ちゃんとついて来ているのかどうか、1分に1度以ぐらい後方確認をしてきたのだけど、
それから解放される。

サイクリングで、トップを走るのは、
こうして結構神経を使うものだ。

この通信機器は、将来、ビデオ撮影を教える現場でも使えそうだ。

SONY
「ワイヤレスマイクロホン」  「ECM-AW3」


12/3/4(日)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、当時友人と比べてダントツに給料がよかった会社を辞めて今の仕事を目指した。
まったく未知の世界に飛び出した。
何の保証もない荒野の世界に自ら挑戦をした。

格好付けているのではないよ。
「命がけ」の人生を歩んだ。
何の当てもなく、頼れる人もなく、もちろん親にすがることもなく、

それは、僕が28才の時のことだった。
それで思うことは、僕自身が18才で自立したからこそ、
そういう「成長」にトライできたということだ。

「自立」は、社会人としての第一歩だ。
これを無視していると、
例えば、会社に媚を売って保身に走るような人になる。

たくさんそういう人を見てきたが、
決していい結果が人生で実らない。

これからの「サバイバル社会」を堂々と生きていくためには、
僕のように「しかるべき時期にしっかりと自立」することが必要だ。
これは、男の子なら必須で、女の子でも自立できた方が「自分らしく生きる」ことが出来るだろう。

子育ての目標は、だからそこを目指すといいのさ。
「20才では自立をした一人の大人の社会人」に育てるのさ。

ところで、そういう僕は鉄のような意志の持ち主だろうか?
僕と一緒に遊んできた古い友人なら誰でも知っているけど、
僕は、
「度胸もなくいい加減な性格」だ。
「品行方正」から程遠い。
「荷物持たせりゃ、重たがる。 弁当見せりゃ、喰いたがる。
   女がいりゃ、やりたがる」
これは、「芸界」(古典芸能)の世界で使い物にならない弟子のことを指して言う言葉だが、
正しく、僕のことを言っている。

そういう僕がなぜ今の商売を立ち上げられたのか・・・・・・
それは、子供に飯を喰わせるために「必死」だったからだ。
それは、「快適」「気楽」「簡単」とは、まったく逆の状態だった。
だからこそ、今の商売を立ち上げることが出来た。

だから子供に「快適」「気楽」「簡単」を与えてしまうと「成長」が止まってしまうということを僕は、良く知っているのさ。

子供を育てるのに「不快」「不便」「大変」をしっかり体験させることは、
必死に「生き生きと生きる」ことを自らすすんでするようになるのさ。

さて、僕は今の仕事をもうすぐ30年続けれることになるけど、
「自分の力」だけで生きてこられなかったということを肌身に染みて感じている。
自分なりに「潜在能力」を出した時もあったが、
それは瞬間的にしかでないことをも知っている。

後から思うと「奇跡の連続」だったということがハッキリと分かる。
だから「アメイジンググレイス」の歌を聞くと胸が詰まるほどの感動の涙が出るのさ。
僕には、とっても小さな、種の中でも最も小さな「カラシダネの粒」の信仰が支えてくれた。

宗教は、理屈で理解するものではないさ。
そして、どこかの宗教に「属して」いても信じていなければ何の意味もない。
「宗教を信じる」ことに人生の本当の感動面白さが分かってくるものだ。

いい本を紹介しよう。

「池上 彰 の宗教がわかれば世が見える」
池上 彰 著  文春新書刊 800円

子供は、父親の背中を見て育つ。


12/3/3(土)朝 キャンプじぃじの日記

僕には四人の男の子がいるが、
その内、三番目の子が僕のシゴキから逃れるようにカットアウトして就職をした。
その時には、ひどい「燃え尽き症候群」を僕は味わったな。

そこで末っ子は、
それを教訓に前もって、僕自身が子供から離れる準備をした。
だから、かなり軽症だ。

子育ては、「親の子離れ」が必須であることを身をもって体験をした。
これが出来ない親が多い。
ここに、子供が甘えニートになる温床となるのだろう。
「お友だちのような親子関係」には、問題がある。

この間、「子育てフォーラム」で講師が、
ニートが240万人いるようなことを言っていた。
24万人の間違えではないだろうか?

でも僕が数年前に聞いた話では、50万人とか70万人いるということだったから、
もしかして爆発的に増えたのだろうか?

このニートの人たちは、たぶん「うぬぼれ」が強いのだろうと思えるね。
ネットでいろいろ調べてみると、
その原因に「ソコソコ豊かに育てられて辛い仕事は、嫌がる」ということを挙げているのがあった。

やはり、

「親の最大限の豪華、贅沢、は、子供にとって最低限の生きる条件になる」

と昨日書き込んだのは、的を射ているようだ。
そして「一生涯安泰」を親子で求めているのでしょう。
ますますニートの重症化になってしまう。

そこに「成長」という言葉は、見かけない。
「成長」とは、「変化」だ。
「一生涯安泰」は、変化を嫌うことを意味する。

そういう風に生きていると、
「自分の死」を無視し拒絶する。
人間は、「100%致死率」を認めない。
これを「大人の幼稚」というのさ。

自分なりの「心の成長」にこそ、生きる感動があるのにねぇ・・・・・
生きているうちに、生きる感動を味わえばいいのにねぇ・・・・

僕は、僕なりに50才代の成長を楽しんでいるのさ。
「親の子離れ」でね。

若いお父さん、
早くこのことにシッカリと気付いてほしいね。

「子供を20才では、自立をした一人の大人の社会人に育てる」


12/3/2(金)朝 キャンプじぃじの日記

親の最大限の豪華、贅沢は、
子供にとって生きていく最低限の「条件」になってしまうものだ。

そして子供が「生きていく条件」が多ければ多いほど、
結果として窮屈で息苦しい人生を歩ませてしまいやすくなるのさ。
つまり、「ニート」や「うつ病」はこういうことで起こるのじゃないのかな。

具体的な例を挙げれば、
もはや、「水洗便所」どころか「温水シャワー付きのトイレ」でないと用がたせない。
と、こうなるのさ。

大自然の厳しい生活環境に耐えられるように人間の体は作られている。

これは、南雲ドクターがしきりに訴えていたことだ。
ドクターは、「食べ物」について本を書いていたけど、
「豊かで便利な物」も同じことが言えるだろう。

過食が体を肥満にし、不健康な生活という「窮屈で息苦しい」人生にしてしまうように、
「豊かで便利な物」は、人の心を弱くし「窮屈で息苦しい」ものにしてしまうのさ。

ドクターが「朝日を浴びることでリセット」できると書いていたが、
そうなんだな、
不自由なキャンプ生活体験で、「物欲」を払拭、リセットできるようになるのさ。
それは、無理にではなく、「必要」がなくなるのさ。
「断捨離」という本は、要するにそこを言いたいのでしょう。

これは、僕の実体験でもあるからよく分かるね。
風呂のない二間のボロアパートにもう30年住んでいるけど、
ちっとも不自由ではない。
逆だ。

「アパートはただ寝るだけのスペースがあればいい」という感覚で生きているから、
ここ以上のスペースは必要がない。
僕の生活空間は、関東平野だ。
サイクリングが大好きな僕は、若い頃からこういう感覚で生きてきた。

自転車で土手を走っていて眺める光景。
小さく見える家がたくさん集まっている街。

ローンを払うのが精一杯で、その建物の中に閉じこもっている人。
そういう人の子供が、その小さな家の中で引きこもりをしている。
なんて不自由な人生なのでしょう。
こんなことをつい想像してしまったものだ。

サイクリングで山越えする時に眺められる光景。
広大な地球のほんの一部でもデカイ。
自分の存在が、豆粒のように感じる。

些細なことでクヨクヨしたりする自分が恥ずかしくなる。

こうして、生きていたら「自分の本当の人生」を脱サラしてつかむことが出来た。
まさか、こんな「自由」が手に入るとは、思いもよらなかった。
仕事自体が「自由業」だけど、
それ以上に「心」が自由なんだな。

「物」に縛られた人生を見かけて、せっかく生きているのに
自ら不自由に生きている人を見ると気の毒だな。
僕はいつもそう感じているのさ。

せめて、これからを生きていく子供たちには、
僕と同じ自由を味わって、思いっきり生きられるようになって欲しいな。
「生き生きと生きる」術を身につけて欲しい。

「物」に囚われなければ、「自由」が手に入るのさ。
仏教では、これを「解脱」と言うらしいよ。

「物」ではなく、
仏教でもキリスト教でも、
神様や仏様に委ねて生きると、とっても楽チンなのさ。
その「自由」に磨きが入るんだな。
ますます「自由」だ。

やっと、仕事の底が見えてきた。
行くぞ! サイクリング。
ワクワクするなぁ。


12/3/1(木)朝 ビデオマンの日記

昨日、同業者の集いがあった。
「EDIUS」の ver.6 の最新バージョンのプレゼンとその扱い方、
質疑応答をグラスバレー本社で行った。

合成映像のアニメーションなど、デモンストレーションしていたけど、
僕の仕事では、間違っても使わない機能だ。

それが終わって、二次会へ行ったが、
もう何年も僕と同じような仕事をしていて、
自分の仕事がどういうものなのか、それを理解できない人がいた。

このHPの「卒業ビデオアルバム制作」のページでプロ向けのものがある。
そこには、「営業」「構成」「表現」「技術」という分野別に僕なりの「映像論」が書かれている。
それのどの分野のページでも、
文頭に、

「この仕事は、映画のような芸術ではなく、テレビのような娯楽でもない。
10年後に、自分の子供を愛した記憶を呼び起こすものだ。
その時に親は涙が出るほどの感動が起こる。
そういう記録の仕事だ。
子供は、10年後に親に愛してもらったことを思い出すことで荒野の人生を強く生きていく勇気がわいてくる。
そのための記録の仕事だ。」

と記した。
ちょっと、オーバーかなと思ったが、ウソではない。
この仕事は、「テレビ放送」や「映画」とは、まったく違う性格のものだ。
これを理解できないと、トンチンカンな商品開発をしてしまうことになる。
今現在、その一番いい例が「ブルーレイ」だろう。

それで利益が出た話を未だに聞いたことがない。
もう少なくても5〜6年前からそれで商売できると言っているけど、
未だに「利益が出た」とは聞いたことがない。
こういう独りよがりの商品開発をしてしまうわけだ。

「ビデオ」は、確かにテレビ放送の発展の中で生まれてきた。
しかし、今は、「自分の子供」を撮るツールへと進化した。
それの「代理」をするというのが、この仕事のスタンスだ。
これを理解できない人がいる。

僕は、高卒だが、その僕が信じられないような理解力のなさだ。
テレビ放送と同列にこの仕事を考えている。

「マス・コミュニケーション」とはまったく違う仕事。
「個人」を撮って、写っている人に販売する仕事。
「特定少数」または、「特定やや多数」を相手にしている仕事。

その特徴をしっかりと理解をしなければ、いい商品開発はできない。
こういうのを「的外れ」と呼ぶんだな。

僕と同じかそれ以上の年寄りが、こんなことを理解できないなんてね。
ビックリ仰天をした。
個人事業の思考回路のレベルは、こんなものなのかね。