スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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子供が小学校へ通う前に、ぜひ読んで欲しい一冊!

「お父さんだからできる子どもの心のコーチング」

菅谷 裕子 著  PHP文庫刊 552円+税

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」で
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」で
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12/6/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

「一生涯安泰」を求めて殺到する若者のことを聞いて悲しいよ。

人生は、もっと自分で作り上げられるんだよ。

そのことで、刺激的に面白い人生が味わえるのになぁ・・・・・

「生き生きと生きる」とは、何かに必死になって生きることなんだよね。

さぁ、

ついに今年も幼稚園のお泊まり保育のシーズンが始まった。

今日は、これから奥日光へ行く。

どういう活動になるのか・・・・・

天気次第だ。

おしまい、いざ出陣だ!

面白いさ、こういう生き方・・・・


12/6/29(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、見沼代用水路コースをのんびりポタリングした。

一昨日の夜、
幼稚園のお泊まり保育で使うランプのマントルを取り替えて、
点灯チェックするついでに、
玄関の前で、ばぁばと二人で夕食をとった。

そのときにロード(自転車)を眺めながらいつもの儀式を執り行った。
通風がでるので最近は、缶ビール一本と
不足分は焼酎で、厳粛に、ロードを眺める儀式だった。

ヤバイな、偶像崇拝みたいだ。

ばぁばと違って贅肉の無い自転車のフォルムは、美しい。
ランプに照らされたそのロードが暗闇に浮き出されている。
カッコいいねぇ。
とても完成車で6万の安物とは思えない。

もう何年乗ったのだろうか・・・・6年、7年、
分からないけど、スッカリ僕の体の一部になったさ。
これでたくさんツーリングをした。

見渡す限りの田んぼの中、
キラキラ光る水平線の海、
森の深い山の中、
土手の砂利道、

思い出すとキリが無い。
それで、どうしても乗りたくなって、昨日は調理実習をするつもりだったが、
自転車に乗った。

子供たちとの思い出も、自転車以上にある。
でも子供たちはいなくなった。
子供たちが乗った24inのチューブラーのロードだけが残った。


12/6/28(木)朝 ビデオマンの日記

「卒業ビデオアルバム制作」では、
この仕事単体では、商売にならない。
年間をとおしていろいろなイベントをそれぞれ希望販売していく。
それで商売が成立する。

個人事業らしい「ざる勘定」だ。
と、いうことでこの仕事は、会社組織には向かない仕事だ。
そういう隙間を狙った商売なのさ。
これこそ「個人事業の戦略」というものだ。
この仕事を立ち上げる前からの僕の戦略だった。

その年間のイベントの希望販売の最初が幼稚園の「お泊まり保育」になる。
僕の場合、
二泊三日の幼稚園のお泊まり保育が四つレンチャンであるが、
それが明後日、土曜日から始まる。
その後に一泊のお泊まり保育や販売をしないものが続く。

そして7月の中盤からマザー牧場のキャンプスタッフが始まるので、
7月は、ほとんど留守になる。

ヘビーだぜ。
体力がもつかどうか、毎年そのことばかりが課題になっている。
もうこの仕事を目指しだしてもうじき30年になる。
「撮り方」で悩んでいては、仕事にならないさ。

とくに、二泊三日の四レンチャンでは、現場で編集をする。
一時、それを現場でパッケージまでに仕上げなければならなくなりそうになったが、
その最悪の事態は回避できた。

仕事のハンドリングも重要な仕事になっている。

「商売を継続していく」には、あらゆることを学ばなければできない。
「制作力」「営業力」「段取り」「収益力」・・・・・
気に入ったカメラを買っただけでプロになれるはずがない。

そういう気持ちを起こすことを「幼稚」と呼ぶんだな。
商売を甘く見ている。
40才も過ぎて「幼稚」では、困るよな。
でも実際には、なぜかたくさんそういう方がいるのさ。

ビデオ屋に限らず、「商売」を目指すためには、
たくさんの「学び」と「志」、「行動力」が不可欠だ。
カメラではない。

そういう条件を満たし成功する人材は、本当に限られるな。
大方は、「自立」できないで保身主義に走る者が大勢のような気がする。

政治家の悪口を言うことはできないでしょう。
「自立を無視した子育て」の国民性から優秀な政治家が輩出されるわけがないんだよ。
「一生涯安泰」を求める国民性からでは、
保身主義の人材しか育たないんじゃないの?

根の深い問題だ。
「父性教育の重要性」は、ビデオ屋の人材発掘でも影響があると思う。

「自立」できているからこそ、必死に学び取れる。
「自立」できているからこそ、リスクマネージメントを踏まえて冒険が出来る。
「自立」できているからこそ、「理念」「戦略」「戦術」の概念を獲得できる。
そして、
「自立」できているからこそ、「行動力」が鍛え上げられる。

僕のような個人事業でも、政治家でも、
同じことが言えると思うな。
「女々しい男」は、不要な人材なんだよ。

ということで、
ここでも「父性教育の重要性」を訴えたい。
このままじぁ、日本は潰れるよ。
もうすでにテレビ製造で韓国に負けた。
どうする?


12/6/27(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、35`離れたところの都内の取引先まで取材をするのに自転車を使った。
快晴で最高の気分だった。

僕は、若い頃から都内を自転車で走るのは好きではなかった。
そこを通過するためにしょうがなく走ったものだ。
例えば、鎌倉・江ノ島方面へ行くのには、しかたがなかった。

でも最近、目的地がこの取引先でスッカリと慣れてきた感じがする。
車の多さ、排気ガス、やたらに多い信号機、
僕は、子供のころ東京で育ったせいか、ビルを「美しい」とは感じない。
逆に、森の緑や海の青さには、感動をする。
それでも、都内を走るのに慣れてきた。

ばぁばが、「美人は三日で飽きるが、ブスは、三日で慣れる」と言ったことがあるけど、
なんとなくそれっぽい。

たいした距離ではなくても、サイクリングは「旅」だ。
思いもよらないことや、物、人、に遭遇することがある。
それが旅の醍醐味だろう。

自転車で帰り道でのこと、
三ノ輪の交差点で信号待ちをしていた。
僕がサラリーマンを十年していたころ、
営業車でこの交差点に何回来たことだろうか・・・・・
見当もつかない。

しかし、自転車だと道を見る「視点」が変わる。
ふと、見るとそこに「金太郎飴本舗」なるものを見つけた。
なんで今まで気付かなかったのか、そのことに驚いた。

そこに寄って、記念にそれを買ったさ。

僕の仕事は、その本質は「視点」なんだな。
被写体をどう見るのかという視点・・・・・
これが面白さとなるんだな。

子どもをたくさん見ることでこの「視点」がシェープアップされる感じがする。

若いお父さん、お子さんをたくさん観察しているかい?

「母性本能」という言葉がある。
母親が子供を産んで、おっぱいをあげたり、話しかけたり、
世話をしたり、
それを繰り返している内に、脳に母性本能を引き出す、何とかというホルモンが分泌されると何かに書いてあった。

自動的に、母性本能は発揮されるわけではないそうだ。

しかるに、
父親も、子供と一緒にたくさん遊ぶことで、
子供への愛着度が増すのだろう。

忙しくて子供と遊べない・・・・・

何のためにそんなに忙しくするのだろうか・・・・・

僕は、今の商売を立ち上げて、いよいよ売り上げを伸ばす段階になったときに、
そのことに気付いて、仕事量を減らした。
それでカブスカウトの活動を年に70日もやった。

同じことをしろと言いたいのではないさ。
その「忙しい」の「視点」を変えてみて欲しい。

そのことで自分の子に対する「見え方」が変わると思うんだよね。
これに気付く時に、ビックリするさ。
そしてこう思えるようになる。
「何を求めていたんだ、オレの幸せは、もうすでにここにあった」とね。


12/6/26(火)朝 キャンプじぃじの日記

父親の意識改革か・・・・・、

問題は、
縄張り意識の強い男は、そう簡単に素直に「子育ての基本」を学ぶどころか、
聞こうとしないことにあることは分かった。

これは、上記に紹介した
「お父さんだからできる子どもの心のコーチング」
の本の中でも
父親向けの子育ての雑誌が増えてきたが、買って読むのは母親だ。
というようなことが書かれてあったことでも分かる。

どうするか・・・・

ボーイスカウトの活動では、
プログラムを「ゲーム化」してワクワクさせるという技法を使う。
これ、何かヒントなんだよなぁ・・・・・

例えば、
去年の原発事故で放射能に敏感なので止めてしまった「流しそうめん」なんていうのは面白い「餌」になるような気がするんだよね。
戸田市の道満グリーンパークでそれをやるともの凄い数の親子が集まったものだ。
人だかりで流しそうめんの台が見えなくなるほどだった。

それを応用して例えば、
父親と子供が一緒になって「マイ箸」を作って「流しそうめん」を食べよう!
なんてキャッチだったら、父親が釣れるんじゃないのかなぁ・・・・・

それで、食べた後に「竹とんぼ」を親子で作って遊ぶ・・・・・
竹とんぼでそれの滞空時間を競争する・・・・・
優勝者に表彰を・・・・・
「えび結びのミニュチュア」の賞品をあげる。

盛り上がったところで、「父親向け子育てフォーラム」の案内をする。

あぁ、僕は昔、カブスカウトの隊長をやったんだけど、
その時のビョウキがまだ直っていないようだ。

これ、面白くない?

「子供の心を強く育てる」というのは、男親にとって、
滅茶苦茶面白いんだがなぁ・・・・・・
ふんむ、
これ、面白そうだよなぁ・・・・・


12/6/25(月)朝 キャンプじぃじの日記

今朝、ラジオで福島での復興支援の活動をしている大学生のインタビューを聞いた。
土砂を取り除くような作業ではなく、
小学生、中学生を相手に補習をするものらしい。

何人かの学生が結束して、ローテーションを組んで取り組んでいるようだ。
涙が出そうないい話しではないですか。
それに比べて、関東平野でヌクヌクと生きている僕が恥ずかしい。

災害自体は、悲劇だけど
それによってこういう若者が現れたことは、なんて素晴らしいことでしょう。
そして、こういう若者がこれから成長をして社会人になるのかと思うと、
本当に大いなる希望だよね。

「消費」ではなく「成長」を追い求める人に成長しますように。

「幸せは、それを感じ取る能力」ということに気付きますように。

物事、どんなことでも取り組む時に

   「『理念』『戦略』『戦術』の概念を獲得し使い分けをして成功させる」

            ことをハッキリと身に付けられますように。

若いお父さんもこういう若者に育てたいと思わないかい?

災害という辛さが若者を育てたんだよ。
不思議だね。


12/6/24(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、ばぁばのオデブ改善のため見沼代用水路コースのショートカットを二人でサイクリングした。
とてもその効果が期待できるような距離ではない。
ただの気休め。

その後で、さぎ山野営場でほんの少しだけ薪割を楽しみ、
見沼天然温泉「小春日和」で露天風呂に入った。
十分に旅行気分になれた。
こちらは効果絶大だった。

「遊び」には、個性が出るね。
僕は、基本的に「金をかけない遊び」が大好きだ。
でも結果的には、大金が掛かったりする。

今の仕事だって、その遊びの延長線上に思いついて商売にした。

ボロアパートに帰ってくると、
僕の取引先の幼稚園を卒園した子がまた尋ねてきた。
もう中学二年生になる。
なんでも失恋をしたそうだ。
一丁前に発情しだしたんだな。

友だちに自転車のスタンドを壊されて、
ときどき自転車のチェーンが外れるというので、
壊れたものは、どうしようもないけど、
チェーンは、テンションを出す調整を教えた。

完全には、なぜそうするのかを教えないで、
ヒントを出して本人に作業をさせた。

親子キャンプで散々僕の子にしてきたことだ。

本人に考えさせ、どうすればいいのか、行動させる。
そのときに失敗をする。
そうしたら、何が悪かったのか、また考えさせたりヒントを与えたり・・・・
これを繰り返す。
最後には、ちゃんと出来るよう誘導して「成功体験」を味あわさせる。

これは、自立への小さなステップになるのさ。
分かるかな? 若いお父さん?

子育て・・・・父親の子育てには確実に「基本」がある。
それをお父さんが素直に学べるかどうか、
子供の心の成長にそれが直結しているんだぞ。

僕の「父性教育の重要性を訴える」活動で一番の壁、障害はこれだ。
「父親の学習態度」

男は、縄張り意識があるので他人に子育てを学ぼうとしない。
これこそが、僕の克服するべき問題点だと見つけ出せたな。

これに向けて、どう「戦略」が立てられるのか・・・・・
ウデの見せ所だな。

こうして、僕は今でも「成長」を目指しているよ、若いお父さん!
若いお父さんは、父親としてどう成長できるかな?


12/6/23(土)朝 キャンプじぃじの日記

最近、ここの書き込みに、
「理念」「戦略」「戦術」という言葉を僕なりに一所懸命に説明してきた。
これの概念が難しいようだったら、
「目的」と「手段」という簡単なところでも説明した、僕なりに。

なぜかというと、仕事の上で、子育ての上で、
本当にそれらを取り違えていることが多すぎると感じるからだ。

「「超」入門 失敗の本質」
鈴木 博毅 著  ダイヤモンド社 刊 1500円+税

この本の中に、
「日本人がなぜ戦略的に物事を考えるのが苦手で・・・」
とある。

また、
「「戦略」が明確であれば目標達成を加速させる効果を生み、逆ならば混乱と敗北を生み出す」
と書かれてあった。

まったくそのとおりだ。
僕は、「卒業ビデオアルバム制作」の商品化や、
発達障害の子を、それを親子で乗り越えて自立させる子育てをして、
いかに、「理念」「戦略」「戦術」の概念を獲得して使い分けすることが重要かを知っている。

しかし、ふと、まわりを見渡すと
あらゆる生活シーンで、「戦略」が分からない人が多すぎると感じた。
これは、男の仕事だ・・・・「戦略」

そんな難しいことを考えなくても生きていける・・・・・

ナンセンスだ。
この本は、第二次世界大戦で日本が敗北した(失敗した)原因の本質は、
この「理念」「戦略」「戦術」のなさが大本営にあったからと書いてある。

それはそのまま戦後の日本でもまったく同じだという。
その失敗から未だに何も学んでいないという。

例えば、
世界を席巻した日本の家電業界。
今、パナソニックもソニーも閉塞感が溢れている。
その構図は、旧日本軍と同じだというのだ。

これは僕が思うことだが、
去年の原発事故の対応も、政府と現場でバラバラで、事故対応で混乱をした。
これも詰まる話、根本的なところで「戦略的」が欠けていたと思えるでしょう。

こんな調子で、世界を相手に日本が生き延びていけると思うかい?
「敗北」がもう目の前に迫っているんだよ!

これからの日本経済や子育てのあり方を真剣に考え直すのに、
この本は、必読だな。
ぜひ若いお父さん、読んで欲しい。

日本はもうバブル経済は終わったんだよ!
今から後は、「サバイバル経済」を乗り越える「英知」と「行動力」がある人が生き延びる時代なんだ。

そこには、リスク管理がシッカリ出来て、
その上で、大冒険できる人材が不可欠だ。

「一生涯安泰」を求める人は、日本経済のあらゆる職場で敬遠されるんだぞ。

そうではなく「一生涯成長」できる人に育てよう!
そのためには、まずお父さん自身が、
この「理念」「戦略」「戦術」の概念の獲得と使い分けを覚えよう!

この本を読んで欲しい。

そのことだけで、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で「子供の自立を無視したような子供への庇護」
という本末転倒なことが減るでしょう。

子育ての目標、理念は、
「自立をした一人の大人の社会人に子供を育てる」ことだぞ。

根が深い問題だ・・・・・「父性教育」


12/6/22(金)朝 キャンプじぃじの日記

驚いた。
本当にビックリだ。
上記に紹介する本の内容は、
表現の違いこそあれ、僕と同じことを書いている。

もちろん、ここの書き込みよりはるかに信憑性が高い。
子育ての目標は、「子供の自立」にあるということをハッキリと断言しているのが、
とっても気持ちいい。

「自立」を無視したような昨今の子育てに警鐘を鳴らしてくれている。
日本でも、ほんの70〜80年まえでは、
長男以外の子供は、「自立」させるのが普通の家庭だった。
そのころの子供は、7〜9人兄弟が当たり前だったころだ。

つまり、6〜7人は、「自立」させられた。

しかし、少子化で子供を自立させなくなってしまったんだな。
ここに今の子育ての本質的な問題があるのさ。

この本は、文庫版で箇条書きになっていて読みやすい。
教育者や宗教家の方々もぜひ読んで欲しいと思うな。

今の日本の子育てで最も不足したもの・・・・・
「子供を自立」させるための「父性教育」なのさ!
ここの書き込みと同じメッセージを読んで、僕は嬉しさと勇気が沸いてきた。

目指せ! 
父性教育を具体的にどうすればいいのか分かる一つの方法・・・
「親子キャンプ」のハウツー普及を!
目指すところに間違えがないことを確信できたさ。

さぁ、若いお父さん!
休みには、子供と一緒にデイキャンプをしよう!
たくさんやろう!
いざ、オヤジの出番だ!


12/6/21(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、28才の時に脱サラをして今の商売を目指した。
当時、35万の固定給をかなぐり捨てて、
今までになかった「卒業ビデオアルバム制作」の商品化に成功をした。

そのときに、ある人に勧められて商工会議所の「販売士2級」の講座を受けた。
そこで、
「理念」「戦略」「戦術」の概念を叩き込まれたんだな。
そして、
「戦略」がどう見てもうまく行かない場合、「軌道修正」をすることも教わった。

「理念」は、何が何でも外せない最大目標だ。
そのための作戦に「戦略」「戦術」がある。

「目的」と「手段」の違い。

ところが、このことを学ぼうとしないか、学べないのか、
これらの概念を獲得できない人がいる。

「機材」にこだわって、「どんな被写体を追い求めるのか」といったカメラマンの資質でもっとも重要なことが無い人がいる。
完全に「目的」と「手段」を取り違えている。
本末転倒。

それで「営業」が嫌だなんて言っていたりする。
どう考えても「プロのカメラマン」で食べていくことは出来ない。
まぐれ当たりの仕事は、あるかも知れないが、
一年、五年、十年、と「食べ続けて」いくことはまずあり得ない。

プロとしての厳しさは、ここにあるのさ。

それで面白いのは、
このことがそのまま「子育て」にも当てはまるということだ。
子育ての目標は、「子供の自立」だ。

大学に通わせるというのは、「理念」「戦略」「戦術」のうちの
「戦術」でしかない。
それが、「大学」が子育ての目標になってしまっている。
「自立」がないがしろになってしまっている。
完璧に「目的と手段の取り違い」だ。

そういう子育ては、結果としてうまくいかない。
引きこもりやニートは、そうして育てられている。

なんでこういう事態がやたらに多いのだろうか・・・・・・・
僕は、これを考えて出た答えが、
「一生涯安泰」に行き着いた。

もうバブル景気は、30年も前の話しだ。
今から後は、「サバイバル経済」だ。
生き延びるためには、個人がどうしたらいいのか必死に模索して生きていく時代だ。
これは「生きる」という本質で、本来、「生き延びよう」とする云わば本能に組み込まれたものだろう。

僕は、「命がけ」で生きてきたので、
こういう学びを素直に必死にしてきたので分かったが、
「満たされ過ぎた」人は、学ぼうとしない。

「消費」で頭が一杯の人は、つまり、「学ぼうとしない」とは、このことさ。

僕は、「高卒」だ。
しかし、人生のあらゆるシーンで「学び続けて」きた。
この「学び続ける」ことこそが重要だな。
つまり「一生涯成長」できるのが人生の醍醐味なのさ。
このことで生きる感動が味わえるのさ。

難し過ぎて、ただの理屈に思える?
それとも、参考になった?

これからの子供たちには、これを身に付けさせたいよね。


12/6/20(水)朝 キャンプじぃじの日記

おっと、
今日は80%の雨だったんじゃないの?
それが台風一過の秋晴れではなく「梅雨晴」だ。
どうなってんだ?

それで、また次の台風が来るんだそうだ。

台風で自宅待機のために本を二冊買ってボロアパートに引きこもりの準備をしていたが、
その必要がなくなった。
ラジオによると、今日は30℃を超える暑さになるそうだ。

そこで自転車でのツーリングは、危ないので
見沼代用水路コースをサイクリングしようと思う。
ついでに、さぎ山野営場の被害状況と、それがあった場合、その普及活動をしようかね。

僕は今、仕事のある隠居生活をしているが、
今月の終わりから、約一ヶ月、幼稚園のお泊まり保育の仕事と、
マザー牧場でのキャンプ・スタッフでほぼいない。

今年は、仕事がどれも重ならなかったので、
みごとに毎日、アウトドアーになる。

隠居生活のはずなんだがなぁ・・・・・
仕事があるうちが華ということか。
過労死するかもね・・・・
よい最後を・・・・アーメン


12/6/19(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、二回目の調理教室で「和食基本技術」の実習を受けた。
「きんぴらごぼう」
「親子丼」
「みょうがのみそ汁」
を三人組で作った。

煮干の腸と頭を取ってダシにするのには、驚いた。
確かに、腸の苦味は、ダシには向いていない。
それらを取ったものを僕がツマミ食いしていたら、
捨てられてしまった・・・・・
あの苦味は、ビールのツマミにいいのになぁ・・・・

親子丼では、片手鍋の中で卵が焼きつかないようにグルグル回すようにするのを忘れて、
具財が鍋にくっ付いた。

きんぴらごぼうは、千切りにするのが面白い。
これは、性格が出るね。
僕は、セッカチだから、太さがバラバラだ。
先生の見本がテーブルに届いたけど、
まるで機械で切ったように揃っていた。

前回同様、何が何だかサッパリ分からないうちに二時間が過ぎて終了した。
前回同様、復習をしなくっちゃな。
「基本を反復練習」するのは、
人生のあらゆるシーンでの、それこそ「基本」だ。
「自己流」は、途中までは伸びることもあるが、
「本物」にまでは成長できないものだ。

僕は、「本物」を目指したい。
いざ、居酒屋のオヤジを目指せ!
みんな出来るわけがないだろうと言う。

僕は、「絶対」を付けてそんな商売はないと言われた「卒業ビデオアルバム」を商品化したのさ。
次の商売に向けてウデを磨くんだ。
こうして「成長」して生きていくこと自体に
「生きる意味」があるし、
「生きる価値」が生まれるのさ。
これが僕の「生き方」だ。
「物を手に入れるのが目標の人生」は、虚しい。

子供たちに伝えたいね。
人生には、もっと感動が湧き上がる面白さがあるんだよ。
「成長」さ。


12/6/18(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、銭湯でテレビを見ていたら、
タレントだかなんだか、女性が結婚指輪が小さくて不満だったとか。
そんなことを報道していた。
昨日の書き込みの具体的な例だな。
裸の王様。

若い内は、そんなわがままを男が聞くこともあるだろうが、
それが40才を過ぎるまでそのわがままをし続ければ、
どんな男でも嫌気がさすだろう。

こうしてまた離婚するのさ。

わがままは、あらゆる生活面で文句を言い出す。
水洗便所で、温水が出なきゃ嫌だ。
最低でも、収入はこうでないと嫌だ。
車は、外車でないとみっともない。
年に何回も海外旅行をしないと嫌だ。

こういう延長線にモンスターペアレントがいるのさ。
もううんざり。

「生きていく条件」
これが多ければ多いほど、周りの人に不快感をばら撒きながら
生きていくことになる。
その総ての「わがまま」は、
いつしか必ず本人が「清算」するときがやってくる。
これが本当の「不幸」というものだ。

「簡単」「便利」「気楽」を浴びるように育てることは、
結局は、子供を不幸にする育て方になるのさ。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題だ。」

物がなくても豪華でなくても、
学校の成績が悪くても、
収入が少なくても、
「人間関係」で幸せを感じられるように子供を育てることが
一番賢い育て方になるのさ。

このことを父親が意識し、具体的に実行できるかどうか・・・・・
「物」で決して幸せは得られない。


12/6/17(日)朝 キャンプじぃじの日記

本日予定をしていたデイキャンプは、

!!!! 雨天中止 !!!!


わがままな人は、結婚できても離婚する確立が高いと思える。
というか、離婚の根本理由は、「わがまま」だろう。
子供がいなければ、そのカップルの勝手だが、
子供がいて離婚なんて最低だ。
僕の両親が離婚したけれど、子供のことを気にしなければ離婚できる。

確実に「わがままな人」を育てる方法。

産まれてから成人するまで、
「快適」「簡単」「便利」を浴びさせるようにして育てれば、
「我慢」できない人になりやすい。
ものすごく当たり前、簡単なことだ。

親の最大限の「豪華」「贅沢」は、
子供にとって「生きる最低限の条件」になる。
生きる条件の多い人のことを「わがまま」と呼ぶのさ。
フラストレーション耐性が低い。
こういうことで先進国には離婚が多い。

「物の豊かさ」と離婚とはこういう関係にあるのさ。
もちろん、「絶対」ではないけどね。
こういうフィルターで世間をよく見てみよう。
当てはまるから。

それだけではないぞ。
「わがままな人」を満足させるためには、膨大なエネルギーや資源、食料を浪費する。
これは、国家的に見て、
このことを至急に考え直すべき問題だろう。

まずは、「偉い人」から身をもって改めることを示さなければ、
庶民には伝わらないと思うな。
宗教家のみなさん!
即実践しようか。
僕の生活レベルぐらいまでには、「我慢」できるようになろうか。

「わがまま」
この症状によく効くものがある。
それが「親子キャンプ」だ。

効果が出るほどにたくさん処方すればいい。
年に一度程度では、ほとんど効果は期待できない。

キャンプ生活では、
「豪華なキャンプ用品」を使わなければ、使わないほど、
さらにその効果が期待できる。

そういうことで、SCCのキャンプでは、
工作物にこだわってきた。
手作りキャンプ用品でキャンプをするのさ。
ワイルドだぜ。

テーブルも椅子も、タンクの台、ダッチオーブンを吊るす三脚、
「竹ハウス」と呼んでいる大型テントまで、
現場で作って親子キャンプをしたさ、僕はね。

僕は言うだけではない。
自分の子をそうして育ててきた。
実行してきた。
それでよかったからこそ、若いお父さんに勧めているんだな。

子育てでは、雨だろうが雪だろうが、僕は親子キャンプを実行した。
でももう子育てが終わったので、
本日は、雨天中止。 悪しからず。


12/6/16(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日も、同業者の集いがあった。
「制作技術」は、間違えなくあるのだが、
個人事業のビデオ屋は、
気に入ったカメラを買ったところで「プロ」になってしまう。

僕よりも歳を喰っている人が多いのだが、
どうしても「物」で立派になりたくてしょうがないんだな。
「表現性」を学ぶことはないようだ。

だから、その会では、僕は、浮いているね。
早く若手のビデオマンを育てたいよ。
どうやったら見つけられるのかね・・・・・・・
また二日酔いだ。 おしまい。


12/6/15(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、予定をしていた取材がドタキャンになった。
それで天気が良かったので、
見沼代用水路コースのショートカットをサイクリングしたあと、
さぎ山野営場を整備した。

来週、地主さんに挨拶をするので、
その前に、道路に面したところを重点的に綺麗にした。

文章だけだと、たった数行だが、
大変な肉体労働なんだよ。
それも週一で整備をしなければならないんだな。
ここのところ仕事で忙しくて、出来ないでいた。

そうしたら、薪置き場に積んであった薪が三列あるうち、
一番奥のものが崩れているのが分かった。
とてもそれを積み直す時間がないので、
ボーイの隊長にその作業をお願いした。

彼は今、市谷の防衛省に勤務しているらしい。
自衛官さ。
災害復旧の依頼をした。

迷彩服の自衛官が派遣されるのかなぁ・・・・・
まぁ、たぶん違う制服の子供がやってくるだろう。
本当に、手に余るでかさのおもちゃだ。


12/6/14(木)朝 ビデオマンの日記

今から20年以上前、
まだギャラ仕事で食べていたころに、
僕は、カメラマンとしてではなく、照明や音声もやらさせられていた。
細かい仕事では、そのころに「マルチ人間」で現場をこなしていたんだな。

まぁ、どんな作業でも僕は二流だったけど、
どれもこなせるというのが、現場で重宝されたんだな。

そんなことで昨日は、
ビデオ屋の集いのイメージビデオを作るのに、
照明と演出を請け負った。

照明と言っても、500wが2灯、300wのカメラライトが1灯だけで済ませた。
僕が昔、やっていたころは、1kwが1灯、500wが2灯だったから、
分かる人ならどういうレベルか察しできるだろう。

しかも、500wが1灯、玉切れした。
それで、それにカメラライトの300wを交換して、
カメラライトには、ナント、100wの予備玉しかなかったので、それを入れた。
そんな小さなヤツは、一箇所だけ補助光に使っただけだ。
そういうことで、2灯だけでごまかした。
なければないなりにどうにか仕事をこなす。

内容は、「若いキャリアウーマンが、ホールの仕事をさっそうとこなす」
というものだった。
このテーマ自体、僕が考えた。
会で考えたのは、ただ若い女性を起用するということだけだった。
ホールの客席にセットすることだって、僕が指定した。

なんとなく、スケベじじぃが若い女性を使ってみたいと思っただけのフシがある。
まぁ、そんな詮索は後にして、現場ではほとんど僕の一人相撲で進行させた。
なんだって、2時間で4カット撮らなければならないので、
さっさと済ませた。
第一、ノーギャラだからそんなにこだわってられない。

「カットエンド」という言葉自体を知らないお方ばかりの人たちだ。
そういうことを説明しながらの作業だった。
なぜ、ワイドレンズなのか、なぜ望遠レンズを使うのか、
どうしてフィルターが青いのか、
その濃さにはどんなものがあるのか、
照明が本職だったら、バカバカしくてやらないだろう解説までした。

起用した女性は、初めは結婚式の司会らしいということだったので、
ほとんど演技は無理だと思ったら、
本人曰く、ミュージカルに出演したことがあると言う。

最後のカットが、目のクローズアップを考えていたので、
演技を指定したら、ソコソコそれらしくやってくれた。
そういうことで、まぁ、悲観するほどひどい上がりにはならないだろうと思う。

「スクリプト編集」が分かる人がいるか尋ねたら、だれもいない。
そこで、これの仮編は、僕がしなければダメだと思い、
素材のコピーを送るように伝えて、昨日はサッサと帰って来た。
余計な仕事を一つ、抱えてしまった。
まぁ、久しぶりに照明ごっこを楽しめたからいいけどね。

それにしても、「制作技術」をもっと学んで欲しいよなぁ、その方たちにね。
機材には、こだわってるんだよね。
「物」にこだわる人は、学ばない。
「消費」で頭が一杯の人は、「成長」がない。
ここでも当てはまることだ。

本当のプロにはなれないさ、そういうことで。
修行が不可欠だ。
バカバカしいほど当たり前のことだ。

なんとしてでも、「卒業ビデオアルバム制作」の若手のプロを育てたいよなぁ。
僕が生きているうちにね、どうにかならないものだろうか・・・・・

親が「一生涯安泰」という生き方を教えていることが多いから、
こういう職業は、「ゴミ」に見えるんだろうなぁ。
リストラにおびえる日々を過ごすより、
よっぽども自由な人生を作り上げることができるんだがなぁ・・・・・


12/6/13(水)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、これからビデオ屋の集いのイメージビデオを作るための撮影がある。
そのために朝早く川崎市の宮前市民会館の近くのファミレスの駐車場から書き込んでいる。
今、朝の5時50分だよ。

都内を抜けるので、渋滞前に走ってくるわけだが、
それだけではない。
ばぁばが間違って4時半に起こしてくれたんだな。

早すぎ・・・・・・

あまり長い時間書き込めないので、
おしまい。


12/6/12(火)朝 キャンプじぃじの日記

これは、今から28年ぐらい前のことだ。
脱サラしたてで、今の商売をどう立ち上げればいいのか、
サッパリ分からないでいた。

趣味のスキーが面白い展開をした。
それまで、行きつけだったスキーショップで店員のバイトをさせてもらった。
ゲージがお粗末な時代で、
ビンディングの取り付けや、
お客さんにスキーブーツのフィッティングを教えたりしたものだ。

そのころ僕は、浦佐スキー場でSAJ2級を取得した。
これは、並みのところの1級以上の実力に相当する。
ちなみに、そこの1級は、現役指導員でも落ちることがあると言われていた。
急斜面ウエーデルンは、かなり正確にできないと落ちる。

その浦佐スキー場で生徒の滑りをビデオで撮って売ることをしている人がいた。
ほとんど趣味でそのサービスをしていた。
そんなことで、その人とそこで知り合った。

スキーとビデオ、何の関係もない二つの事柄が、
妙にマッチングをした。
それで、その人は、当時のトップデモの「追っかけ」をしていることも分かった。
僕は、彼のアシスタントとして、
「アッシー君」を買って出た。

それで、僕もトップデモを撮るようになったのさ。
佐藤、佐伯、平沢・・・・・
当時のスキーヤーなら誰でも知っているトップデモを撮った。
僕は、平沢先生に取材の合間に「個人指導」をしてもらったこともある。
ストックは、腰に着けて、
重い機材をしょったり、持ったり、してウエーデルンが出来なければ仕事にならない世界だった。

それで、そのトップデモの追っかけをしていた人だが、
彼は大学で心理学を教えている教授だった。
車で移動中は、
僕は、心理学の授業を受けるハメになったものだ。
大学の教授は、喋りだしたら止まらない。

だから例えば、
結婚披露宴で、大学教授と落語家にスピーチをお願いしてはならないというセオリーがあるのさ。
僕は車の中で、一年分の単位を取ったような気がするなぁ。
そのぐらい、授業を受けたね。

彼は、「心理学」なんて本当はあり得ない学問なんだと言っていた。
心理とは、そもそも空気をつかむようなもので、捉えようがないという。
それで、たぶん「心理学」は、「行動科学」になるだろうと言っていた。

そんな付き合いがあったので、
僕も教授に勧められて「行動科学」の本を買って読んださ。

その彼はこうも言っていた。
「谷口君、戦争の時にはうつ病はいないんだよ。
   みんな生きるのに必死だから、うつ病にはならないのさ。」
僕は、それが本当かどうかは知らないが、
大学教授の教えなので、そのままこれを受け入れた。

「フラストレーション耐性」
僕は、そのころこれを知ったのさ。
この耐性が弱いと心のトラブルを引き起こしやすくなる。
逆に、この耐性を鍛えれば、心の強い人になれる、こういうことだ。

でもどんな人でも、心が折れてしまう時がある。
どんなに心を強くなるよう修行をしても、
人生に負けてしまうときがある。
その時にこそ、宗教が必要なのさ。

「心」の問題は、こうして「宗教」と関係をしている。

「簡単」「気楽」「便利」な生活を浴びるようにして生活をしている間は、
だから宗教は必要なくなる。
僕のように、
それまでになかった商売を切り開くといった、無茶な挑戦をする上ではそれが必要になったな。
こういう生き方は、「気楽」「簡単」「便利」と真逆のものだ。
矛盾していないでしょう。

「便利」「簡単」「気楽」ではない生活を体験する・・・・・
こういう冒険が親子キャンプでできるんだな。
キャンプは、「生活」そのものなんだな。

さぎ山野営場は、ボーイスカウトでもビビル環境だ。
水もトイレもない。
この間、あるガールスカウトから使ってみたいという要望があったので環境を説明したら、引いてしまったね。

僕は、そこでこう言った。
「だからこそ、トイレがないからこそ、子供の心を強く育てられるのでしょう。」
僕自身、
穴を掘ってウンコする体験は、40才を過ぎて子育てのためだと思い、
実行できるようになったけど、
ヤワな心では、出来ないな。

でも山岳愛好家は、出来なきゃ登山にならないよ。
ヤツラの歌には、「オレたちゃ、まちにはすめないから・・・」
「気楽」「簡単」「便利」が窮屈なのさ、ヤツラは。
僕も最近になってこれがよく分かるようになったね。

様式便器で温水が出なきゃ、用が足せない・・・・・
わざわざ金をかけて子供の心を「もやしっ子」にしているんだな。

「戦争の時には、みんな必死に生きようとするからうつ病がいない。」
確かに言えるような気がするね。


12/6/11(月)朝 キャンプじぃじの日記

父親は、その家族の大黒柱だ。

大黒柱というのは、大きいことを考える。

家族の大目標を考える。

その大目標にそって、お母さんが日々いろいろなことを実行する。

大目標は、手段ではない。

大目標をお父さんが考えて、

お母さんが実行をする。

こういうバランスがとれた家庭は、幸いだ。

お父さんがどこまで大きな目標を掲げることができるか、

それがただの消費ではないところにあれば、

社会で堂々と生きていく子が育つのだろう。

父親の志は、子供に伝わる。


12/6/10(日)朝 キャンプじぃじの日記

僕の残された最後で最大のイベントは、
自分の「死」ぐらいになってしまった。
子育てが終わると、こういう気分になる。

健やかであと20年。
実働可能は、せいぜいあと10年ぐらいかなぁ。
その前に昇天する可能性は、
大いにある。

それまでにどこまで「父性教育の重要性」を訴えることが出来るのか、
「卒業ビデオアルバム制作」の後継者を育てられるのか、
あまりに時間が足らない感じがするんだよね。

それでも、出来るところまで諦めない。
死んでも天国から祈りを持って実行したい。
もっとも天国に行ければの話しだが・・・・・・・・
ちょっと、難しい、いや無理かなぁ・・・・・・
分からない。


カラビナのオマケが欲しくて「BE-PAL」を買った。
そうしたら、ブータン王国の記事が写真で載っていた。
有名なことだが、
「金銭的・物質的豊かさではなく精神的豊かさを目指す『国民総幸福度』」

そして、「死の先を考える仏教なので、現世に対する余計な心配が少ない。」

と、記事に載っている。

僕は、ブータン人ではなく、ここ日本で生まれて育って老いてきたが、
これがよく分かるんだよね。
別に僕は、宗教家ではないけど、これがよく理解できる。
高卒だけど、ハッキリ分かる。

僕は、高校を卒業してこの日本社会で「もまれて」必死になって生きてきた。
それで、必然的にいろいろと学び「続けて」きた。

スキーを年に40日した。
仲間をどうリードすればいいのか、そのことで学んだ。
そして「基礎スキー」を学ぶことで、
総ての事柄で、この「基礎を学ぶ」ことの重要性を僕は、学んだ。

サイクリングも学んだ。
これにも「基本」がある。

仕事では、名の通った企業を相手に「営業」を学んだ。
それがあったので、脱サラできたと言える。

商売を立ち上げるという学びもした。
これにも「基本」がある。

子育てでは、カブスカウトのリーダーをすることで、
多くのことを学んだ。

ついでに、今、料理教室で「和食基本講座」を学びだした。

「成長」がいかに面白く感動的な人生を構築するのか、
自らタップリと体験したさ。
人生を完全燃焼した気分だ。

だから、ブータン王国のその「精神的豊かさ」と同じものを僕は、味わってしまったんだな。
だから、
これを伝えなきゃいけないと思っているのさ。

そうだなぁ、
今の若い男の特徴は、
先日書き込んだ「理念」「戦略」「戦術」の概念を獲得できない人が多すぎることにあると思うね。
これが難しすぎるのなら、こういう言い方もあるさ。

「目的」と「手段」の違い。

「目的」が「理念」と思えばいい。
「手段」は、「戦略」と「戦術」と言える。
こうすれば、若いお父さんに分かりやすくなるだろう。

子育ての「目的」は、
「自立をした一人の大人の社会人に子供を育てる」ということだ。
「自立」が目的だよ!

それに対して、「手段」として、
子供が学問を渇望するので、大学で学ばさせるものだ。
学問に興味がなかったら、その必要はない。

しかし、どうだろうか・・・・
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
の親は多いと思えるね。

「目的」と「手段」を取り違えている例だ。

こう説明すれば、分かりやすいのではないだろうかね。
僕は、「高卒」だ。
でも、人生で「学び続けて」きたので、今の自由な人生を獲得することができた。

父親こそがこの人生の「目的」をハッキリ、シッカリ、押さえて欲しいんだな。
つまり、そこの家族の「理念」を父親が持つ。
そして大雑把な「手段」を考える。
つまり「戦略」の構築だ。

その大きな設計図に基づいて、母親が細かな「手段」を実行する。
つまりこれが「戦術」だ。

こうして父親と母親の役割分担ができれば、
大きく間違った子育てにはならない。
これが一対の夫婦が子育てをする基本さ。

父親は、常に、家族の目標を掲げて、
大雑把な作戦を練るのさ。

そこで、提案だ。
もういい加減に「物」にこだわる生き方を改めようか。
ブータン王国を参考にしようよ。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題だ」
この能力を鍛えればいい。
分かって欲しいね。

そういう僕でもカラビナが欲しくなっちゃったけどね・・・・・
でもここの書き込みのネタにしちゃったさ、チャッカリと。


12/6/9(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は雨だ。
35`離れたところの取材に自転車を使おうと思ったが、車でこれから行く。

夏休みに僕は、マザー牧場で「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフをやる。
12日にそのキャンプのHPへリンクをするから、
ぜひ来て下さい。

この「ごちキャン」では、水鉄砲で子供たちと遊ぶことになっている。
スタッフ全員と子供たち70〜80人ぐらいだろうか、
敵、味方、もなく乱戦模様だ。
本当に、スタッフ間で「裏切り」があったりして・・・・

最後には、バケツが出てきて、
そこら中、水浸しになっている、いつもね。
最近は、お父さんも参戦するようになってきた。
中には、「マイ水鉄砲」持参で来る家族もある。

僕の夏の風物詩さ。

ところで、昨日は今日とまったく違って快晴だった。
夏の暑さになった。
それで昨日は、西に17`ほど行った取引先で取材をしていた。
もちろん、昨日は、自転車で行ったさ。

僕はサイクリングで夏の肉体労働に向けて体力づくりをしているが、
けっして、筋肉を付けるほどの運動をしているわけではない。
「夏の暑さに慣れる」訓練と言ったほうが正しい。

建物の中の「快適空間」で過ごしていると、
大人でも大自然の厳しい暑さ、寒さ、に耐えられない体になってしまう。
肉体だけではない。
精神的にもかなり貧弱になってしまうものだ。

だから、育ち盛りの子供を建物の中に閉じ込めるのは、
僕は、犯罪だと思う。
子供を「もやしっ子」にしてはならない。

さて、昨日の取材は、「水遊び」だった。
「卒業ビデオアルバム」での一こまに取材をした。
それで、昨日は、今までと違って新兵器を使っていた。

今までは、園庭で先生がホースを使って子供たちに水をブッ掛けるだけだったのが、
子供たちに、空のペットボトルなどが与えられていた。
つまり、先生から水の攻撃を子供が浴びる、
から、
対戦する、に替わったわけだ。

僕は、年長の子供を取材をしに行ったのだが、
その前に、年少の子たちがやっていた。

太陽サンサンの下、キャー、キャー、と面白そう。
それを見ているうちに、
つい僕は、マザー牧場の「ごちキャン」のスイッチが、
プチッと入ってしまったんだな。

気付いたら、僕もペットボトルに水を入れて、
子供の頭に「ビシャ・ビシャ・ビシャ」という効果音の声を出して引っ掛けていた・・・・・
ビョウキだな、職業病だ。

年長の子たちを撮る前には、僕のジーパンがビショビショになってしまっていた。
モンスター・ペアレントさえいなければ、
僕の仕事は、超面白いんだけどなぁ・・・・
これだけだったら、辞められないんだけどね。

僕の仕事は、いつも仕事なんだか遊びなんだか、
なんだかサッパリ分からないのさ、未だにね。

若いビデオマンで子供が好きだったら、
いい職業になるんだが・・・・・・

どこかにいないかね、若いビデオマン。
懸賞金を付けようか、
若くて、子供をビデオで撮るのが好きそうな人材がいたら、
そうだなぁ・・・・
マジで3万円を支払おう。
捕まえて欲しい。
全国手配だ。


12/6/8(金)朝 ビデオマンの日記

命がけで必死になって生きると、
自然と、
「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて物事に取り掛かるようになれる。

しかし、
「簡単」「便利」「快適」・・・・
普段の生活でこれを浴びるように過ごしていると、
その必要がなくなり、
ついには、「理念」「戦略」「戦術」の概念を獲得できなくなってしまうようだ。

そうなると、
外してはならない「戦略」より、「戦術」にこだわってしまうというトンチンカンなことをしてしまう。

ビデオ屋という個人事業を立ち上げる上で、
本気で、
何が「理念」なのか、
これを「志」と呼んでもいい、何が最大目標なのかをハッキリさせるのが最初に必要だ。

僕は、これを
「子供をビデオで撮って売る商売」と28才のときにハッキリさせて取り組んだ。

次は、「戦略」だ。
僕の場合、どうやって子供を撮って売れるようになれるのか、
具体的な方法が初期には、編み出せないでいた。
それが分かったのは、小さな写真屋さんに勤めたときだった。

「子供を写真で撮って売る」商売をもうすでに事業化できていた。
これを「ビデオ」に置き換えればいい。
こういう戦略を立てた。
僕が30才を少し過ぎたときだった。

それの具体的な商品開発は、
僕が35才のときにできた。
「卒業ビデオアルバム」制作の処女作完成。
僕が35才の時のことだ。
これは、どちらかというと「戦術」にあたる。

そして、それを見本に新規営業展開をする。
その営業方法は、「戦術」に当たる。

こうして僕は、初めに「理念」ありきで展開をしたので、
この商売を立ち上げることができた。

ものごと、どんなことでも成功に導くための順序や具体的なアプローチの「仕方」がある。

ビデオ屋の会合で感じることは、
この「理念」「戦略」「戦術」の概念と「使い分け」ができない人が多いということだ。
たまにまぐれ当たりがあっても、
商売を立ち上げることが出来ない。

いつまで経っても、新しい機材にばかりに目が奪われていたりしている。
どういう機材を使うかは、完全に「戦術」での話しになるのにね。

それでいて、
どういう被写体を追い求めるのかという「理念」がない。
こういうことで、
決してうまくいくわけがないことをしている人が多いのさ。

これは、子育てでも同じだ。
子育ての最大目標は、
「自立をした一人の大人の社会人」に育て上げるということだ。
これが「理念」として父親がハッキリ、シッカリ、
頭にないから、子供がいい年をしても親の庇護で暮らしてしまうわけだ。

そういう親に多いのが「大学さえ出せば子育てをしたつもり」ということだ。
大学で学ぶかどうかは、そこの家族の「戦術」にしか過ぎない。

「理念」「戦略」「戦術」の概念の獲得と使い分け。
これを教育できるビデオ屋の集いになれれば、
そこで若手のプロのビデオマンを育てることができるだろう。

今現在、残念ながら「機材」という物にこだわっている人が多い。
そういう人を相手にしたくないな。
「志」のある若いビデオマンに「卒業ビデオアルバム」制作を早く教えたいね。
そうでなければ、そのうちに僕がこの世からいなくなってしまう・・・・・


12/6/7(木)朝 キャンプじぃじの日記

今朝の読売新聞、p11「解説」面で面白い記事を読んだ。

伝統宗教3者が提言

「大量消費の見直しを促す」

天台宗、真言宗、神社本庁、
それらの宗教家が集まって、これからの日本を考えてくれたようだ。
宗教を無視するのが正しいという「教え」がはびこっている今の日本。
世界的に見て、
宗教を無視するというのは、「生きる指針」を持たないことを意味する。

だから「物」に執着するんだな。

ぜひ、「物欲」からの脱却に貢献して欲しいね。
それで共同提言として、

「地球上の有限な資源の大量消費、
  自然破壊をもたらす生活のあり方を改め、
    日常生活の根本的な見直しを積極的に
      働きかけてまいりたい。」

ということだ。
どういう宗教かを問わず、ぜひ宗教家やその他「偉い方」も、
庶民に分かるよう率先実践して欲しいな。
よきお手本を示してもらいたい。


仏教用語で「少欲知足」というのがあるそうだ。
「今、手にはいるもので満足する」という意味らしい。

僕もそれに大賛成だ。
普段の家庭生活で、「物を手に入れるために忙しい」を改めて、
その分、父親が父親でなければできない子育てを実践して欲しい。

「物中心」から「親子で心の成長」へチェンジするいい機会だ。

去年の大震災は、今までの日本人の「生活」を改めさせるキッカケとなるようだ。
多いに結構。

さぁ、子供と遊ぼう! 若いお父さん!
お金をかけずに、たくさん子供と遊ぼう。
新車一台分で、どれほど子供と遊べるのか考えてみよう。


12/6/6(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日、35`離れたところの取引先まで自転車で行った。
見沼代用水路コース一周が約50`弱。
コースを一周するより短い。

でも往復をするとコースより長く走ることになる。
ソコソコの運動量だな。

都内は、景色を楽しむサイクリングにならないけど、
それでも帰りは、時間制約がないから、
面白そうな道を選ぶことが出来る。

仕事と趣味のみごとな両立だな。
その仕事だって元々は、スキー仲間をビデオで撮っていたのが
段々とエスカレートして仕事になった。
だから、 OLL遊びと言えなくもない。

子供がいたころは、ともかく子供に飯を何が何でも喰わせなければならない、
という足かせがあったので、それほど自由を感じなかったけど、
最近は、その足かせがなくなったので、
凧の糸が切れたように、
大空を好きなように舞っている感じがする。

ただ、逆に子供がいなくて寂しい。
正直なところを告白するさ。
それで「父性教育の重要性を訴える」というお節介を始めたのさ。

スプロケットを交換して、
0発進が面白いように伸びる。
その勢いで、シフト・アップしていくから、
初速だけは今までより速くなった。
特に、都内は信号だらけだから、普通の田舎のツーリングより
この0発進が多い。

上り坂も楽チンになった。

これは快感だ。 気持ちいいさ。
子育ても、ある一線を越すと快感になる。
本当さ。 やってみなよ。
僕は、それでカブスカウトの活動を年に70日もやってしまったのさ。
面白かった。
本当の豊かさを味わったさ。
しなきゃ、分からない。


12/6/5(火)朝 キャンプじぃじの日記

仕事で忙しい・・・・・

なぜそう忙しくする必要があるのだろうか。

リストラが心配だから?
それは、リストラされやすい人材だからじゃないのかな?
どういう企業でも、その人にしか出来ない何かを持っていたら、
リストラなんかの対象にはしないでしょう。
真剣に「学ぼう」か。

家のローンと車のローンと、支払いが多いから?
そもそも「身の丈」にあった生活で「我慢」出来ないのが原因だな。
「物」にしがみ付いて生きていて「自由」は、決してないさ。
「消費」で頭が一杯だと本当に「学ぼう」としないものだ。
「消費」のために忙しいなんて、ただ人生を消耗しているだけなんだよ。

生きている感動は、「成長」にあるのさ。

「一生涯安泰」
この言葉の裏には、「一生涯学ばない」がセットになっているのさ。

「学ぼう」とするのは、「成長願望」があるからだ。
幼子には、この「成長願望」が強くある。
だから大きく成長するのさ。
またその姿に感動させられるのさ。

でも、育て方が悪いと、反抗期で「学ぼう」としなくなる。
親の真似っこをするんだよ。

さぁ、どうする? 若いお父さん。
必死に学べるかな、何かをね。
子供はそれをよく見て真似るのさ。

「父親が成長した分、子が育つ」とは、こういう意味でもあるのさ。

「忙しい」とは、「心を亡くす」と書くのさ。
立派なことではないんだな。

僕は、それを40才の時に気付いて、仕事量を減らして、
カブスカウトの活動を年に70日実行をした。
これを真似ろとは言わない。
せめて自分の子供は、自分自身で育てような。

そのことで「親として育つ」のさ。 親としての成長があるのさ。

他人任せ、母親任せで、子供は、
これからの社会を堂々と生きる人には育ちにくいさ。
「一生涯安泰」を求めて、極端な保身に走る人になりやすいのさ。
こういう人材を企業では、リストラしたくてしょうがないのさ。
分かる?

大学さえ出せば子育てをしたつもり・・・・
子供が真剣に学問をそこで学べばいいけど、享楽を身につけてしまったら、
最も下手くそな育て方になるぞ。

「幼稚であってはならない。 幼子のように素直になりなさい。」
「物」で幸せになれると思うのは、「幼稚」だよ。
自分の人生に対して必死に生きようとするときに「素直」なものだ。
よく学ぶようになれるのさ。

「素直」な心は、吸収力が抜群だからね。

さぁて、僕は、今日、35`行ったところの取引先まで自転車で行くさ。
新しいスプロケットで、「走り」に喝を入れるのさ。
ガソリン代がういて、エコになる。
夏の体力仕事のための運動になる。
何よりも僕の趣味だ。

こうして未だに僕は、成長を目指しているのさ。
歳をとっていきながら成長を目指す。
面白いさ。
子供たちに伝えていきたいよなぁ。

「真剣に学ぶ」


12/6/4(月)朝 キャンプじぃじの日記

新聞に何回も広告が出たので読んだ本がある。

「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺 和子 著
幻冬舎 刊 952円+税

著者は、カトリックのシスターだ。
2.26事件で彼女の父親が、目の前で暗殺されるという想像を絶する幼少体験がある。

こういう人生の苦しみを通り越して生きてきた人の言葉には、
訴える力がある。
また、引用に牧師(プロテスタント)や、相田みつお(仏教)など、
していて、宗教的な懐の大きさも感じた。

この本でも「親の生き方」がこのシスターの心の根本を育てたと言えるようだ。
「親の心が子供に投影される」とも言える。

今の日本で、母親は子供と接する時間が多い。
でもどうだろうか、
父親がどのくらい子供と遊んでいるだろうか?

不景気でたくさん働かなければならないのは、よく分かる。
でも、僕は、40才の時に「仕事で忙しい」を止めたよ。
そしてカブスカウトの活動を年間70日したさ。

「物」にこだわった生き方を改めれば、
子供との時間は、たくさん作ることが出来るさ。

僕は、この本を読んで、
「父性教育の重要性を訴える」活動をしっかりとやり続けようと、
意を新たにしたさ。

ぜひ、若いお父さんも読んで欲しいね。

「父親が成長した分、子が育つ」
これは、子育てフォーラムで最後に上映するDVDに出るテロップだ。
ぜひ、これも聞きに来て欲しい。


12/6/3(日)朝 復活サイクリストの日記

この間、いつもの自転車やさんにロードを持っていって変速機廻りを直してもらった。

「歯飛び」まではしていなかったが、
変速をするレスポンスが急に悪くなったからだ。

若い頃は、あまり変速して走ってはいなかったが、
歳をとり、体力がなくなった今、
ここ数年は、「ロー発進」をするようになった。
だから、かなり変速機を酷使している。

まぁ、体力がない分、変速機に頼った走りなわけだ。
でも、おかげで発進に伸びがでた。
よく、若い人と交差点で信号待ちして、スタートをするときに、
発進だけは、ぶっちぎりしたりしている。
数秒後には、追い越されるけどね。

たぶん、チェーンとスプロケットに問題があるだろうと交換をしてもらった。
それで、どうせ交換するのなら、
それまでより「ロー」側に強い歯数にしてもらった。
つまり、もっと「軽いギャー」にしてもらったのさ。

ローギャーとトップギャーの歯の数が大きく違うものを「ワイドレシオ」と呼ぶ。
逆に少ししか違わないものを「クロスレシオ」という。
ロードレースのように競技では、
クランクの回転数がだいたい、100〜130回転させて走る。

訓練をした選手でなければそういう回転は出せない。
車のエンジンでも同じだが、「トルク」よりも「馬力」が回転数を上げることで出るんだな。
そいう走りでは、ギャーの歯の数の違いが大きくでるんだな。
それで、競技では「クロスレシオ」にする。
分かるかな?

逆に、ツーリングでは、
回転数は、だいたい70〜90回転だ。
レースより低い。
だから「ワイドレシオ」を使うわけ。

僕の自転車は、車種は、「ロードレーサー」だが、
走りはツーリングなんだな。
だからギャーは、ワイドレシオの方が走りやすいわけ。

それで、交換するついでに、今までよりも「ワイドレシオ」にした。
そうしたら、今までのリア・ディレイラーのキャパシティが足らなくなってしまった。
後ろの変速機は、
ギャーを変える機能とは別に、チェーンのテンションを一定に保つように出来ている。
クロスレシオだと、ギャーの組み合わせで起こるチェーンのタルミが少ないけど、
ワイドレシオだと、その変化が大きい。

どういうことかというと、
リア・ディレイラーには、二つのプーリー(滑車)があるが、
そのプーリー間の距離がチェーンを引っ張るキャパシティになっている。

つまり、クロスレシオだと、その距離間は、少なくて済むが、
ワイドレシオだと、それを長くしなければ間に合わないんだな。
だから、リア・ディレイラーのプーリー間がどのくらいなのかを見れば、
その自転車の「ギャー比」が分かるのさ。

それで、僕の自転車は、ロードであるにもかかわらず、
ワイドレシオにしたので、ツーリング用のリア・ディレイラーに交換をしてもらったのさ。
知っている人が見たら、妙チクリンだ。

それだけではない。
僕は、下はジーパン、上はワークシャツかTシャツという井出たちだ。
そして靴は、マウンテンバイク用を履いている。
ペダルには、「トゥークリップ&ストラップ」が付いている。

「ロードレーサー」という車種と走りのみごとなミスマッチ。
700Cのタイヤでガンガンと悪路、砂利道を走る。
ワイドレシオが、だから、いいねぇ。

そんな走り方だから、この間取り替えたばっかりのタイヤに亀裂ができてしまった。
それで、それも交換した。

結局、チェーン、スプロケット、ディレイラー、タイヤ、
と交換をしてもらった。

そういうわけの分からない客にとっても親切に対応をお店の人がしてくれたので紹介をしよう。
実用的でバランスよく低価格のロードを売っている。
もちろん僕のロードもここで買ったさ。

「コーダーブルーム東越谷」店
副店長の佐脇さんがとっても親切にしてくれている。

埼玉県越谷市東越谷 7-26
tel:048-960-6588

コーダーブルーム東越谷

越谷警察署のはす斜め向かいあたりにある。
とっても親切さ。


12/6/2(土)朝 キャンプじぃじの日記

一昨日、調理の自主トレーニングをした。

和食基本技術「切干大根の煮物」だ。
二回目の復習になる。

道具は、キャンプ用のコッヘルセットと、
キャンプ・コンロ、
キャンプで調理に使うオピネル・ナイフだ。
豪華絢爛の調理器具は、使わない。
「物」ではない、「ウデ」を磨くぞ。
ビデオ屋を立ち上げてきた志と一緒だ。

料理教室で使ったレジメと、
そこの教室で売っているレシピ本とでは、
材料と量が違うことが分かった。

レジメの方では、切干大根を水でもどした、戻し汁を使うことになっているが、
レシピ本では、ダシ汁になっている。

レジメでは、砂糖が小さじ1、油揚げが1/2枚、だが、
レシピ本では、砂糖大さじ1、油揚げが1枚、とこんな具合で違う。

決定的なのは、レシピ本では、酒を大さじ1を入れる。
このことで、レシピ本に従って作った。

僕は、冬には酒を呑むのだが、暖かくなるとそれを消費しない。
しかし、
料理酒がないので、しょうがないから「剣菱」の小瓶を買ってきた。
この間の煮物には、「八海山」を使ったさ。
もったいねぇ〜〜〜。

こういう豪華な材料を使って作って、うつ病の古い友人に差し入れしたら、
メールでうまかったと返事がきた。

大家のおばぁちゃんにも好評だった。
ただ、こちらは社交辞令を拭えない。

でもね、料理教教室に参加をしたときには、
レジメで作っておいしかったんだよなぁ。
この違いは、いったい何だ?

ビデオを作るのと同じぐらいに奥が深いぞ。
面白い。
精進しよう。

どうやら和食の基本は、ダシと砂糖のようだ。


12/6/1(金)朝 復活サイクリストの日記

自転車で高速道路を走った話し・・・・・

今から30年ぐらい前、
僕は、冬のスキー以外では、そのoffシーズンにサイクリングを楽しんでいた。

埼玉県越谷市を基点に、
北は、日光中禅寺湖まで、
南は、江ノ島まで、
西は、秩父にある奥武蔵グリーンライン、
東は、筑波山、これは午前中コースだった。

こんな調子で遊んでいたから、関東平野は僕の「庭」だったんだな。
大きい庭でしょう。

住んでいるところは、ベースキャンプだ。
ボロアパートでも、テントよりは、かなり快適だ。

自分の足で行ける範囲が僕の「お庭」。
面白かったなぁ。
今は、その行動範囲が、かなり縮小してしまった。
しょうがない、もう歳なんだから。
でも、「加齢」で新しいサイクリングを発見したさ。
これが、「成長」だ。

さて、僕はそのころサラリーマンだった。
そして「社員旅行」が流行っていた。
ある年、
熱海まで社員旅行をすることになった。

そのころ、僕は天気がいいと、会社までの約20`を通勤に自転車で行っていた。
だから、僕の自転車好きは、社員全員、知っていた。

そこで、熱海までをサイクリングで行くと僕が言ったら、
幹事が面白いからそうしろ、ということになった。
だいたいのコースから距離を割り出して、時間配分をする。
到着時間から、サイクリングにかかる時間を逆算して出発時間を決めた。

江ノ島より遠い。
でも往復ではなく片道なので、たいしたことはない。

そのころには、携帯電話などなかったし、
たしか、ポケットベルもまだ普及していなかったころだった。

越谷から熱海へ向かって、いざ、出陣。
僕は、スポーツ選手ほどの体力はないけど、
若かった。
それなりのエネルギーが出た。

若いから、やたらに国道を突っ走る走りだった。
ほんのわずかな脳みそに送る血液も、太ももに回して走った。
簡単に言うと、何にも考えずにひたすら走った。

走って、走って、走って、
ついに江ノ島を通過した。
秩父の奥武蔵グリーンラインや、日光のいろは坂、
箱根の峠、
そんなきつい登り坂がなかったので、軽快に飛ばして走った。

それでいつの間にか高速道路を走っていた。
高速道路は、邪魔な信号がないから、エキサイティングに突っ走ることができてしまったんだな。

それに気付いた時には、僕でもビックリ仰天したさ。
恐る恐る、逆走して戻った。
そのロスタイムが影響をして、熱海に到着するのが遅れた。
それで宴会が延びていた。

社長に怒られたよ。
電話ぐらいしろ、と言われたけど、
ナント、ホテルは有名だからすぐ分かるだろうと思って、
そこの電話番号を調べなかったんだな。
そのホテルは、今、マンションになってしまったさ。

ということで、社長訓示で、社員旅行に行く時に自転車では「ダメ」となった。

余談があるんだよね。
次の年には、箱根に社員旅行をバスで行くことになった。
僕は、「自転車で行く」のは社長に止められているけど、
自転車を「持って行く」のはダメと言われていない。

そう幹事に交渉をしたたら、心地よくOKが出た。
要するに、バスで「輪行」をした。

その旅行は、帰りは新幹線で帰ることになっていたので、
その電車賃を現金でもらって、
箱根のダウンヒルを思いっきり楽しんでラッキーして帰ったさ。

物事、どんなことでも「諦めない」のさ。
このしつこさで僕は、今の仕事を手に入れたのさ。
今度は、調理ね。
明日は、調理の話し。


12/5/31(木)朝 ビデオマンの日記

昨日は、35`ほど離れた都内の取引先まで自転車で行った。
幼稚園のそばで出勤途中の園長先生を追い越した。
「呆れる」を通り過ぎて想定外という顔をしていた。

昨日の取材は、普段の子供たちの園生活を取材した。
何気ない幼稚園生活から、
子供らしい仕草、
先生との交流、
印象的な出来事、
そのようなものを切り取ってくる。

実は、この取材とプールなどの取材は、代わりの人に頼めない。
年間を通して、これが一番難しいからだ。
この取材の材料のよさが、
作品全体の雰囲気をかもしだす。

僕の「作風」は、これで決まると言っていいほどだ。

この取材は、「無心」になればなるほどいいものが撮れる。
とっても不思議だ。
スケベ心で挑むと、絵が逃げていく。
本当に不思議だ。

「子供たちと同化する」感覚とでも言えばいいのだろうか。
非常に難しくもあり、なぜか幸せを感じるときでもある。
もう20年以上やり続けてきたが、
未だに難しい。

昨日の現場では、「タテ割活動」の導入日だったようだ。
これから力を入れていくらしい。
この「タテ割活動」は、
僕は、たまたまこれが得意な幼稚園と25年ぐらい前に取引して知っていたので、
それ以来、撮るのが好きだ。

そういうこともあって、昨日は、ノリノリだったな。
帰り際、園長先生が、
自転車で来たことを「驚きをもって呆れて」いた。
そして、どのぐらいで来るのかと尋ねるから、
僕は、だいたい2時間ですと答えた。

そうしたら、何を思ったか、その園長先生、
「一般道ですよね」と念を押す。
自転車は、高速道路を走れないのにね。
よほど動転していたようだ。

ちなみに僕は、一度だけ高速道路を走ったことがある。
明日は、それをネタにするか。


12/5/30(水)朝 キャンプじぃじの日記

ボーイスカウトがいつ、さぎ山野営場を使ってもいいように、
だいたい木曜日か金曜日に山を整備するのだが、
今週は、その間がないので、
昨日、やった。

やったと言ってもサイトではなく道路に面したところの草刈をした。
夕方から豪雨だと予報が言うので、
朝早く、8時前ぐらいから取り掛かって、
終わったのは、午後2時半だった。
10時半頃、やぶ蚊が今年初めて出て、蚊取り線香を腰にぶら下げた。

草刈機で草を刈った後、落ち葉と道路に流れ出たドロ、草、を一輪車に積んで山の中に運んだ。
いつ雨が落ちるのか分からないので、
セッセと片付けたさ。
大変な肉体労働だった。

キャンプ場は、使っても使わなくても整備し続けなければならない。
だから、子供のために多いに使って欲しいんだよ。

それにしても、でかいおもちゃだ、さぎ山野営場は。
あぁ、くたびれた。


12/5/29(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、午前中幼稚園で撮影をして、
午後から編集をした。

一日、仕事だったので話題がない。
つまらない人生を送っていた。

今朝、ビデオ屋の集いからメールが届いた。
6/13(金)川崎市の「宮前市民会館」大ホールを使って、
会のHPに載せるイメージビデオの撮影をすることになっている。

キャリアのある女性が、ホールでの撮影の仕事をする、という設定だ。
だから舞台ではなく、客席を使って、そこにセットする。

この間の会合で、僕は、若者を育てるのに、
「卒業ビデオアルバム」制作をアピールしろと訴えたのだが、
聞き入られなかった。

それどころか、その撮影の演出と照明を任されてしまったんだな。
まったく、これは僕の注文ではない。
まぁ、それでも久しぶりに照明ごっこを楽しめそうだ。

カメラを振るより、照明の方がよっぽどもクリエイティブなんだな。
なんとなく、コダワリが調理に似ている。
そのために、フィルターも買ったさ。

昔、新宿に「東京映材」という照明廻りの機材やフィルターを売っていたところがあった。
僕は、ギャラ仕事で喰っている時代によくそこへフィルターやピンチを買いに行ったものだ。
そこで買ったピンチには、「東京映材」と刻印が押してある。
今だにそれを僕は持っている。
随分前にそこが潰れた。

この間、ネットでフィルターやピンチを買った。
その店は新宿にある。 店の名は、「エイザイワークス」だ。
それで、刻印がないだけで僕が持っているピンチと同じものが届いたんだな。

もしかして、昔の店が復活したのだろうか・・・・
ちなみに、フィルターは龍電社のものではなく、リーの物が届いた。
懐かしい。

普通の人には、なんだかサッパリ分かんないよね、陳腐な話し。 おしまい。


12/5/28(月)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、うちのばぁばのオデブ解消のために、
見沼代用水路のショートカットコースを二人でサイクリングした。
とてもその効果が期待できるような距離ではなかった。

もう夏の暑さだったな。
日向では、グッタリする暑さだ。
新緑の桜並木の木陰の中は、とても涼しくて気持ちが良かった。

周回コースの終盤で「大崎公園」の脇を走るのだが、
そのときに「さいたま103団」のカブスカウトの子供たちがサイクリングをしていた。
一つの組に7〜8名のスカウトがいただろうか、
それが少なくとも3組あった。

僕の住んでいる地区でこんな大所帯はない。
活発な地区もあるものなんだな。
とっても楽しそうだった。

中には、やっぱりヤンチャがいたな。
そういう子を安全に活動をするのが大変だ。
隊長の苦労が手に取るように分かる。

でも子供たちと一緒にサイクリングをしていて、羨ましいよなぁ。
ばぁば相手に走っているのと段違いだな・・・・・
いいよなぁ・・・・

僕もカブの隊長を経験したけど、
子供はかわいくて面白いけど、母親にウンザリさせられた。
それでもう二度としたくはない。

仕事でもモンスターが騒いでいるし、
本当に、どうしようもない。
父親がもっとシッカリしてくれれば、この問題は解消するだろう。
そういうことで、
子供の心を育てるどころか、貧弱にしてしまっているのは、母親自身であると思うね。

世のお父さん! シッカリ自分自身で子育てをしよう! 頼むよ。

さぎ山野営場に置いてある車まで、一周をして戻ってきてから、
今度は、少しだけ斧で薪割をした。
「木割り矢」を覚えたら、斧は、おもちゃみたいなものだ。
気持ちいい分だけ割った。
あまりやると「労働」になってしまう。

一汗かいて、いつもの銭湯の露天風呂に浸かって、
調理実習しながらビールを呑んだ。
昨日は、「ささみとみつばのわさび酢あえ」の二回目の挑戦だ。

どの調理も「四人前」が基本になっている。
そこで、僕とばぁば、大家のおばぁちゃんとうつ病の古い友人でちょうど四人になる。
いいアイディアだ。
そういうことで、昨日の晩飯は、その四人で食べたさ。

出来具合?
そうだなぁ・・・・まだまだ修行中だ。
察して欲しい。

そうそう、昨日四人で食べている時に、
栃木の田圃の様子を僕が話した。

大家のおばぁちゃんによると、
稲がもう立っていたのは、どうやら「麦」だったらしい。
そう言えば、穂先が突っ立っていたような気がする。
去年とは随分と違う光景だったような気がするんだよなぁ。
サイクリングは、だから面白くてたまらないさ。
若い頃に覚えた趣味は、本当にいい。


12/5/27(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、見沼代用水路コースをフルコース、ポタリングした。
走り始めのときには、Tシャツだけだとちょっと冷えたが、
すぐに気温が上がって暑くなった。

土曜日だったので、やたらに老人グループがハイキングをしていた。
そして、道をふさいでいた。
「自分さえ良ければいい」という現象は、今の老人から身についている。

そういうのに育てられれば、当然のことながら「自分勝手」がよりひどい人が育つわけだ。
こうして世代間にわがままが伝わっていく。

バブル経済を味わった人たち・・・・・
僕もその内の一人だ。
だから僕の四人の男の子のうち、上二人がグレてしまったとも考えられる。

そんなことを考えながら走っていたら、
気付いたら一周を走り終わっていた。

途中で後ろの変速の調子が悪くなったので、
行きつけの自転車やさんに持って行った。
ここのお兄さんがとっても丁寧に整備をしてくれるんだな。

どうやら、スプロケット(後ろのギャー)とチェーンが原因らしい。
確かにチェーンは、買ってから一度も交換をしていない。
もう5〜6年は経つだろうか。 もっとだろうか。

スプロケットの真ん中あたりが調子悪いことを考えると、
そこらへんの歯が磨り減ったのだろうか、
ともかく、交換してみることにした。

その店にある在庫では、トップが12でローが23だったか、
今のものより重くなってしまう。
どうせ交換するなら、軽くしたいので、取り寄せをしてもらった。
僕は、脚力がないので軽いギャーがいい。

普段、チェーンホイール(前のギャー)のインナー(軽い方のギャー)で走っている。
でもうまくいけば、
スプロケットを交換した後は、アウター(重い方のギャー)で走れるようになれるかも知れない。

本来は、アウターをメインにして走るものなんだな。
そうなると、若干、巡航速度が速くなるかも・・・・・
どうだかなぁ・・・・・
楽しみだ。


12/5/26(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、「新じゃがと豚肉の照り煮」を作った。
この「照り」というのが普通の肉じゃがと違うところだ。

とりあえず、失敗をした。
歩いてすぐのところにあるスーパーで「新ジャガ」を買ったのだが、
大きかったので、全部小さく切った。
これが敗因だった。

料理教室では、小粒のものだったので、小さく切ったのは、
せいぜい1ヶか2ヶだけだった。
切ってしまうと、「照り」にならない。
それだけではなく、ジャガがくずれてしまった。

ばぁばに聞いたら、小粒の新ジャガは、八百屋さんに行かないと手に入らないそうだ。
これで、この間の料理教室で習った調理は、それぞれ一回ずつ復習をしたことになる。
どれも、失敗。

その理由は、どれも「材料」に問題があった。
なるほどねぇ・・・・・

僕の仕事は、「ビデオで子供を撮って売る」商売をしているが、
「撮り」が悪いと、編集にならない。
「撮り」という材料の良さが非常に重要になる。

まったく、ここらへんが調理と同じなんだな。
なるほどねぇ、
面白い。

どんなことでも「基本」がある。
僕は、昔、スキーを夢中になってしていたけど、
基礎スキーを習いによくスキー教室に通ったものだ。
だから、僕の古い友人達よりは上達をした。

サイクリングだって「基本」がある。
調理にだって「基本」がある。
子育てにも間違えなく「基本」がある。

子育ての最も重要な基本とは、
「子供を自立した一人の大人の社会人」に育てる、ということだ。
これを目標に子育てをするのが基本中の基本だ。

「学校の成績だけ」にこだわった子育ては、
この基本が出来ていないことが多い。
当然の結果として子育てを失敗する。

それが「ニート」「引きこもり」「重度なうつ病」「婚期を外す」
などなどの症状となって現れているのさ。
父親が子供に「生きる意味」「生き方」「生きる価値」を教えられないから、
子供の心のトラブルになるのさ。

僕は生きている限り、
「父性教育の重要性を訴える」活動をしていきたいね。
僕と同じドジを父親が踏まないように。
子供の「心」を育てられないと、本当に後で悲しい思いをするよ。

さて、さらにもう一度習った調理の復習をこれからするさ。
目指せ「コック長」。


12/5/25(金)朝 復活サイクリストの日記

一昨日は、ツーリングに出た。
電車で目指したのは、「やぎゅう駅」。
そこを降りて、「デカにぎり」を一つ買って展望台から景色を楽しむ。
天気が良くて筑波山がクッキリと見えた。

雄大な「渡良瀬遊水地」も見るたびに気持ちが洗われる。
また仕事でモンスターが騒ぎ出したんだな。
もう真剣にそことの取引を止めたい。
そんなくさったお化けを相手にいい仕事ができるわけがない。
ウデが落ちるだけのくたびれ儲けだ。
そういう気持ちを和らげてくれるのさ。
雄大な景色は、だからいい。

その渡良瀬遊水地を俯瞰で楽しんだ後、そこの中を走る。
のどかだ。
ゆったりと時間が流れて行く。
ヒバリやらホトトギスやら、いろいろな野鳥の大合唱の中を走る。
風もなく、ちょっとヒンヤリした空気が心地いい。

そこの中を縦断して、栃木の田圃を走る。
どこまでも続く田圃。
よく見ると半分ぐらいに稲が立っている。
休耕地なのだろうか、それとも二毛作?

たまたまそこにいたお巡りさんに尋ねてみたら、分からないという。
そのお巡りさんの先に、別のお巡りさんたちが縄を張っていた。
田圃の真ん中で・・・・・・
栃木県警は、釣り方が分かっていないようだね。

警察の車輌の前に、5〜6名ぐらいのお巡りさん達がいた。
そこを通過する時に、一斉に「こんにちは」と挨拶されたさ。
車を運転している時には、敬遠したい相手だけど、
自転車だったから、僕は、笑顔で挨拶を返したさ。

これほどにして人間の気持ちは、ころころと変わってしまうんだな。
自分で驚いたね。

さらに田圃は、どこまでも続いていく。
のどかでいいよなぁ。

そうしているうちに栃木市内に入った。
そこでお昼にした。
ラーメン屋さんを探す。
いかにも個人経営のラーメン屋さんを見つけ出す。
そこで迷わず、「ラーメン」を注文した。
思ったとおり「佐野ラーメン」が出てきた。
手打ちのあの麺がうまいんだよね。

ラーメンを食べている時に目の前にあったテレビから、
「からし酢味噌」の作り方が流れた。
うまそう。
くいた〜〜〜い。
シッカリと僕の脳みそにインプットしておいたさ。
何だろうか、やたらに最近調理にはまりだしたんだよね。

さて、そこから真東に向かってハンドルを切る。
「思い川」にでた。

土手を走っていくと、すぐに砂利道になる。
700Cのタイヤが悲鳴をあげる。
そこに、1.5bばかりの蛇が突然目の前を横断する。
とても間に合わない。
引いちゃった・・・・・・、その蛇を・・・
痛てぇだろうなぁ・・・・
たぶん骨折しただろうなぁ・・・・・
その蛇に訴えられることもなく、彼は現場から逃げるように去っていった。

そして、
思い川の土手の道は、しばらく行くと完全になくなった。
いつもだったら、しつこく川沿いを追っていくのだが、
すぐに諦めた。

僕のまぶたに「からし酢味噌」のレシピがちらついてしょうがなかったんだな。
さっさと帰路に着いた。
最寄の駅は、「野州大塚駅」だった。
そこから輪行で帰って来た。

ボロアパートに着いて、さっそくキャンプ用のコッヘルセットを引っ張り出したさ。
そして、そのレシピに沿って赤味噌でそれを作った。

うちのばぁばを仕事場まで車で迎えに行く途中で、
本マグロと鯨を買ったんだな。
それとネギを添えて、それらを風呂上りのビールで胃袋へ流し込んだのさ。
うめぇ〜〜〜〜。

もうお化け相手のビデオ屋を止めて、
自分が食いたいつまみを出せる居酒屋をやりたくなってきた。
僕の脳みその中で、そういう夢が爆発したな。

その話しを昨日、ばぁばにした。
一応、アイディアを否定したな、諦め顔でね。
でも僕は、こう反論したさ。
「去年の大震災の時に、オレは地下鉄の中で本当に死ぬかと思った。
  もう一度死んだのだから、好きなことをしたい。」

夢が具体的だと、断然やる気がでてくるものだ。
目指せ! 「和食基本教室」
これで飯が喰えるようになりたい!

興奮するなぁ・・・・・
「料理長の日記」、いいんじゃないかなぁ・・・・
面白そう。


12/5/24(木)朝 ビデオマンの日記

今、朝の6時半、都内にいる。
渋滞を避けて現場近くにいなければならないので、
うんと早く出て、うんと早く現場近くにくる。
これをもう、20年以上も続けてきた。

自転車だと、結構正確に2時間で着く。
朝の7時に出れば、現場に9時につくから、朝飯を普通に食べて来られる。
ただ、自転車の場合、天候や僕の調子(二日酔いか否か)、
その他の条件が悪いとNGだな。
今日は、三脚を使うので車を使わざるを得ない。

もうすでにH24年度は始まって、入園式や遠足などの取材が終わった。
普段の様子や、点描、そんな生活面での取材もだいぶ出来た。

そういう中、H23年度の「卒業ビデオアルバム」の編集が残り1件、取り掛かっている。
例年より、若干遅い。
こういう感じで毎年今頃は、仕事をしているので、ややこしい。

モニターで見ているものは、すでに一年前の過去の話しだ。
今、現実に取材をするのは、今年度。
絵は、ほとんど同じようなものばかり。
当たり前のことだが、頭の中でこんがらかることがある。

モニターの世界というのは、現実の「今」ではないということが、
もう何年やってきても、錯乱する原因だ。
これが、モニターの世界の面白さであり、恐ろしいところでもある。

モニターの世界。
テレビの視聴に始まり、
僕の仕事などのDVDの鑑賞。
インターネット、テレビゲーム、

昨日は、輪行でサイクリングをしたが、電車の中では、
女子高校生のほんとんどが、スマートフォンを指で操作をしていた。
指が動いていない子は、居眠りをしていた。

もはや「モニター依存症」は、過去の病気になった。
僕の「メガネ」と同じ、体にくっついていないと、生きられなくなった機能、
それが「モニター」だ。

僕の作っているDVDは、その子が実際に体験をした記録のものだが、
その他のものは、総てバーチャルの世界だ。
または、本人の体験が伴わない情報だ。

体験が伴わない・・・・・・・
僕は、ここのところに恐ろしさを感じるな。
これから、幼稚園のお泊まり保育を取材するけど、
子供たちが、後日、これを見てそのときの体験を思い出して欲しいね。

個体差があるけど、だいたい小学校4年生あたりで
幼稚園の思い出は、ほとんどなくなることが多い。
そのときにこそ僕の作るDVDの真価が現れるんだな。
買った時点での、その時にはこれが分からないものだ。

年月が経ってから「価値」が出てくる不思議な商品なのさ。
親が自分の欲望を満たすことで頭がいっぱいの人には、この価値は分からない。
この不景気だから年々売り上げが下がるのは、どの商売でもそうだが、
それだけではない現象がある。

それは、まったく同じことをして作っているのに、
ソコソコ売れる場合と、そうではなくなる場合が起こっている。
僕は、そこに「親の質」の変化を感じるんだな。
「自分さえ良ければいい」
こういう目先だけのことで生きている人。
「先生」と呼ばれる人の中にもいる。

こういう「人」の変化は、長いことこの商売をしていると、
よく分かるのさ。
DVDの販売や子育てということ以前の問題が、そこにはある。

養育者が本当の「親」になるためには、
そこには、身に付けなければならない「人としての基本」があると
最近強烈に思うんだな。

「責任を負わない自分勝手」な「自由」と、
「自分の責任を使う」本当の「自由」の違い。

愛情と甘やかしの違い。

厳しさと虐待の違い。

「生きるのが当たり前」と「奇跡的に今、生きている」という違い。

まだまだ、いろいろあると思うけど、
「違い」を明確に説明できないというのは、分かっていない証拠だ。
これが分からなくなってきている。
このままだと、日本がつぶれるよ、本当にね。

それで、僕は、
「父性教育の重要性を訴える」ことを目指しだしたわけさ。

「ビデオマン」が見続けてきた「親」、
その生きる態度に、ここのところ、ヤバさを感じるのさ。
仙台や福島での災害、これをもう一度強く思い出してみようか。
浮ついて生きていないだろうか。

「見る」ということは、「観察」なんだな。
「観察」をするという行為は、それを「知りたい」という一種の愛情から起こるものだ。

親が、子供をシッカリと見つめることが、見守ることが、
ちゃんと出来ているだろうか。
子供の手を握らないで、携帯をシッカリ握り締めている光景を僕は、見た。

子供より、「物」に視点する生き方・・・・・

実は、これは、テレビコマーシャルの影響が大きいと思えるね。
また、大きいからこそ、売れるようになるんだろう。
モニターの怖さだな。

僕の仕事の根本は、「視点」だ。
親が本来の親らしい「視点」を取り戻して欲しいね。
その視点とは、「子供を自立した一人の大人の社会人に育てる」ということだ。
どう? そうじゃない?


12/5/23(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、料理教室でのものの一つを復習した。
自分で言うのもなんだが、僕は勤勉家だ。

その三つの内、「ささみとみつばのわさび酢あえ」に挑戦した。
それだけでは飯にならないので、
米、5石を炊く。
ダシの効いた赤味噌で、焼豆腐、ナス、の味噌汁。
アジの開き。
野沢菜付け。
というメニューにした。

全部、キャンプ用品を使って調理した。
ここが重要だな。
そうでなきゃ「キャンプじぃじ」を名乗れないからな。

結論から言って・・・・・失敗。
材料は、4人前が標準で、それに沿って作ったのだが、
「ささみ」が二枚あれば十分なところ、三枚でしか売っていなかったので、
面倒だからそれを全部使ってしまったところに敗因の一つがあった。

それと「わさび」にも問題があった。
冷蔵庫にあったワサビを使ったのだが、
チューブの最後の一絞りでやっと出てきたものが良くなかった。
気が抜けていた。
話にならない。

「酢」も台所にあった「りんご酢」しかなかったので、それを使ったが、どうやらパンチ不足。

それでもって、みつばを湯がいて、それを絞るのを忘れたので、
滅茶苦茶水っぽいのが出来上がった。
料理教室で食べた、あの味は再現されなかったさ。

味噌汁は、マグカップ一杯分を作ったのだが、若干、味噌が濃くなりすぎてダシが負けてしまった。

アジの開きは、部屋でキャンプコンロを使って焼いた。
火災警報器が鳴るだろうなぁ、きっと、
と思ったがキャンプじぃじが台所に立ちたくはない。
僕の血筋は、九州で、男尊女卑の傾向が強い。

そういう災いが効いて、鳴ったよ、その警報機がね。

まぁ、野沢菜漬けだけは、無事に美味しかったな。
それと、5石の米は、よく出来た。
これは、今までの訓練の賜物だ。
米粒に艶が出て、芯もなく、やっと上手に炊くことができた。

月に一回の料理教室だから、これからシッカリと復習をするさ。
迷惑なのは、隣に住んでいる大家のおばぁちゃんだな。
昨日も、その不作を差し入れしたからね。 お気の毒。

さぁて、今日の降水確率は、0%なんだそうだ。
やったね!
夏の体力仕事のために自主トレをするんだ。

僕は、どこまでも勤勉家さ。
仕事は、いやだけど・・・・・・・


12/5/22(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、習いに行ったさ、料理教室にね。

「和食基本技術」

かっこいいネーミングでしょう。
でも大変。

「切干大根の煮物」「新じゃがと豚肉の照り煮」
「ささみとみつばのわさび酢あえ」

と3品を同時に作っていった。
4人1チームで編成したのだが、
それぞれの食材の手順だけでもヤヤコシイところに、
誰がどこまで何をするのか、役割分担が明確ではないから、
そのヤヤコシサに拍車が掛かって、途中から何が何だかサッパリ分からなくなった。

でもね、興奮したな。
あの薄っぺらの「かつおダシ」の使い方には、驚いた。
なぜ、塩、醤油の前に砂糖を加えるのか、その理由を知った。
包丁の基本的な握り方を教えてもらった。
余談であったけど、米の研ぎ方もデモンストレーションしてくれた。
今まで見てきた研ぎ方と随分違う。
「強火」「中火」「弱火」の使い方、これは、すぐに役立つノウハウだ。

その他、一気にいろいろやったので僕の脳みそがフリーズした。
月に一回だけなので身につけるのに、
これから復習に精を出さなければ・・・・・

とりあえず、今日は雨模様らしいので、編集の仕事と、そうだなぁ・・・・
「ささみとみつばのわさび酢あえ」をやろうかなぁ。
これ、つまみに最高の味だったんだ。

まさか、50才も過ぎて習い事を始めるとは、自分でも信じられない事態になったさ。

人生は、こうして楽しむのさ。
子供たちに伝えていきたいね。
「物」ではなくて「生き方」を工夫して面白い人生を「調理」していくのさ。


12/5/21(月)朝 キャンプじぃじの日記

もし、今の僕に自前のボランティア活動「親子で工作」がなかったとしたら・・・・・

子供がいないから、
ただ自分の消費ばかりに目が向いてしまう人生になってしまうだろう。
そういう内向きな生き方には、「成長」がない。
心の底からの「喜び」が起きない。

「父性教育の重要性を訴える」
もし、今の僕にこの大きな目標が無かったとしたら・・・・・・

「親子で工作」なんてボランティア活動に意味が無くなる。
ただ自分の消費で頭がいっぱいの惨めな生き様になってしまう。

もし、今の僕に自分の好きな仕事が無かったら・・・・・・
生きていく緊張感がなくなる。
生きているという実感がない人生になる。
仕事のために体力を付けなければ、なんて気が起きなくなる。

もし、今の僕に若い頃覚えた趣味のサイクリングがなかったら・・・・・・
つまらない。

これら全部、「物」ではないのさ。

それで、僕は貧乏生活でも豊かな人生を思いっきり楽しみ続けているのさ。
なんて、ラッキーなんでしょうか。

もし、今の僕にこれら「物」ではない豊かさがなかったとしたら・・・・・

ばぁばと二人だけの生活が地獄になってしまうだろうなぁ・・・・きっと。
くわばら、くわばら・・・・・

さぁてと、今日は僕は、クッキング・教室に初参加をするさ。
僕の人生は、呆れるほど面白いさ。 ばかばかしいほど面白いさ。

さぁ、「消費」ではなく「成長」を目指そうか、親子で成長をしよう!
それには、「親子キャンプ」が最高だよ。 本当さ。


12/5/20(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

5/19(土)「親子で工作」のボランティア活動をした。
3月、4月、と二回たて続けに雨で中止になってしまったが、
昨日は、よく晴れて暑くなった。

今まで古い友人が手伝ってくれていたが、
ヤツは、春日部に引越しをして遠くなり、来なくなった。
それで、僕とばぁばの二人だけで活動をした。

竹を紐で組んだ工作物のテーブルを作って、
「手作りキャンプ」の演出をする。
これを若いお父さんが見て、真似っこして欲しいんだな。

11時ごろ、早弁をして、ばぁばがチラシを持って各サイトへ「親子で工作」の営業廻りをする。
なかなか「お客さん」が来ないので不発かな、と思っているところに
来るは、来るは、
それもほとんどお父さんと子供が一緒で来た。
だいたい7〜8組の親子が来ただろうか、
久しぶりの「大入り満員」だった。

今回は、「ペットボトル風車」ではなく「竹とんぼ」を案内した。
こちらの方が「はけ」がいい。
工作をしながら、このボランティアの趣旨を何人かのお父さんに説明をした。

なにせ、二人できりもみしているから、大変だ。
お母さんと子供のペアは、ばぁばが「枝ハンコウ」や「ドングリ人形」を教えていた。

一段落をして、誰もいなくなったので撤収を始めた。
そこにさらにお父さんが子供を連れてきた。
大入り満員+1、すごい客入りだよな。

初めは、もうほとんど撤収していたので、来月もやるからと断わったのだが、
その親子がすごく残念がるので、
ブルーシートを敷いて、工作を再開した。

今度は、そのお父さんと男の子二人、その妹だけだったので、
活動の目当てをジックリ話した。
そうしたら、僕の話に多いにそのお父さんが賛同をしてくれたんだな。
僕の方がとっても嬉しくなったさ。

こうして、昨日は、非常に充実した活動になった。
ばぁばと二人で夜、打ち上げをしたさ。

自分の子供をシッカリと自分で育てたいと思う父親は、
それほど多くはないが、こうしているんだな。
そういう心ある父親のために、これからも「細く、長く」活動を続けようとばぁばと話し合ったさ。

こういう自前のボランティア活動が楽しめるなんて、
なんて、贅沢な人生なのでしょうか。
そして、なんて心温まる幸せなのでしょうか。

「自分の消費で頭がいっぱい」だと、「親の成長」が止まってしまうんだよね。
そうだよね。


12/5/19(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、突然、末っ子が帰って来た。

ばぁばが、尻尾を振って喜ぶ子犬のように嬉しそうだった。
これだもの、母親任せで子育てをしたら、
子供を自立させなくなると思ったな。

子供が自立できるかどうか・・・・
父親の腕次第だと痛感したさ。
腰抜けの父親では、子供を自立させることが出来ない。

子供の人生、
自由に生きる喜びを、
自分で考え、行動していく面白さを、
自分の責任を使って、思いっきり生きることを、
これを与えることができる父親が一人でも多くなりますように。

昨日の夜には、末っ子の歓迎会をした。
この間までは、ビールを一杯飲んだ後、コーラを末っ子が飲んでいたが、
昨日は、生ビールを3杯も呑んでいた。

宗教が身に付くようにしてきたが、
この歳では難しいところがある。
でも勤め先の最寄の教会に自分の意思で一回だけ礼拝を守ったそうだ。
日本人では、まぁ、優秀な方だと思ったな。

少しずつ、少しずつ、「生きる意味」「生き方」「生きる価値」にこれから気付いていけそうでとっても嬉しかったさ。
僕はこれを教えてきたつもりだが、本人が身に付けるのは、これからだ。

「知っている」のと「できる」のとでは、次元が違うさ。

生きていて、何が重要か、
そうだなぁ・・・・・
生きる理念、つまり「志」を持った本当の意味の強い男に、
これから大人の成長をし続けていって欲しい。

「一生涯安泰」なんてみみっちい男には、なって欲しくないな。

昨日は、末っ子に三番目の子とスクラムを組んで生きていくように話した。
そして、そのことによってまず次男坊を救って欲しい。
そして、いつかは長男も生き返らせて欲しい。

きっといつかは、四人の兄弟が揃って人生を歩んで、遊んで欲しい、そう僕の願いを話した。
この世に僕の子がいてくれて、僕もとっても嬉しいさ。
つい、また呑みすぎたさ。

さぁ、今日はこれから戸田市の道満グリーンパークで
「親子で工作」のボランティア活動をするぞ。
一人でも多くの父親に、子供と遊ぶ本当の面白さを分かって欲しいのさ。


12/5/18(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場をブロアーで整備をした。
おおむね2時間、ブロアーを使うと手がしびれてくる。
そこで、そうならないように持つ方法を編み出した。
これだって、一つの成長さ、誰に教わったわけでもなく必要に迫られて考える・・・・・


ドラマには、必ず「葛藤」がある。
分かりやすくいえば「困ったこと」だ。
ストラッグルとも言う。

この葛藤に対してどう登場人物が反応したり考えたりするのか、
そういうふうにしてドラマが構成されていく。
そこにドラマの「面白さ」が出てくるのさ。

その葛藤が陳腐なものを「水っぽい」と言う。
人生も同じさ。
「一生涯安泰」を求めて殺到する就職観があるが、
自ら人生を「水っぽく」済ませようということになるんだな。

「生きているのが当たり前」だから、人生を安全にしなければ気がすまなくなるのさ。

「生きているのは、奇跡、まったくの偶然、ありえないこと」と思ったらどうなるかな?

せっかく生きているのだから、思いっきり生きてみたくなるのさ。
僕は、そうした。

だからこそ、高校生の内に社会人になったらスキルアップして「自分の仕事」を手に入れるんだと思っていた。
貧乏だけど、それはかなったさ。

僕の人生のそれぞれの局面・・・・シークエンスで、
いつも何かの必要に迫られて学んできた。
キャンプ場整備だってそうさ。

「困ったこと」がなく一生涯安泰・・・・・・
「物」が豊かになって、場合によっては実現可能だろう。
しかし、それは「成長」が止まったままの人生になってしまうさ。
幼稚な大人の出来上がり。
何の感動も無い人生になってしまうさ。

せっかく生きているのにもったいないことだ。
それでも、どうしても「一生涯安泰」を求めている。

それを手に入れることが困難な子がふてくされて生きていく・・・・

こうして引きこもっていくのさ。
そういう子育てはよくないよね、本当に。

昨日は、そうして山の整備をした後、
木割り矢で薪割をして、滅多にしない洗車をした。

そうしたら、今朝は雨さ。 やっぱりねぇ・・・・・
結構なストラッグルでした、今日は幼稚園の遠足なんだよ・・・・・

(どう? 洗車がストラッグルになった?)


12/5/17(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第九話。

事業を立ち上げるのに、たとえ個人事業でも、

「理念」「戦略」「戦術」や

「商品開発」「商品化」

の概念をハッキリ把握し、それに基づいて実行をしなければ
商売を合理的に立ち上げることはできない。
これらは、ただの机上論や理屈ではないんだな。

僕は、高校を卒業してすぐ都内の小さな会社に勤めた。
僕は、初めからその会社に一生涯勤めるつもりはなかった。
いつかは、自分の気に入った商売をしたい・・・・・
これが僕の根底にあった「理念」だ。

この理念は、すでに高校生の時にはハッキリと僕にあった。
僕が18才になる前のことだ。

20才で「子供を自立させる」とここで訴えているが、
それが出来ないのではない。
親がそう育てないで「甘やかし」をしていると僕の目には映る。

子供が30才も過ぎてもまだ、親が庇護をするという甘やかしは、
本人の成長を考えたら、言語道断だ。
そういう親の心構えこそが、子供のニート、ひきこもり、うつ病、
などの心のトラブルの温床になっている。

心の成長が止まっている状態。

心の成長は、辛いこと、大変なこと、いやなこと、
それらを「乗り越えたときにだけ」起こるものだ。
乗り越える必要がない「快適」「簡単」「気楽」に
だから「成長」はない。

さて、
僕が「卒業ビデオアルバム」の制作を20年以上続けてこられたのは、
僕の高校生の時に思い描いた強い「理念」があったからこそだ。

その理念がもっと具体的になったのが、
僕が28才の時のこと、「子供をビデオで撮って売る商売」と「明文化」した。

僕は、高卒だが、社会人になって「成長し続ける」という人生を歩んできた。
「物」を買って喜ぶ人生とは、まったく逆のことをした。

見栄えをよくするために大学を出て、その後何も学ばなければ、
こうして学び続けた人に追い越されるのは、当然のことでしょう。
ウサギとカメの童話のことさ。

真剣に、本気で大学で学問を学び、
それを生かしてさらに社会で成長し続けるのならば、
その人は、偉業をなしていくことでしょう。

しかし、
大学で享楽を身につけてしまったら、
だから、最も下手くそな子育てということになるのさ。

僕は、28才でその理念によって人生を歩むのだが、
簡単には成就しなかった。
次に必要なことは「戦略」だ。

「卒業ビデオアルバム」を「商品開発」するためには、その技術が不可欠でしょう。
この仕事は、映画ではないが、それに近い技術がいる。
だから戦略的にその技術を身に付けることになる。

そういうことで、何件もの小さなビデオ屋さんを渡り歩いて、
それぞれのビデオ屋さんにある技術のいいとこ取りをしたわけだ。
そうして僕は、必要な技術を手に入れていった。

戦略的に、こういうことだから僕はギャラをうんと安くしていた。
多くの仕事をこなして技術をシッカリと身につける・・・・・
本当にビデオ屋に勤めるスタッフに、もっとギャラを上げてもらった方がいいとまで言われたことがあるぐらいだ。

でも僕は、安いギャラを戦術ではなく戦略として捉えていた。
そうして、製作技術を手に入れてきたわけだ。

僕は、奇跡的に「卒業ビデオアルバム」の処女作を完成させることが出来た。
それは、僕が35才のことだった。
当時、機材といったら、放送規格のミキサーとプレッシャーマイク2本とゼンハイの指向性マイク1本を持っているだけだった。

あとは、機材を同業者に借りまくった。
僕が「機材で喜んでいる幼稚なカメラマン」と呼ぶのは、
こういう僕の生き様から言っているのさ。

さて、戦略的に僕は、今の仕事の「商品開発」まで成功をした。
次は、これの「商品化」だ。

「商品化」とは、その商品が売れて利益が出ることを指す。
いくら「商品開発」できても売れなく利益がでないものは、「死に筋商品」と呼ぶ。
舞台ものでは違うが、
今現在、僕の仕事ではブルーレイでの100%出荷は、できない。

それの視聴環境が100%に至っていないからだ。
だから、当面DVDでの出荷になる。
それなのに、ただちにブルーレイになると思う幼稚なカメラマンがいる。
「商品化」ということが頭にない証拠だ。

商売をする上で「商品化」できないのは、バカ丸出しだな。
僕は、今の仕事の「商品化」を目指した。
具体的には、営業で顧客を獲得することに精を出した。
僕が35才のときのことだ。

「営業」と言ってもいろいろなやり方がある。
僕は、「卒業ビデオアルバムのご案内」という販売促進のビデオを作って、
DM+飛び込み営業をした。
この実行をしたところが「戦術」となるのさ。

無計画で飛び込み営業をしたのではない。
一つの地域にだいたい60〜80件の幼稚園を洗い出してシラミ潰しに営業展開をした。
その営業の効果を上げるために「販促物」を用意し、DMで伏線を張ったわけだ。

作戦は、成功し、今に至るまで食べられるようになったわけ。

「理念」とは、最大目標のこと

「戦略」とは、その理念を達成させるための大きな作戦のこと

「戦術」とは、その戦略を具体的に実行する作戦のこと

「商品開発」とは、その商品を作れるようになること

「商品化」とは、その商品で利益が出ること

僕は、こうして作戦をねって成功に向かって生きてきた。
人生は、とっても面白いゲームだと思う。
そしてとってもビビルようなバクチだとも思う。
ただ、ギャンブルとは違って自分の努力次第では、勝率の高いバクチだ。

そこで得たものは、「成長する感動」だ。

僕は、今の仕事で食べられて地球の空気を吸って生きているうちに、
次の理念を見出した。
僕のさらなる成長だ。

それは、「父性教育の重要性を訴える」ということだ。
難儀しているけど、だからこそ面白い。
そして社会的意義は、ビデオ屋をやるのよりはるかに大きい。
クソ〜〜〜何が何でも立ち上げるぞ、「子育てフォーラム」




12/5/16(水)朝 キャンプじぃじの日記

生きているのが当たり前

日本では、みんな80才まで生きているのが普通だ。

大人がそういう意識で生活をしていれば、
当然のことながら、子供も「生きているのが当たり前」になってしまう。

とんでもない間違えだ。
仙台や福島のことを思い浮かべればいい。
そういう浮ついた心こそに問題があるね。

「生きているのが当たり前」の感覚で生きているから、
ニート、引きこもり、うつ病を起こすとも考えることができるような気がするね。

「学習」もそう。
巷に出回っている「子育て本」のほとんどは、
努力をすれば学校の成績がよくなるのが当たり前だと考えている。
これは、ほとんどの教育者もそうだろう。

完全に「発達障害」の子を無視している。
そういう子に生きるな、とでも言うようだ。
非人道的だ。

発達障害の子の中には、まれにずば抜けた成績の子もいるんだよ。
チョロチョロと走り回るのが好きな子もいるかも知れない。
ボーっとしていながら優しい子もいるさ。

さて、この三つの例は、発達障害の中の分類で何に当たるかお分かりかな?
「先生」と呼ばれる人でどのくらいこれが分かるだろうか?
理解できていなければ、当然のことながら、
「努力をすれば学校の成績がよくなる」に決まっていると考える人の内になるでしょう。

こういうことへの理解のなさが、
「発達障害」の子を二次障害へと重症化させてしまうんだな。
殺人など、重大な犯罪の多くは、この「発達障害」に関係しているという。
つまり、廻りの大人たちの理解のなさが、
そういう子に二次障害を起こさせてしまったわけだ。

「学校の成績」を強調する子育てには、十分に注意を払った方がいい。
そこには、こういう落とし穴があるからさ。

「発達障害」を考える時に、「障害」とまで専門家に指摘されるのは、
学者によってバラつきがあるが、だいたい1クラスに一人ぐらいという割合だ。

「障害」と診断されなくても、
かなりその特徴を現している子・・・・・
僕は、こういう子は非常に多いと思っている。

そして、だれでも「発達障害」の特徴の一つや二つは、持っているものだとも考えている。
これをベースに人間観察をすると、
面白いほどよく納得できることがあるね。

誰でも「発達障害」の特徴を持っているものだ。
こういう視点で子育てをできれば、「二次障害」を起こす子は、いなくなるのさ。
実は、
僕の四人の男の子のうち、上二人は、僕自身がそれを知らずに二次障害を起こしたのでグレてしまったんだな。
僕は、自分のこの十字架を一生涯背負って生きていかねばならないのさ。
辛いよ。

さぁ、巷に横行している「学校の成績だけを強調した子育て」には、
恐ろしい落とし穴があるということを、今日、覚えて欲しいね。
そして僕と同じドジを踏まないで欲しいね。

どんな子でも、大自然の中で自然の厳しさをタップリ味合わせて、
「生きているのが当たり前」ではないことを教えよう!
奇跡的に、偶然に、たまたま、生きているということを教えよう!

だからこそ、今、生きていることに驚きを持って感謝が出来るようになれると思うよ。
口先だけで「感謝しろ」なんて教えたところで、
子供は、それを身につけることはないさ。
体験が不可欠だ。

こういうことが「心の成長」ということなんだな。
机にしがみ付いていても、決して分からないことさ。


12/5/15(火)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、一日雨らしい。
編集の仕事が進むな、いいことだ。
雨だと諦めがつく。

でも子供がいるころは違っていた。
わざわざ雨の日にタープを張る訓練を子供にさせたものだ。

濡れないように、どう作業が出来るのか、
それを身に付けさせるのが目的だった。

実際のキャンプでも、初めから雨のことがあった。
いきなり強風の時もあった。
どういう気象条件でも、台風や嵐でない限りキャンプは実行させた。

こういう「試練」を通してのみ、子供の心が強く育つ。
他のスポーツでも同じだ。
「試練」こそが子供の心を育てる。

ただ、そこに「実体験」が伴うということが必要さ。
机の上の「想像」では、痛みがないから心が育つということはない。

人生も同じだ。
「安全」「快適」「気楽」を子供のうちから浴びさせるようにして育てられて、
どうして、「強く生きていく」ことが出来るというのだ。

「辛さ」「苦しさ」「嫌なこと」これらを乗り越えることで子供の心が強くなる。
あまりにひどく乗り越えられないものを「虐待」って言うのさ。

今の子育ては、「甘やかし」と「虐待」の両極端のような印象があるな。
子供の成長に丁度いい「試練」を親が与えられること、
そのためには、その子の様子や特徴を親が把握していなければできない。

どの程度の「試練」がいいのかは、子供によって一人ひとり違うものだぞ。
僕は、それを自分なりに考えて自分の子に「試練」を与えたのさ。
「親子キャンプ」という一つの方法でね。
キャンプそのものが目的だったわけではないさ。


12/5/14(月)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ばぁばのオデブを改善させるべく見沼代用水路コースのショートカットをサイクリングした。
世話が焼けるんだな。

一昨日と違って風が少なく走りやすかった。
桜並木の木陰がひんやりと心地いい。
日向は暑かった。

途中、杉並12団のカブスカウトがハイキングをしていた。
僕の末っ子がカブ隊だった頃、
僕は、にわか隊長をしていた。

組織が崩壊状態だったのをいいことに、
年に70日も活動をしてしまった。
面白かったなぁ。

カブ隊のハイキングを見ていて、そのころを思い出したさ。

「子育ては、ある一線を越すと快感になる」

とある人が言ったが、僕はそのころ軽く「一線」を越してしまっていた。
だからこそ若いお父さんに、ここで訴えているんだな。

子育てを他人任せにするな!

父親自身で子育てをすることで、子供の様子を把握できるようになる。
これが非常に重要だ。
そうでないと、巷に横行する「学校の成績だけ」に注目する子育てになりやすい。

自分の子の「特徴」をどれだけ父親が把握できるのか・・・・・
そのためには、子供の観察が不可欠なのが分かるでしょう。

そして、父親自身で子育てをすることで、
父親が育つ。
ただ、養育費を捻出するだけでは、「オヤジ」にはなれない。

そこの家族の方向性を決めて実行するのは、父親の役目だ。
最近、YAHOOで「父性教育」を検索すると、
このHPがトップになっている。

「父性教育」の定義に、

父親が子供に「生きる意味」「生きる価値」「生き方」を教えること。

としたのが、注目されたらしい。
この定義に共感を覚えてくださる方が多かったことを示しているのだろう。

ぜひこのような人生の大局を父親が子供に語っていって欲しいと心から願っているさ。
父親が細かな子育てをする必要はない。
それらは、母親が担うところだ。

ご両親のこうした役割分担がしっかりしていて実行できる家庭に心の強い子が育つことだろう。
子育てを他人任せにしては、いけないんだよね、どんなに忙しくともね。

僕は、仕事量を減らして年に70日カブ隊の活動をしたよ。
おかげで貧乏だけど、生きていて何が本当に大切なんだろうか、考えようか。


12/5/13(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、やっとツーリングに出られた。
ばぁばがちょっと仕事があるというので、
ラッキーして一人で出られた。

最近は、ツーリング≒輪行だ。
若い頃は、ともかく一般道を突っ走ってどれだけ走ったか、
という「量」だった。

今は、歳をとり体力がなくなって、
「おいしいところだけ、ほんの少し」のサイクリングなんだな。
これも「歳をとれたから分かる成長」さ。

渡良瀬遊水地を目指して東武線に乗った。
目的地は、「やぎゅう駅」だ。
あそこで「でかニギリ」を一つ買って・・・・・・・
そんなイメージでツーリングがデザインされていく。

ところが、そういうふうに妄想にふけっている最中に、
この間の渡良瀬川の先がどうなっているのか、ふと気になった。
気になりだすと、そのことばかり考えるようになってしまう。

「案ずるより産むが易し」

そこで、電車の中で栃木県の地図を引っ張り出す。
地図の最西南に「足利市駅」が渡良瀬川に隣接しているのが分かった。
この間、あまりの強風に断念して電車に乗った「佐野市駅」より川上に位置している。

この間の続きを走れる。
神様が、こうしろとおっしゃったんだな。

電車の中で、目的地変更。
「足利市駅」を降り立って、輪行袋からロードを引っ張り出しているところに、
ロータリーにたまっていたタクシーの運転手さん、
僕と同じぐらいの歳の人が寄って来た。
「あのぉ、ちょっとお尋ねしていいですか?」
僕は、ロードを組み立てながら
「どうぞ」
彼が、
「私は、趣味で写真を撮っているのですが、車だと小回りができない。
それで、そういう自転車ならいいなぁと思うんです。
女房にも自転車に乗って運動しろとも言われてまして・・・・
ところで、その自転車は、どの位の総重量ですか?」

「総重量」という表現がタクシードライバーのプロらしいね。
僕は、
「これは安物ですから、10`ほどでしょうか」と答えた。
その後もいろいろと訪ねられたが、
どうやら、本気でいきなりロードを買って乗りそうなので、
初めての人は、ふらついて真っ直ぐ走れないから、まずはママチャリでサイクリングするよう勧めた。

僕は、
「ママチャリでもサドルの高さを調節して体に合わせれば十分にサイクリングが出来るんですよ」
と、念を押した。
そしてサドルの高さについて説明しておいた。
僕は、ロードが組み上がったので、それで失礼したが、
後方でその運転手さんが同僚に「あの自転車は、いいよなぁ」と喋っているのが聞こえたな。

駅から渡良瀬川まで、本当に目の前だった。
電車を降りてすぐおいしそうな景色。
いいねぇ。

この川は、大きい。
そのバックに小さな山並みが続いている。 最高のシチュエーションだ。
若草色がそこら中にちりばめられていて、地球の生命力を否が応でも感じたな。
とっても美しい!

こういう雄大な景色を眺めると、自分がちっぽけに見えてくる。
自分の人生を俯瞰で検証することが出来る。

やっぱり、大自然の中での遊びは、必要だ。
子育てもこの自然の中で得るものは、本当に「大きい」と改めて確信したね。
コンクリートの壁の中だけで、子供に快適を与え続けるのは、よくない。

子供を「もやしっ子」にするな!

そんなことを考えながら走った。
でもね、また強烈な向かい風なんだな。
ローギャーでトロトロと川上に向かって走っていく。
すると右手に川があって、左手に4階建てのビルが見えてきた。
総ミラーガラスでしゃれている。

ふと、よく見ると僕が映っていた。
川越しに山並みがあって、その土手の上に小さく僕がいる。
僕は、下はジーパンで上はワークシャツ、ハンチングをかぶっている。
自分で言うのもなんだが、風景に溶け込んで似合っていたさ。

風力発電のプロペラが4基見えた。
そのうち一つは、回っていなかった。 故障だろうか。
土手にある公園のトイレに、太陽光パネルが設置されているのがあった。
群馬の人は、エコを実践している印象をもったね。

そうしているういちに、土手のアスファルトが切れてしまう。
何が何でも・・・・僕のいい癖であり、悪い癖でもある。
獣道のようなものがあったので、そこを上流に向かって走る。
ついに、巾が1メーターばかりになり下は砂利。
まったくの林道状態になっても、700Cで走っていく。

とうとう、それもなくなり土手の外の街中を走る。
上毛電気鉄道という妙な名前の路線にでっくわす。
そこの「富士山下駅」に着いた。

一般道を行くと、十字路に標識がある。
真っ直ぐ、日光・大間々。
左、大田・前橋。
右、桐生市街・赤岩橋。

その橋にひかれて右折をする。
大きくて立派な橋だった。
眼下は、渡良瀬川。
そこで諦めないで、川に出て、今度は対岸の土手の上を走って行った。

高校生の男の子にすれ違いざまに「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
都会では、まずありえないことだ。
ヤッパリ、この大自然の中で育つ子供の心は、純真だ。

いくら学校の成績を良くしても、心が濁っていたら・・・・・
欲望むき出しの子になってしまったら・・・・
「物の豊かさ」と「心の清らかさ」は、反比例するとそのときに感じて思ったな。

しばらくすると、そのまま川の右岸が走れなくなる。
そこにまた橋が掛かっていたので、そこを渡り左岸にでて走った。
そこは、桜並木になっていた。

なんて綺麗なコースでしょうか・・・・信じられない!
これだからサイクリングは止められないさ。

さらに突き進んでいくとまた、渡良瀬川の土手が切れる。
ドンズマリまで行くと「イノシシ注意」の看板があった。
しょうがないから、一般道に出たらすぐに駅に着く。

わたらせ渓谷鉄道「おおまま駅」だ。
そこに電車が来た。
茶色で古びた車輌。
けむりを吐いてやんの・・・・けむり?
電車ではない。 ディーゼルだ!
乗りてぇ。

そこで駅にある地図を見たら、この路線は渡良瀬川に沿って走っているのが分かった。
国道もそれに沿っている。
「R−122」だ。

土手は諦めざるを得ないけど、そのディゼルに乗りたさ一心でR-122を走る。
この国道は、スキーに行く時に散々通った道だ。

R-17で片品方面へ行くのに、混雑をすると赤城山の「南面道路」へ迂回するのだが、
それは、三段になっている。
最初は、一番下の道、そこが混むとその上の道、最後は一番上の道に迂回するのがマニアだった。

さらに、そう混むのが予測される場合、赤城山の裏側を迂回する。
そのときにこのR-122を走った。
そして赤城山の山頂付近を目指して、
ハイエースのワゴン車に友だちとスキーを満載して山道をよじ登って行った。
時々、4駆が落ちていた。 過信が原因さ。

さて、R-122を軽快に走っていくと道の駅「くろほね・やまびこ」に出た。
スキーでこの道を走って、赤城山の山頂付近へ左折する交差点のちょっと先にあった。

帰りが遅くなりそうで、ばぁばの愚痴が聞こえてくる。
そこで、開き直ってここでお土産を買って帰ることにした。
「たらのめ」「ふくじゅそう」「わらび」があったので買った。

そして最寄の駅から輪行で帰ることにした。
「水沼駅」はすぐにあった。

でも駅舎が・・・・・・・
大きな赤いのれんに「ゆ」と書かれてある・・・・??
そののれんの隣に赤いのれんで「いらっしゃいませ」とある。
さらにその隣に「みずぬま」と駅名があった。

どういうこと?

僕は、自転車をバラして輪行袋に入れて、
改札がないのでそのままホームに行き、そののれんの前に出た。
ともかく、そののれんをくぐって、カウンターにいたおじさんに尋ねた。
いったいこれは、どうしたものなのか?

駅員ではなく温泉の受付おじさんが
「ここは、駅ではありません。温泉です。ホームから三歩、歩いて着く温泉です。」
確かにそのとおり。

でもその温泉の施設の壁には時刻表がある・・・・・
頭がこんがらがるね。 目茶面白い。
時刻表を見ると、帰りの電車、いやディゼル車が来るまでには小一時間もある。

ということは・・・・僕は当然のことをした。

ここの温泉は、土日だけ露天風呂があるという。
最高だね。 僕は決して神様にこんなことを要求した覚えはない。
それでも、神様は、僕に最高のツーリング、いや旅行をプレゼントしてくれたさ。
行きの電車の中で目的地変更を思いつかさせたのは、彼だ。

僕は、若草色に燃える山を見ながら、露天風呂に浸かった。
そこに温泉の職員が物置に用事があってやってきた。
僕は、彼に写真を撮ってもらえないか尋ねたら、気持ちよく受けてくれた。
これだって、街の温泉ではあり得ない話しだ・・・写真を撮るなんて。
それも、そこの職員が撮るなんてね。

僕は、生まれて初めてのヌード写真を温泉に浸かって、バックに若草色の山を入れて撮ってもらった。
誰か見たい? 見たくない? 僕の想像妊娠のヌード写真。

温泉に入って、次に必要なものは、ただ一つ。
自販機にコインを入れると、そこには僕の報酬が出てくる。
そしてそこにディゼル車がやって来たさ。

心地よいサイクリングの疲れと温泉とビール。
これ以上の最高はないでしょう。
そしてディゼル車は、遊園地にあるアドベンチャーの乗り物のように、
渓谷の中を右に左に曲がって行ったさ。

電車に乗り換えた後の眠いことったらありゃしない。
ボロアパートに着いて、ばぁばの愚痴を制するように「山の幸」を差し出して天ぷらにして食べようと言った。
先制攻撃の手法だ。

大家のおばぁちゃんに手伝ってもらって、
三人で天ぷらを食べた。
ボロアパートの部屋中に山菜の香りがいつまでも漂っていた。


12/5/12(土)朝 キャンプじぃじの日記

本当だったら今頃は、サイクリング三昧をしているだろうに、
天気が悪い日が多いんだな。

それでも昨日は、見沼代用水路コースのショートカットをポタリングした。
風が強すぎるので、短くして走った。

この間、古い友人を鎌倉方面へオートサイクリングに連れて行ったが、
慣れていないので、すぐケツが痛くなってしまう。

僕は、若い頃に覚えた趣味なので、何一つ不都合はない。
きっと、メガネと同じだろうね。

僕は、中学生の頃からメガネをかけているので、
それで、どこか痛くなったりはしない。
でも、慣れていない人は、しばらく辛いらしい。

貧乏生活も同じだ。
貧乏が嫌で何が何でも豪華にしなければ気がすまないという心の持ち具合では、
僕のようなボロアパート住まいでは、欲求不満だらけの人生になるのだろう。

でも、僕は今の生活で十分だ。
だから、毎日、ほどほどに仕事がある隠居生活を楽しめている。
「豪華」「贅沢」を求めて身を粉にして働いている人を見て気の毒に思う。

「幸せは、それを感じ取る能力」

だから、いくら豪華にしたところで、幸せなんかになりはしない。
そこにあるのは、「気楽」「便利」「簡単」そんなことさ。

仏教では、
そういう欲望のことを「煩悩」と言う。
「四苦八苦」するのは、「煩悩」があるからだ、と教えてくれる。

浄土真宗では、そのことを説話で教えようとしてくれる。
臨済宗や曹洞宗では、座禅を組んで心を「無」にすることで、それに気付かさせてくれる。
真言宗では、無心にお経を唱えることで、それを悟るようにしてくれる。

どういう方法であろうと、「幸せ」の対極にあるのが「欲望」だということを教えたいのさ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」

これは僕が思うことだ。
生きる条件が多ければ多いほど、欲求不満は慢性化するでしょう。
決して幸せなことではないさ。

子供のうちから、貧乏に慣らさせておけばいいだけなんだがなぁ。
そうすれば、
貧乏が「我慢」ではなくなり、豪華が必要ないものになる。
生きる条件が少なければ、
自分が本当にしてみたい「生き方」を思いっきり出来るようになれるのさ。

僕は、そうして生きてきた。
古い友人は、好き勝手に生きてきたと言うが、
生きる目標を「物」ではなく「生き方」そのものに照準を合わせたのさ。

だから、「仕事がそこそこにある隠居生活」を手に入れられたんだな。
子供たちに伝えたいよ。
煩悩が不幸を招くとね。

聖書にもあるよ。
「金持ちが天国に行くのは、ラクダに乗って針の穴を通るのより難しい」とね。
明日は、教会に行くから、今日、ツーリングに出たいな。
バカバカしいほど面白く生きているさ、今。

そう、今、生きている。
そして自分の成長を多いに楽しんでいる。
これ以上の贅沢は、ないかもね。

子供たちに教えたいよなぁ。


12/5/11(金)朝 キャンプじぃじの日記

さぎ山野営場の薪割り場に積み重なっている切り株。
この間、その半分ぐらいを斧で割れるぐらいまでに木割り矢で薪割をした。

新兵器の3.5`のハンマーでブッ叩いた。
前の2.7`のものより破壊力がある。

だから、今まで7回も8回もハンマーを振り下ろして、
やっと切り株を半分にしていたものが、
3.5`のものでは、3〜4回で割れた。
結果として作業効率が良くて、サッサとそれぞれの株を1/4に割っていくことが出来た。

でもそれでも割れにくいものがいくつかあった。
どんなにハンマーにパワーを込めても、
木割り矢がはずんでしまって刃が立たない。

生木のように水分を含んでいて、枝分かれをするつもりだったところか、
すごく硬い。

そこで、生木用の斧を木割り矢に見立てて、
それでその斧の刃に3.5`のハンマーで叩いた。
そんなものは、捨ててしまえばいいのだが、自分のウデを試したかったんだな。

すごいねぇ、ビシビシと音を立てて割れていったさ。
それでも、刃が食い込んでも完全には割れない。

そこで、斧の刃でできた割れ目に木割り矢を入れて、
つまり、木割り矢の方が刃の厚味が倍近くあるので、それで押し割るようにして割った。

そんなことを繰り返していたら、
ナント、ついには、生木用の斧の刃が衝撃で柄から外れてしまった・・・・・
こんな柄の外し方があったのかと、失敗から得られる独創的な手法の発見に驚いた。

こうして、半分ぐらいの切り株を割って、薪置き場に積んでいった。
それで、もう置き場は、いっぱいになってしまった。
残りは、どうしようかねぇ・・・・・

そのまま地面に置いたままだと、下のものが腐ってしまうしなぁ。
誰か、ここの薪を消費しておくれぇ〜〜〜〜。


12/5/10(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第八話。

僕は高校を卒業してすぐ都内の小さな会社に勤めた。
一生涯安泰を求めてそこに就職をしたのではなかった。

実社会がどういうものなのかを分かるために、知るために、
つまり社会勉強と思ってそこに10年間勤めた。

仕事は、広告物の営業だった。
名の通った企業の宣伝課、販売促進課、購買課、
または、広告代理店が僕の目指す売り込み先だった。

だから非常に社会勉強になった。

大学で学びもしないで、夜遊び、享楽にふける人生とは、真逆だった。
それをやった古い友人は、うつ病になったさ。
目の前で起こったことだ。

その会社に勤めながら、僕は自分の仕事、技術職を探していた。
なかった。
そこで、「自分でしたい仕事を作る」ことにした。

「子供をビデオで撮って売る商売」
これを目指して脱サラした。
昭和59年のことだ。
それは、
家庭用ビデオカメラが、ほとんど普及していない頃だった。

それで、「卒業ビデオアルバム」の処女作は、平成3年度に完成をした。
たしか、7年後になるはずだ。

僕は、嫌にならず、諦めず、一点に集中して、トライした。
そして、本当にこう思うのだが、
自分の力だけでは、決して成り立たなかった。

たくさんの奇跡が、そこに積み重なって目指す仕事を手に入れることが出来た。
それで、自分の宗教を持てるようになった。
僕にとって宗教は、
「欲求を満たしてくれる」ものではなかった。
自分の実体験にビックリ仰天して信じるようになった。
だから「アメイジンググレイス」が大好きなんだ。
これを聞くと、涙が溢れ出るさ。

平成3年度に「卒業ビデオアルバム」の商品開発に成功したが、
それで食べられるようになったわけではない。
まだ、たった1件だけの顧客でしかない。

でも、商品開発が済んだのだから、次は、「商品化」を目指せばいい。
ここの違いが分かるかな?
「商品開発」と「商品化」の違い。

僕は、これを販売士で勉強をしたよ。
そして、その基本概念に沿って行動をした。
そう、
第一作を見本に徹底的に売り込んでいった。

でも、会社を相手にするのと幼稚園での営業では、
随分違うということを知った。
でもやはり「基本」は、一緒だ。

こういうことで、僕は最初に勤めた会社の「営業力」で商売を立ち上げることができた。
「技術職」を目指したのだが、僕に身について救ってくれたのは、「営業力」だった。

機材に夢中の幼稚なカメラマンが、
何年経っても商売が立ち上げられないのは、ここのところが出来ないからだ。
ハッキリしている。

すべての商売の初めには、「営業」ありきだということだ。
これができない人は、脱サラをしてはいけない。

これが出来なくて、リストラされたらどうなるのか・・・・・
一生涯安泰の人生を親に教わった子供は、だから悲劇だな。

商売の原則にこういうものがある。
それは、1件の顧客で年間売り上げで30%を越してはならない。

サラリーマンは、1件の顧客(勤め先)で100%の売り上げというリスクを背負っていることに気付くべきでしょう。
そこの会社が倒産したら、人生もお終い。

僕の古い友人で、30才代でリストラされて、そのまま引きこもってしまったヤツがいる。
これも目の前で起こったことだ。

僕は、そんな人生が嫌だった。
さて、これから商品化を僕はしていくことになる。

つづく


12/5/9(水)朝 キャンプじぃじの日記

ブータン王国でも、都市部では「ブータン」らしくなくなりつつあるという。
すでに、収入に見合わない車をローンで買い、
スマートフォンで便利を追及するようになったのだとか。

「ブータン、これでいいのだ」という本の最後に書かれてあったが、
行ってきた人の話でもそうだ。

「貧乏でもとても幸せそう」

これをぜひ見てみたい。
そう思ってブータンへ旅する人が失望するのだとか。

「裕福」「快適」「気楽」「便利」
どうしても手に入れたいとう欲求は凄まじく、人間の性なのだろう。
それでいて、
どこかそれでは虚しいことも薄々感じている。
それで「貧乏でもとても幸せそう」を見たくなる。

そこで、提案だ。
今の生活は、とりあえずそのままで、
「子育てのための親子キャンプ」をたくさんやってみよう。

キャンプ生活は、キャンプ用品を買いあさるということがないように気をつければ、
「擬似貧乏生活」だ。
ぜひ、これをタップリ親子で体験しよう!

そうしているうちに、
「贅沢」ではなくても大丈夫になれるさ。
無理をしなくても、次第に質素で十分になれるさ。

「豪華」「贅沢」で奪い合えば、不足し、
譲り合えば、有り余る。

聖書にも、何千人の飢えを数匹の魚とわずかなパンで満たしたとある。
このことを指しているんだろうなぁ。

「親の最大限の豪華、贅沢」は、子供にとって
「最低限の生きる条件」になりやすいと思えるぞ。
こうして欲望のまま物質主義に陥るんだろうなぁ。

僕は貧乏人だが、昨日、さぎ山野営場の草刈をした。
落ち葉がたまっていたので、一輪車で山の中へ何回も何回も運んだ。
腰が痛くなるほど疲れた。

でもここで活動をするボーイの子たちのためと思うと一生懸命になれた。
そうできたことに幸せを感じるんだよ。

与えているつもりが、実は、与えられていたんだな・・・幸せをね。

自分の消費で頭がいっぱいだと見事に成長が止まるけど、それだけではないさ。

若いお父さん、
自分の子は、自分自身で子育てをしよう!
無駄な消費をうかせれば、それでお金と時間が出来るさ。
さぁ、子供が小さかったらデイキャンプで十分だ。
やってみよう!

大自然の中で、地球に教わることはとっても多いよ。


12/5/8(火)朝 キャンプじぃじの日記

建物の中だけで毎日を過ごしている人は、
何もしなくても、
屋外の空気に触れるだけで疲れてしまうものだ。

これは、本当だ。 2時間もアウトドアーにいればグッタリしてしまう。

ましてや、
最高の快適で毎日、毎日、毎日、過ごしていれば、
同じ屋内でも、ちょっとしたことで不快に陥るものではないだろうか。

つまり、「フラストレーション耐性」が極端に弱まる。

モンスター・ペアレントは、こうして発生するのだろう。

そこに夜更かしで享楽を覚えてしまったらどうなるのか・・・・・
さらに親の意識に「自立をさせる」ということがなかったとしたら・・・・

いくら学校のその場限りの成績を上げても、
命がけで働く人は、まず、育ちにくいでしょう。
ニート、うつ病、これらの問題は、「生きようとするエネルギーの喪失」と言えると思うんだな。

犬に何か芸を覚えさせるのに「腹が一杯」では、できない。
芸界(古典芸能)の世界にもこういうアングラがある。
「金を追って芸を磨かず」

人間でも「芸」をする、つまり必死に生きていく元気は、
「不足」から起こるものさ。
だから「快適」を浴びさせるのは、何の「芸」もしない人を育てるようなものでしょう。

子供に「真剣に生きる」ことを覚えさせるのが、本当の親の愛ではないですか。

「責任」を負った分だけの「自由」が得られる。

これも子供に父親自身で教えるのが、本来、義務だと思うよなぁ。
さぁ、若いお父さん、
子育てには、他の習い事以上に「基本」があると思わないかい?

ぜひ、吉村先生の「子育てフォーラム」でそのヒントをつかんで欲しいんだ。
もう一回、それを上記の通り企画したので聞いて欲しい。

「成長」にこそ、生きる感動がある。


12/5/7(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の午後、さぎ山野営場でボーイ隊の活動が終わったという連絡があった。
そこで、後片付け・・・・と言ってもほんの少しだけだが・・・
これをしに山へ行った。

忘れ物が一つあったので隊長へ連絡した。
行ったついでに溜まりにたまった薪割りをする。

この間、最寄の教会の塾に通う子供とその親達のための活動をしたが、
その時に、中2の男の子が来たので、
立ち枯れしたものをチェーンソーで倒して、
それを斧でその子に薪割りをさせた。

その子は、もっと薪割をしたいというので、
その溜まっている太い株を木割り矢で割って、
その子が斧で割れるようにしてあげた。

ところが、その矢を2.7`のハンマーで割っていたら、
ついにそのハンマーが壊れた。

そこで、次の日にそのハンマーを買いに行ったんだな。
ところが、2.7`のものがみごとに売り切れていてなかった。
そこで、3.5`のものを買った。

昨日は、そのおもちゃを試してみたかったのさ。
重い分、破壊力がある、やっぱりね。
でも重い分、持ち上げるのに力が要る。

昨日の午後は、とっても暑くなっていたので、上半身裸で
薪割りをしたさ。 汗でビッショリ。

いくつか破壊力を試していたら雷が鳴り出した。
それで止めた。
3.5`のハンマーと木割り矢は、慣れていないと非常に危ないので、
うかつにボーイのリーダーが触らないよう持ち帰ることにした。

さぎ山野営場では、薪割りの他に
竹ハウスの立て替え、落ち葉の清掃、とやらねばならない仕事が残っている。
本業の編集もやらなければならないし・・・・・

僕は、拘束されるのが好きではないんだ。
サイクリングをしてぇ〜〜〜。

なんて、
貧乏生活だけど、贅沢な人生でしょうか。
「物」を手に入れるために窮屈な人生にしてしまうのと、真逆な生き方さ。
富と主の両方に仕えることはできない。
神様のクビキは、負い易いとは、このことなのだろう。


12/5/6(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、一日中「自分の消費」で愉快に終わった。
「消費で頭がいっぱいだと成長が止まる」と言っている僕だって、
実際は、消費を楽しんでいるさ。
決して禁欲主義ではない。

ただ、「消費だけが目的で生きる」という生き方ではないんだな。

高校のときから一緒に遊んでもう40年になる古い友人。
コイツは、サイクリング初心者だ。
一度だけ、僕とばぁばとソイツの三人で見沼代用水路コースのショートカットを走ったことがあるだけだ。

それで、昨日は鎌倉方面へオートサイクリングをした。
朝の5時半にヤツはやって来ると宣言していたが、
本当に電車の時刻のようにピッタリとその時間に来た。

それで、ヤツのとばぁばの自転車を車のキャリアに載せ、
僕のロードは、車輪を外して車の中に入れて出発した。

逗子市の秘密の場所には、予定時刻どおり7時10分ごろ到着。
そこで、コンビニ弁当を食べて、出すものを出した。

三台の自転車のチェックを済ませる。
ヤッコサンのボトルゲージがひん曲がっていた。
たぶんもうNGだろうと思いながらそれを真っ直ぐに直そうとしたら、
やはり、ボキッと折れた。

チェーンにCRCを吹きかけて出発した。
逗子海岸を眺めながら、富士山も拝みながら、
心地よい空気をかき分けて走る。

僕とばぁばは、インカムで通信をしながら、ヤツをサンドイッチして仲良く三人縦列走行で走る。
すぐに江ノ島に着いた。
昔、三番目の子が小学校高学年でまだかわいかった頃、
よく連れて行ったコースだ。

江ノ島の裏側に洞窟があって、三番目を驚かさせたことがある。
懐かしさと、ヤッコサンの観光のために、そこへ回って行ったね。
ここで随分とノンビリして時間を使ってしまった。

江ノ島から逗子市までの帰り道で鎌倉の街中を走る。
すごい人出だ。
とても自転車に乗って走れる状況ではなかった。
街中をウロウロと走っては、袋小路でUターンを何回も繰り返して車があるところまで戻った。

そこから混まないうちに一気にボロアパートに帰ったさ。
それで、三人でいつものように銭湯に入って、
いつもの店、「みさき」で乾杯をした。
そう言えば、大家のおばぁちゃんも誘ったな。
江ノ島のお土産の「たこせんべい」をあげた。

そこに他の古い友人二人が来た。
一人は、やはり高校のときのクラスメイトで、
僕と同じようにボーイスカウトのリーダーをしていたヤツ、
コイツのおかげで雪中キャンプを何回も体験させてもらったんだな。

そして、中学の時からの友人でうつ病になったヤツ。
こいつのおかげで僕は、素人なりにうつ病について調べ上げることになった。
それで、気付いたことが子育てで「父親不在」が重大な問題を引き起こすということを突き止められたのさ。

この古い友人二人も含めて、「みさき」で宴会をした。
無理に幸せを感じようとする必要は、まったくない。
これが幸せでなくて、何が幸せだと言うのだろう。
決して「物」で幸せはないとハッキリと分かるんだな。

さて、その古い友人の内、僕の家族に雪中キャンプをさせてくれたヤツにすごいお土産話があった。
ナント、ソイツは、福島の被災地でボランティア活動を一週間以上やってきて、
その帰り道に直行で「みさき」に来ていたんだな。

現地での様子や、状況を聞いた。
僕の友人にこういうヤツがいることを誇りに思うね。
さらに酒がすすんださ。

ソイツのお土産に「絆 2012 共に前へ! 東北」というシールをもらった。
車のダッシュボードに貼り付けるさ。
やっぱり、生きる感動、面白さは、「物」にないんだ!

「物」を得るために子育てを疎かにしてしまうところに、
問題があると本当に思う。

「父性教育の重要性を訴える」
これを何が何でも推進していこうと意を新たにしたさ。
人生は、こうして楽しむのさ。


12/5/5(土)朝 復活サイクリストの日記

今日は、これから鎌倉方面へオートサイクリングしようと思う。
そこで、古い友人を誘ったらヤツも来るという。
越谷を6時には、遅くても出発したいと、昨日連絡したら、
ナント5時半にはこちらに着くと、気合が入っている。

今、5時前だが、もう準備をしなくっちゃな。

昔、スキーフィーバーしているころは、
渋滞を避けて朝の4時に迎えに行く・・・・なんていうのは当たり前だった。
それがだんだん前倒しになって、
ついに夜行日帰りをやりだした。

それもシーズンに10回は、やったかな。 「定期便」になっていた。
そんな「遊びの訓練」を何年もしたから、
ヤッコサンは、まだ眠いのに気合を入れてやってくるのだろう。

もう56才だよ・・・・・お互いに。
高校のときからの遊び仲間。
ナント、40年もそうして遊んできたのさ。
今日は、子供の日だ。 童心に戻るさ。

・・・・・、いつも子供のままだと聞こえたような気がする。
気のせい、気のせい。

ヤツの自転車は、僕の末っ子のお下がりだ。
まだ、一回サイクリングを一緒にしただけだ。
その時は、たった一時間でケツが痛くなったとメゲていた。
今日は、どうなることやら・・・・・


12/5/4(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、一日雨模様ということだったので、
たまりにたまった編集の仕事をやっつけようと思った。

僕は、7時ごろ、いつものように朝食にありついたあと、
そのままPCに向かって編集をしだした。

そうしたら、ボーイの隊長から電話があって、
さぎ山野営場に常設している「竹ハウス」に落ちてきた枝が直撃して穴が開いているという。
クラフトテープで応急処置をしてくれたという連絡だった。

そこで、編集をしなければいけないんだけど、
しょうがないよな、山へ向かった。
念をおすけど、決して仕事から逃げたわけではないんだな。

山に着くと、ボーイ隊は、すでに撤収していた。
竹ハウスを見ると、確かにフライシートをぶち抜いた穴があった。
近くにその穴を空けただろう枝が落ちていた。

枝は、葉っぱが抵抗になって折れたところが下を向いて落ちてくる。
時に、地面に突き刺さっていることがある。
それがたまたま、竹ハウスを直撃したわけだ。

その穴から雨水が漏れることより、
その衝撃でフライシートにたるみができて、
そこに雨水がたまりだしている方に問題があった。
そのままだと、雨水の重みで倒壊する。
そこで、積雪対策用のつっかえ棒を備え付けて応急処置をした。

帰り際に、フライシートにしている6畳ほどの新品銀色シートを買った。
近い内に、「竹ハウス」を建て替えるつもりだ。
今回、一年以上もったので、十分だ。

キャンプ場を維持管理するのは、いろいろなことがあるものだ。
手間もお金も掛かる。
だから、有効活用をしないと本当にもったいない。

この間、教会の塾に通う子供たちでデイキャンプをしたが、
その内の子がもっとデイキャンプをしたいというので、
5日にもやるつもりだったが、
ボーイ隊からSCCサイトと竹ハウス利用の要請が急遽あったので、
今日、明日とボーイ隊に使ってもらうことにした。

今日は、これから整備をしに山へ行く。
編集は、とりあえず・・・・後回しだ。
しょうがないよ、事情が事情だから。


12/5/3(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、こうしてビデオ屋になった。  第七話。

幼稚園の発表会をたくさん手掛けていた小さなビデオ屋さんでは、
同業者のヘルプの仕事も僕に振ってきていた。

それで、そこを辞めたことを聞きつけた別のビデオ屋さんから、
直接オファーがきた。

「渡りに船」そのものだ。
仕事量は多くはなかったが、なんとか喰える状況になった。
しばらく付き合っているうちに、
僕が幼稚園の仕事を目指していることを知って、
そこで取引している幼稚園を引き継がないかと打診してきた。

もちろん、僕は喜んでその話に乗った。
引継ぎだから最初の一年は、僕の方からそこの取材は、ノーギャラでした。

年間、数回のイベントを撮って、
それぞれ「希望販売」して、最後にそれらのダイジェストと園長先生のコメントをつなぎあわせて1本にまとめたものも売るというものだった。

それは、「ビデオアルバム」の原型のようなものだった。
僕がそこのビデオ屋さんで最後のそれの一年間の取材をしたのだが、
すでにその年度で、その制作を10年続けていた。

ただ、売り上げは、会社組織ではまったく商売になっていなく、
そこの「お荷物」だったんだな。
逆に言えば、僕は、そこのビデオ屋さんにとって丁度いい引継ぎだったわけだ。

その「ビデオアルバム」の編集は、そこのビデオ屋さんがやって、
それの見本と過去の10年間のタイトルのマスターを頂いて、仕事を引き継いだ。
嬉しかったねぇ。
僕の目指す仕事が具現化した瞬間だった。

そうして引き継いだその「ビデオアルバム」は、
まったく違う構成にして最初の一年間をまとめた。
これが、僕が最初に作った「卒業ビデオアルバム」となったわけだ。

出来具合にそこの園長先生がたまげてくれたのを覚えている。
でも、販売数量は、20本だった。
僕のガッカリした顔を見て、そこの園長先生は、
それまでは、7〜8本しか売れていなかったから、3倍も売れたと僕を励ましてくれた。

その処女作完成が、平成3年度で、平成22年度のもので
この制作の20周年をむかえたわけだ。

その「卒業ビデオアルバム」は、それから次第に売れるようになっていき、
だいたい購買率が、70%ぐらいで安定した。

しかし、その仕事だけでは、喰っていけない。
それ以外には、そこのビデオ屋さんにギャラ仕事をもらって食いつないだ。

僕は、技術職を目指して幼稚園のビデオ撮影をこなしてきたわけだ。
発表会、運動会、お泊まり保育・・・・・
目指す被写体にブレがなかったからこそ、こういう成長を手に入れることが出来た。
だから「何でも撮ります」は、ウラを返すと「何にも撮れません」であることを十分に知っているんだな。

でも、技術職を目指してそれを撮れるようにはなったが、
商売を立ち上げるのには、
脱サラする前の10年間の「営業」が僕を救ってくれた。

つづく


12/5/2(水)朝 復活サイクリストの日記

しばらく雨が続くというので、
この間のデイキャンプの後片付けも放って見沼代用水路コースに出た。

久しぶりだ、ペダルをこぐのは。
もう田圃には、稲が植えられてしまっていた。
あの赤いザリガニのような耕運機を眺めるチャンスを失っていた。

さぎ山野営場に車を置いて、一周約50`弱のコースをポタリングする。
途中、登り坂らしきものは、JRを越す陸橋が二ヶ所あるだけだ。

この間のデイキャンプがあまりに面白かったので、
そのことを思い出しながら走っていたら、
いつその陸橋を渡ったのか、その記憶がなくなってしまうほどだった。

・・・・それとも単についに本ボケがきたか?

暑くも寒くもなくTシャツで気持ちが良かった。
しかし!
サイクリングに酔っている最中に、ポツンと雨粒が・・・・
それが次第に、ポツポツポツ・・・・・
路面も半分ウエットに。

ヤバイ。
そこで、周回コースの利点で、そこからショートカットした。
車のところについて、自転車をキャリヤに乗せて、車の中に避難をしたところで
路面が完全にウエットした。
間一髪。

去年の秋も短くて、暑さがなくなったかと思ったところでいきなり寒くなってしまった。
今度は、寒さや雨でサイクリングのベストコンディッションが少なくて、
いきなり「夏」なのかねぇ?

もう5月じゃ、そうなのだろうなぁ。
サイクリングをしていると、地球の空気に敏感になれるのさ。
大自然の中での遊び・・・キャンプもたくさんやると、
「地球」が感じられるようになるものさ。

コンクリートの壁の中で「快適」に生きていると麻痺しちゃうだろうね。
そういう人こそ、休日には、タップリとアウトドアーで遊ぶ必要があるよな。
それも子供と一緒に遊ぶといいのさ。

そう思っただろう? 若いお父さん?
それじゃ、実行しようか、
いざ、大自然の中へGO!


12/5/1(火)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

第二回 キャンボリー 実施
4/30(月)にさぎ山野営場から歩いてすぐのところにある教会の塾に通う子供とその親が参加をした。
予定では、5家族だったが、
それぞれ都合が悪くなって、2家族の参加になった。

牧師先生と塾をしているその奥さん。
古い友人が手伝いに来てくれた。
そして僕とおばば。
おばばは、今回で改名をした。 それは「キャンプ ばぁば」になった。

全員、名札を着けた。
去年のクリスマスに僕は、そこの教会に行ったので、
それで子供の中には、僕の顔を覚えている子がいた。

小6の女の子が二人、
小1の男の子が一人、
お昼を過ぎて中2の男の子一人が来た。

そこに母親が二人。
途中、ちょっとだけ父親も来た。
これに参加をしたい子は、他にもいるらしいが、
親が来ないで「子供を預ける」のは、強く断わっている。

午前中
母親二人に「マイ箸」を作らせてナイフの扱い方を教えた。
午後から、母親が子供にそれを教えた(はず)。

子供たちがカレーの食材を近所のスーパーへ買い出しに行き、
それを調理した。
全員でそれを頂いて、後片付けを子供たちにさせた。

中2の男の子は、箸を作っても面白くないだろうと思い、
立ち枯れをしているヒノキを1本、チェーンソーで倒して、
それの薪割りをさせた。
かなり嬉しかったらしく、いくらでもやっていた。
その時にお父さんが来て、その中2の子が割れない薪をみごとに割って見せた。
父親がわが子にカッコいいところを見せることが出来た。
これこそ、SCCが目指す「父性教育」の一つだ。

開村式と閉村式をやった。
牧師先生に挨拶をいただき、先生と奥さんにソングリーダーを務めていただいた。
それは、開村式では、運動会で優勝カップ授与の時によく使われる曲を歌った。
それは、実は賛美歌だったんだな。
子供たちに聞き覚えのある曲にしてもらった。

閉村式では、「アメイジンググレイス」を歌った。
これの元は、アメリカの民謡だそうだが、賛美歌にもなっている。
これは、もう毎回これにしてもいいと思うね。

そして最後に牧師先生から子供たちに参加賞を授与してもらった。
子供だましだが、効果抜群なんだな、これ。

そして旗の上げ下げは、子供にしてもらった。
ボーイスカウトのセレモニーに何の遜色もないことをしたさ。

時間配分も、こういう活動に慣れていない子ばかりだから、
かなり余裕をもったプログラムにして、ほぼ予定通りになった。
僕がタイムキーパーをした。

母親の一人は、「普段見た事がない自分の子の姿を見た」と言っていた。
子供自身による成長の何かを感じ取ってもらえたようだ。
この感想をいただいたので、第二回 キャンボリーは、大成功だったと思えるね。

ぜひ定例化をしましょうと散会した。
僕とばぁばの二人で打ち上げをしたね。
「やっぱり、子供がいるからキャンプが面白い」と、
珍しく夫婦で意見が一致した。
たぶん手伝いに来た古い友人もそう思ったに違いない。